祝詞作文資料

苗代清太郎「終戦後の祝詞作文」

解題・凡例のようなもの

   筆者・苗代清太郎について


 筆者については不明な点が多いものの、分かる範囲で以下に述べる。

 苗代清太郎は明治37(1904)年3月2日、大阪府生まれ。

 父・清七は天理教信者で大正3年、豊生宣教所の設置に携わった。これは現在、名前を変えて大阪府箕面市に現存している。

 苗代は若いころから向学心が強く、大正11年(1921)大阪府立茨木中学校を卒業、上京して國學院大學予科に入学、のち同大学国史科に進んだ。

 義務教育は小学校までの時代。教会の子弟に学問はいらないと非難されつつも、親は苦しい生活の中から何とか学資を捻出したようである。

 その甲斐あって卒業後は中等学校歴史科の教員免許を取得するかたわら、当時の天理教の資格、権訓導を得る。

 だが、教員にもならず、天理教の布教につとめた形跡もない。昭和25年と同28年には参議院選挙に出馬、いずれも落選しているが、これは終戦後の世相の変化の中で、政治活動を志向したものであろう。

 苗代の本業は、やはり著述業といってよい。

 ところで戦前と戦後とで扱う素材に、はっきりと変化があるのが興味深いところだ。

 著作物の題名をあげると戦前は『最も分り易い祝詞綴り方』『軍事祭霊祝詞』『軍事祝詞大鑑』『大東亜戦争諄辞集』と祝詞に関する著作のみである。

 これが戦後には『古事記の謎』『純正古事記』『古事記大鏡』『謎の万葉集』『元暦・万葉集』と、古事記や万葉集へと興味が移行していった。

 そのかたわら同人雑誌『肇国』を発刊、その奥付を見ると発行者の所在が東京都浅草桂町(現在は蔵前)となっているので、戦後は同所に在住していたようだ。昭和14年刊『軍事祝詞大鑑』の上巻の奥付では目黒区洗足在住となっているから、空襲で焼け出されて引っ越したのかもしれない。 

 晩年のことは全く不明だが、没年は昭和58年で、これは『肇国』最後の号が発行されてから五年後である。

 あるいは病気で著述、発行が不可能となり、長患いしたまま逝去したものかもしれない。


   雑誌『肇国』について


『肇国』は戦後まもなく創刊した雑誌で、内容は神道、神社祭式、上代の文学、宗教評論、また宗教行政など多岐にわたる。

 確認できる最も古いものは昭和23年7月号で、発行事務所を肇国神祇聯盟とし、編集兼発行印刷人は苗代道則となっている。これは親族の名前を借りただけで実質、編集にあたっていたのは苗代清太郎ではないかと思われる。

 当初の執筆陣を見ると、折口信夫、賀茂百樹、葦津珍彦、小野祖教、金光慥爾、河野鉄憲、安津素彦、星野文彦など当時の神道界では一流の人物が名を連ねている。

 会員から会費をとるほか、各地の有力な神社に広告掲載を依頼していたようだが、年を経るにつれて執筆者が少なくなっていく。

 これは、原稿料を捻出できなくなったためかもしれない。

 昭和33年以降は全く苗代の個人誌となってしまうが、それでもほぼ月に一度、発行しつづけ、中断することもなかった。

 確認できる最後の号は昭和53年4月発行、つまり30年ほどつづいたことになる。


   「終戦後の祝詞作文」について


 「終戦後の祝詞作文」は『肇国』の昭和24年11・12月合併号から、同26年7・8月合併号まで12回にわたり連載された。

 おおまかには戦後の激変する世相の中で神社界、祝詞のあるべき姿をまず訴え、つづいて具体的な祝詞の書き方について述べるという構成である。

 祝詞の書き方については、先行する『最も分り易い祝詞綴り方』などとほぼ同様だが、結局この後、この雑誌ばかりでなくどんな著作物においても苗代が祝詞について語ることはなかったから、終着点・到達点として評価されてよいだろう。

 ただし、残念ながら「祈願」までで終わっており、その後つづきが書かれることはなかった。内容からすると、あと一、二号で完結するはずだった。

 この中断は当時、前述の国政選挙立候補により、多忙だったためかもしれない。

 また、最初の「はしがき」「終戦後の神社の在り方」「古代祝詞と現下神社活動」を見ると、当時の神社を取り巻く情勢や、筆者の古典、祝詞に対する態度がうかがえる。

 神道史上の資料としても価値があると考える所以である。


   凡例のようなもの


一、旧漢字は現行の漢字に改めた。歴史的仮名遣いはそのままである。

一、踊り字のうち「ゝ」「ゞ」は本文そのままとしたが、「く」形式のものは書き改めた。

一、誤字脱字のうち明確な誤字は改め、脱字は補った。

一、文意が通らない箇所もあるが、そのままとした。

一、記号の順が飛んでいる箇所は改変したが、筆者の意図が不明な箇所はそのままにしてある。

はしがき

 時局的な題第ではあるが、終戦後の祝詞作文について世の批判を仰ぎつつその所論を述べ、合せて、祝詞作文をするのことにし度い。現在神社の祝詞を一瞥すると、神前で奏上する祝詞としては可成り無理のあるものや、どうかと思はれる祝詞が奏上せられてゐるやうである。之等はその渉に当る神社本庁としての指導や、祝詞に対する神社人の関心が薄いことに起因するのであつて、各地神職の献身的な活動に対し、更に適切なる指導と補導を要する所以である、有るがまゝの祝詞、なすがまゝの祝詞を勝手気儘に奏上してよいとすれば、神社は亡びなくとも、神職それ自体の神に対する奉仕、神に対する誓ひや、宗教としての一連の活動は望むべく余りに無理であらう。殊に敗戦後の混乱に戸惑ひつゝある多くの神職に祝詞の基準、宗教活動の基準が明かにされず、引いては神社宗教としての活動の正体を神職自身が見失つては、その専断の運用は神社そのものゝ価値を落さないと、誰も保証は出来まい。

 元来祝詞は神前で奏上せられるものであつて、祭祀祭典の中心姓名であり、祭典の何物であるかを言挙げする唯一の道である。衣服式服を着した衣冠の神職は、祝詞奏上を中核として、すべて無言のうちに式典を執行するのであつて、初めから終りまで、決して言葉を交はさない。唯祝詞奏上の時のみが音声の聞ゆるものである処に、その式典の何物であるかを神も火とも共に知り得るのである。祝詞奏上に包まれた言葉が斯くも申請にして尊敬せられることは、祝詞精神が重大なるものである証左であつて、祝詞を透して、祭儀の意義並に神社の在り方、神道理念の行き方が把握出来るのである。神祇に関する各種の理論や研究、祭典祭儀、神社の宗教活動の総ては、祝詞奏上の精神を、守る肉や皮に過ぎないのである。

 神社信仰、神社発展の各種活動の様想は、凡て祝詞奏上を透して神に申上げ誓ひ奉る事実を更に普遍化し具体化した活動催物にすぎない。其処に祝詞精神の重大性が認められるのであつて、祝詞は即ち神社の在り方、神社の行き方を示すものと信じて過言ではない。殊に敗戦後の神社の在り方神社宗教の行き方はその祝詞精神に由来するものであつてその祝詞精神が、神職によつて間違へられた時は、その誤つた指導で神社は混乱に導かれ急角度的に傾斜的滅亡へ追ひ込まれることは必然である。神社の在り方と祝詞精神は一心同体であつて、神職の指導理念は常に祝詞にあり従つて神社の在り方の本当の姿は祝詞奏上の誓ひ報告に表はれてをり奏上祝詞の精神は神社の在り方、行き方を示す太陽である。

 然らば、終戦後の祝詞は如何に作文すべきか。

 之は、終戦後の神社は神社宗教として如何なる活動をなすべきかと云ふ問題と同意語である。社会や一般人は勿論神職自体も、終戦後は神社宗教の行き方のみを追ふに汲汲として祝詞精神を忘れ、祝詞精神をふみつけて省みないことが、神社宗教としての真の活動を封鎖追放してゐることに気附き、神社の宗教活動の源泉は常に祝詞精神にあることを再認識すべきである。

 神職一般は如何にも民主的たらんとして時局的な歩みに仰合し、時に神社史を語り、神社神道の行方を討論し、神道思想の構想を論じたり、皮相的一時的な瞬間の事物を追つてゐる姿は、道を案ずる熱意としては同情すべきも美しい花を追ひ、花を追賛するの類であつて、決して花を愛し、花を育てる仁ではない。蘭慢と咲いた美しい花には幹あり、地中にもぐつて更に根の活動が瞬時も止まないその努力が、春にめぐりあつて咲き匂ふ花と化し、人々の歓喜に合ふことを悟らねばならぬ。神前にて奏上する祝詞精神が、神社思想の中心であるここに一段の留意を要するを知るならば、今日の神職指導者の祝詞に関する補導は果して当を得てゐるであらうか。全神社人が此処に留意する時、神社信仰本然の姿を握み、神社の在り方行き方を智得認識出来るものである。

