祝詞作文資料

苗代清太郎『最も分り易い 祝詞綴り方』(抄)

解題・凡例のようなもの

   筆者・苗代清太郎について


 筆者については不明な点が多いものの、分かる範囲で以下に述べる。

 苗代清太郎は明治37(1904)年3月2日、大阪府生まれ。

 父・清七は天理教信者で大正3年、豊生宣教所の設置に携わった。これは現在、名前を変えて大阪府箕面市に現存している。

 もともと向学心が強く、大正11年(1921)大阪府立茨木中学校を卒業、上京して國學院大學予科に入学、のち同大学国史科に進んだ。

 義務教育は小学校までの時代。教会の子弟に学問はいらないと非難されつつも、親は苦しい生活の中から何とか学資を捻出したようである。

 その甲斐あって卒業後は中等学校歴史科の教員免許を取得するかたわら、当時の天理教の資格、権訓導を得る。

 だが、教員にもならず、天理教の布教につとめた形跡もない。昭和25年と同28年には参議院選挙に出馬、いずれも落選しているが、これは終戦後の世相の変化の中で、政治活動を志向したものであろう。

 苗代の本業は、やはり著述業といってよい。

 ところで戦前と戦後とで扱う素材に、はっきりと変化があるのが興味深いところだ。

 著作物の題名をあげると戦前は『最も分り易い祝詞綴り方』『軍事祭霊祝詞』『軍事祝詞大鑑』『大東亜戦争諄辞集』と祝詞に関する著作のみである。

 これが戦後には『古事記の謎』『純正古事記』『古事記大鏡』『謎の万葉集』『元暦・万葉集』と、古事記や万葉集へと興味が移行していった。

 そのかたわら同人雑誌『肇国』を発刊、その奥付を見ると発行者の所在が東京都浅草桂町(現在は蔵前)となっているので、戦後は同所に在住していたようだ。本書『軍事祝詞大鑑』の上巻の奥付では目黒区洗足在住となっているから、空襲で焼け出されて引っ越したのかもしれない。 

 晩年のことは全く不明だが、没年は昭和58年で、これは『肇国』最後の号が発行されてから五年後である。

 あるいは病気で著述、発行が不可能となり、長患いしたまま逝去したものかもしれない。


   『最も分り易い 祝詞綴り方』について


『最も分り易い 祝詞綴り方』は昭和6年7月7日、弘文社刊。229ページ。定価1円50銭。

 苗代が祝詞作文について刊行した書籍は、これが最初となる。当時、27歳。

 本書がよく売れたことは六年後の『改編 祝詞綴り方』のはしがきに書かれている。

……全国の神職各位の絶大なる御援助を得て、歳僅かに三年にして十版を重ね、既に絶版品切になつてゐるのに各地で講習会用とし、或は神社又は個人から、以後度々御申込を受け発行所からは重版の催促で……

「十版」は「十刷」だろう。発行部数は不明だが現在、改編版含め古書としてあまり出回っていないから、少なかったのかもしれない。

 本書がよく売れ、改編版まで出版されたのは、そのユニークさが理由だろう。

 ここでは割愛したが、筆者の創意による「祝詞排列図」が実に有用なのだ。

 図のうちの語句をたどって行けば、ズブの素人でもひとまず祝詞を作ることができる。このような試みは空前であったし、現在に至るまで類書は現れていない。

 考えてみれば、祝詞のようにある程度、定型の語句が決まっているものの作文は、そうした語句を適宜、頭の中で組み合わせ、紙に書き、といったことを繰り返して成文を得ることが多い。

