宮司のたわごと

日々思うこと・感じたことなどの雑文・駄文……何かの役に立つようなことは一切、書いておりません

令和6年7

6.7.21 若者の横断者

 先月初め、札幌に行って驚いたこと。

 車を運転していったのだが、交差点を右折、左折するときに横断者がいたのである。

 当たり前だ。当たり前のことだが、ふだん田舎で運転していると、まず横断者には出会わない。

 先々月、東京や名古屋経由で伊勢へ研修に行って、驚いたこと。

 若者がいたのだ。見渡せば、若者ばかり。

 これも当たり前だ。当たり前のことだが、ふだんは地元の小学生、中学生くらいしか見ない。

 よって、田舎には若者がいないし、横断者もいない。

 若者の横断者はもっといない。これは、横断者の若者も同様である。

 Q.E.D(証明終)

 視点を換えてみると、これは、若者が都会に出ているということでもある。

 地方の過疎化、都市の過密化、東京に一極集中しすぎなんて、もう50年も前から言われていることだ。

 加えて、都会の方が医療も福祉も充実しているから、今や年配者も、都会に移動しつつある。

 政府は何ら有効な対策を打ち出せないまま、今に至っている。

 都会の企業は法人税を倍、田舎はほぼゼロ。

 田舎で受診、手術などの治療、福祉施設の利用は無料。都会は逆に、高くする。

 いや。

 そんなふうにしても、この流れは止め得ないかもしれない。


6.7.20 暑くなってきた

 このところ酷暑つづき、天気予報で当地、北見市の気温が「北海道の最高気温」と紹介されたことも。

 私は暑いのが苦手である。

 地球温暖化に身体がついていかない。子供の頃は、もっとサイハテの地に住んでいたこともあり、こんなに夏、暑くなかった。

 暑くても、身体を動かす仕事は、まあできる。

 水分補給、日差しに気をつけなければならないが、神社のことだから、そう重労働ではない。

 草刈りや掃除などを終え、汗をかいて社務所内に入ってくると、気化熱もあって、とても涼しい。

 社務所内、クーラーを設置した部屋はひとつしかない。

 数日前「これじゃ何もできん」と、唯一のクーラー設置部屋に籠り、一気に事務仕事を片づけた。

 そう、暑いと頭脳労働がダメになるのである。

 ただでさえ頭脳労働がダメなのに、気温があがるたびに効率がドンドン落ちてくるのである。

 肉体労働のエキスパートでもなく、むしろダメなので、要は暑くなるとダメダメになるのである。

 ここ数年、夏は気温が下がる夜に猛然と仕事をして、夜更かし。宵っ張りの朝寝坊になりがちだった。

 最近、そういう傾向になってきたので、クーラーのある部屋で寝るべきか、思案中である。


6.7.18 蚊に刺されまくっている

 蚊に刺されやすい。

 蚊だけではない。虻にも刺されやすい。

 草むしり、枝拾い、ブロワーでの参道掃除、草刈り、花への水やり……など、外で作業すると、必ずやられる。

 俗に血液型がO型だと刺されやすい、なんていうが、これは当たっているようだ。

 刺されないために、研究したことがある。

 だが。

 酒を飲んでいると……私は酒をたしなまないし、だいたい作業中に飲むわけがない。

 足の裏を清潔にすれば……来客に会うとき以外は裸足、雑菌が繁殖しないようにしている。

 虫よけスプレーをする。

 さまざま対策をするが、効果はない。

 刺されたくなければもう、防護服を着るほかはあるまい。


6.7.17 相馬神社祭を終えて

 北見市においては、7月17日、必ず晴れる。

 この日は毎年、境内社・相馬神社の例祭を行うので、記録していなくても記憶はしているのである。

 北見に来て7年になるが、今まで雨、曇りは一度もなかった。

 天候が変わることもなく、毎年とにかく終日、晴れ。

 そして、気温も高め。

 この晴れ間はずっと続いていて、準備のため念入りに掃除しているときに汗はダラダラのポタポタ。

 水分補給しながら毎年、掃除している。

 天候特異日というより、天候特異期間というべきかもしれない。

 今日も快晴。

 相馬神社のとなりの馬頭観音では、お寺さんがきて供養される。

 それが終わり次第、私がお祭りを務める運びとなっている。

 お寺さんは墨染の衣、暑そうだった。これも毎年のこと。

 私は浄衣、白一色。

 それでも暑い。これも毎年のこと。


6.7.16 お役目が一つ減る見込み

 自分の能力を顧みず、さまざまな役目を引き受け、ヒーヒーいう結果に。

 これは、私だけではないであろう。経験された、あるいは現に経験されている方も、いらっしゃるはず。

 身も心もノホホンと暮らしたいものだが、それが可能になるのは、寿命が尽きる前のほんの数年くらいなのではあるまいか。

 老後に二千万だか、四千万だかが必要だという、この御時世にあっては。

 さて来年、ひとつお役目が減りそうなので、ちょっと嬉しい。

 2期6年、務めた。任期が今年度いっぱい。チャランポランで各所に御迷惑をおかけしつつ、何とかここまで来た。

 そのお役目の事務処理的なものは、あと10度もないだろう。

 ……ない、はず。


6.7.14 若者は今、どのSNSを使っているか

 私が教えているクラスでどのSNSを使っているか、調査した。

 当日の出席者は14名。もちろん複数、使っている生徒もいる。

 結果は以下の通り。

 X 8名 facebook 0 名 Instagram 13 名 Tiktok 11 名

 これ以外のSNSについては、聞いていない。

 何と言っても facebook を使用する生徒がいないのは、衝撃であった。

 アカウントを持っているか、という聞き方はしていない。

 それでも「使っているか」聞いたので、アカウントを持っていて他者の投稿等を見るだけ、という生徒もいなかったことになる。

 facebook では本名を初め、個人情報を相当な範囲で公開しなければならない。

 そのあたりが「いい」ということで一時、登録し、使う人が多かった。そう記憶している。

 だが今は、匿名性への揺り戻し――とでもいうべき方向に、進んでいるのかもしれない。

 特に若者は、他者と一定の距離を取りたい傾向が強いから。

 facebook では適度な距離を保てない、ということだ。

 SNSにおいて、メインで他者に見せるものは、文字→画像→動画の順に変わってきた。

 今となってはダラダラと長い文章は、誰も読まないわけである。

 よほど面白い話でもなければ。

 面白くなくても、先を読ませるような工夫をしていなければ。

 長い文章はSNS内ではなく、他にページを作ってリンクを貼る方が有効だろう。

 ラジオ→テレビ→ネットで視聴

 と、メディアが変遷していったのと同様、SNSでも文字、画像、動画は併存している。

 生徒にも、そんな話をした。

 では、どのように神社の情報を発信したらよいか。

 とにかく全部で同じ内容を発信する、という手もあるだろう。

 あるSNSに投稿すれば、自動的に他のSNSで投稿されるようにもなっている時代だ。

 いや。それ以前に、私など最初からSNS疲れを起こしている。

 ついでに、目も疲れている。

 他にも、いろいろ疲れている箇所があるようなので、探しているところだ。

 まとめ。

 今回の調査結では、facebook を使用しても若者には届かないことが判明した。

 昔ながらの社報を作っているのと、ほぼ同様の効果しか得られないと結論づける。


6.7.12 7月の平均最高気温が19℃?

 今年の夏は雨が多めで、農家では助かっているらしい。

 タマネギもビートも順調だとのこと。

 それだけ聞くと結構なことで、氏子区域の天候が順調、秋の稔りもたくさん、とは私の願うところでもある。

 だが、ちょっと雨の降り方が変な感じがする。

 日中、ムシムシと湿度が高く、夕方に激しい雨が降る。まるで本州の夕立のように。

 それが今までとは違っているようで、気になるのだ。

 近年、暑い時期には、本州と同様の暑さとなる日が多い。去年など、それがかなりの日数、続いた。

 深夜になってようやく気温が下がってくることも、しばしば。

 本州から観光で来た人が「向こうとあんまり(暑さが)変わらない」という暑さも再三であった。

 ネットで、70年ほど前の平均気温というのを最近、目にする機会があった。

 小学生用の地図帳に載っていたものらしい。

 それによると札幌では、7月の平均最高気温が19℃。

 今とは5℃から10℃は違うだろう。確実に、温暖化している。

 クーラーを買うかどうか、ここ数年、迷っているが、いつまでガマンできるか。


6.7.11 研修会と懇親会で眠くなる

 昨日は網走支部の神職研修会があり、有意義な時間を過ごした。

 どんな内容だったかは公開してはいけないこともあるかもしれないので、割愛。

 行事があるたびに懇親会があって、それが私にはツラいのだ。

 いや、懇親会自体がイヤなのではない。私は酒を一滴も飲めないのだが、それでも懇親会は楽しい。

 きのうも講師の先生を囲んで、さまざま興味深い話をうかがってきた。

 各社の神職と話すことで未知の情報を耳にできるし、各自が最近抱いている問題意識や、今後の方策の案など、さまざまな収穫がある。

 では、何がツラいのか。

 翌日、眠いのがツラいのだ。もちろん研修会では眠くなることなどない。

 きのうは日付が変わる頃に帰宅。

 参加された方の中には、北見市内のホテルに一泊して早朝帰り、午前中に祭事を奉仕する、という人もいた。

 これが、けっこう普通のことなのだ。

 こうした機会があるたび、翌日に祭事があるという話は聞く。ウチと違って、どの神社も忙しいらしい。

 ふだんの私は、判で押したように毎日ほぼ同じ時間に起き、同じ時間に寝ている。

 それが夜更かしすることで、生活のリズムが乱れてしまう。

 研修会やそれにつづく懇親会に参加することには、生活にメリハリをつけるといった効能もある。

 一長一短、メリットがあればデメリットもあるということだが。

 それにしても、今朝はいちだんと眠かった。

 もう歳なのだろう。


6.7.9 参拝する人は客ではない

 神社に参拝する人は客じゃないのだが、客だと思っている人がいる。

 言葉を換えると、神社を商業施設だとカン違いしている人がいる。

 私どものような田舎の神社では、ほとんどいないのだが、都市部の神社では増加傾向にあるのではないか。

 飲食店を初め、他の施設等と同様、神社にもネット上のクチコミというものがある。

 コンビニ、チェーン店がここまで全国に広がっている現状の類推から、どこの神社も同じ、もしくはほぼ同じ、と誤解している人も多いのではないか。

 〇〇神社では~だったのに、この神社は……

 このようなフレーズ。他の〇〇神社と同じ〈サービス〉を別な神社に求めて、問題を起こす人もいるようだ。

 各神社で共通するのは、鳥居や拝殿、社務所などがあるくらいのもの。

 それにしたって「そう称する建築物がある」程度であって、形状も違えば配置も違う。

 全く同じ神社など、ひとつとしてない。国の管理下にあった時代じゃあるまいし、全く同じ対応などできない。

 観光スポットくらいに考えて訪れるのでもよいのだが、神社はまず礼拝施設なんだ、と認識してもらいたいものである。


6.7.8 祝詞が効き過ぎた

 予報では最高気温がグッとさがるので、暑さが一段落と思いきや。

 午前中からムシムシしていて午後、雨が降ってようやく涼しくなった。

 去年の6月から7月は降水量が少なく、8月は酷暑。そのため農作物には、かなりの悪影響があったという。

 今年は適度に雨が降り、今までのところどれもよい、と聞いた。

 氏子に農家が多いため、そういう話題をよく耳にするのだ。

 神主としては、ちゃんとやることをやっていれば神様の御加護がある、と思う。

 農業ならば天候もほどよく、風雨の害もなく、秋の稔りもたくさん、と。

 それはそうと毎年、豊作祈願のお参りしているところで「去年、効き過ぎたから今年はちょっと緩めて」との要望があった。

 祝詞の文言が悪かったのかもしれない。

 効き過ぎた、とは、はて……?