 之はひいて、終戦後の神社神道の宗教としての活動をより一層活発化する所以であつて、祝詞精神を置いて神社の在り方を示す何物も存在しない。神職各位の奏上する祝詞が、神社自身の興隆を計れば、又滅亡の淵へも追ひ込むものであることに重大関心を寄せ、祝詞精神の神社信仰に於ける如何なる位置を占めてゐるかを了解するならば、本稿の目的の大半は既に達せられたのも同然である。

終戦後の神社の在り方

 祝詞精神と神社の有り方は楯の両面であることは前述の通りであるから、祝詞精神を述べることは即ち神社の有り方を示すものである。換言すれば神社の祭祀・祭儀は如何なる時に行はれたものであるか、将た行はれるものであるかの根本に逆つて考へねばならぬ。浮動多い神社史の研究に神社の有り方を探究するよりも、神社発生の必然的社会状勢を醸した開元初期の日本民族の要求、神社に対する協力、神社への愛着、日本民族の崇敬を得た神社信仰と其の生活への滲透が祝詞にどう響き、祝詞精神を如何に顕現したかを研鑽し、今日の混乱に立ち向つた現在の神社の動行を並せ考へ、之を調和強調する処に、敗戦後の神社の有り方が自然に指向せられるのである。

 上代の神社を研究したり、近世の神社を論述して果して神社そのものゝ根本を知り得るかは疑問である。神社発達途上の歴史を基底として神社を語る如きは、エネルギーの消耗以外の何物でもない。此処に開元当時の祝詞精神を重大視することにより、敗戦後の神社の歩み方に、古代の祝詞精神を受け入れ全面的な復古・ルネサンスを必要とするからであつて、今日の神社には之の復古にもとづいてのみ、栄え行く道が開かれてゐる事を、全神社人は悟らねばならぬ。

 神社の諸種の活動、その指導理念は之に依つて「元へ還つて」再出発せねばならねばならぬ。時勢の力と云ふか時の流れを感得せねばならぬ。「元に還ること」は神社生誕の諸種の事情、当時の日本民族の要求、古代人の生活と神社との結びつき等凡ゆる意味で、開元当時の日本社会の情勢を基本として、必然的に神社が氏族民族間の生活に要求せられて、発展し原因を探究し、之を基本として祝詞精神の復古運動を興さねばならぬ。

 神社信仰は元より、その思想にルネサンスを要求する、神社が行きつまつた今日、その困難より脱して発展を期待出来るのは祝詞精神振起のみに依頼出来るのであり、神社の復古は何によつて得られるかは、我が神社人に課せられた重大なる責任である。それは神社建造物にその意味を求めるか、神社音楽、神社の祭典儀式等にそれを求めるか、此等は神社を語る一端のみであり、その最大のよりどころは、神前で奏上せられた祝詞精神を研究感得することであらねばならぬ。式や令の祝詞として現存する各種祝詞の内容に神社永遠の活動があり発展がある。古きを生かし新しきを採る処に復古精神の尊さがある。枝や花は年々変るが大地に根をおろした、その尊い根源の働きを無視して神社を語る資格はない。

 今日の神社の有り方は、式や令に残された祝詞精神を生かす事によつて初めて、神社の宗教としての広汎なる活動が出来、神社思想も確立せられるのである。指導精神を失つた神職全体に活気溢れる生活をおくらせるも祝詞精神の運用であり、神社活動を大いに発展せしめるのも、祝詞精神の顕現以外にはなく、神社神道に於ける祝詞精神は、他宗派に於ける教理教典、聖典の位置にある事すら、知らない神職があらうかと思はれる。教典・聖典を無視してその宗教活動はあり得ない。今や神職は之等の祝詞精神を握み、之を杖とも柱とも頼みて落胆より立ち直らんことを強調すると共に、之等の祝詞に表はれた神拝の精神を全神社人の心として行動せられんことを期待する。殊に天津祝詞を初め神社発生当時の祝詞と信ぜられた各種の天津祝詞一連の祝詞精神こそ、以て、現在の神社再興の源泉たるべきものである。(之等の祝詞集は稿を追ひ掲載す)

 神社本来の精神を忘れ、神に誓ひ、神々に祈る祝詞精神を語り究めずして観念論を弄んだり、神社の教理教典の必要不必要論を戦はし、道義だ哲学だと横道のみを辿つてゐるから、何時しか思想的な嵐に巻き込まれて、神祇の道を見失ひ、神社自体行先不安におびえ、握まされた思想のカスに酔ひしれて、神社信仰から遊離し、世の嘲笑を買ふ結果となる。数字の一を忘れて数学なく、化学分析を度外視した、化学発達がない如く、神社生誕初期の祭祀・祝詞を省り見ないで、敗戦後の神社宗教としての行き方に正しき歩み方を指向し得ないのであつて、神社再興の精神は、祝詞の精神、祝詞の活動に内在するものと極言するものである。

古代祝詞と現下神社活動

 古代祝詞に表はれた祭祀の精神、神社発達の順次の経路が、今後の神社宗教として活動の本体をなすものである此の祝詞精神なくして神社宗教としての成立は寧ろ派生的な存在である。古代祝詞に表現せられたる祭祀、祭典の精神とは、その祝詞を透して、神職は何をとりもち、氏子、氏族、民族大衆は何を神に祈禱し、祈請したかである。神祇崇敬の念は何処より湧いて何処に流れたかである。

 個人の病気平癒を神に祈つて少数人の幸福と繁栄を祈つたのみが祭祀の真の生命ではなく、古代祝詞に包含せられた神祇精神のありどころは個人でなくて寧ろその対象が氏族であり、国家であり、民族全体であつた。集団的の安寧と福祉を祈請したのが、神祇祭祀の根本精神であつたことが、残された古代祝詞によつて頷ける。民族全体、民族社会の生活と神社祭祀は直接に結びついたものであつて、個人の神祇崇敬の念を普及して国家・民族全体の儀礼となつたのではなく、国家の発展を祈りつゝ個人の繁栄を祈禱したことが、神社祭祀の目的であつた。換言すれば国家・民族を構成する個人の幸福は民族一般の次に位したものであつた。式や令に残された祝詞がすべて、国家・民族をその対象としたものであることは周知のことであらう。

 氏族全体、国家全体の不幸や病苦或は疫病のために一般大衆が困苦した時、天地神明に祈つて之が平癒を乞ひ、国民の窮乏を救はんとして各地神社に祈請したとか、天下の八百万神に奉幣して天下の民を救つたとか、之等を一一列挙すれば際限がない。一言すれば氏族の幸福なり国家民族全体のために祈願した処に、神社の存在理由があり、発生の必然性がある。総てのものはその必然の要求から生れ出る如く、神社もこの必然性を日本民族の魂に植えつけて生れたことを明記すべきであつて、衰微、衰退の敗戦後の神社に、この必然性が当然呼び起されねばならぬと思ふ。国家再建の力はこの必然性にもとづく神祇崇敬の念より喚起されなければならぬことを思へば、今日の神職の任務又重しと云はねばならぬ。

 この必然的要求を置き忘れたかのやうな神社活動態勢は神社神道独自の教化力を忘れて、他宗を模倣せんとする大国さんに神拝する姿を見るも、然し乍ら個人救済が神社信仰の凡てゞはなく、単にその一端を物語るものである。要は、国家的と云ふか、集団的と云ふか、社会全体の平和と幸福を得るための宗教である。仮に病気平癒の祈願や平癒安体の報賽の祭典にしても、只に個人が救はれその家族が喜こんだ丈のものであれば一部宗教の教化福音と甲乙はないが、少なくとも神社精神――神社信仰の面から之れを説けば、開元当初にたち還つて、救はれ助かつた事を感謝し、自分の家は勿論、広く村のため、町のため、国家のために、その身の安体を喜ぶべきである。或は地鎮祭・上棟祭を行ふにしても、その個人、家族のために喜ぶは勿論、広く村のため、町のため、国家のための日本再建に尽し得た喜びを報賽すべきである。

 川の流れは時に急、時に慢。将又広い狭いの差はあつても、山から里へ、里から海へと流れ込む如く、日本の歴史の上には女権時代があり、封建時代があり、民主主義の時代が生れても、我等神社信仰面からは、日本民族発展のための歴史の変遷であつて、世の変遷、興亡治乱にまよはされず、日本民族の幸福のために、常に天地神明に誓つて、その多幸を祈るところに、神社の真の信仰がある。

 古代祝詞に表はれた神拝又は神社の教義教典に等しく、民族の福祉と安寧、社会の秩序の維持を経続持と祈願したものであることは周知のことであつて、その祭祀の性質上公儀団儀のための祭儀がその大半を占めてゐる。之等の祝詞精神を汲めば個人を透して国家全体、民族全体、世界平和のために、偽りを交へず誠心誠意、祈願すべき宗教の教化態勢が、神社信仰開源の真の姿である。個人は勿論国家の幸福発展の為に古代祝詞精神を復活さして、今日の神社活動のためにこれを再興する事が即ち、神社宗教としての、唯一絶対の道である。