 それを目に見える形で排列図として示したのは、苗代の多大な功績といえる。

 ことに初心者が練習を繰り返すようなときには有効で、現に終戦後、筆者の了解を得た上で、神職養成講習会で使用されたことがある。

 問題は、本書の中で苗代が言っているように、各種例文等に当たることで語彙を増やし、排列図につけ加えていく……のを、どれだけの人間が行ったか、ということである。

 残念ながらそうした人間は少なく、本書の人気は簡便に祝詞を作成できるところにあったようだ。その拡張性がもっと注目されていればと、切に思う。

 さて、ここでは祝詞の構成および各要素につき、苗代がどんな説明をしているかに絞って紹介したい。

 祝詞排列図に興味を持たれた方は、前述のように本書はなかなか古書として出回ることがないけれども、ネット上でも公開されている。是非、探してみて欲しい。


   凡例のようなもの


一、旧漢字は現行の漢字に改めた。歴史的仮名遣いはそのままである。

一、踊り字のうち「ゝ」「ゞ」は本文そのままとしたが、「く」形式のものは書き改めた。

一、明確な誤字は適宜、改めた。

本論 第一編 祝詞文の分析的解剖

 式祝詞を中心に発展して来た現在の祝詞は、其の原型なる式祝詞と大いに異るを見るのである。式祝詞は、官が読み上げるのを本体としてゐるが、現在の祝詞は、神社にあつては宮司、教会(所)にあつては、其の主催者(教会長、所長等)が拝読する。故に、自己が中心になつてお願ひする場合もあれば、氏子、役員、信徒らの代理をする場合もある。斯く変遷の跡をたどつた祝詞は、其の書式に於ても可成りに変化して来た。が然し、其の精神に至つては、毫も変遷の跡を見ない。其の祝詞の構成要素は、

(一)起首の拝詞句  (二)神徳の詞句  (三)原由の詞句  (四)謝恩の詞句

(五)装束(飾)の詞句(六)動作の詞句  (七)献饌の詞句  (八)感応の詞句

(九)祈願の詞句   (十)結尾の拝詞句

 の十要素に分類出来る。

 祝詞文の構成は、右の十要素を是非持つ必要もあるが、祝詞の性質によつて、其の中の二三を略す場合もある。右の十要素を含ますは当然であるけれども、如何なる場合に略し、如何なる場合に挿入するかは、一に創作者の胸中にある。崇厳極まりなき御大祭、或は特種の御祭以外は、大抵、略式の型を踏む。其の略式の型にしても一つの習慣があるから、参考のために記載してみよう。

      第一種 第二種 第三種 第四種 第五種 第六種 第七種

起首ノ詞句  有   有   有   有   有   有   有

神徳ノ詞句  有   有   有   有   有   有   ―

原由ノ詞句  有   有   有   有   有   有   ―

謝恩ノ詞句  有   有   有   有   ―   ―   ―

装飾ノ詞句  有   ―   ―   ―   ―   ―   ―

動作ノ詞句  有   ―   有   ―   ―   ―   ―

献饌ノ詞句  有   有   有   有   有   ―   有

感応ノ詞句  有   有   有   有   有   ―   有

祈願ノ詞句  有   有   有   有   有   ―   有

結尾ノ詞句  有   有   有   有   有   有   有

 右の図表を見る時には、祝詞創作に必要欠くべからざる詞句と、申訳的に挿入した詞句とが、見受けられる。又、時には、献饌、感応の詞句と祈願の詞句とが、交換される場合もある。

 次に、祝詞全般から見る時には、報賽の祝詞、申告の祝詞、祈請の祝詞に別分することが出来る。この三種類の祝詞を更に分別すれば、

            ┌崇敬を主とするもの┐

           ┌┼報恩を主とするもの┼┐

     ┌報賽の祝詞┼└酬動を主とするもの┘├─過去から今までに受けた、神様や祖霊の恩頼に報ひんが為に、

     │     └ー追慕を主とするものー┘ 其心を以て、幣帛を進ずることを主体とせる祝詞。

団体祭典┐│      ┌申告を主とするもの┐

    ├┼申告の祝詞ー┤          ├─諸々の経営吉凶及紀念等を、神様や祖霊に申告するのを、其の

私の祭典┘│      └宣誓を主とするもの┘ 主体とせる祝詞。

     │      ┌祈願を主とするもの┐

     └祈禱の祝詞ー┼奉慰を主とするもの┼─君国の安寧、自他の幸福から、志望をかけ、病災等を除去して貰

            └解除を主とするもの┘ ひたいことを、主体とせる祝詞。

 これとても、別に定つた区別があるのでない。報賽が主となるべき祝詞に、祈願の詞句が少し入り、申告が主であるのに、報賽の詞が入り、祈請が主であるべきに報賽、申告の句が入ることがある。が要する所は、祝詞の種類が、右の内の如何なる物であるかを、先づ知る必要がある。でないと、報賽が主となるべき祝詞をば、申告が主となるべき場合のやうに創作するといけない。