6.7.6 草との格闘戦記

 今年は除草剤をあちこちに撒いたおかげで、あまり草むしりしなくて済んでいる。

 去年はケチって、ほとんど撒かなかったので大変な目に合った。

 気を抜くと、あちらでも、こちらでも、どんどん草が生えて増殖していたのだ。

 神道では自然を大事にするんじゃないのか、保護すべきじゃないのか――そういう意見もあろう。

 だが、それは日本人と自然の関係、神道と自然の関係を誤解している。

 いわゆる里山、雑木林だって、定期的に人の手を加えないと大変なことになる。

 外来生物が繁殖する。害虫、害獣が大量発生する。素数ゼミがいっせいに孵化して騒ぎ立てる。

 神社にしたって保護するため手つかずで放置する、となると夏期、あっという間に草ぼうぼうになる。

 倒木が参道に横たわっていて、またいで拝殿へ進まなければならないような状況にもなりかねない。

 ある神社にお参りして、境内がサッパリ綺麗な印象を受けたとしたら、それはそこの人が十分、管理しているため。

 私はあまり管理がうまい方ではないし、ほかの事を優先してサボることもある。

 除草剤を撒かないところは、草刈り機を使うけれども――今年は草が伸びるのが、特に速いような気がする。

 去年もそう思った。

 年々、速くなっているのかもしれない。 


6.7.4 あいさつ回りをしてきた

 あいさつ回りに行ってきた。

 私にお祝いごとがあり、お祝いをいただいたので、そのお礼である。

 みな神社関係者、宮司さんだから、着いたらまず神社をお参りし、社務所に向かう。

 境内を歩いていると、各神社の個性があって興味深い。自分もこれしよう、これいいかもなんてことを多々、発見できるのは、お礼のあいさつ回りの副産物だ。

 午後、出発したので全部は回り切れず、3社の宮司さんに上げていただいて、お話ししてきた。

 おおまかに言えば、最近の状況を情報交換してきたのである。

 つまり、ここで書けるような内容ではない。

 道中、オホーツク海沿岸を通ってきた。

 途中に原生花園があり、エゾキスゲが満開だった。

 このあたりは夏の晴天下でも、海からの湿気でぼんやり煙っていることが多い。

 夕暮れ近い時間帯だったこともあり、ちょっと幻想的な光景だった。


6.7.3 平成16年は2、3年前

 日々に追われ、いつのまにか7月。いつのまにか、いつのまにかと言いつつ人は年老いていくのか。

 この間、年末年始など巫女をしてもらっている子が遊びに来ていた。

 どんな話の流れだったかは忘れたが、ふと何年生まれか聞いてみたところ、平成16年だった。

 平成16年といえば、感覚的には2、3年前だ。

 理性では2、3年前などではないことは分かっている。

 その間、さまざまなことがあった。周囲の人も、20年を経て変化していてそんな姿を目にしている。

 でも、感覚的には2、3年前なのだ。

 ひどいものである。

 それで最近は、どこかで時空が歪んでいるのではないかと、本気で疑っている。

(この20年の間、無為に過ごしてきたわけではない……はず)。

令和6年6月

6.6.29 エゾリスが親離れしつつある

 最近エゾリスが増殖して、恐らく3匹、境内を走り回っている。

 この3匹、母子らしい。小さい2匹は警戒心が薄く、何かの種やら何やら食うのに夢中なことがある。

 そんなときは、1メートルくらいまで近寄れる。

 今は子育ての最終段階だそうだ。自分である程度、メシを食えるようになっても、しばらくは親の側にいるという。

 ちょっと前、子リスがカラスにからかわれていた。親離れできるか心配だが、いずれ知恵をつけていくのだろう。

 今日は車の影が涼しいからか、腹這いになって休んでいた。

 どうも危機感が薄い。何かに襲われて食われるんじゃないのか。いつまでこんな状態が続くのか目下、経過観察中だ。


6.6.27 支部総代会が終わってホッとする

 きのうは支部総代会があり、午前中から深夜まで他出していた。

 頭の中身がノホホンとしているだけで、これでも多忙なのである。

 支部総代会、正式には「北海道神社庁網走支部神社総代会総会及び関係者大会」とまあ長い。

 うろ覚えなので、資料を確認し直して足りなかった言葉を補うくらい長い。

 それはともかく、私は支部事務局なので、諸準備をしなければならなかったのだ。

 関係各所より事業案、予算案、決算などを取りまとめて資料を作る。印刷して製本。

 当日使用する備品をチェックし、車に積み込む。

 司会を務め、トンチンカンなことをアナウンスする……とまあ、こんなふうに多忙だった。

 個人的な感覚なのだが、事務処理等の多さはこの支部総代会が最大。事務局の年間業務は、これで山場を越えたはず……そう、信じたい。いや、是非ともそうあって欲しいところだ。

 指折り数えてみれば、なんと支部事務局を仰せつかり6年目、1期3年だから2期目の最終年。早いものである。

 なんとなく慣れていたかなあ……というところで最終年を迎えた。

 たぶん支部員全員、私がこんな無能とは思っていなかっただろうし、来期は声がかからないと思う。 

 これで身も心もノホホンとなるはずだ。


6.6.23 神葬祭詞・祖霊祭祝詞の覚書

 自分の考えをまとめるために書く。

 神葬祭詞や祖霊祭祝詞の作文法をどう説くか。構成上ではこれらはみな、葬場祭詞以外、神祭式の祝詞と同じ。

 葬場祭詞ではこんにち、故人の略歴を申し、顕彰することが多い。これは本来(なのか?)、誄詞の担当ではなかったか。

 本庁の例文では、故人の略歴をあげるようになっていない。よって、現行では正調の葬場場詞と、誄詞的葬場祭詞とが並列していることになる。

 ひとつの祭祀につき、祭詞はひとつとすべき(遷霊詞は「詞」)。通夜祭で遷霊祭詞、葬場祭で発柩祭詞、埋葬祭詞など読むべきではない。

 となれば、葬場祭において葬場祭詞・誄詞をつづけて奏上することもない。二者択一となる。

 名称について。本庁の例文において祖霊舎合祀に際しては「祝詞」、以下、祖霊祭もすべて「祝詞」だ。

 産土神社への奉告、墓所地鎮祭を除き、それ以外はみな「祭詞」。

 難しいのは、一年祭が「祭詞」であること。三年祭、五年祭……は例文がのっていない。

 とすると同様に「祭詞」と称するべきだろうが、一方でそうした祭祀と並行して行われているはずの祖霊祭は「祝詞」だ。

 要するに、本庁の例文は、個々人の霊に対しては「祭詞」、(個々人を含む)複数の霊を対象にするなら「祝詞」とすべし――としている。だが、このような理解で、よいものかどうか。