 次号も更に検討を加へ、祝詞を透して祝詞を教義的立場に置き、神社の将来を語ると共に、逐次、敗戦後の祝詞作文は如何にあるべきかを述べ、又祝詞を作文するに安易且つその便宜を計り度いと思ふ。

祝詞篇

 神社の聖典たり教典に比肩する古代祝詞から見た神社の信仰は、一言すれば「国家の安泰」と云ふ字句が含有する凡ての事象を指摘してよい。世界社会を構成する人、村、町、市、日本、世界の幸福のために祈るものが神社信仰であり、人心を安定せしめて人各々その生業を楽しむのが神護である。

 よつて、神拝の祝詞文は神社の信仰そのものゝ表現であり、信仰活動の源泉であれば、神職は祝詞文に盛られた内容を活動の一致に向つて、信仰性が受持つ、世界平和の活動をより旺盛ならしむるは勿論、人間の幸福のためには進んで社会事業、慈善事業その他各般の宗教活動の展開に之れ勤めなければならぬ。

 現在各神社で奏上せられる祝詞は古代祝詞そのまゝの姿や、詞文ではない天地自然の理法によつて更衣二月を境として人は衣更へをするが如くに、人間の精神的進歩、社会文化の発達、世界進運の方向を辿つて、現在の「型」の祝詞が生れた。例えば

   社殿落成奉祝祭祝詞

(1)遠皇祖の大御代より 皇大朝廷の御守神と仰奉り 難波大社と 称奉りて斎奉る 掛巻も畏き 生国魂神社の御前に宮司二宮正影恐み恐みも白さく ③ 志し昭和二十年三月十三日大戦争の熾烈き唯中に災厄を蒙給ひ仮宮に遷坐ししを以つて 御社の復興奉賛会を創立(おこしたて)て諸々相議りて議り 瑞の御殿造仕奉らむと ⑥ 昭和二十二年七月大宮地を鎮奉りてより木造始上棟の式を次々に執行ひ 木工丁等に至るまで勉め励みて真木析く檜の御柱太知立てて 天つ御空に千木高知りて 朝日の日照る宮夕日の日陰る宮と厳しく美しく築奉り造奉り畢へぬるが故に 昨夜はしも平けく遷り鎮坐しぬ ⑥ 是を以て今日の生日の足日に御祝の御祭仕奉らむと ⑦ 御前に献奉る礼代の豊御饌豊御酒 海川山野の種々の物を甘らに聞食し給ひ 御氏子の真人等が御前を始め 都の大路小路に枕太鼓獅子舞或は山車に祝戻し舞狂ほす状を宇牟賀しみ給ひ 別きて神社本庁統理より捧奉る宇豆の幣帛を ⑧ 安幣帛の足幣帛と相諾給ひて 此の大宮を常宮の静宮と万代に鎮坐して ⑨ 高き尊き恩頼を千代に八千代に仰奉らしめ給へと ⑩ 恐み恐みも言 ⑤ 奉らくと白す (昭和二十四年七月七日)

 この祝詞は前述の通り、大阪生国魂神社本殿竣工奉告祭に奏上せられた祝詞文である。祝詞作文法から見れば、祝詞文の各詞句が全部包含されてゐない事を、各数字で示した。②④⑤が欠けてあるが御祭典執行に当つては、②④⑤の各詞句の精神が欠如されたと見るのは早計であつて、祝詞文として述べなかつた丈であらう。

(注・本文と説明の番号が一致していない)


(イ)構成組織の分析と解部並びに組み立て

 神前で奏上せられる祝詞を一ケの文章として、一つの作品として之れを見た時には、其の創作の構造上、構成原理に一つの型を見るのである。単に文章の羅列ではなく、大体の型にはまりつゝ然も型を抜け切つてゐる尊さがある。この祝詞作文の型を早く握むことが祝詞を作る上に於て最大の関心事である。作られた祝詞を神前で奏上するのと、祝詞を作ることは自づから異つたものであることは異論の余地はない。

 総て作品には一種の形態があり構成があるものである。古典味豊かな祝詞文には、作者のみが持つ特徴と時代の環境に応じて自由に展開して行く思想的発表、或は構成の予想を作者自身がはつきり捉へて、時代の多方面の現実の動きを身を以て感じ、探り、経験して之を文中に消化する。此処に立派な文章が出来るのであつて、各種の型や法則に関心を持たずに無頓着であり、手近にある作品を参考とし、研究の資材として良い祝詞を作ることのみ急(あせ)るより、如何にすれば良い祝詞を作り得るか、先づ祝詞を作る型と云ふか法則をその研究の対象とせねばならぬ。

 之等の型や法則即ち祝詞文構想上の形態の原理を了解することが何よりも肝要なことであり、之が祝詞を作る一番の近道である。この最経の道を知つて、各文章を修作、加筆すれば、祝詞として得心が得られる祝詞を作り得るものであつて、此の構成原理の型を細別すれば十ケの文章、十要素から成り立つてゐることを発見する。之等各要素は各自独立の形態を採つてゐるやうであるが、決して、純然たる独立の体型を整へてはゐない、互に肝胆相照らし唇歯輔車の関係を保つて之が聯立して、一ケの祝詞文を作つてゐる。

  此の形成原理の構想こそ、祝詞文が持つ唯一無二の特徴と云はねばならぬ。この意味で斯うした必然的な型――形式原理の法則を研究することが、祝詞作品創作上何より必須的なものとなるのである。然もこの構想組織にその力点を置きつゝ成長し環境の変化、時代の動きによつて逐次発達して来た現在の祝詞の様式であつてみれば益々之が研究の態度を慎重にせねばならぬ。之れを縛られた法則、拘束された祝詞、無味乾燥の祝詞として之等の構成原理を蹂躙し、之を無視することは、祝詞創作――祝詞を作ることを益々六ケ敷くし、混乱させるもの以外の何物でもない。初心の次代は一先づは祝詞の型を認識するを要す。之を翫味咀嚼して経とし、各文各句古句を緯として祝詞文を作る時、蓋し意味深き作品が出来上る。

 新しい時代は常に新しき人間の形態を生む。優れた作者なり学者は、時代に先行して新たなる性格を創造し、ぐんぐん時代や作品を引づつて(一字欠)む。伝統的な困難に立て籠つて時代を認識せず、環境を脱する熱意に欠けた閉ぢ籠れる作者の成品は、段々後退して萎縮して行くのみである。斯うした見地より見るも、祝詞を作る上に於ては、その構成の根本原理を握まねばならぬ。

 現在使つて居る祝詞文の型と云ふか軌範と云ふか、兎に角構成要素――祝詞文を組織してゐる法則、文の組み立てを知ることは祝詞を了解智得する最短路である。古典、古祝詞を之に加筆添付、自在に応用する力を得れば更に良い祝詞を得る。

 祝詞の構成組織――形式原理の総合的研究に亘つては、逐次縄述して行くが、その順序として祝詞文の型、組織の名称から述べることにする。即ち、祝詞は左の章句から成立するのである。

 第一 起首の拝詞句    第二 神徳の詞句   第三 原由の詞句

 第四 謝恩の詞句     第五 装飾の詞句   第六 動作の詞句

 第七 献饌の拝詞句    第八 感応の詞句   第九 祈願の詞句

 第十 結尾の拝詞句

 上の十詞句が、その根幹をなして組み立てられて、初めて祝詞文になるのである。中にはその短を欲するところから若干句を欠く場合もある。然し古今の例を見る時は各詞句は云ふが如き簡単なもののみではなく、詞句の中に或る詞句が合成されて介在すると思はれる詞句を、しかと摘出するには余りにも不離不即の関係を保つてゐる場合があつて、非常に複雑困難な時もある。又起首の拝詞句の中に原由の詞句、或は動作の詞句や若干の装飾の詞句が挿入せられたり、装飾の詞句に動作の詞句が溶け込んだり、献饌の詞句に装飾、動作の詞句が介在し、原由の詞句と謝恩の詞句とが同一線上を歩むや(数字欠)ともあつて、之等に対し、無理な分離解剖はかへつて文の生命を断つ場合がある。

   ┌事由(神徳・原由・謝恩)┐

起首―┼設備(装飾・動作)―――┼結尾

   ├献供(献饌・感応)―――┤

   └祈請(祈願・祈禱)―――┘

 其処で、単純な普通の詞句を軽詞句と云ひ、挿入されたり、混合し合成するやうな複雑なる詞句を重詞句と名付けて説明することにした。蓋し工業に軽工業と云つたり重工業と別けたりすると同じである。

