御祭神 おまつりされている神様

天照大神 あまてらすおおかみ


 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の娘神で、皇室の御祖神(みおやのかみ)にして、太陽神。皇大神宮(伊勢の神宮・内宮)におまつり申しあげています。皇室をはじめ国民崇敬の中心とされる神様です。

 高天原にて田畑を耕し、あるいは養蚕、織物をされ、安定した国土を経営されたことにちなんで、国土安泰、福徳、開運、勝運をつかさどる神とされます。


豊受大神 とようけのおおかみ


 稲または五穀の精霊神で、豊受大神宮(伊勢の神宮・外宮)におまつり申し上げている神様です。天照大神にお食事をさしあげるお役目により、食物や飲食を、また、衣食住、商売繁盛、厄除開運、無病息災、延命長寿をつかさどる神として、古来あがめられています

境内社 三吉神社と相馬神社

三吉神社

 三吉神社はもと北見地方秋田県人会によって、昭和10年10月15日、北見市美芳町に御造営されました。昭和34年、北見市の市街化計画の区画整理の対象となってしまったのにともない、相内神社へ御遷座されたものです。

 なぜ相内神社だったかというと、当神社初代・今村政男が昭和10年の御造営にたずさわった御縁によります。御造営当時は当時の秋田県人会代表で、名物豆腐屋といわれた瀬川勇助さんらが世話役となり、今村宮司と末永く大切に祀ることを約束したそうです。

 当神社へ初めて三吉神社が御遷座されたときは、現在の社務所裏あたりにあったのですが、昭和34年に社務所が新築されると、その裏になってしまったので、秋田県人会ではさらに別な場所へお遷ししようと呼びかけ、昭和50年11月22日、現在地へ御遷座となりました。

 北見地方秋田県人会は大正4年2月発足。会員同士の結束力がつよく、季節ごとに集まってにぎやかに毎年6月に例祭をとりおこなってきましたが、会員数の減少、高齢化にともなって平成28年6月をもって解散しました。

 かといって今村初代宮司の約束もありますし、お祭りを絶やすわけにはいきません。今後も年に一度の例祭をとりおこなって参ります。

相馬神社

 相馬神社は相内において最も歴史のある神社といえます。

 屯田兵が入植した直後の明治31年9月、当時の二区(現在の北見市美園の大部分)に遥拝所が設置され、毎年春秋二度、お祭りをとりおこなっていました。

 明治36年に屯田兵は現役解除、後備役となると、遥拝所は二区所属となり、西側山麓の空気の澄んだところに御社殿を御造営。これは現在の西18号線、灌漑溝の北側付近にあたります。

 例祭は春6月15日、秋は10月15、16日。盛大にとりおこなってきましたが、人口の減少にともない、護持運営に今後不安が残ることを見越して、相内神社境内へ御遷座されることになりました。

 昭和32年11月2日、美園部落こぞって馬車を出し、御社殿を丁重に運び申し上げ、現在地に御遷座されました。

 現在は7月17日を例祭日とし、祭典委員会を設けて、相内・豊田・美園の三地区の輪番で祭典をとりおこなっています。

境内の周辺

神楽殿

 相内神社の神楽殿は、かつての豊田神社の御社殿を流用したものです。

 豊田神社は明治36年、屯田兵が現役解除になったのにともない、地域の小祠として創祀。春秋の二度、例祭をおこない、特に秋は土俵をつくって奉納相撲をしたり、舞台をつくって田舎芝居をしたり、仮装行列をしたりと、住民にとって、日頃の労働から解放される年に一度の楽しみとなっていました。

 鎮座地は現在の西24号線の灌漑溝北側。今も残っているかつての御社殿は大正年間の建立。向拝上部の彫刻がすばらしいです。

 現在地への御遷座は昭和42年。豊田部落総出でご奉仕申し上げました。