 各詞句に渡つて説明するのであるが、各詞句には、それに該当するやうな、詞句ばかりを撰んで集めた。勿論、これで全部をつくしてゐるのではない。元来、祝詞と云ふものは、同じ詞句にもその順序排列がある。そして、一般祝詞の各詞句は、殆んどかはりがない。祝詞の種類、性質によつて祈願の詞句を詳しく書けば、献饌の詞句の方が詳しい場合もあつて、一定しない。特殊な場合には、各詞句を長く、或は短くするくらいのものである。故に大体に於て、変りないと見るべきものは、

 二、神徳  四、謝恩  七、献饌  八、感応  九、祈願  十、結尾

 の各詞句である。之等は、一通り詳しく研究して、如何なる祝詞にでも、御同じやうにてはめてもよい。

 或詞句は短く、或詞句は永く、といふ風に、然しながら、

 一、起首  三、原由  五、装飾  六、動作

 の四詞句は、全々変へねばならぬ。

 要するに、祝詞と云ふものは、この四詞句さへ、変更すればよいのである。同じ変へるにしても(一)起首の場合にあつては、神名拝詞句にかはりがないのだから、地名等を変更すればよいといふ、便宜がある。(五)装飾、(六)動作に至つては、略しても差支へない。簡単に書けば「斎廻リ清廻リ」で、片附けることが出来る。すれば、原由の詞句だけを変へればよいことになる。之とても、簡単に書けば、いくらでも簡単に書け、又長く書くことも出来る。

 斯うして結んで了へば、祝詞と云ふものゝ概括は、至極簡単であるが、祝詞が簡単に出来るだけ、そこに微妙な味が興り、嬉しい、悲しいリズムも、各詞句の文章の排列から来る。句藻豊かな文章は祝詞をして、益々其の価値を高くする。

 そして、各々の便宜をはかり、各詞句の終に各詞句の文藻の排列図を挿入して置く。起首の拝詞句から起つて結尾の拝詞句まで、凡そ十ケの排列図があるが、一字も正さず、之れを全部つゞり合しても、立派な祝詞となる。長くしやうと短くしやうと、自由自在、之れ真に、祝詞の生字引であらう。只、注意して貰ひ度いのは線をたよつて降つて貰ひたいことである。何等、線の交叉もないのに、飛び越へることだけは禁物である(横へ)。然し縦にはいくら越してもよい。面倒なら(大)字だけを拾つて行き、原由の詞句の所だけを、適宜に改竄すればよい。

 祝詞創作上、一番便利になり、且つ手本となるのは、各詞句の排列図だと思ふ。

(排列図は略)

第一章 祝詞文の構成要素

   第一節 起首の拝詞句

 起首の拝詞句は、神名を称言申上げることから初まるのであるから、神名の次に拝詞句「恐ミ恐ミモ白サク」を入れると、起首の詞句が成立する。起首の詞句は簡単を旨としてあるから、それでもよいのだが、時と場合に依つては、地名をも挿入すれば、神徳、原由の詞句をも概括的に冠らせる場合がある。或は屋外の臨時祭典の時には、斎場の設備、即ち装飾、動作の詞句を冠らせることが例になつてゐるやうな場合もある。そこで起首の詞句の成立図を示せば、