(ロ)祝詞文の要句と其の中心

 祭祀を、その目的とする処を要約して別言すれば、次の三要目にすることが出来る。

   一、崇敬の意を現はすこと

   二、報恩追慕の誠を行ふこと

   三、祈願の意(広義の)を表はすこと

 そして、更に、之を祭祀と祝詞との関係として、全般的に見れば

[一]報賽の祝詞{過去から今までに受けた御霊・組織の恩頼に報ひんが為に、その心を以て、幣帛を進ずることを其の主体とする祝詞}

[二]申告の祝詞{諸々の経営・吉凶・紀念等を神霊・祖霊に申告することを、其の主体とする祝詞}

[三]祈請の祝詞{国家の安寧自他の幸福等から志望をかけ、或は病気災難等の除去を願ふことを、其の主体とする祝詞}

 に区別することが出来る。右に掲げた箇条は、一見単純簡単のやうに見えるが、上記の報賽・申告祈請、報賽、祈禱、或は報賽申告祈請と云ふやうに複雑した内容を持つ所の祭典が実際に執り行はれてゐるのであつて、之等のことを念頭に置いてそのお祭を考へて作文しないと、祝詞の主旨に徹せず間違ひを生ずる恐れがある。尚、他の方面から(お祭りから)之を見ると、

   甲、団体祭典  団体と云ふ立場から執行する祭典

   乙、私の祭典  個人と云ふ立場から執行する祭典

 之等の祭典にしても、其の内部を詳かに考案すれば、二つ以上の意味を混合する祭典が、実際上には沢山執行せられてゐる場合が多く、之等の関係を別記すれば

            ┌崇敬を主とするもの

           ┌┼報恩を主とするもの

     ┌報賽の祝詞┼└酬動を主とするもの

     │     └ー追慕を主とするもの

団体祭典┐│      ┌申告を主とするもの

    ├┼申告の祝詞ー┤

私の祭典┘│      └宣誓を主とするもの

     │      ┌祈願を主とするもの

     └祈禱の祝詞ー┼奉慰を主とするもの

            └解除を主とするもの

 以上のやうに祭典と祝詞とは互に相関連したものであつて、尚詳しく之を分離、細別すれば次の如くになる。

          ┌報賽を中心としたお祭りの祝詞

          ├申告を中心としてお祭りの祝詞

一、団体祭典の場合┐├祈禱を中心としてお祭りの祝詞

         ├┼報賽と申告の両方を兼ねたお祭りの祝詞

二、私の祭典の場合┘├申告と祈禱の両方を兼ねたお祭りの祝詞

          ├報賽と祈禱の両方を兼ねたお祭りの祝詞

          └報賽・申告・祈禱の三つを兼ねたと思はれるお祭りの祝詞

三、団体とも私とも、混合せるお祭りと看倣される祭典の祝詞

四、団体と私祭との総合的なお祭りと看倣される祭典の祝詞

 以上、祭典は四異類――細別約三十数種の祭典祭祀があると共に之に対して時と場所・四囲の環境・人件等の相違から、幾百幾千の異つた祝詞が生れるのである。此の他に、特種な祭典の祝詞を総合すれば数限りない祝詞が必要であり数限りのない祭典の主な、祭祀の状態等に基いてその使命を完了するがためには、前述の通り千差万別様々の祝詞が必要であつて、その作文や創作には非常に困難を感ずるやうである。然し、これは祝詞の「中心」となる祝句を充分に脳裡に入れて作文する場合には、各詞句の内容も簡単自在であつて、敢て是念するには及ばない。要するに多瀆し多作して、引用の要領を心得て夫々其の使命を達するやう作文することである。

 玆に上述の如き幾百幾千種の祭典に必要な祝詞を作るに付いて、どんな風に作れば各々其の使命を発揮する祝詞が簡単に出来るかと云ふ最後の結論を追求して見度い。換言すればその使命を果す、中心を具現する詞句を、どの詞句に求めて、作文するかと云ふ事になる。其処で、祝詞作文するに当たつては、祝詞文の構成順序をよく知ると共に、上述の祝詞の種類と比較対照せねばならない。

 祝詞を分つて報賽・申告・祈願とする以上は、どうしても之がその根底とならなければならない。よつて、祭典の使命を完結する祝詞の中心祝詞と祭祀の関係を卒直飾らずに述ぶれば、祭典と祝詞の関係は、

    祭 典           祝詞

一、報恩の祭典にあつては  神徳の詞句 謝恩の詞句

二、申告の祭典にあつては  原由の詞句 祈願の詞句

三、請の祭祀にあつては  原由の詞句 祈願の詞句

【註一】祝詞の條項に於て一―謝恩の詞句、二、原由の詞句、三-祈願の詞句は、共に上の祭典の使命を述べる重大な詞句であるから、最も力点を置いて叙すべきである。尚、各肩及び裾に当る詞句は、之と密接な関係にある詞句であつて、之が誘導詞或は補足詞であることを示す。

【註二】以上、祝詞の中心は常に変るのであつて、祭典のその都度都度祝詞文の中心詞句を変化せしめて成文すると共に、次章に述べる(一)起草、(七)献饌、(八)感応、(十)結尾の拝詞句を適宜に配列すを要す。その詞句の長短は何れにしても、作者自身の検討する処であつて、祭典の如何によつて之を取捨選択すればよい。

 之等は団体・私祭の種類を論ぜず「ゴチツク」体にその中心的叙述をなすと共に、更に祭典の様式を加味尊重し構成要素の十詞句を適宜に配分して此処に祝詞が成文されるのである。その態度としては、先づ祭典の種類を見分け、その中心となるべき詞句を以上の説明によつて、把握し、順次に成文へと筆を運び文を起せばよいのである。斯くて祝詞として完備完了に近づくにつれ、その成文を再読吟味して適格の如何を調べ、修作を重ねると共に尚ほその文章に祝詞として、その祭典を表はす文章として、風格を具へてゐるか否かをも検討して良い祝詞を創作する余裕がなければならない。

祝詞の作り方

1.起首の拝詞句

 祝詞文の構成要句は前章の説明で殆ど了解せられた如く、文の冒頭に立つて各般の祝詞文の冠頭に記載される文章が、即ち「起首の拝詞句」である。

 この起首の拝詞句には、鎮座式・神籬式(ひもろぎしき)の二様式がある。此処で云ふ鎮座式とか神籬式とは、祝詞についての名称であつて祭祀内容の説明ではない。執行せられる祭典が恒例祭たると、臨時祭たると又雑祭儀たるとの如何を問はない。これ祝詞文「起首の拝詞句」本来の別け方である。即ち鎮座式の「起首の拝詞句」では根本的な異ひがあることに注意せねばならぬからである。では、鎮座式とは何を指して云ふのであるかと云ふに、神殿社殿等の如き所で――御祭神が御鎮座まします御殿の前で朗読する処の祝詞を云ふ。神籬式はその祭場が神社の境内、庭上、公園其の他常に一定した処ではなく、屋外や屋内の一部を其の斎場として使用する時もある。即ち祭典を執行するに当つて其の御祭神を招奉つて行ふ祭典――招奉つた御祭神の前で奏上する祝詞を云ふ。

 起首の拝詞句は鎮座式や神籬式によつてかく異つてゐるが、その詞句の原型は常に一定してゐるやうである。

例へば、

 掛巻も畏き〇〇神社の大前に宮司(位勲)氏名恐み恐みも

 又、掛巻も畏き〇〇神社の大前に宮司(位勲)氏名恐み恐みも

 起首の拝詞句を上記の如く図解表にしても表現出来る。云はゞ同じ詞句は一詞句が代表し、同一の詞句又は相似の詞句は両肩相並べて同欄に要約される。のみならず、斯うした解剖図解によつて各詞句を示す時は、一目瞭然最も分り易い特徴を示す。

 この起首の拝詞句が、今後の祝詞文の根幹をなしに行くのであるから之を以て「起首の拝詞句」の軌範たり典型と考へても良いと思はれる。

 然も、心身共に永遠の成長を続けながら活動する祝詞文は之を型木として幾多の発達を見てゐると云はなければならない。この事は小著『図解祝詞』が雄弁に物語つてゐる。

 起首の拝詞句の原型に補冠・挿入する詞文を綴る時にも祝詞文を構成する原由・装飾・動作等を示す詞文が、起首の拝詞句の中に介在する長文の起首の拝詞句もある。斯うした詞句を『起首の拝詞句』と称することは前掲の説明通りである。之が鎮座式・神籬式祭典の相違が起首の拝詞句も其の影響を及ぼし長短の別が自然できるのであつて、鎮座式・神籬式の二つの祭典に分けてその分析図解を施こし説明しなければ、祝詞文作文の説明にはならない恨みがある。祝詞を文作するに当つてはその作例と祝詞図解とは表裏一体の関係にあることを知らねばならぬ。