 同じ祖霊舎前での奏上なのだから、名称の違いは「場所」によるものでなく、あくまで祭祀の対象がどうなのか、ということかもしれない。

 祭詞・祝詞の書き方を習得する際に問題になるのは、みたま祭り特有の語彙、とりわけ故人の略歴の書き方とその方法論だろう。

 要は、神祭式の祝詞が書けるなら、この点のみ、さらに習熟すれば「書ける」ようになる。

 両者は全く異なるものではなく、共通する語彙も当然、多数ある。定石らしきものはあっても、細部を表現する上で正解はない。それも同様。

 結局、神葬祭関連の作文で重要なことは、葬祭に関する語彙の習得ということになろう。

 それ以外に、神祭式の祝詞作文の習得と大きく変わる点は、ちょっと見つからない。

『諸祭式要綱』の祭式が古くなってしまったことによる混乱。

 同書では自葬を想定しているが、今はほとんどが葬儀場を斎場としている。

 だが、祝詞(祭詞)の内容自体は、そう古くなっていない。恐らく『要綱』の撰者、このような状況になると想定していなかったのではないか。

 ただし、官国幣社の神祭式の祝詞ふうなので、語彙は乏しい。そこは、過去の例文集をよく読んで学ぶしかない。

 しかし、昔から今に至るまで、下手な人はいるものである。祝詞作文の本を出しているような人にも。

 うまい、へたの見極めをどう伝えるか。フィーリングで「合う」「合わない」でも、よいかもしれない。

 歌語由来の語彙をどう考えるか。枕詞の使用、序詞や縁語を利用した比喩。

 使い過ぎると華美になるので、ほどほどに――なんていうが、こんなのは主観的な言い方だ。

 もし言及するなら(結局、個人の主観によるにしても)、ある程度の基準を示すべきだろう。


6.6.21 エゾリス増殖中

 おととしあたりから、エゾリスの姿をよく見かけるようになった。

 いつのまにか社務所周辺が行動範囲になって、徐々に数も増えている。

 授乳期らしいメスを見かけたと思ったら、新顔の子リスがもう走り回っている。

 国道沿いのクルミの木があって、それがお気に入りらしい。それを持って運び、社務所周辺で食う。掃除をしていると、あちこちにカラが転がっている。

 参道両側の木から落ちたマツボックリも、好んで食う。完食後のマツボックリの形状は、まるでエビフライのようだ。

 飼い猫二匹がときどきリスを見つけ、騒ぐ。

 むろん人間より発見が早い。私など猫が鳴き始め、その見ている方向を探して、ようやくリスの姿を認めるくらいだ。

 ところが、猫の反応が二匹で異なっている。なぜか片方は獲物を、もう片方は仲間を見つけたときのような鳴き方をする。

 最近ノラネコは見かけないけれど、彼らはリスも食っているのかもしれない。

 ノラの中には、子リスを育てているのも、いるかもしれない。


6.6.19 滝口康彦『薩摩軍法』(講談社文庫)読了

 このところ多忙にかまけ、あまり本を読んでいない。この前に一冊を読み通したのは一か月以上、前になるのではないか。

 本書は中二のとき転校することになった際、友人に贈られたものである。一読後、また別の友人に貸したところ、戻ってこず、今に至る。

 それが最近になって、ふとどんな内容だったか気になり、古書で求めたものである。

 本書は短編集で、七編収められている。時代設定は五編が戦国末、二編が幕末。

 今読んでみると、作者のストーリーテリングの巧みさに気づかされ、いささか驚いた。

 話の発端で謎を提示し、本題へと引きずり込む。山場があり、意外な結末を迎える。それがやや露骨な作品もあるし、注意して見なければ分からないものもある。

 主人公は一編を除き、みな大名ではないし、英雄ではない。薩摩が舞台だから島津家の面々は登場するも、脇役である。

 年端もいかないガキの頃は、戦国大名や幕末の英雄の活躍する様子に心惹かれたものだった。

 だが今は、登場人物がどう感じ、どう行動したかといったことの方が興味深く、それで作者の力量が並々ならぬものであったことに気づかされたのである。

 司馬遼太郎の作品のほとんどは、いわば大文字の「歴史」を描いている。話題作はみなそうだ。

 それに対し、こんにちではあまり名を知られてもいない作者は、小文字の「歴史」を描く。 

 余暇の楽しみとしての読書となると、結局は好みの問題になるのだろうが、私には小文字の方が人間の真実に迫っているように思われる。


6.6.18 服装に見る信仰心

 法人格を持っていて、神社本庁包括下にある神社では、神社本庁の規程に従うべきだろう。

 この規程というのがたくさんあり、私だって全然知らない。

 ただ、祭祀の執行についての規程となると、それなりに知っているつもりだ。

 例えば祭祀は大中小に分けられ、それぞれ着るべき神主の服装が決まっている。

 祭祀の大中小の区別は、御社殿の御扉を開ければ中祭以上、さらに神社本庁の幣帛を奉献するのが大。

 それ以外はみな、小祭である。

 服装は大祭では衣冠、中祭では斎服、小祭では狩衣または浄衣となっている。

 ところが最近、どうもこれが分かっていないんじゃないか、という宮司が出て来た。

 小祭なのに衣冠、という具合に。

 衣冠姿なのに御扉を開かない、神社本庁よりの幣帛をあげない、というのは御祭神への不敬だろう。

 本人の信仰心も疑われるところだ。この人、何考えてるんだろうね。


6.6.17 秋成と宣長

 上田秋成といえば『雨月物語』『春雨物語』など、読本の作者として知られる。今風に言えば両書とも怪談、だが文章が格調高いということで、三島由紀夫が絶賛したほどだ。

 江戸時代の人で、同時期に本居宣長がいる。

 秋成は一時期、執拗といってよいほど宣長に難癖つけていた。

 説くところはもちろんのこと、弟子をたくさん取って儲けている、だいたい(宣長の追究した)古道なんてハッキリ分かるもんかね……。

 創作の才能は、秋成の方があったろう。宣長は物語を遺さなかったし、和歌はほぼすべて信仰心の吐露が目的で、修辞技法には無頓着なようである。

 一方、学術的研究、カンの鋭さといったところでは、宣長に軍配があがる。こんにちにまで残る業績は数知れない。

 それに、三島が絶賛してはいても、実は秋成の作品、文法上の間違いが結構ある。

 これは平安時代中期を基準としての間違い、ということだが、宣長の方はほとんどミスをしなかった。

 私が若い頃は『雨月』をよく読んだし、秋成の宣長への難癖のつけ方が面白く、何となく応援していたのだった。

 だが今は、宣長の学問上の業績に圧倒されている。

 知性よりも、感性の配分が上回っていたためかもしれない。

 別に今、私が知性豊かな人間になったのだというつもりはない。感性がニブくなったのであって、知性の方が高まったとは思えないからだ。


6.6.15 なんと暖房をつけた

 きのうは内地で(北海道は外地である)猛暑日となる地点が多かったとのこと。

 しかし当地では、この時期としては寒い一日だった。

 春季例祭のうちの宵宮祭を斎行したのだが寒くて、なんと暖房をつけたのである。

 古参の神社関係者の方に「春祭でストーブつけていたこと、ありますか?」と聞いた。

 すると「あるにはあるけど、もう何十年も前だなあ」とのこと。

 最高気温が15度くらい、晩にはたぶん10度を下回っていたのではないか。

 きょうは一転して夏日の予想。一気に最高気温が10度ほど上がる。

 ビニールハウスの野菜はこれまでのところ、みんないい――との声を聞いた。

 タマネギは順調、ビートがちょっと小さい。また、水田の水温が上がらない。

 これは農家さんの話だ。

 一方、家庭菜園、趣味で畑づくりをしている人は「寒い日が多くて、ダメだなあ」という。

 この神社の宮司を拝命して7年になるが、春祭で暖房をつけたのは初めて。

 そして、氏子に農家が多いためだろう、気候の変動に、敏感になったようである。


6.6.13 雨降って国旗おろす

 最近、気候が不安定だ。天気予報があてにならない。

 北見市は広い。石北峠からオホーツク海まで、100キロほどの距離がある。

 私が住む場所は市街地の西にあるため、ネット上の天気予報で「北見市」の設定にすると、予報よりも早く雨が降り始めることになる。

 住所をピンポイントで設定できるサイトを見ることにしたが、事態は変わらない。

 毎朝、国旗をあげ、晩に下げている。

 雨天、雪のときは掲揚しないので、朝、まず天気予報を見る。

 今日の場合、現時点では雨が降っていないけれども、正午頃より降水確率があがっている。

 それで、今日は国旗をあげないと判断する。このようなちょっとした判断を、毎朝しているのだ。

 降ると判断したのに、降らなかった――というのは、よいのである。

 降らないと判断したのに降った――となると、慌てて国旗を降ろさねばならない。

 雨天では掲げない、ということの他に、濡れた国旗を乾かす必要があるからだ。

 このあいだ、外出中に急に雨が降り、止んだ(らしい)。帰宅したときには全然、そんな様子はなかった。

 妻に聞かされたのである。

 国旗は仕舞われていた。


6.6.12 スーパー手水舎構想

 手水舎を花、その他で飾り「花手水」と称するのは、もう定着してしまったようだ。

 これは本来いう「花手水」ではない。本来の「花手水」を知らないで、かかる装飾をしている神職を私は軽侮する。

 飾るにしても、在来種の花や、和物で揃えた方がよいと思うのだが、そんなコダワリのあるところはないようだ。

 一般人の中にはもう、手水舎を飾り立てない方がおかしいような言いぐさをする者が現れている。

 せっかく手水舎を飾るなら、大工事を加えればよいのではないか。

 鉢巻、フンドシの自販機を置く。センサーの下に立ったら、全身に水を浴びることができるようにし、禊も可能。

 手や口だけすすぎたい人用に、歯磨きセットも置く。当面はホテルなんかによく置いてある、使い捨てのものでよいだろう。

 花の管理が大変だから、入口を除く三面に液晶ディスプレイを置き、花の画像を絶えず映しておく。

 天井には画を描いておこう。十二支でもいいし、季節の花でもよい。

 スピーカーを設置し、祓系の祝詞を流す。祓詞、大祓詞はもちろん、天津祝詞、六根清浄大祓などにも対応。

 御幣を舗設して拝礼できるようにし、祝詞の本文もパネルで用意しておく。玉串も置いておこう。

 端末も置く。タッチパネルで、おふだや御守などを選んでおけば、すぐに社務所から誰かかれか、持ってくる。

 柄杓を手にしたら、おみくじがどこかから出てくるようにもしよう。

 おみくじは全部、大凶で、気になるならお祓いを、などと書いておく。

 ここまで書いておいてなんだが、私の奉務神社では昨今いうところの「花手水」はしない。

 最近は近くの子供が来て、水盤の水をすくって遊んでいる。カラスも来る。これを追い払う。

 それでいいと思っている。


6.6.11 神職の地位もインフレしたのでは

 終戦直後のインフレは、すさまじかったらしい。

 5年間で70倍ほどに物価があがったというから、ひどいものである。

 現在もインフレだが、仮に令和に入ってコンビニ弁当1,000円が70,000円に、ペットボトルのお茶150円が10,500円に……なったようなもの、と考えると、そのひどさが理解できる。

 いや、私が言いたいのは終戦後、神職の地位もインフレしたのではないか――という仮説である。

 そして、その度合いは、こんにちの神道界にとり、よくなかったのではないか。

 昔、小さな神社の責任者に、社司、社掌がいた。社掌は他の神社にいる社司の監督を受ける、ということもあった。

 大きな神社でなければ、宮司はいない。

 服制では、袍の色。上から黒、赤、緑で変わらないが、例えば赤を着られるのは奏任官待遇の者であり、これは高等官である。

 こんにち、神社本庁包括下の神社に勤めている神職では、赤い袍は2級が着ることになっている。

 だが、現在2級の神職はザラであって、かつての奏任官の数よりはずっと多いはず。

 大切なのは中身だが、終戦直後に中身もインフレしたとは、残念ながら言いがたいのではないか。

 こうした服制も、まあ「戦後レジーム」なのだろう。今さら地位のデフレもない。

 私の現在の神職としての地位を祖父母に告げたら、驚くはずだ。

 もう全員、帰幽してしまったけれども。


6.6.10 過去と完了

 現代日本語では、過去と完了を同じ助動詞「た」で表すことができる。

・ごはんなら、もう食べよ。

・午後七時過ぎに、ごはん食べ

 過去ー現在―未来のどの時点での話なのかを表示するのが時制(テンス)。

 それと、その動作が行われる前なのか、途中なのか、すでに終わっているのか(アスペクト)が、くっついてしまっている。

 日常会話では過去だ、完了だ、なんて、いちいち考えない。

 ただ、ときどきあるフレーズが問題になったとき、考える手がかりにするといいかもしれない、ということはある。

・御注文は以上でよろしかっでしょうか?

 これを「なぜ過去なんだ、よろしいかどうか聞いているのは今だろう」と目くじら立てる人がいるけれども、完了と考えれば腹を立てる必要はない。

 注文の品を本人の目の前に置いたことで、注文が完了している。その確認をしているわけだ。

 北海道では晩のあいさつを「おばんです」という人がいる。「お晩です」ということだろう。これを、

・お晩でし

 という人もいる。これも、過去のことではなく完了である。

 助動詞「た」が過去の意味のみ、と考える人は一定数いるらしい。そんな人は上記の二例、「過去なんだから間違いだ」なんていう。

 この「た」は、もともと古典語の助動詞「たり」から来ているらしい。意味は完了。

 完了の「たり」がいつのまにか過去の意味を、吸い取ってしまったわけだ。こういうことを、学校でもっと教えればよいと思う。

 くりかえすと、現代日本語では過去と完了を同じ助動詞「た」で表す。

・I  lost her love.

・I  have lost her love.