   ┌神徳┐┌─地名─┐

   ……│  ├┤┌装飾┐│

   └原由┘└┤  ├┴─神名━拝詞句……

        └動作┘

   第二節 神徳の拝詞句

 神徳の詞句は、神様の御徳の程を称言申すのであつて、此の句は、祝詞本来の崇敬詞である。

   第三節 原由の拝詞句

 此の詞句は、祝詞文中最も重要なる位置を占めるものであつて、もし原由の詞句が不明瞭である時は、他の如何なる詞句がどんなに善く出来てあつても、祭典の所以がわからないことになる。語を強めて云へばこの詞句で、祝詞文の種類が明らかにせられ、執り行ふ祭典が報賽を主とする祭典か、申告を主とするものか、将た、祈請を主とする祭典であるかゞ、明らかになるのである。原由の詞句では、祭祀本来のわけを、一筆でもよいから云為せなければならない。此の注意は、原由の詞句の排列図を参考にして貰へばよい。

 尚其の上に注意することは、「日」、「場所」、「事の由」の三項を、是非忘れないやうにせなければならない。祝詞の出来不出来は、一に懸つて原由の詞句の如何にある。

   第四節 謝恩の拝詞句

 謝恩の詞句は神恩功労等を感謝する字句を指すもので、神徳を言称する詞句及び祈願を述べる詞句の三詞句は密接不離な関係にある。神徳の詞句に「仰奉リ」「謝奉リ」等の感謝的報賽詞が挿入される場合には、謝恩の詞句となる。謝恩の詞句の特異なものとしての、「嬉奉リ」「辱奉リ」「謝奉リ」「喜奉リ」等を、神恩、祈願の詞句の中へ適当に配置すれば、それぞれの詞句を形造る。

   第五節 装飾の拝詞句

 装飾の詞句は、神殿の装飾及屋外の(斎庭)に旗或は鉾、提灯等を並列した様子を書くのである。つまり、装飾的動作の結果、飾られた姿を書き表はすのが、装飾の詞句である。

   第六節 動作の拝詞句

 此の詞句は、神殿、斎庭及祭事のための動作を表記する詞句であつて、時には御神楽、献饌の状態等を記述することあり。前の装飾の詞句と共に、祭典儀式を装飾する精神を表現する詞句である。

   第七節 献饌の拝詞句

 元来、献饌とは神饌物だけを云つたものではない。神宝として捧げる刀、弓、馬等をも云ふのであるが、今では神饌物を主として云ふ。だから、献饌の詞句に於ては最も綾詞(形容)を用ひて優雅に叙すべきものである。献饌の詞句は供へる品物の多少によつて異動があるけれども、古来左の文を以て規範としてゐる。

 御酒ハ甕上高知、甕腹満双テ、和稲荒稲ニ、山ニ住物ハ毛ノ和物毛ノ荒物、大野原ニ生物ハ甘菜辛菜、青海原ニ住物ハ鰭ノ広物鰭の狭物、奥都藻菜辺都藻菜ニ至ルマデニ如横山打積置テ奉ル此宇豆ノ幣帛ヲ……

 そして献饌の順序は、先づ御酒御饌、次に毛物(山)、次に甘菜辛菜(野或畠)、次に鰭の物(海)となつたのが、上代からの習慣であつた。

 さて、献饌詞句を簡単にしたならば、

「御饌御酒種々ノ物ヲ献奉リテ」とか「宇豆(礼代)ノ幣帛ヲ供奉リ」

 と、短形で云ひ表はせるのである。幣帛と云ふのは献饌物全部の総称である。敬虔の至情の籠つた幣帛であるから「礼代」とのみ云つてもよい。祝詞文は荘厳且婉麗雄大であるためには、三四台の献饌物で「横山ノ如ク置キ足ハシテ」と云ふのである。これは神明を欺くとか人を偽して奏上するとか云ふのでなくて、美麗句調の祝詞文が、依つて生れた所以の一大原因である。

   第八節 感応の拝詞句

 今まで祝詞文を読み且幣帛物まで捧げたのであるから、此の詞句で、其の真情を披歴したことになる。依つて神明の受納を乞ひ奉り、合せて次に願はんとする、祈願を聞いて頂くのである。感応詞句の一部は結尾詞句の終りにも散在してゐる。献饌詞句の感応詞句とを合せて「第八節」をなすものであるが、便宜上此処で説明して置く。感応の詞句は極めて簡単に出来てゐる。