 (鎮座式)起首の拝詞句文例

[例一] 掛巻も恐き〇〇神社の大前に 氏 名 恐み恐みも白さく

[例二] 此の神社に斎奉る言巻も綾に威き〇〇大神の大前に氏名 慎み敬ひ威み威みも白さく

[例三] 此の〇〇神社に斎奉る掛巻も恐き〇〇大神の宇豆の大前に姓名畏み畏みも白さく

[例四] 此の神殿を天之御蔭と隠坐して常磐に堅磐に鎮座す言巻も綾に畏き〇〇神社の大前を斎廻り清廻りて畏み畏みも白さく

[例五] 此の里を可美里の見香欲里と底津岩根に宮柱太知り高天原に千木高知りて惟神も所領坐す掛巻も畏き〇〇神社の大前に氏名恐み恐みも白さく

 (神籬式)起首の拝詞句文例

[例一] 此の神床を伊豆の御阿良加と由麻波利て招奉り令座奉る掛巻も畏き〇〇大神の大前に姓名畏み畏みも白さく

[例二] 此の広前を払清めて斎廻りて招ぎ鎮奉る懸巻も畏き〇〇大神の大前に畏み畏みも白さく

[例三] 此の所の斎庭を掃清めて五百枝真賢木に真麻木綿取垂伝て神籬と指立飾りて請祈奉る掛巻も畏き〇〇大神の伊豆の大前に姓名畏み畏みも白さく

[例四] 此の地の荒草刈払ひ芥掃清め土掻平し石取除きて竹刺立て注連曳廻し神籬立てて招奉り斎奉る此所の産土大神・大地主大神・〇〇大神等の大前に姓名恐み恐みも白さく

[例五] 此の斎庭の榊葉の佐耶玖が下に清薦を弥佐耶敷きて注連曳廻し伊豆の御室と神籬立て招奉り坐奉る懸纏も惶き〇〇大神の伊豆の大前に姓名畏み畏みも白さく

 右列記せる如く起首の拝詞句のうち神籬式の詞句は概して長文になるのが通例である。神籬式祝詞は祭典の別によつて産れるので室内・室外を問はず『招奉つて』行はれる祭典を云ふ。時には神社の拝殿の一部を使用する時もあれば野外の時もあり、山の中でも河の中でも、石炭山の坑道深く何百尺の地下で行ふ場合もあり、千差万別数限りない程沢山あるものである。

2.神徳の拝詞句

 祝詞文の構成の順序から述ぶれば此の詞句は、起首の拝詞句の後を享けて、本文の叙述へ移り進む文章の最初に来る詞句であつて、其の詞文は御神徳を顕暢申上げ称辞竟奉る詞句であり、敬神の思想の普及と相俟つて充分に、神神の御神徳の賞揚すべき性質の詞句でなければならぬ。古今、多くの祝詞を見る時この章句は、何れも崇厳極りなき詞句で綴られ、其の中に神話的な説話が多分にとり入れてあることも見逃すことの出来ない現象である。

 此の詞句は理論上からは此処に排列されるのであるが其の様式の表現は常に崇敬感喜から来る所の魂の叫びを其の思想として盛ることを必要とするものである。斯うした信條より申上げる詞句であるから御祭神別・御祭典別によつて詞句の内容も自然に変つてくるのであつて、其の詞の長短句は別としてそうした意味で其の使命を完うすべき性質の適確な文章を作るやうに心懸くべきである。平易に云へば御祭神であるそれぞれの神々、又御祭神となられた方々の数々の御威徳を昂揚宣布するのが本詞句の目的である。

 国中に荒振事なく山の奥島の岬々落ちず恵み幸給ふ天神国神の広き厚き御神徳を…………

 斯く天神国神の御神徳の使命を適切に表明してゐるが如きは、所謂根本的な敬神の念の普及を心とする神社宗教普遍の道を宣布してゐるのであつて、此れまでに精神的な収穫を得るならば、本詞句の使命は斯くて、完全に達せられたと見るべきである。

 神徳の詞句の記載すべき内容は上述のやうであるが、更に一段と祝詞作文の進捗を見た暁には、之だけの解説では物足りない恨みがないではない。その頃の文章としては創見に富んだ思想の文章よりも、寧ろ神話的・信仰的な方面の称辞の方が遥かに本詞句完璧の理想に近いやうに思ふであらう。のみならず本詞句の劈頭に位して、起草されるを常とする「高天原に云々」の思想の表明は、単に神話的説明を明かにしたとか、典拠すべき理由によつたとか云ふ薄弱な文辞ではなくて確かに力強い圧力で以て、我等日本民族の精神的な指導精神が強調されたものであると古人は感じたのである。その思想には建国以来の神聖に服従奉つて平和を愛好した日本精神の真髄が其の根底に蔵されてあるのみか、宗教としての神社信仰の理想が、そうした文辞の中に、祝詞全体の神々しい意味を加へたのであらう。之等の思想を叙べんとする神話・伝説・説話を引用して(例五の如きは其の代表的な文章である)之を称辞竟奉る神々の御神徳に結びつけて述べたのである。

 斯うした思想を言ひ表はさんとする関係上、其の御神徳を宣揚し賞讃し奉る詞文を適切に誘導修辞せんとして、原由的な色彩の濃厚な文辞が採用される場合が少くないのである。其の他謝恩の詞句又は祈願の詞句と思はれるやうな合成された複雑な詞句で綴らなければ充分に神徳の詞句としての使命を発揮しない場合がある。とりも直さず本詞句には「神徳の重詞句」の形式が非常に多く用ひられると云ふことになる。文章の常としてどんな方向へも自由に筆が進むまゝに叙述せられるのであるから、語尾の変化とか叙述の形容により限りなく発展して行く故に、充分な注意を以て作らなければならないと思ふ。其の上本詞句と謝恩の詞句とは最も密接な関係を有してゐる性質上此の点は更に考慮を要する事項である。

 即ち、神徳の詞句を綴つてゐるつもりであるが何時の間にか其の力点が謝恩的章句に傾くと云ふやうなことが度度出てくるのである。之は神徳の賞揚よりも寧ろ「ミタマノフユ」を謝び奉る思想がその中心となつたのであつて謝恩の詞句を無意識のうちに述べて居たと云ふことになる。かゝる場合は神徳の詞句としての基本的な思想を其の土台として述べてゐるのであるから祝詞文構成上、神徳の詞句の次に来る『原由の詞句』を後へに廻して、謝恩の詞文を綴つてから、次の原由の詞文を書いてもよい。祝詞作文構成の型としては神徳――原由――謝恩となる順序であるが、此の場合は特に『神徳――謝恩――原由』として文の転置を行ひ、変型を採用するもよい。先輩諸氏の祝詞文中でこの変型を踏んでゐると思はる祝詞は、斯うして四囲の環境から「ミタマノフユ」の思想に言及し筆勢の進む所に従つて落ついたからである。之は理論上からではなくて実際上特に多く使用せられる型である。祝詞構成上これを称して変型と云ふが、之の変型は本祝詞のみではない。「献饌の詞句」が起首の拝詞句の中に介在されたり、或は同詞句が結尾の詞句の前に来ることもまゝある。其の他実際上には色々の変型を取扱ふこともあるが、祝詞文構成の原理が了得出来れば、斯うした変型に処して充分に理解がつくのである。

 神徳の詞句の原型と云ふべきは[例一]のやうな文章であるが、祝詞作文する時にはその神徳の詞句の多くは重詞句を以て表現されるのが常である。そは本詞句の使命を徹底される上から、崇敬思想の表現昂揚を其の精神とした故であつて、今後作文するに当つては以上の「解説」を充分念頭に置いて筆を運ぶことが肝要であらう。

 神徳の詞句文例

[例一] 高く尊き大神の神徳を最も辱奉りて

[例二] 神等の奇霊妙なる御霊徳を辱奉りて

[例三] 常も恩頼を蒙奉る皇神等の奇しき尊き神徳を辱奉りて

[例四] 地を温め風を和し人を恵み幸給ふ大神の妙なる

[例五] 高天原に神留坐す皇睦神漏美の命以て皇御孫命に豊葦原の水穂国を安国と平けく所知食と言依し奉りて天磐座を離ち天の八重雲を伊豆の千別に千別て天降し奉りし時天の八衢に迎奉りて日向の高千穂の串触峯に啓行奉り給ひ大神は神風の伊勢の狭長田五十鈴の川上に鎮座て天照大御神を待受給ひ諸々の荒振邪神を払却て上は皇美麻命を斎奉り下は青人草を守り恵みて遵き誘結べる神功を万世の今に至る迄仰ぎ尊み

3.原の拝詞句

 此の詞句は祭典の原因由縁を敍べるのであつて、題名の示す通りである。文章の叙べ方としては、神徳の詞句或は謝恩の詞句を包含する原由の重詞句もあれば、簡単に原由の使命を完うするだけの軽詞句もある。それで祭典由縁の該心を中心とした一文、即ち『今日しも〇〇の御祭仕奉る』と云ふやうな詞文は簡単明瞭で、且つ実際的な叙述である。祭典使命の内容を叙べずに、他を言及し遊離したやうな文章より、斯うして其の主旨に調和した文章を綴る方がよい。畢竟するに飾らぬ自然の、有りのまゝの内容を活き活きと一目瞭然に、その内容を曖昧にせず、精確な文章を撰んだり綴つたりする方が、初学としては健実な行き方である。尚、修辞の方の撰択も必要、技巧も必要であるが、出来るならば、その文辞には常に厳然たる古格を失はないやうにし度い。

 次に本詞句の構成について、その核心となり中心となる要点を叙べることにする。即ち、次の通りであつて、

 [一]何が故に(?)  [二]何時(いつ)(?)

 [三]何祭典を(?)  [四]何処で(?)