 では、日本語にするとどちらも「私は彼女の愛を失った」で区別がつかない。

 前者は、ただ過去に愛を失ったと言っているだけなので、このことばを発した時点ではどうなのかまでは、わからない。

 愛を取り戻した可能性だってある。そのままかもしれないけれども。

 だが後者、完了ならば、このことばを発した時点で、彼女の愛を失った状態が続いているのが、ハッキリしている。

 現在完了形が出てきた段階で、キッチリこのあたり、教えるべきだろう。

 他言語との違いを通じて、母国語の特徴を理解できるというのも、外国語学習の利点だからだ。

 コミュニケーション能力の向上に、気を取られてはいけないよ。


6.6.9 リストアップの効能

 「これ、やらなければならない」「明日までにこの書類、仕上げなきゃ」

 などと考えると、なかなか行動に移せず、ギリギリまでやらないといった事態に陥りがち。

「ねばならぬ」という言葉を行動のあとにつけてしまうと、他者への義務感が出てきたり、自分の責任に注目してしまうから――と聞いた。

 私など若い頃からグータラ人間なので、いかに自分を騙すかといったことについて長年、研究を重ねてきた。

 そして、やらねばならないことをリストアップして、しかも「やらねばならない」と考えないのが最良、との結論に達した。

 そもそもリストアップ自体、主体的な行為だ。そこに優先順位をつけるのも、よいだろう。

 リストを見て「あー、これやんなきゃ」との言葉が思い浮かんだら、「これ、選んだのオレだよな」と即座に打ち消す。

 人に言われて(人への義務感から)やるのではなく、これから自ら進んでやるのだと思い込ませる。

 そうして実行後、リストを線で消す。最初のうちは、何を書いたか分からなくなるくらい、筆圧強く、とにかく見えなくなるまで消す。

 指先で達成感を味わうわけだ。

 天才ならば頭の中で、上記すべて完結させられるだろう。でも凡人は違うのだ。

 これは脳のリソースの問題だろう。たいていの人間は、仕事だけに集中して生きられない。

 他のことも、いっぱい考えなければならない。

 今、昼飯は何だろう、眠い、アマゾンで頼んだあれ、いつ来るんだっけ、などと考えている。

 どうやらこの「他のことも、いっぱい考えなければならない」ことについても、いっぱい考える必要がありそうだ。


6.6.7 読書にまつわる思い出

 高校生の頃、長期休暇ごとに読書感想文を書かされた。

 国語科の長老的な先生が、熱心だったようである。この先生の退職後、感想文は廃止されたという。

 私の周辺では、感想文を書くのが苦手、嫌がる人が多かった。一方、私は文章を書くのが苦にならない。

 それで休みがくるたびに私が金を取って、代作をすることとなった。

 といっても、本を買うのにかかる程度の金額。タダ働きのようなものだが私の手元には、本が残る。

 今でも当時の本がけっこう残っていて、私の中では価値が高い。思い入れもあるし、内容もよく憶えている。

 逆に、特に社会人となって以降、自由に金が使えるようになってから買った本は価値が低い。

 古本として売ったとしても心が痛まないし、内容を忘れているものも多い。

 今は必要に迫られたり、目的があったりして買うことがほとんど。本屋に行っても、ちょっと心がひかれたという程度では買わない。

 少ない小遣いをやりくりして買い求め、何度も読む――そんな頃が懐かしいけれども、戻りたいとは思わない。

 ただ、純粋に読書を楽しむことができなくなったのは確か。歳をとったということか。


6.6.6 素人くさい神主もおり

 今日も六月としては寒い日だが、ゾロ目ということでか御朱印の方がちらほら。

 それで参拝者から、遠近問わずさまざまな神社の話を聞く。

 御朱印めぐりをしている方は、ネットで事前調査することが多い。最近は年配の方もそうだ。

 SNSやホームページ、寺社に特化したページもあるらしい。

 私はほとんどそういうのを見ないので、たまに話を聞いて虚をつかれたこともある。

 ある神社で、葬式の御奉仕をしたと言って、斎場の画像をあげていた。

「謹んでお悔やみ申し上げます」とか何とか、ことばを添えて。

 葬儀用の服(鈍色の衣冠だろう)を着た自撮り画像も。

 神職としてはちょっと信じられない行為だけれども、その人が嘘をつく理由もない。

 古代風に言えば、喪をふりまく行為だし、ネットとなればその対象は不特定多数になる。

 古代風にと言うあたり、実は神職にとっては大事なのだ。

 自撮りする感覚も、理解しかねる。いや、自撮り自体はよいが、それをネット上にあげるのが理解できない。

 カッコイイとでも思っているのか。まるでコスプレ感覚ではないか。

 喪についての理解不足、自撮りをあげるところに、ほの見える自意識。

 一般人が、葬式に行ってきましたと言って、個人の悔やみを述べ、喪服を着た自分の画像をあげるのとは、訳が違うのだ。

 もしこれが本当の話なら、その神職、実に素人くさい。

 まあ、私も素人に毛が生えたようなものである。それで、いまだに髪が薄くなっていない。よかった。


6.6.5 寒い日

  けさ、外でお参りがあって車に乗ったとき、寒いので暖房をつけた。

 現地は会社の事務所。そこでも暖房をつけていた。

 雨降りで気温があがらない。

 去年植えたシバザクラが、ポツポツと花を咲かせ始めた。たまに雨が降るので、追肥はしても、水やりはしていない。

 午後からは、ときどきコーヒーの飲みつつ、のんびり、ゆったりと祝詞を書くつもりである。

 なぜか知らないが(本当は分かっている)いつのまにか溜まり、来週までに4折、書かなければならない。


6.6.4 5年ぶりに札幌に行く

 用事があって、札幌に行ってきた。

 2日午後出て、札幌に宿泊、翌日用を済ませ、帰ったのは18時半頃。

 予定が詰まっているので、トンボ帰り。どこにも寄らず。私は酒を嗜まないので、ススキノに繰り出しもしなかった。

 札幌までは高速を使っても、4時間ほどかかる。

 オホーツク紋別道から旭川で道央道に乗るのが最短。行きはそのルートで行ってきた。

 走りやすいと聞いたことがあるので、帰りは道東道を使ってみた。

 高速道路自体は、確かに走りやすい。道央道に比べ車が少なく、道もよい。

 ただ、一般道に下りたあとはガタガタの道が多く、結構ストレスであった。

 ナビで出て来る候補に、石北峠を通るルートも出てくる。こっちの方が近いという人もいるくらいで、時間はオホーツク紋別道を使うのと、そう大差ない。

 だが、なぜかこのルートは使ったことが、ほとんどない。

 私は高いところが苦手なのだ。ついでに、出不精なのだ。できれば家にいて、全部用事が済むなら言うことなし。

 札幌を訪れたのは、なんと五年ぶり。コロナもあったが、出不精も関係している。

 次に札幌に行くのも、五年後以降になるかもしれない。


6.6.2 大安の日曜日

 なぜかこの神社、日曜日より土曜日の方が忙しい。

 参拝者が多く訪れるし、御祈祷もどちらかと言えば土曜日の方が多い。

 大安や仏滅など六曜を気にする人は、少ないようだ。

 祭事の予約を受けるときなど、仏滅の日を指定されたらそれでよいか一応確認するものの、私も気にしない。

 六曜は神道には関係ないですよ、というのだが、中には「それじゃ神様も何もなくなってしまう」と答える人もいるので、加減が難しいところだ。

 最近の神道界では、一粒万倍日、天赦日など陰陽道起源の好日をアピールするようになってきている。

 そのうち「今日お参りしたら、一万日参拝したのと同様の御利益がある」などと言い出すんじゃないか。

 私の奉務神社に関係してこない限り、よその神社でどう考え、何をしようが、私は口を出す立場にはない。

 その神社には、その神社の考えがあり、尊重しなければならない。

 ただ、特に都市部の神社では、参拝者を増やすためには手段を選ばないようになって来ている――田舎にいて、そう思う。

 さて、今日の六曜はなんだっけ……。なんと! 大安ではないか。

 それでも昨日ほど忙しくはないと、予想する。


6.6.1 西暦を使わない神道界は遅れてる

 最近、若い神職が「西暦を使わない神道界は遅れてる」と話していたと聞き、絶句した。

 実際にはズレがあるにせよ、西暦はキリストの生誕年に由来する。だから、神社では使わない。

 という――神道界の常識なのだが、単に無知なだけなのか。それにしても、ちょっと考えれば分かりそうなものだ。

 最近の若者は「納得させなければならない」らしい。

 だが、他人の考えを聞いて、それで初めて自分も考えだすというのなら、どうだろうか。

 若者には一から十までいう必要はなく、せいぜい五くらいまで、納得させる必要はないと思う。

 そうして、主体的に考える機会を、どんどん与える方がよいのでは。

 なぜ西暦を使わないのか、逆になぜ和暦を使うのか――という疑問を提示するくらいでよい。

 そこから思考をスタートさせることができるのだから。

 または、そのような問いが生まれるよう、きっかけを作るのが大事だ。

 こう考えてみると、数十年後、数百年後の人類は「思考する人」「人の思考に乗りかかる人」に二分するのではないか。

 ただ、人の思考に乗りかかるのは楽ではあろう。

令和6年5月

6.5.31 時間管理についての反省

 あっという間に5月も終わりである。ビックリである。

 神宮へ研修に行っていて、その間、神社のことをしなかったからか、一週間ほどポッカリ抜けている感じがする。

 その分、やることが山積みだ。だが「忙中閑あり」、スキマ時間に休憩するつもりが、スキマじゃないほどダラダラすることも多かったような気がする。

 私はある作業について、実際よりも長くかかるよう見積もる傾向がある。

 思ったよりも、作業時間がかからないことが多い。それで、スキマ時間ができて、ダラダラすることになる。

 ダラダラ状態が、次にしなければならないことを始める時間を超過することになる。

 むしろ「何時から何時までこれをする」と決めるとき、その時間ではちょっと終わらないような内容を盛り込む方がよいかもしれない。

 時間の管理するのは、なかなか大変だ。


6.5.30 リスク管理

 私のような田舎の神社では、年間の社入の多くを年末年始に依存している。

 それで年末年始には体調管理に、より注意を払わなければならない。

 その一方、私に何かあった場合、非常に困ったことになるのはハッキリしているので、年末年始以外の時期、何とか社入を増やそうと考えて今に至る。

 つまりはリスク管理である。

 年末年始とそれ以外の社入の割合は、赴任当初おおむね7対3から6対4だった。

 コロナ期には、これが5対5に迫り、努力してきた甲斐があったと喜んでいたのだが。

 今年の年初は、また6対4くらいに戻った。

 コロナ明け、以前の状態に戻ったということだろうか。

 年末年始とそれ以外、と分けて考えること自体、無意味なのかもしれぬ。


6.5.29 田舎の神社の宮司に求められるのは

 私のような田舎の神社の宮司には、どんな能力があればよいか考えてみた。

 もちろん、自分のことは棚にあげている。

 まずは、コミュニケーション能力だろう。特に田舎では、人と人とのつながりが深い。人間関係が濃い。

 神主は「よいことを言う仕事」くらいに考えてちょうどよく、悪口などもってのほか。

 褒められて怒る人はいない。怒る人がいたとすれば、それは褒め方が悪いのだ。

 コミュニケーション能力をあげたいなら、人格を高める必要がある。

 これが大袈裟に聞こえるなら、倫理観をしっかり意識することと、言い換えてもよい。

「神主は清く正しく……」と考える人は多いだろう。

 賭け事はせず、酒は度を越えず、異性とは距離を保つなどなど、言動ばかりでなく行動も気をつけねばならない。

 これらに比べると、神道に関する知識の有無や、祭祀の執行については実は二の次なのではないか。

 一般の人は「ここで小揖、あそこで深揖、進左退右、起右坐左」など細かいことは知らない。

 神主の挙措全体の雰囲気から、ちゃんとしているかどうか感じるくらいだろう。

 ただ、その人の癖を含め、お作法に人間性が現れることも確か。そうすると、人格にも結局かかわってくることになる。

 まあ、真面目にやることですな。このホームページの「今月の神道のことば」のように、「慎みて怠ることなかれ」ですよ。


6.5.28 藤井名人が名人位を初防衛

 藤井聡太名人が名人位を初防衛したとのこと。将来、歴史に残る大名人になるのは間違いない。

 藤井名人の棋譜を見ていると、どれも面白い。

「そんな手があるのか」「まさか、そこでそんな手を指すのか」と、ど素人なりに(ど素人ゆえか)驚きがある。

 実は、私は申請すれば初段なのである。

『将棋世界』誌に毎月のっている問題を解いて送り、規定の点数に達したところで、そのまま放置。

 そのうち将棋熱が冷めてしまった。

 今は、たまにコンピュータ相手に指す。いいところ、5、6級くらいだろうと思う。

 かりに免状を取る気になって、飾っておいたとしても、実力にはほど遠いわけだ。

 免状には、竜王位、名人位、将棋連盟会長の署名がなされる。

 会長は現在、羽生九段。藤井名人は現在、主要タイトル戦をすべて制覇している。

 つまり、羽生九段と藤井名人のお名前が並ぶことになるのだ。

 羽生九段とて、大名人。お二人の署名のある免状には、ちょっと心ひかれる。


6.5.27 なぜだか忙しくなってきた

 毎年この時期、いろいろとやることが山積みになり、それに追われている。

 先回り、前倒ししてしておけばよいようなものだが、なかなかそうもいかない。

「まだ早いだろう」と思っているうち、急な用件が入り、それを最優先にしなければならないといった事態も起こりうる。

 その結果、複数の用件が並行することになる。

 なんかやることが溜まって来たなーと思うと、なぜか部屋を掃除したり、片づけたりしたくなる。

 それこそ後回しでよいのだが、身の回りがスッキリしていないと何をやるにしても、はかどらないような気がするのだ。

 きのうも、草刈をしてしまった。

 来月の春祭前までに刈っておけばよいのだから、優先順位はそう高くない。

 多忙といっても、食事や睡眠の時間を削るほどではなく、本当に多忙な人にしてみれば遊んでいるようなものだろう。

 今日は涼しく、曇り空。草を刈ろうか。


6.5.26 カッコウ鳴く、雪が降る 

 3日前の朝、カッコウが鳴いているのを聞いた。今季初、例年よりも早いようである。

 カッコウは初夏の風物詩というのに、昨日、おとといと冷え込み、峠では降雪、積雪。

 5月後半では、稀有のことだ。

 けさは快晴だが、風が強い。上空の鳥が飛ばされている。

 神社委員の人と話したら「今年は平均2度、気温が高いらしいよ」と。

 昨年以上の暑さを覚悟しなければならないようだ。

 だが、今年はそれ以上に、いつにもまして気候が極端なのが気になる。

 特にお年寄りから、身体にこたえる、身体がついていかない、という声が聞かれる。

 私は今でさえ身体にこたえている。一日中、寝て暮らしたいくらいだ。

 親のスネをかじって、好き勝手なことをしていた頃が懐かしい。

 親には、感謝のほかない。


6.5.22 除草剤をまき、シラカバ花粉舞う

 きのうは最高気温が10度に届かず、降雨もあり、たいへん寒い日だった。

 同じくらいの気温が続くなら、そう寒さは感じない。

 寒暖の差が激しいのが問題。北見名産のタマネギにはよいらしいのだが、お年寄りは「身体がついていかない」と言っている。

 ただ、雨降りの日は除草剤をまくのによい。地面に染み込むからだ。

 光合成を阻害するタイプで、環境に悪影響を与えないという触れ込みの除草剤を買ってきて相当量、まいた。

 これまであまり除草剤を使わず、マメに草むしりしていた時間を短縮、楽になるはずである。

 今年はなぜか、シラカバの花粉が多い。

 朝、賽銭箱のフタの上を綺麗に払ったのに、夕方にはもう降り積もっている。

 花粉の色は黄色。きのう、あちこちの水たまりにオガクズが溜まっているなと思ってよく見ると、花粉だった。

 境内周辺、そこそこシラカバが立っているが、今までこんなことはなかった。

 天気予報ではエルニーニョと言っているが、夏、暑くなる兆候だろうか。


6.5.21 源氏を読もうかなと

 今、買うかどうか迷っている本がある。

 小田勝『源氏物語全解読』(和泉書院)だ。最近、第一巻が出て、桐壺から夕顔までの4帖を扱っている。

 源氏は全54帖、『全解読』は15巻で完結の予定だというから、全巻通して読み進めるとしたら長いつきあいになるのは間違いない。

 A5版で608ページ、単純計算で1帖につき150ページ。ただの語釈にとどまらず、なぜその訳になるのか文法的な説明も付しているとのこと。

 実は、私は筆者の後輩なのだが、源氏は読破していない。

 源氏は長い。実際「須磨」「明石」で飽きる人が多いそうで、世に「須磨源氏」「明石源氏」と称している。

 失脚したくせに、源氏は須磨やら明石やらで悠々と過ごし、現地妻をこしらえてその父にも気に入られる。

 このへんでつまらなくなり、帰京することになったあたりで頂点に達し、読むのを止めてしまった。 

 日本文学科で古典を専攻するなら、源氏は何を置いても読み通さねばならない。

 神職が古事記を、マルクス主義経済学者が共産党宣言を読破しないようなものだ。

 近代の小説を専攻したから、源氏なんてと若い頃の私は思い上がっていたのだが、今さらながら若いときにこそ読んでおくべきだったとも思う。

 お値段9,900円。内容から見て、妥当だろう。とはいえ、買うとしたらどこから捻出するか。


6.5.20 草刈り初め

 すくすくと草が成長し、見映えが悪くなってきたので草刈りをした。

 器械で刈るのである。まずは準備として、混合油がないはずだと、確かめもせず買ってきた。

 いざ作業に移ろうと物置をゴソゴソしたところ、二缶出てきた。足りなくなりそうなのは、ナイロンカッターの方だったのだ。

 要領が悪いのだろう、ナイロンカッターはすぐに短くなって用を足さなくなる。消耗品とはいえ、その消耗の具合が非常に激しい。

 ほとんどはイネ科の牧草で、そんな頑丈な草が生えているわけではない。

 暑いから汗もかくし、疲労する。寒い時期の作業ならよいが、もちろん草は伸びていない。

 昨年10株ほど植えたシバザクラのうちの一株が、最近ようやく花を咲かせた。

 たった一株である。生えてほしくないところは生え、咲いてほしいところは咲かない。

 うまくいかないものである。


6.5.19 明治時代の文法の揺れ

 戦後まもなくの頃まで、公用文は古典文法にのっとって書かれていた。

 昔の人は、我々よりも古文を書くのが上手かったのは確かだろうが、完璧だったかというと、実はそうでもないのである。

 平安時代の文法を基準に数百年もの間、文章を書いてくれば当然、誤解する人もいるし、間違える人もいる。

 それがどんどん積み重なってくると、なんだか平安時代からそう書かれてきたような気がしてくる。

 こんにちの我々から見て、いかにも古文の表現らしい、正しい文法で書かれているように感じられても、実はそうでないことも多くなってくる。

 明治の終わりごろ、そんな文法の揺れを「これはもう、認めようじゃないか」となった。

 驚くなかれ、文部省から告示が出されたのである(明治38年12月2日、第158号「文法上許容スベキ事項」)。

 以下は同告示にある例で、傍線部が誤用。「→」の右が「正しい」表現である。


・一日、家にをる。→をり

・人を恨まず。→恨みず

死ぬとき。→死ぬる

・火災は二時間の長きに亘ちて鎮火せざり。→き

・手習さす。→せさす

・評さる。→せらる

・最優秀者にのみ褒賞を得せしむ。→得しむ

・唯一遍の通告を為せしに止まれり。→為しし

・父に似たる母に似たる。→父にや似たる、母にや似たる

・いかに批評せらるるとも、→らる

・月出づると見えて、→出づ

・宗教と道徳関係→道徳との(「AとBと」の形式が本則)