「……奉ラクヲ平ケク安ケク聞食テ」或は「平ケク安ケク相諾ヒ聞食テ」「御心モ多自ニ相諾ヒ聞食テ」等とあるが、神様にシツカリと聞き入れて貰ひ、真の受諾を乞はねばならぬ章であるから最も重要である。神人合一も神人感応も依つてこの章にある程だから、最も力強く且最も情を籠めて云ふべきである。結尾の詞句を云つてもこの詞句を忘れたら何が何やらわからない。其処で人間の情愛の籠つた切々の意を述べるのである。別に新ためて字句を引き出して説明する程でもないから、図表を以て之に代ふ。

(図表略)

   第九節 祈願の拝詞句

 祭典に於ては恭敬の心を尽し、内に感恩報謝の念が溢れ外に向つては、この後も神様の御守護を戴き度い儀式である。祝詞奏上も亦之に等しい。この祈願の詞句の所で、祈願すべくさだめられた句である限りは、心を傾けて祈願せねばならぬ。其の心情の発表の仕方は先づ祭儀に最も適切なる詞句を撰ぶ必要あり、斯く祭儀と本詞句とは密接不離な関係にあるのであるから、此の点に留意せねばならん。若し個人の御祭りであれば、天下国家を云為せなければならぬことはないから、直ぐに個人的祈願へと移つてよい。

   第十節 結尾の拝詞句

 結尾の拝詞句は祝詞文の最後を飾るものであつて、極めて簡単な詞句から、可成り複雑な詞句もある。

【註】

 以上の祝詞作文の構成要素の研究は、之で終つたと云ふのではない。まだ書すべきことがあるかも知れない。時を見て加へることにする。この研究は今までに発表せられた、祝詞作文を基として研究したのである。一般の研究としては、余り独断であるかも知れない。が、かうした研究を発表されたことを見ない。それだけ価値と其の使命が重大である。今まで多くある祝詞作文の参考書には、こうしたものを見ない。あるとしてもそれは申訳的なものであつて、一歩進めての祝詞研究にまで這入つてないやうに思ふ。かうした独断は、その影響する所甚だ大きい。けれども著者は、神様の前で読み上げるものであるから、それだけ念を押した。この一詞句の表を研究するのに七、八日も考へた。それだけ、受ける得も多からう。この表について、くれぐれも注意して、おくのは、次へ次へと線を遂ふて降つて貰い度いことである。線を遂ふて下りさへすれば、一字の訂正もしないで、立派な祝詞がなり立つ。余り複雑だと思へば、二三飛ばしてもそれでよい筈である。その反対に、叮嚀を主として述べやうとする時には、同じ段であれば幾つ並べてもよい、関係のない欄を挿入すれば、誤る恐れなきにしもあらずであるから、殊に注意して貰ひ度い。

 次に注意すべきことは、この表以外に、よい句なり節或は文章を発見した時には、そのものが、何れに属する詞句かを探し、尚ほ図を見て同じやうな所に入れて、在来のものととり変へるか、さもなければ、附加すればよりよい祝詞が出来るから、便利且必要である。斯く、これを土台にしてよりよき祝詞を作られるのが著者の只一つの願である。

 神様の幣帛として、捧げ奉るものゝうち、

 大御神宝、御弓、御剣、御旗、御楯、御鉾及御輿、御馬等の類

 第五節装飾の詞句中へ、御衣として奉る幣帛、例へば、

 明妙、照妙、和妙、荒(麁)妙、等

 の幣帛物は、第七節献饌の詞句中へ挿入のこと。式祝詞中の御衣に関する幣帛物は、多く献饌の詞句の最初にある。又、たまに、最後に来る場合もある。この配置には一定の定規を見出さないから、気分から、どちらへ入れても差支へないやうである。