 と云ふ風に、所謂この五つの疑問符を解決する成文が、原由の詞句であると見てよからう。如何なる祝詞にも、この五つが述べられねばならぬ。其故祝詞によつては此の疑問符の解決が前後左右に配列されたり、時には三つ位の疑問符によつて完結されるやうなことがあつても、必ず之を叙べてある箇所が別にある。若し、之等の解決文がなければ、原由の詞句とは云ひ得ないのである。

 原由の詞句は、上述のやうに五つの疑問符を解決せねばならないので、祝詞文唯一の変化に富む部分となる。極く簡単なものから、或は数十言、数百言を費すものもあつて、一律に其の標準となるべき詞文を拉し来つて説明することは困難である。即ち、祭典が変る度に其の原因も変るのであるから、端的に明示することは困難であつて、強いて示せば、前に掲げた『今日しも〇〇の御祭仕奉る』と云ふやうな簡単なものになつて了ふ。よつて本詞句を研究するには多読多作し、如何なる場合に於ても結局、上述の疑問符を解決するやうに成文する方法を考ふべきである。

 祝詞文中、原由の詞句は一番明朗性に富んだ表現を要する詞句であり、祭典使命を述べる重要な詞句であることは既に御承知のことゝ思ふ。不明瞭であつたり、曖昧なものでは祝詞文全体に悪影響を及ぼすことは言を俟たない。されば、将来の大成のためには重・軽、様々の詞句を使つて作文を練習し、大いに研究を要すべきである。要は、以上の五疑問符が解決出来れば、原由の詞句としては申分無いのである。尚、神籬式の祭典などにあつては、殊に留意して其の祭典の事由並に其の主旨を徹底すべきやう叙述すべきである。

 ◎原由の詞句文例

[例一] 今日を吉日の吉時と撰び定めて〇〇〇の御祭事執行ふは

[例二] 月毎に執行ひ来れる式典に倣奉りて〇〇の御祭仕奉る

[例三] 何某い是の処を千代の住処と撰定めて新に家を建てむと

[例四] 人々年に月に弥増し来る随に神社を請奉るもの日に異に数多かれば此度忌回り清回りて御札を製造り仕奉りしを以て今年の今日より始めて授与へんとす故是を以て今日の生日の足日に大前に持参りて稜威の霊威を配り憑托せ給へと

[例五] 神随も思召して〇〇年〇月〇日に此の〇〇を起し建て斎定め給ひし生日の足日の慶日に当りぬれば

4.謝恩の拝詞句

 祭祀の主旨が報本反始の礼に始まることは既に異論のないところであつて、報本反始の礼は謝恩の心から出発する。その謝恩の心を表はす重大な責任を持つ詞句が、本詞句である。前節の神徳の詞句と本詞句は相関連せる詞句であつて、神徳の詞句とは最もた易く結合して、謝恩の重詞句なり、神徳の重詞句を形造るのである。

 本詞句の特徴を云へば

 答(こたへ)奉り  報(むくひ)奉り  酬(むくひ)奉り

 等の如く謝恩本来の意味を表はす節や句が最後となり、又文章の中心となつて構成されるのが常態である。時には之等の詞句がなくとも、文全体の思想の流れが、謝恩的意志の発表である場合もある。その原型と云ふべきものは

 神等の厚き恩頼に報奉らん

 と云ふ程度の詞句であらう。

 斯くて、大神を尊奉り、辱奉り、或は答奉らんがために冠せられる説明的な文章、或は大神の恩頼に謝奉る心の説明的な叙述が補充せられ、本詞句は概ね長文となつて現はれるから、何れが主格となり、従格であるかを明かにして置く必要がある。でないと元来が、祈願の詞句になる性質の文章とか、神徳の詞句の中に入るべき文辞が入り乱れて、之等の主従関係を混乱に導き易いやうな謝恩の詞句になる傾向が多分にある。若しその祭祀が報賽を主とする祭祀であれば、本詞句は祝詞文の中心生命を預かる詞句となるから、殊の外鄭重且つ詳細に述べねばならない。

 往々にして、本詞句は人々から簡単に取扱はれ易いから浮薄的な精神を去り、祭典の主旨と本詞句との特質とを考慮し、その場合場合に処する構想に注意して綴らなければならない。筆致の霊妙も必要ではあるが、之は祝詞文に対する経験を得れば独り手にその鑑識眼も出来るものであるから、初学に於いてはその構想と文の系統に重点を傾注すべきであらう。その例証について、少しく説明すれば、

 大神(おほかみ)の深(ふか)き厚(あつ)き恩頼(みたまのふゆ)

 と述べる時、感謝報恩してゐる実体を表明するには、恩頼の條以下にその力点を置いて補足し、詳しく説明すれば、その精神がより徹底するものと考へられる。時には前に述べたが如き例外の文章を作らねばならぬこともあり又例外の祭典に処する特殊な文があることも知らねばならない。

  斯うした報賽を其の主旨とする祝詞にあつては、謝恩的な思想を以て叙べる文辞を詳細且つ適切な詞藻を以て文を構成せねばならないから、文としては、勢ひ「恩頼」の意味を補強する補助文や説明文が多くなつて、長文になるのも亦止むを得ないことであらう。この種の祝詞にあつては遍ねく文の構想を追究して前後の調和を計り祭典の使命及び其の精神を表現する章句を、先づ以つて草稿として筆録し、描法に遺憾なきを期し、徐ろに作文するを要す。本詞句の究極の目的からすれば、常に祝詞文中に表現される筆致は、作者の敬神思想有無の軽重が預つて力あるものと云はねばならない。如何に美辞麗句を並べても、真に謝恩的な心構へがなければ、文章に気魄なく、本詞句に於ける精神が完全に現はされない恨みがある。

 ◎謝恩の詞句文例

[例一] 大神の守座る神徳に依りて

[例二] 常も蒙る皇神等の厚き御神徳の千重の一重に報奉らんと

[例三] 朝夕安く昼夜楽しく日時を送り迎へて有経る事を謝奉り嬉奉りて

[例四] 生業を月に日に異に栄えしめ給ふ神等の妙なる大御徳を蒙奉りて喪なく事なく有経る事を喜奉りて

[例五] 大神の守座る大神徳の露懸らずば天下の人民は如何で蔭息(うまはり)栄えん如此御霊幸奉りて

5.装飾の拝詞句

 装飾の詞句は、社殿・社頭・霊疇・斎場・物品・献饌、その他祭具・器具等の装飾された状態を叙べる詞句である。祝詞文によつては、本詞句を非常に重要なものとする場合もあれば、左程必要としないために省略する場合もあり、前者は所謂、雑祭式に多く後者は恒例の中・小祭に多い。その原因としては、

 是の境内(斎庭)を千々に飾設けて

 などのやうに、写実的な描写文でよいからである。

 之等、整備された装飾の状態を示す文辞は、起首の拝詞句の冠頭に来て、起首の重詞句を形造つて表現されてゐることは雑祭式に多い。即ち、神籬式の場合などは殆ど此の経路を辿つてゐるものと言つてよい。中には調理・献饌せられた姿を、献饌の詞句で美化麗文に叙し献饌の重詞句を作る(献饌の詞句の例文を参照の事)やうな場合もあつて、本詞の如き変質的な詞句は必ずしも構成の順序通りに排列されてゐるとは限らない。然し本詞句に対する基本的な知識を得んとする上から、斯うした祝詞文構成の順序を是非知つて置かなければならない。

 尚、装飾と動作の詞句は構成原理の順序として、相前後してゐる関係もあり乃至は設備と行動との相対的な関連から、互に溶け合つて装飾の重詞句、動作の重詞句を成し、文を切り離して、之を装飾の詞句、之を動作の詞句と適切に分離出来ないやうな成文も数多い。之等は別々に別け得られるやうなれば、全体的な観察から、装飾の詞句、動作の詞句と何れかへ分けるのが穏当であらうが、これは無理に分離解剖しなくともよいと思ふ。本詞句の面白い特徴は、弥々其の使命を発揮する場合も短い言葉の標示で各詞句の中に随時介在して、其の使命を完うして行くと云ふ散文的な性質がある。云はゞ独立して本来の純粋性の面目を保つて行く一方、他の詞句の中に融け込んで共存共栄を計る詞句である。此等の例文は敢て掲げなくとも随所に発見されるであらう。

 以上、装飾の詞句の大体の解説を述べたが、近時非常な勢にある土木建築や国土開発関係の雑祭式に於ては、本詞句は特に無くてはならない重要詞句である。

 ◎装飾の詞句文例

[例一] 是の広庭を掃清めて千旗高旗立列ねて

[例二] 千歳経む緑の松を真根越に越じて五百枝指す小竹取添へ御門辺に立列ね

[例三] 斎斎しき物と青幣白幣を取懸けて右に左に供奉り輝く物と鏡玉打断つ物と鉾剣立並ぶ物と楯打靡く物と赤旗白旗を斎庭も狭に取粧ひ看行す物と倭舞を奏奉り

[例四] 奥山に生立る真榊を繁に指林し白髪如す由布取垂で世の道理の善悪を見分物と御鏡青人草を恤慈み恵給はむ表物と御統の玉諸々の禍物時犯の災と荒来る禍説(こと)に感染を払ひ却賜はむ物と御剣供奉り