・期限は今日に迫りたるも準備はいまだ成らず。→たれども


 誤用とは感じられない例ばかりだ。「そう言われてみれば、間違いだなあ」と思う程度。

 ことばの正しさとは、一体何なのか。

 あることばを意味上、明らかにおかしい使い方をしていれば、間違っていると言える。

「鎮火しなかった」と言いたいところ「鎮火せざるらむ」としたなら、全く別な意味になってしまう。これは単純だ。

 だが、変化した言い方を間違いとし、それ以前の言い方を正しいとする態度もある。これはどう考えるのか難しい。

 ただ、文語文の書き方の揺れ、変化はほとんど起きないと言ってよいだろう。

 書き手がほぼ、いなくなってしまったからだ。


6.5.18 ひさしぶりの大雨

 伊勢より帰って以来、好天つづきだったのだが昨日の午後、雨が降った。

 夕立ほどではないものの、急に空がかき曇り、強めの雨。

 大気の状態が不安定だったのだろう。つまりは寒気が上空に入ってきたらしい。

 下が暖気で上が寒気だと、暖気は上に行こうとするし、寒気は下に行こうとする。

 対流が起こって雲が発生し、雨が降る――ということらしい。

 北見に住んでもう八年目になるが、この時期の天候としては珍しいことだった。

 けさは晴れている。日中はエゾハルゼミが、かまびすしい。田んぼに水が入ったので、夜はカエルだ。


6.5.17 記憶違い

 最近、近くの神社の宮司と話す機会があった。

 静岡あたりの神葬祭は、出雲大社教の影響を受けているらしい、とのことだった。

 そこで私は明治6年の『葬祭略式』所載の祝詞を、コピーで持っていると話した。

 同書は出雲大社宮司・千家尊福の著書。神葬祭の次第がまだ確立していなかった頃に、いちはやく公刊されたもので、後世に与えた影響も大きい。

 同書、おおまかには「祭式の部」と「祝詞の部」とに分かれる。

 ところが、あとで調べてみると祝詞ではなく、祭式の方が見つかったのだ。

 完全な記憶違いである。

 こうなると祝詞の方が気になってきて、ネット上で公開されていないかと探したのだが――ない。

 なぜコピーを取っておかなかったのかと、悔やまれる。


6.5.15 専門家でも間違える

 敬語について考えるとき「誰から」「誰への」敬意なのかが、問題になることがある。

 これを「敬意の方向」とか何とか言うことがある。

「誰から」はその発語者。物語などでは筆者から。その中の登場人物が敬語を使ったなら、その登場人物からの敬意だ。

「誰への」は、尊敬語ならその動作を行った人。謙譲語ならその動作がかかっていく相手――ということになる。

 祝詞の一節に、

 神漏伎命・神漏彌命以ちて「我が皇御孫命は豊葦原の瑞穂の国を安国と平けく知ろし食せ」と事依し奉りき

 とあって「知ろし食せ」「事依し奉りき」の敬意の方向を見るならば、

「知ろし食せ」は神漏伎命・神漏彌命から皇御孫命への、「事依し奉りき」はこの祝詞の奏上者から皇御孫命への敬意である。

 ところがですよ。

 最近、この一節の解説をされた大学の先生が、どちらも神漏伎命・神漏彌命からの敬意と仰った。

 そして、なぜ神漏伎命・神漏彌命が皇御孫命に敬意を払うのか、と話をつなげていったわけですよ。

「誰から」がゴッチャになっているわけだが、「誰への」の方はこの場合、同じ。

 話の大筋としては、問題ない方向に進んでいった。

 この先生、国語学専門。そんな先生でも、間違えることがあるので面白い。

 面白いが、それからあとは話半分に聴いたことであった。


6.5.14 中堅神職研修が終わった

 また研修で伊勢に行って来た。

 前泊・後泊合わせ一週間。留守中、各所に御迷惑をかけた。

 帰ってくると、居室から見える桜はとうに散り、裏のグラウンドは一面のタンポポ。

 北国の春、一週間でガラリと様相を変える。

 今回は大まかに言うと、禊や鎮魂行法、それに加えて講義形式で6科目を学んだ。

 会場は神宮道場。耐震工事、それにコロナのため、しばらく通いでの実施だった。

 それが今回より合宿制に戻った。参加したのは、その初回ということになる。

 私は前回、近くのホテルから通って受講したのだったが、今回は泊まり込み。

 珍しい経験をしたというべきか。

 通いだとホテル等で夜、ひとりになれる。

 合宿だとそんな時間がないが、その分、同室の人たちを初め研修生同士、交流を深められる。

 私はそう人づきあいの上手い方ではないものの、合宿制の方がよいと感じた。

 もうヘトヘトのヘロヘロ、それでも、とにかく中堅神職研修をすべて修了したことになる。

 泊りがけで長期間の研修、たくさん神主のいる神社では行きやすいけれども、私の場合、なかなかそうもいかない。

 伊勢は遠いけれども、やはり研修に行くだけの価値はあった――というのが、偽らざる感想である。


6.5.8 なんと雪が降った

 ビックリだ。

 けさ、雨が降っているなあ……と、窓の外を眺めていると、何か白いものが舞っている。

 どこかで火を燃やしていて、その灰が飛んできたかと思いつつ、よくよく目を凝らすと。

 雪だった。

 この時期に雪が降るのは、まれにある。天気予報でも、雪混じりの雨と言っていた。

 窓の外のチシマザクラは花を落とし始めたものの、まだまだ「見れる」。

 そのチシマザクラにも、雪が降っている。

 ちょっと幻想的な光景だった。


6.5.7 入門か実践か

 祝詞作文のために、古典文法の入門を――と考えて構想中。

 構想の域を全然、出ない。モヤモヤして形にもなっていない段階を含めると、もう三年ほどになるか。

 ①実践的な内容でなければ意味がない、と思うので、作文の知識となるようなことを盛り込もうとする。

 ②高校までで教えている文法が、平安時代中心である。

 この二点がネックになっているのは、自分でもわかっている。

 祝詞の表現は平安以前寄り。

「~しないのだなあ」「~しなかったのだなあ」というとき、平安時代には…ザリケリというのが普通。

 ところが平安以前は、…ズケリ、もしくは…ケラズ、という方が普通。

 試みに万葉集で全文検索をかけてみると、…ザリケリは一例もなかった。

 実作上は、どちらでも問題ない。目くじら立てる人も、いないだろう。

 このような言い回しが必要になるのは、恐らく神葬祭、霊祭だろうから、それほど問題にならない。

 と、こう書いてきて気づいた。

「入門」と「実践的な内容」は両立するのが難しい。

 当たり前のことである。

 この三年ほどの時間、何だったのだ。


6.5.6 知識を得ることは

 人様にモノを教えて、メシを食っていた経験から。

 相手にとって未知のことを既知に変えるのが、どれほど難しいか。

 できる子に勉強を教えるのは簡単だし、楽。できない子に理解させるのは、より難しい。

 同じ理由から、高校生より小学生に教える方が技術もいるし、工夫が必要になってくる。

 子供に子供だましは効かない――とは、藤子・F・不二雄のことばだったか。

 ところが、教育業界では、教える側に必要とされる知識に対価を払っているフシがある。

 扱う内容が高度になってくるから……ということだろう。

 高校生の授業料の方が、小学生よりも高い。予備校や塾でも同様、講師の時給も高い。

 一般にはもう、知識を得ることよりも、その知識をいかに見つけだすか、どう取捨選択するかの方に、比重を移している。 

 ネットで検索すれば、その知識にすぐたどり着くことができるから。

 学校でも、情報の時間を設け、タブレット端末で子供が勉強するようになったけれども、後追い感は否めない。

 文科省の方針に左右されるから、致し方ないのかもしれない。

 まあ、流行を追いかけ、すぐに乗っかる教育行政というのもイヤだ。

 それでも、パソコンを、ブラウザを起動し、検索する手間がかからない分、知識をアタマに保持しておくのは価値あることだ。

 いずれ揺り戻しがあるのでは、と思う。


6.5.5 チシマザクラは強いぞ

 風が強い日がつづき、桜の花びらがだいぶ散った。

 葉っぱが目立つようになってきたものの、神社の裏手、北側ではまだ花の方が多い木が並んでいる。

 昨年は5月4日に結婚式があり、終了後に強風が吹いてあらかた散ってしまった。

 今年の方が若干「持ち」がよいようだ。

 この桜、チシマとエゾヤマの二種。チシマは白っぽく、エゾヤマはピンクに近い。

 強いのは断然チシマの方で、強風がつづいた中でも花びらを散らさず、今なお満開のままである。

 神社周辺の桜はほとんどエゾヤマで、もう見頃は終わったとばかり、訪れる人もぐっと減った。

 居室の窓の外にもチシマがあり、これは今や私専用。

 ぜいたくな話なのだが、ここ数日、祭事・用事で外出する機会が多い。

 さて、いつまで持つか。


6.5.4 ヤバイ

 程度が並々でなく、よい方向に越えていることも、最近は「ヤバイ」という。

「も」というのは、20年ほど前に意味が変化したからだ。もっと言えば、意味が広くなった。

 以前は、まずい事態など、悪い方向に進んでいることを「ヤバイ」といった。

 ちょっとこれと似ているな、と思うのは、古語「ユユシ」の意味内容の変化だ。

 神聖なので触れてはならない、というのが「ユユシ」の本来の意味である。

 こんにちでは、「ゆゆしき事態」「ゆゆしきこと」と言えば、悪いこと。

「ヤバイ」とは逆方向である。

 品詞で言えば、どちらも形容詞。「文章は形容詞から腐る」と言ったのは、開高健だったか。

 価値観の変容とともに、何かを形容する語の範囲も変わっていく。形容詞は時代の影響を受けやすいということだろう。


6.5.3 お参りしてから花見をしてよ

 桜が満開を迎えると、いろいろな人が来る。

 特に目立つのは、福祉施設の人々だ。

 たいてい施設の名前が書かれたバンで来るから、それと分かる。

 停車すると車いすのお年寄りを降車させ、あちこち移動して桜の花を見て回る。

 ほとんどはお参りしてから花見をするのだが。

 お参りしないという、初のパターンを今年、初めて目にした。

 その施設の入所者が「お参りもしないで……」と異を唱えなかったのか。

 昭和19年生まれが今年、満80歳を迎えることになる。

 どうもお年寄りの感覚が(感覚も、といってよいのか、感覚でさえ、というべきか)以前とは変わって来ているようだ。


6.5.2 理会と作行と

 丸山健二という作家がいて、長らく芥川賞の最年少受賞者であった。

 最近の作品はあまり読んでいないが、昔の中短編に佳作が多い。小説の面白さ、作家の技術を知ることができる。

 この作家が、作家志望者に向けて、何度も書き直しをと勧めているのだが。

 ある人がネット上で「丸山はそんなことを言っているが、誤字があるじゃないか」とウソツキ呼ばわりをしていた。

 その誤字というのが「理会」。

 このことば、目にしたことがあるだろうか。

 ざっくり言うと、理解よりもより高所大所に立った「理解」である。

 私は学生の頃の小説に関するレポートで、このことばを知った。