[例五] 茜刺す昼は豊栄昇る日の御象の御旗を栄え行く御光と高々に指樹て奴婆玉の夜は目輝く燃火を御稜の御光と列々に掲列ね

6.動作の拝詞句

 祭典を執行するに当つては、色々の動作をせねばならぬ。殿舎の御造営或は物品・丁度の整備を初めとして、社頭・式場の設備・献饌物の調理等、何れも人々の奉仕的動作を伴はない祭典は一つもない。之等の動作なり摘出して叙述するのが本詞句である。

 大前に斎(ゆ)まはり清(きよ)まはり

 之は其の祭典に捧げ奉る献饌物の調理する動作を述べた詞句であつて、之等の動作の詞句は其の本旨から云へば如何なる祭典の祝詞文にもその祭典に適切なる詞文を撰んで収録するを可とす。

 世上一般の祝詞文には、この動作の詞句を余り重要視してゐない傾向があり、除外或は省略されてゐるやうな祝詞文を多く見受けるのは遺憾である。敢て祝詞を長文にしなくともよいが、社頭・式場或は献饌の調理などの行動的動作の幾分でも、ありのまゝに素朴的でもよい、神命に報告する上からも、一言動作に適当する短句を叙べるのが祝詞として相応しいことゝ信ず。殊に清浄無垢な姿勢を欲する祭儀の性質から、凡ゆる祭典には、身心の清潔を保つて厳たる動作を行ひ、各種の整備に万全の努力と奉仕を行つてる厳たる事実是非述べる必要があらう。上記のやうに短句で以て這般の消息を伝ふる文辞を綴ればよいのである。

 次の例文は、動作の軽詞句のみではなく、重詞句をも相当に集録して示した。之等の詞句は土木建築等の雑祭式には努めて多く用ひられる。尚御神慮を慰め奉る種々の催物による動作の詞句をも参考のため掲げた。此の他、祭典執行上の特殊事項の動作または催物等は本詞句に記載すべき性質のものである。敢て言えば斯かる意味から、普通一般の祝詞にも極く簡単でよいから、一言述べる方が祝詞としての体裁に備へる上に必要なことであると思ふ。

 ◎動作の詞句文例

[例一] 大前を斎知り厳知りて作奉れる

[例二] 此の処の高きを平にし低きを埋め堅石の大石を斎柱の根本深く斎ひ掘据むとして

[例三] 御食人諸々白妙の手長の真袖列々に持捧げ供奉りて

[例四] 天津御量を以て事始め給ひし随に大峡小峡に生立てる大木小木を伐取り持来て何某の新室を築竟へて

[例五] 打鳴らす鼓音は御室山の反響と打動み吹鳴らす笛音は御手洗川の流水と澄渡り丁等か弱肩も手豊に大御輿舁上奉り侍等が真袖打払ひ御佩の大刀御執の弓矢伊執持ち神職等白妙の斎服忌襲(かさ)ねて侍奉り御尾前も志美に伊群列り御供仕奉る任に

7.献饌の拝詞句

 此の詞句は神々に献ずる品々を言挙げて述べるのである。其の意味は神々を喜ばし神慮を和げる贈物のことを述べると同時に、当方に邪気のない心を試錬して頂く表象であるとも云ふ。

 献饌の詞句の説明は上述のやうであるが、その綴り方組み立てに於いて見落してならない特徴がある。即ち、どんな献饌の詞句でも整理羅列して其の綴り方の内容を究むれば、献饌の詞句を構成するところの総ての詞句は、大同小異である。大体の種類を示して参考にすれば、

   献奉る  御食は和稲荒稲に……至るまで

   献奉る  宇豆の大幣帛を安幣帛の足幣帛と

   献奉る  御食  御酒  種々の物を

   大前に  御食  御酒  種々の物を

 此の大前に  御食  御酒  種々の物を

   礼代の  御食  御酒  種々の物を

   礼代の  御食  御酒  種々の物を  捧げ奉りて

        御食  御酒  種々の物を  大前に  捧げ奉りて

        豊御食 豊御酒  種々の物を

 以上の献饌の詞句を熟視する時は、之等の節や句が互に交叉相接して居て、全々別個の独立した詞句とは考へられない。即ち、如何なる祝詞文の献饌の詞句でも斯く大同小異であることは、之を図解表にして初めて了得するところであつて、分析した図解説明が重要である所以もわかるものと思はれる。(小著『図解説祝詞』参考)

 御祭典の主旨を遂行するためには、祝詞文の表現に種々の苦心が潜むものである。祝ふべき祭典である場合には寿詞、祝辞の縁語などを以て献饌の詞句を使用せねばならず、悲しむべき祭典である場合は之と正反対の詞句を撰定せねばならない。尚次節の例文の中にも色々の献饌の詞句を集め短文を欲する場合には本書集録の例文で殆んど全部を尽したものであると云つても過言ではない。長詞句で以て叙べ度い時には、献饌の重要詞の形式を採り、装飾、動作、縁語、寿詞等を以て述れば、際限なく長文となる。

 尚この献饌の詞句について研究を要すると思はれることは、数多の献饌物を文に叙する配置の順序である。之について一応検討を加へることにするが、之の研究は、式祝詞記載の各祝詞文の献饌の詞句を知る必要があるから、例文を収録その献饌の詞句の構成順序を見るに、全体を通じて同一、若くは類似、相似のもののみである。只

 『御服斎明妙・照妙・和妙・荒妙……』

 等及び其の他玉、鏡、倭文、和栲、木綿、乗馬、楯桙、剣、弓矢などの武器が、幣帛物として捧奉られたことがあり、之等の配置は此処に云ふ献饌の詞句の前後に補充されてある。

 そして、之等の献饌詞句の構成配置の順序を見るに、次の様な順序となつてゐる。

 (一)米や稲穂並に清酒 (二)山の物 (三)里の物 (四)海の物

 思ふに米や稲穂の如き主食物を献饌の詞句の冠頭に掲げ次に地形的に見て、山・里・海川などとなつてゐるやうである。又山や里に出来る野菜類は前に置かれ、同じ所で出来るものでも果樹類が種々の物の部に入れられたりしてあるのは主食、副食物が先へ来て、間食物なるがために後へ廻つたかとも思はれる。果して以上の理由に依るものであるか否かは兎に角として、この影響は現時使用の祝詞へ直接反映してゐる。

 ◎献饌の詞句文例

[例一] 礼代の御食御酒種々の物を捧奉りて

[例二] 今日の御饗を供奉る物は御酒は甕高知り御食は杯上に盛並べ甘菜辛菜種々の物等を

[例三] 献奉る宇豆の幣帛は御食は和稲荒稲に仕奉り御酒は歌ひつゝ舞ひつゝ醸成し山に住物は毛の物と毛の荒物毛の和物大野原に生物は甘菜辛菜青菜水菜青海原に住物は鮮物と魚の大小遠津藻菜辺津藻菜広和布若和布時自久の香実を始めて種々の物に至るまで

[例四] 供奉る宇豆の幣帛は神等の譲賜ひし物実に与れる味稲を御酒にも醸分け餅にも搗分け飯にも炊分けて忌瓮に据並べ山に住物は毛の荒物毛の和物大野原に生ふる味物は甘菜辛菜青菜川菜大海原に住物は鮮物と鰭の広物鰭の狭物遠津毛波辺津毛波広和布若和布時自久の香の菓を始めて雑雑の物を

[例五] 朝凪に網引ける鰭の広物夕凪に釣得し鰭の狭物大波小波と打寄る沖つ藻菜辺つ藻菜朝狩に得し左野つ鳥夕狩りに取得し水つ鳥朝川に洗へる甘菜夕川に濯げる辛菜美し物時の果実は花の如作れる菓子鏡如す餅の御饌塵をも据えず天の真名井と汲取れる清水を王垸に満湛へ種々の物置備へて

[例六] 進る……御酒はみか戸高知みか腹満ち並て山野の物は甘菜辛菜青海原の物は波多の狭物奥津毛波に至るまで雑物を(式祝詞平野祭)

[例七] 進る……御酒はみか戸高知みか腹満双て山野物は甘菜辛菜青海原の物は鰭広物鰭狭物奥津藻菜辺藻菜に至るまで雑物を(鎮御魂斎戸祭)

[例八] 備奉御酒者みか辺高知みか腹満双て汁にも穎にも山野に住む物者毛の和物毛の荒物青海原に住物は鰭の広物鰭の狭物奥つ海藻辺海藻に至るまで(道饗祭)

[例九] 御酒者みかの閉高知みかの腹満双て和稲荒稲に山に住物者毛の和き物毛の荒き物大野の原に生物者甘菜辛菜青海原に住物者鰭の広き物鰭の狭き物奥津藻菜辺津藻菜に至るまで(広瀬大忌祭)

8.感応の拝詞句

 此の詞句は、御祭神に対して受納を乞奉ることを本旨とする詞句であるから、必ず、献饌の詞句の次に来るものとは定つてゐない。献饌の詞句が無い場合でも(即ち献饌の詞句を省略した場合)祭典執行の誠意を乞奉る時に、本詞句が述べられる。祭祀と幣帛は密接な関係にあり、幣帛物の受納を乞奉つて、神慮を和め奉らんとする上から通常の場合は、本詞句が献饌る詞句に続くのである、祝詞文の構成組織から見れば、以上の意味から此処に排置する方が一般的になつてゐる。斯うしたことを知らずに、何でも献饌の詞句の次に来るものと考へては、間違ひが起きる。中には、殊更に、祈願の詞句の次へ持つて来る人もある。甚だしい例になると、起首の拝詞句の中に挿入されることもある。献饌の詞句の次に本詞句が位するを正形とし、他の場合は変型と見て置けばよいと思はれる。

 本詞句の構想からすれば、受納を乞奉る「平けく安けく、聞食して云々の詞句を中心に、祭典の主旨を明かにして寿詞を用ひたり、称辞を述べて、其の使命を遂行するに適切なる節や句を前後に綴つて組み立てるのである。これが感応の詞句の原型である。普通の型を示せば

      捧奉らくを宇豆那比給ひて

      捧奉りて称辞竟奉らくを平けく安けく聞食して

 置足はして捧奉る状を      平けく安けく聞食して

 置足はして(他の詞句を挿入)  平けく安けく聞食して

                 平けく安けく聞食して

                 甘らに   聞食して

 以上の如く祝詞文に使ふ感応の詞句を一寸整理してその配列を試みた次第であるが、祝詞が異つても感応の詞句はお互に連絡のあることを知るであらう。之の相親しい関係は、全祝詞文共共通的なものであることは、別冊の図解表によつて了解できることゝ思はれるから、大いに研究されたい。時に本詞句から祈願の詞句へ進む場合に本詞句の最後を『白す』『奏す』などの終止形を使つて文章を切断することもある。此の場合は、適切なる接続詞を入れて、祈願の詞句に続くやうせねばならない。

 斯くの如く本詞句は、原型を中心に、動作・装飾物等の詞や章・句を添へて重詞句として述べられる。此の構成の原理を知得すれば、原型となるべき感応の詞句を根幹とし中心として、その前后に適切な文章或は古典等から、節や句を引き出して組立つれば、新しい詞姿感応の詞句が生れ、一段と祝詞文に光彩を放つであらう。祝詞文全体から見れば「平けく安けく聞食して」と云ふ原型は、割合に単形であるが、之を消化する力即ち組み立ての方法を知り本詞句構成上の一つの型を発見すれば、幾百文、幾千文の感応の詞句を生み出すことも出来るのである。

 ◎感応の詞句文例

[例一] 平けく安けく聞食して

[例二] 甘らに聞食して

[例三] 甘らに聞食せと白す(接続詞が必要)

[例四] 御心も宇良解に看備し聞食して

[例五] 捧奉らくを宇豆那比(諾)給ひて

[例六] 捧奉りて称辞竟奉らくを平けく安けく聞食して

[例七] 献奉らくを平けく安けく聞食して

[例八] 奉る幣帛を安幣帛の足幣帛と平けく安けく所聞食して

[例九] 御前に置足はして称辞竟奉らくを皇神等の御心も平けく安けく宇良宜豊明に聞食し諾給ひて

[例十] 横山の如く打積置きて称辞竟奉らくと白す(接続詞が必要)

[例十一] 横山の如く打積み捧奉りて称辞竟奉らくを赤丹の穂に聞食して

[例十二] 机代も処狭き迄に高積みて捧進る宇豆の満座を神随も平けく赤丹穂に聞食し諾給ひて

[例十三] 八取の机代に置高成して捧げ奉る伊豆の満座の足満座と神随も聞食し諾給ひて

[例十四] 斎机も撓に打積置きて事祝ひ称辞竟奉らくを安けく聞食して

9.祈願の拝詞句

 此の詞句は、御祭神に対へて祈願せんとすることを敍べる詞句であつて、御祭典の主旨によつて其の祈願の文章もそれぞれ異るのはもちろんである。如何なる祭典に於ても本詞句が重要な役割を果してゐることは、周智のことであつて、祈請一般を其の主旨とする祝詞にあつては殊に重要である。

 延喜式以前の祝詞にあつては祈願の詞句が余り使用されてゐなかつたやうであるが、祝詞文の様想も何時しか変り、現時使用の祝詞文には祈願の詞句が欠くべからざる詞句になつて来た。それで、祈願の詞句を更に詳しく検討すれば、国家の隆盛、社会の安寧幸福を祈願する処の公の性質を有する祭典もあれば、国民の共存共栄、事業促進及び和共一致を祈願する処の団体的な祭典もあり、或は個人祭典の如く、個人の家族を中心として、其の祭典、幸福、無病息災を乞願ふことを本旨として構成される祝詞もある。尚之等の祭典が共に混合せられたと見るべき性質の複雑な意味を有する祭典もあるから一概に祈願詞句を定義附けることが出来ない困難がある。

 以上のやうであるから、祈願の詞句を成文するに当つては其の祭祀が如何なる種類の祭祀であるかを先づ以て弁へてかゝる必要があらう。御祭典の主旨も夫々違ふから、祈願の詞句も各々違つて来る。けれども、願ふ姿が同一であるがために、此処に相似、類似の詞句が使用され、一つの統一目標に向つて邁進する祈願の詞句の構成型が生れるのである。即ち、公的な性質を持つ祭典には、公祭典の祈願の詞句型があり、団体的な性質を持つ祭典、次は私個人の祭典にも夫々の祈願の型が構成されるのである。その原型と見るべき詞句を示せば、

[イ] 天皇命の大御代を厳御代の足御代と万千秋の長五百秋に平けく安けく斎奉り幸奉り給ひて親王等諸王等百官人等を始めて天下の国民(民衆)に至るまで五十橿八桑枝の如く立栄えしめ給へと

[ロ] 天皇命の大朝廷を始めて……国の光を天輝し国輝しに令照輝給ひ(又は団体の名)国の将来も変ることなく其の業績を立てしめ給へと

[ハ]此の家内の者を始めて参侍る人々の家にも身にも……恵み幸給へと

[イ] は朝廷即国家を中心とした祈願の詞句、

[ロ] は各種の団体祈願祭等に作文する祈願の詞句、

[ハ] は個人を中心とした祈願の詞句、

 之等の詳しい分類は次の「祈願の詞句」文例で述べる。

 ◎祈願の詞句文例

 公祭典の祈願の詞句型

[例一] 天皇命の大朝廷を始めて天下の国民に至るまで弥遠に弥広に守給ひ幸給へと

[例二] 天皇命の大御寿を手長の大御寿と由都磐村の如く常磐に堅磐に斎奉り厳御代に幸奉り給ひ大御稜威を弥高に弥広に輝かしめ給ひ大御恵を弥遠に弥長に仰がしめ給へと

[例三] 天皇命の知食す天つ日嗣の大御隆は天地の無窮に動事なく斎奉り幸奉り給ひて天下平けく国内安けく皇天皇の大御稜威は天輝し国輝しに輝かしめ給ひ御国の大御栄を天足し国足しに足はしめ給へと

[例四] 此の年を良き年の美し年と守給ひ幸給ひて天皇命の大朝廷を堅磐に常磐に斎奉り給ひ天下平けく穀物豊けく産業を弥奨めに奨め国民を弥栄えに栄えしめ給ひて大御稜威を差昇る年の初日の光と共に弥益々に輝かしめ給へと

[例五] 皇大御国知食す天津日嗣を天地と長く日月と久しく動く事なく揺ぐ事なく斎奉り給ひて天下四方の蒼生に至るまで弥遠に弥広に五十橿八桑枝の多く立栄えしめ給へと

[註] 以上は大体、公の祭典と思はれる場合によく使はれる祈願の詞句ではあるが、団体とか私祭に使つていけないと云ふのではない

 団体祭典の場合

[例一] 自今後は是の〇〇団の栄を波布葛の弥遠久に行く水の弥益々に立栄えしめ給ひて

[例二] 今より後女として世に立つ可き道を弥益々に習可き業弥益々に修可き節の悉其業に欠事なく足はぬ事なく家を守り子を育つ女の務に背事なく道の為国の御為に尽さん実の行を見さしめ給ひ若娘子等の真心を愛で慈給ひて厳の御霊を此の〇〇会に恵み給へと

[例三] 此の会の立栄えむ事は白すも更なり教ふる人も習ふ人も祭の式過つ事無く学の術違ふ事なく疑はしきは明に思ひ得しめ覚り難きは速に考へ知らしめ給ひて惟神なる正しく厳しき皇大御国の国風を弥高に弥広に張り広め興さしめ給へと

[例四] 今後一心に思合して身を慎み行を正し自励み自勉み学の事は言欲も更なり智の極広く研ぎ国家の為に身を貢げ公共の業に心を尽して進行く世に後るゝ事なく皇国の稜威を天下四方の国に輝かしむる事をし深く心に誓ひ身に体めて皇に国に尽すべき清き真心を神諾ひに聞食して厳の神霊を〇〇青年団に幸給へと