 先生がこのレポートは知的理解に傾いていると評し、赤字で説明してくださったのである。

「知的理解」と「感情的理解」を総合して、その上に「理会」があるのだ、と。

 一般にはあまり使われないが、確かにこの語は存在するし事実、リカイと打てば変換候補に出てくる。

 ネット上の「ある人」が、無知だっただけだ。

 さて、今回の祝詞の本の原稿中、私は「作行」ということばを使用した。

 明治時代の祝詞作文の本の中に、このことばがある。造語ではない。

 意味は何ということもなく、こんにち多くは奉仕句と呼ばれる語句の総称だ。

 ところが、これが「作業」に修正された。実際にこの語がある、誤変換ではないと訴えても、次の校正でまた「作業」に修正される。

 だいたい「理会」と違い、サギョウと打って「作行」とは出力されるわけがない。ツクル、イクなどと打って別々に漢字を出すしかないのである。

 恐らく校正者は、パソコンを使ったことがないに違いない。

 これは「理会」とは事情が異なる。ことばを知らないわけではなく、人の話を聞かないだけの話だ。

 どちらも病巣の根は深い。


6.5.1 桜花に寄す

  無事、激動の4月を乗り切った。

 私を含むドサンコ(北海道生まれの人間)は、雪がとけるとなぜか嬉しくなり、活発に動きだす。

 そのため(だと私は思っている)4月は多忙だ。その上、年度替わりでもある。

 さて、私は祭事などなければ、たいてい居室で事務仕事をしている。

 鼻をほじったり、耳掃除をしたり、マンガを読んだりしている合間に、仕事をするフリをするのも、なかなか大変なのだ。

 窓の外、神社の裏側を通る道に桜が一本、立っていて、これがつい最近、満開となった。

 枝の手入れもしていないし、軒下なので落雪のため幹が曲がっていて格好が悪いというのに、散歩中の人がたびたび立ち止まって、これを眺める。

 すぐ側に寄って、しげしげと眺めたり、スマホを向けて撮影したり。

 連休前半は5、6人ほどが、そんなことをしていた。

 ところが全員、なぜか私に気づかないのだ。

「桜の下に死体が埋まっている」というのは、創作のモチーフの定番。

 花に気を取られるから、死体が見つかりにくい――そういうことなのかもしれない。

令和6年4月

6.4.28 筒井康隆『カーテンコール』(新潮社)読了

 昨年10月刊行、オビには「これがわが最後の作品集になるだろう。」とあり、それにフキダシが付され「信じていません」担当編集者……とある。

 著者は昭和9年生まれ。今年、卒寿を迎える。

 文章を書くにも体力が必要で、もう長編は書けないと著者は言っているようだ。

 実際、そうなのだろう。ここに収められたのも掌編が25。一編10ページにも満たない短さだ。

 ずいぶん昔から著者の作品に接してきて感じてきたのは、40代後半から50代、昭和の終わりから平成初めくらいが一番、ノッていたのではないか、ということだ。

 当時、著者は純文学系の作品、実験小説を多く書いており、これがSF好きな人には不評だったらしい。

 もともとSFで名を知られるようになり、活躍していたのが主な理由だろう。

 だが、私は(リアルタイムで読んだわけではないが)その頃の作品が最も好きである。若者ことばで言えば「ササる」のだ。

 この作品集で特に感じるのは、著者のことば遊びへの嗜好、体制への反骨精神と、反骨精神をもつことへの矜持である。

 そして、著者が意図したかどうか、一番ノッていた頃の凄み、技術が文間から立ちのぼってもいる。

 それは、私には何よりも懐かしいものであった。


6.4.27 桜が咲き始めた

  昨日は過去最高気温で、今季初の夏日となった。

 北海道神社庁網走支部の総会があって出かけたのだが、車はクーラーをつける、上着は脱ぐ、長袖はうっとしい――と、急に暑くなっても、身体がついていかない。

 今日も過去最高気温。ただ、風が強くて、それほど暑さを感じない。

 境内周辺の桜が、どんどん花開いている。

 今、居室でこれを書いていて、ここから桜が何本、見えるのかを数えてみたところ、30本ほどだった。

 支部の総会が終わったら終わったで、片づけなければならない事務処理が出てくる。

 後回しにすると、かえって面倒なので早めに片づけることにしよう。

 せっかくの晴れ間だけれども、机から離れられない。


6.4.26 感謝の薄い人

 感謝の薄い人って、いるものだ。

 損得勘定しているような言い草ながら、謝意を述べるだけならタダ、損はしない。

 それどころか、謝意を述べた相手も「ああ、こいつは(少なくとも言葉で今)感謝を伝えようとしているんだな」と理解する。

 悪いことなど、ひとつもない。

 ところが、感謝の薄い人というのは、ありがとうの一言さえも惜しむもののようだ。

 Aの希望を叶えるため、Bに私が依頼。Bの力添えで、Aにとって希望通りになった――とする。

 私としては当然、Aにこう言う。「Bにちゃんと謝意を伝えなさいよ」と。

 しかし、AはBに何も言わない。そればかりか、私にも言わない――とする。

 私は礼を言われくてしたわけじゃないし、Bにしても同様だろう。

 これが私とAだけで完結する話ならよい。今後はもうAのためには骨を折らないことにする、と決めるのみだ。

 だが、この場合Bという人を介している。

 こうしたケースで、AがBに対して謝意を一度も述べていないことが、私には大変腹立たしい。

 というわけで、ありがとう、と私は言うことにする。

 こんな駄文を読んでくださり、ありがとうございます。


6.4.25 無能な人

 どの世界にも無能な人って、いるものだ。

 それを自覚していない無能な人は、さらにタチが悪い。

 しかも、たいていの無能な人は、その自覚がないのである。

 いや、自覚できないからこそ、無能なのか。これは、必要十分条件か。

 例えば、日本語のアヤシイ無能な人が、誰かの文章にケチをつけるとしよう。

 その人は、自分の日本語がアヤシイなどとは、つゆ思っちゃいない。

「私は自分を客観視できるんです」と退任会見で述べた元首相がいたけれども、無能な人というのは、自分を客観視できないのだ。

 そういう人には極力、関わりたくないのだが、たまに行きがかり上、接点ができてしまうことは、どうしても出て来る。

 これは仕方ないことだと、あきらめるべきか。

 たまったもんじゃないが、無能な人は、また別の無能な人を呼ぶ、ということもある。

 これはオソロシイ。書いていて、寒気がしてきた。

 私は一刻も早く、無能の人から脱却しなければならない。


6.4.24 わしはこれでも忙しい

 伊勢で研修を受けるとなると、その前後も宿泊しなければならない。

 それで、まるまる一週間、神社を空けることとなった。

 当然、その間に仕事が溜まるし、山のような郵便物の整理はあるしで帰還以来、多忙である。

 ご祈祷がちらほら入り、鎮火祭という年中行事的な祭事も。

 私は神社庁網走支部の事務局でもある。ちかぢか総会もあるので、出欠取りまとめや、資料の印刷・製本。

 みっつの支部で「区」を構成しており、来月その総会もある。これの案内を出す。

 しばらく雨模様だったこともあって、祭事以外では神社を出ていない。

 けさは、ようやく晴れ間が覗き、快晴のようす。

 暖かくなって嬉しいのか、飼い猫が騒いでいる。


6.4.23 葬祭・霊祭の祝詞(祭詞)の資料整理

 今度出る祝詞の本は、神祭式。葬祭式・霊祭式の祝詞は、扱っていない。

 そこでつぎは葬祭式・霊祭式をと、資料整理を始めた。

 結局のところ構成上、内容上、葬場祭だけが他と違う。これは一般でいう告別式、本葬儀にあたる祭祀だ。

 他の人の書いたものを読んでいると、故人の履歴や人となりなどを述べるのが定石。私もそうしてきた。

 ただ、神社本庁の例文を見ると、そんなことは全く書いていない。

 歴史的には、個人の履歴等は「誄詞」の担当のようだから、これは正しい態度なのだろう。

 一方で、実際の葬儀で奏上されるのは「葬場祭詞」といっても、内実は誄詞であることが多い。

 このあたりを、どう処理するかだ。

 誄詞の内容以外は、実はどの祭祀もある程度、公式化して書くことができる。

 ――と、こう書いてきて、考えがまとまってきた。

 ただ、原稿を書いても、出版する宛てもない。祝詞作文入門を書けとも言われている。

 最初に資料整理と書いた。これは原稿にならなくても、別にムダになるわけではない。

 もちろん、葬儀を引き受けたときに役立つのだが、できれば私は葬儀をしたくない。

 私と関わっている人はみんな120歳くらいまで、健康長寿、長生きして欲しいからである。


6.4.20 今年初の授業をしてきた

 とある学校で、授業をしてきた。内容は、大まかに言えば国語だ。

 今年度は計3講座、全部で50コマくらい、1コマ90分。

 毎週〇曜日の〇時間目と決まっているわけではなく、時間を変更することもできる。

 それで、神社の宮司をしていても、まあお手伝いすることはできるだろう。

 私ごときで力になれるのであれば、ということで、お引き受けした。

 おおむね週1回の出講、カリキュラムを見ると、秋のお祭りのある9月や、正月はほとんどなし。

 希望通り、配慮していただいた。

 先日の中堅神職研修で、聴いている立場の90分の長さを実感し、それを今度は話す方の配慮として取り入れた……つもりだ。

 出だしから上々でもなく反省点も多数ある。それを生かして次に……というと、何だか優等生的だが、実際そうなのである。

 引き受けたからには、責任があるのである。

 関わった生徒が私の持っているものを習得し、それを今後、十二分に生かして欲しいのである。

 ただ、今年初めて受け持つ講座が2つ、資料作りがたいへん。

 今年は忙しくなるなあ……と私は、のんびり屋だけに今さら、そう感じている。


6.4.19 祝詞の本が出る

 現代神社と実務研究会という会に参加していて、会誌の編集とか校正とか多少、お手伝いをしている。

 会誌に投稿もしており、それを本として出さないかとお声がけをいただいた。

 これが最近、最終校正を終えたので、来月あたりに出る予定である。

 一口に言えば、祝詞の書き方の本なので、古語ばかり。神職以外の大多数の人が見ても、あまり面白いものではないだろう。

 特に、原稿を印刷に回す形へと起こした人は、たいへんだったと思う。

 古語ということは、歴史的仮名遣い。祝詞の一節をあげた部分を初め、ルビも。

 祝詞特有の言い回し。初めて見る言葉ばかりだったに違いない。

 そんな理由からか、祝詞の本というのは、なかなか出ない。出版されない。

 さて最近、祝詞の本が出版されたので見てみると、ひどい内容だった。

 ひとつの祝詞につき、必ずひとつはツッコミどころがある。

 その祝詞を説明した文章に、日本語になっていないものもある。

 編集や校正のたいへんさは、前述の通りだ。

 そうした理由があっても、もうこの時代においては、祝詞を扱かった質の高い本を出すことができなくなってしまったのではないか。

 とすれば、残念な話である。

(なお、今回出版される私の本の出来のことは、棚に上げている)


6.4.17 中堅神職研修に参加

 中堅神職研修に参加してきた。

 合計20日。地元で10日、伊勢で10日、受講すればすべて修了となる。

 一度の開催につき5日間。2回ずつ計4回である。

 さらに、地元の研修が終わっていなければ、伊勢には行けないというシステム。

 ずいぶん前に、地元での研修は終えていた。北海道の場合、札幌で開催である。

 コロナ明けのこの機会に、早いとこ行ってしまおうと考えて今回、参加したのだが。

 伊勢は遠い。開催日前日の昼過ぎに出て、日付が変わる頃に到着。修了後は飛行機の便が悪く、その日は一泊して翌朝、早い便で帰ってきた。

 発ったとき、当地では雪が残っていたのだが、伊勢では桜が散りかけていた。

 講義を受ける部屋から、五十鈴川や対岸の様子が見える。そこには桜並木がある。

 5日間のうちに、花びらがどんどん少なくなり、葉桜になっていった。

 こちらでは帰宅した今もなお、ようやくツボミが膨らみかけている段階。

 日本は、広い。なお、この研修を修了するためには、もう一度、伊勢に行かねばならない。


6.4.10 紋別郡遠軽町社名淵

 ふしぎな話を読んだ。

 東京都内のとある公園で、殺人事件が起きた。

 ある人が夜、会社からの帰宅途中にこの公園を通りかかる。事件を思い出して、嫌だなあ、怖いなあと思っていたところ――

 ジリリリーン、ジリリリーンと、電話ボックス内の電話が鳴っている。

 公衆電話に他から掛かってくるのかと、いぶかしく思いながら、とにかく電話ボックスの扉を開け、受話器を取った。

 すると、「もしもし――もしもし――」と、向こうが呼びかけてくる。

「どんな用件ですか?」

 こちら東京都内の公園内に設置されている電話ボックスで、というと、向こうは、

「私も公衆電話が鳴っているので、出てみたんですが」との返事だ。

 双方、同じようにして受話器を取ったわけだ。では、誰がかけたものか。 

 その相手の出た公衆電話というのは「北海道の紋別郡遠軽町社名淵」に設置されていたものだったという。

 私の家から、近いといえば近い。興味を持ってネットで地図を見てみたところ、簡易郵便局と公民館くらいしか出てこなかった。

 これは、読んだ本の刊行年からすると、2、30年ほど前の話だ。本当にあったことだとしても、携帯電話の普及にともない、現在は撤去されているのではないか。

 実際には別の場所だが、書くと差しさわりがある。それで北海道の片田舎をちょっと調べてみて、社名淵を選んだ可能性だってあるだろう。

 つまりはもうこれ以上、確かめようがない。このあたりが私の興味を引く理由かもしれない。


6.4.9 冬に逆戻り

 今日は、間違ったような悪天候の日。

 未明より雨、午前10時頃よりアラレ混じりとなり、午後には雪に。

 境内が一面、真っ白となり、冬に逆戻りとなった。

 午前中、地鎮祭が一件あったのだが、施工業者の方がテントを用意してくれて、ありがたかった。

 その段階では雨だったから「雨降って地固まる」、地鎮祭の雨降りは幸先がよいと話す。

 むしろ低温の方が問題で、参列者みな、寒そうだった。

 とはいえ、寒いのも今日一日だけ、あすは最高気温が一気に10℃ほど上がるとのこと。


6.4.7 アスパラとニシンをもらった

 色々な人から、色々なものをいただく機会が多い。

 先日、氏子の農家さんからアスパラをいただいた。

 アスパラといえば夏のイメージが強いが、ビニールハウスでもう作り始めているとのこと。

 いわゆるハネモノ、間引きしたものという。見栄えの問題で、もちろん味はそう変わらない。

 また別な人から、漁師の手伝いに行ってニシンをもらったということで、おすそ分けをいただいた。

 こちらは獲れすぎたものか、十分売り物になりそうなほど身が大きく、しかも新鮮。

 焼き魚にしてもらって、春の訪れを感じつつ堪能した。

 アスパラ、ニシンのどちらも初物。

 居ながらにして美味しい食べ物をいただけるというのは、ありがたいことだ。

 あんまり色々いただいて太ってしまうと困るが、こんな心配はゼイタクというものであろう。


6.4.6 神崎宣武『神主と村の民俗誌』(講談社学術文庫)読了

 本書は、民俗学者、神職と二つの顔を持つ筆者が、故郷である吉備高原の神道信仰について書いたものである。

 筆者は東京在住でありながら、故郷では数社の宮司をつとめているという。

 つまり、神社の用事があるたび帰郷する、二重生活者である。

 神道信仰について……といっても、大上段に構えたものではない。

 内容は筆者が見聞し、経験したことがほぼすべて。

 その点では、本書の原本のタイトル『いなか神主奮戦記――「むら」と「祭り」のフォークロア』の方が、分かりやすく内容を示しているかもしれない。

 祝詞奏上のときに失敗したり、用意した祝詞が違っていたりして冷や汗をかいた。そんなエピソードは特に「ああ、あるある」と興味深く読めた。

 中世を色濃く残す神楽、舞手である氏子の様々な人間模様も興味深い。

 登場人物がみな、いきいきと描かれている。

 だが残念なのは、本書の原本が刊行されたのが平成3年。

 それから30年ほどの間に、本書で描かれていることは、どう変わったのだろう。

 恐らくは、過疎化、少子高齢化で伝統を守り続けるための苦労が、いっそう増大しているのではないか。

 想像すると寒心に堪えない。

 ただ、そのような環境の中で、または環境に合わせ、よりよい形を模索していく。

 それも、こんにちでは田舎神主のスキルのひとつとなっている。

 この意味でも、大変興味深く読むことができた。


6.4.4 現代の人間関係は史上最高に難しい

 ネットでの流行り。掲示板からホームページ、ブログ、SNS 、動画がメインのコンテンツ、ショート動画の発信。

 おおまかには、文章から画像、画像から動画へ。動画は短く。より短く。

 テレビが登場してもラジオが消えないで残ったように、これらのすべてがまだ、ネット上に残っている。

 長くても数分以内のうちに、一定の内容の情報が取得できる。そんなコンテンツが増えた影響からか、最近「すぐに分からなかったら腹が立つ」若者が増えているのだという。

 大学の講義に対するアンケートで「(自分が)知らないことをドヤ顔で話していて、腹が立つ」との回答があった。そんな話を聞いて初めは笑ったのだが、笑ってばかりもいられないようだ。

 何か発信しようとするとき、これまで以上に「分かりやす」くするよう注意を払う必要が出て来たのではないか。

 細かい説明は後回し。冒頭にはキャッチーな、伝えたいことをポンと置き、簡単に、簡潔に。

 ネットが若者に与えた影響――そんな文脈で話しているが、他の年代でもそういう人が増えているのかもしれない。

 私よりも年上と見られる人から質問を受け、この神社の説明をしたところ。

「なんだ、上から目線で」

 私の回答の仕方が気にくわなかったらしい。あるいは、あまり私が若く見え過ぎて「こんな若造から」と感じたのかもしれない。だとすれば、その意味では喜ばしいことだが。

 これは、面と向かって話していたときに起きた出来事だ。しかし、これもネットの影響ではないのか。

 なにせ、ネット上では未知の情報はタダで、向こうの方から「こんな情報あります、いかがですか」とやってくるのだ。

 私は、自分の知らない情報を与えてくれる他者には、敬意を払うべきだと思うのだが、こんな考えは古いのかもしれない。

 その上、高齢化が進んでもいる。

 こちらの言っていることが曲解されたり、ウロ覚えだったり、すっぱり忘れたり、ということはもう、日常茶飯事だ。

 情報を発信する側が下手に出るべきとの風潮(もしかすると、大学教授さえ!)に加え、発信したところで充分に意図が伝わらない。

 いつの時代だって人間関係は難しかったろう。だが、現代ほど難しい時代はなかったのではないだろうか。


6.4.2 巫女が声優デビュー

 年末年始など巫女をしてもらっていた子が、声優としてデビューすることが決まった。

 所属事務所には、アニメに疎い私でさえ知っている声優もいる。ビックリである。喜ばしい限りである。

 高校在学中にオーディションで賞を獲得。卒業後は養成機関に所属、優秀な成績を修めて今回、デビューするのだという。

 巫女としても参拝者の対応を初め、気がきくし、ソツがない。安心して見ていられる子である。ただちょっと話しただけでも、芯が強く、自分をシッカリ持っていることは窺えた。

 慣れない東京での一人暮らしをしつつ、卒業までに彼女が人一倍、努力を重ねて来たのは想像に難くない。

 おめでとう。

 今回の年末年始も巫女をしてもらったのだが、声は通るし、聞きやすいしで、やはりシロウトとは違っていた。

 ところで、私も声をよく使うお仕事。年始は特に正月参りで咽喉を酷使する。

「乾燥して声がガラガラになるんだけど、オススメの対策ない?」と聞いてみたところ、鼻うがいを勧められた。

 だが、何だかコワイので、まだやったことはない。


6.4.1 嘘がバレるとき

 毎年エイプリルフールに、リアリティのある嘘をつこうと試みている。

 本来は嘘をついてもいいのは午前中まで、という話だ。それで朝、起きてすぐに嘘を考える。

 だが、妻に嘘をついても、すぐにバレてしまう。もう慣れっこになっているらしい。日頃の行いがモノをいうわけだ。

「嘘」と「冗談」は、ほとんど意味内容が重なっている。それで、こちらが冗談のつもりで話していても、相手に嘘をつかれたと捉えられてしまうことも出て来る。

 以前、そこそこ話をしたことがある参拝者に「神主に嘘をつかれた」と言われたことがあった。もちろん、私としては冗談のつもりで言ったことを、だ。

 すぐに冗談と分かるように言えばよかったのか。もっと笑える冗談だったら、よかったのか。

 それ以来「これは冗談ですが……」と、最初に断りを入れることにしている。

 これも、妻にすぐ嘘がバレる理由かもしれない。

令和6年3月

6.3.31

 ある若手の神職。職階は権禰宜、とある神社に勤めて給料をもらい、それで生計を立てている。

 彼が別の神職と、神道とか具体的な神事の進行とか、そういった話になり、こういう感想を漏らした。

「いやー、久しぶりに(神道の)教学の話をした。神職の集まりに出ても金の話ばかり」

 神社の運営を会社の経営と同一視し、金のことばかり考えている人は確かにいる。

 誰とは言わないが信仰心、ないんじゃないの? と疑われる神職も残念ながら、いる。

 ただ「金の話」をしているのは、宮司だからと言えなくもない。

 信仰心を十二分に発揮して、この神社にはあれも足りない、これも足りない、装束は最高級のものでなければ神様に失礼だ――と湯水のように金を使い果たす。

 神様のために金を使ったから、おぬしの給料は当分ない!

 彼だって、そんな宮司のもとで働きたくないだろう。

 宮司は宮司で、神社を運営していくために、どう金を使うか頭を悩ましているのである。

 逆に私など、お宅の宮司さん、あんたが教学に集中できるほどの環境を整えてくれてるんだよ、と思う。

 この話、宮司は神社の運営寄り、権禰宜は教学寄り――ということだが、そのバランスが大事だ。


6.3.30

 参道から雪が消えたので、冬アカが目立つようになった。

 木の葉や枝がほとんどで、風で飛んできたゴミなど、冬アカはさまざま。

 その上、最近渡ってきたアオサギが、けっこうな量の枝を落としている。巣を手入れして、いらない枝を落とすのだ。

 今日、ブロワーでそうした冬アカを吹き飛ばして回った。枝は熊手で寄せ集めた。

 天気もよい中、作業を終えて気分もスッキリ爽快、参道にほとんど冬アカなし。

 だが夕方、見回りに出たところ、また枝が落ちているのであった。

 このイタチゴッコは9月末、アオサギが帰るまで続く。そのうち私は「枝取り宮司」と称されることになるだろう。


6.3.28

 会計年度が3月末までなので毎年この時期、シメに大忙しである。

 昨日までで大体、終了して、あとはプリントアウトするのに体裁を整える作業くらい。

 それで気づいたのは「コロナ明けだなあ」ということだ。

 こんな田舎町でも、コロナで大打撃を受けた。それが回復してきたようなのだ。

 神主といえど、生活するには金が必要。

 政府は「給料あげる」「インフレに追いつくようにする」などと息巻いているけれども――うまくいったとして、効果が現れるまで、ずいぶんかかるだろう。

 それは中央、東京から発するのであって地方、ましてやこんな田舎にまで及ぶには相当、長い時間が必要なはずだ。

 バブルがはじけた、とか何とか言ってた頃、ヤッパリ当時も北海道の片田舎に住んでいた私は、そんな実感などなかった。

 そうして騒ぎ始めて2、3年たった頃だろうか。「こっちまで影響してきたか」と感じるようになったのは。

 皆の給料が上がる→神社の社入が増える→宮司の給料が上がる

 ということなので、私の生活が豊かになるのも当分、先になるわけだ。

 だがこれは、「神社の社入」を「会社の収益」、「宮司」を「働いている人」に換えれば、どこも皆同じではないか。

 さて、どこから給料が上がっていくんでしょうか。


6.3.26

 対話型AIチャットが注目され始めたのは、一年ほど前だった。

 そのとき祝詞を作らせてみたのだが、全くハシにもボウにもかからないものだった。

 一年ほど経って、少しは改善されたかと思って久しぶりに作らせてみたのが以下。


ChatGPT: 

尊い地よ、この地に立つ我らの足取りを守り給え。

この土地に住まう者たちの平安と繁栄を願います。

神聖な力をもって、悪しきものを遠ざけ、善きものを招き入れ給え。


我らが建てる建物は、この地に根を下ろし、永久の安全と共にあるべきです。

この地に住まう人々が幸せであり、平和であるように。

神々の加護を受け、この地に住まう者たちが、健康で幸福な日々を送れるように。


我らは感謝の気持ちを込めて、この地に祝福を捧げます。

この地が、永遠に豊かで繁栄し、愛される場所であるように。

神々の祝福を受け、この地に住まう者たちが、調和と喜びに満ちた生活を送れるように。


尊い地よ、我らの祈りを聞き届け給え。

この地に住まう人々が、安らぎと幸福に満ちた日々を過ごせるように。

神々の祝福が、永遠にこの地に宿ることを願います。


 実用にはほど遠いレヴェルなので、「これを古文にしてみて」と指示した結果が以下。


尊き地よ、是れ地に立つる我らの足取りを守り給へ。

是れ土地に住まう者たちの平安と繁栄を願ひ候ひ給ひ候へ。

神聖なる力を以て、悪しきものを遠ざかり、善きものを招き入れ給へ。


我らが建むる建物は、是れ地に根を下らし、永久の安全と共にあるべく候へ。

是れ地に住むる人々が幸せなれば平和なれるように。

神々の加護を受け、是れ地に住むる者たちが、健康にして幸福なる日々を送るべく候へ。


我らは感謝の気持ちを込めて、是れ地に祝福を捧げ給へ。

是れ地が、永遠に豊かにして繁栄し、愛されるる場所と為り候へ。

神々の祝福を受け、是れ地に住むる者たちが、調和と喜びに満ちた生活を送るべく候へ。


尊き地よ、我らの祈りを聞き届け給へ。

是れ地に住むる人々が、安らぎと幸福に満ちた日々を過ごせるように。

神々の祝福が、永遠に是れ地に宿ることを願ひ候へ。 


 全くお話にならないどころか、古典文法もマスターしていないらしい。歴史的仮名遣いもミスがある。

「古文を作る」ことに関しては、まだまだ人間の方が上のようだ。

 Microsoft Copilotでも試してみたが、結果は同じ。似たような内容をあげてきたけれども、形式がダメ。祝詞どころか古文になっていない。

 ひとまず現時点では、チャットAIは祝詞が書けない。この結果にホッとしている。


6.3.24

 コロナ中はマスク着用で祝詞を奏上するので、大変だった。

 息つぎの仕方が問題で、特に冬など鼻が詰まりがち。

 マスクの下である。息を吸っても思ったより長くつづかない。それで、すっかり感覚が狂ってしまった。 

 コロナが5類に移行してからは、祭事中にマスクをしなくなった。だが、どこかまだ元の感覚が戻らないような気がしつつ今に至る。

 昨日、当神社の神道会の春季祖霊祭があった。

 祝詞奏上では、けっこう声を張るようにしてみた。後で、事務室に控えていた妻に尋ねたところ「かなり声が聞こえた」とのこと。

 祖霊祭の斎場と事務室は廊下を隔てていて、それぞれ扉を閉めていた。けっこう声を張って奏上していたらしい。

 このとき、ピッタリ「はまる」ような感覚があって、要は「うまく読め」たような気がした。

 こうして文字にしてみると、なんだか神主になりたての時分のようだ。

 とはいえ、初心に返るような心境ではない。ただただ、コロナ憎むべしというところか。


6.3.23

 関門(かんもん) 寛大(かんだい) 観光(かんこう)……と三つ例をあげる。

 それぞれにある「ん」の音がみんな違うと言えば、驚かれるだろうか。「バカな! みんな『ん』て書いてるじゃないか!」と。

 それは、音がちょっとくらい違っても「ん」で書くことにしよう……と、なっているだけなのだ。

 つまり日本語の話者はふだん、これらを同じ音と見なし、同じ「ん」と書いている。だが、他言語の話者の中には聞き分け、異なる字に書き分けている人もいるだろう。

 さて「関門」では「も」を発音する前に一度、唇を閉じている。 

「寛大」は「だ」を発音する前に、舌を歯茎に当てる。

「観光」は「こ」を発音する前に、舌を上あごに当てる。

 発音記号では順に[m](両唇鼻音)、[n](歯茎鼻音)、[ŋ](軟口蓋鼻音)。

 漢語ばかりをあげたけれども、他の語や複数の語が連なっている場合でも同様である。

 「こんもり」「ポケモンだい!」「パン粉」など色々、発音してみると、微妙に違う。

 だから日本語や日本語の話者が劣っている、聞き分け、書き分ける言語は優れている、という話ではない。念のため。

 これは言語学の話題だが、言語学は「みんな違ってみんないい」の世界である。


6.3.19

 参道や境内の大部分、地面が見えていたというのに、今は真っ白。吹雪である。冬に逆戻りである。

 久しぶりに除雪機を出して、あちこち雪をはねようとしたのだが……雪が、重い。

 オーガ部分から雪をあまり巻き上げられず、除雪機で雪のカタマリを押していくような格好になった。

 排雪する量が少ないため、雪を踏むようになる。デコボコになる。この時期には、ままあることである。

 今週末には、気温がかなり上昇する見込みだ。雪がとけて、ビチャビチャのドロドロになるだろう。

 大掛かりな除雪作業は、これが今シーズン最後になるはずだ。

 数えると、5回。日本海側を初め、豪雪地帯の人からシバかれそうだ。

 今年は雪が少ないと皆言っていたし、私もそう思っていたのだが、除雪作業の回数は結局、例年並みとなった。


6.3.18

 田中俊行『呪物蒐集録』(竹書房)読了。

 本書はオカルトコレクターであり、怪談師でもある筆者が所蔵する呪物を、写真つきで紹介したものである。

 持っていると「体調不良になる」「死ぬ」といった「いわくつき」のモノや、アフリカや東南アジア、あるいはブードゥーで実際に使用されていたものなど、実にヴァリエーション豊富。

 筆者はただ集めるだけではなく、その背景にある文化や、信仰についてなどよく調べている。手に入った経緯や説明を読んでいると、世界には多様な呪術が存在するものだと、改めて感じさせられた。

 また、「オシラサマ」や「船玉」など、日本の民俗信仰に関わるものなら私も欲しいと思いつつ読んだ。

 本書を手に取ったのは、実は不純な動機からでもある。

 神社で人形を預かることがあるので「魂の入った」「念の籠っている」ものを見ておきたいと考えたのだ。骨董の鑑定家が本物を見て目を、触れてカンを養うのに似ている――かもしれない。

 オカルトマニア、怖いもの好きの方には、本書は絶賛、おすすめである。

 苦手な人は手に取らないだろうが、間違えて買ってしまっても絶対、読んではいけない。

 豊富な写真を眺めつつ読み進めていて、「ああ、これは本当に私と相性が合わないな……」というものがあった。

 それで多少、腹が痛くなる程度になったのだけれども、実物を所有していたら、もっとサワリがひどかったことであろう。


6.3.17

 若者と話していると、ときどき興味深い話を聞くことがある。

 彼ら・彼女らが生まれたときにはもうネットが存在しており、何をネット上に提示し、何を隠すのか、個人情報の取捨選択にも敏感だ。

 その点、「個人情報、個人情報って、だんだんうるさくなってきたなあ」という時期を経てきた私などとは違う。

 例えば若い世代にとっては、いい年したオッサン、オバサンが自撮りをし、あるいは自分の顔画像をアイコンにするのはキモイ、イタイ、ことらしい。

 これはSNSなり、その他のコンテンツなり……そこで提示されている内容と不即不離、表裏一体である。

 大したことを言っていない、していない、自分が認められたいだけ、などなど、不特定多数の人にとって有益な情報を発信していない、できていない。

 その程度の人が顔を出すな、自撮りをするな、というわけだ。なかなか手厳しい。

 また、SNS上での文章についても――

 わざわざ難しい漢字を使ったり、ひとつの投稿が長く、その投稿で一文100字以上になるような長い文を書いたりするのはキモイ、イタイ。

 長い文章で何か訴えたいことがあるならSNS以外で、ネット内外を問わず別な媒体でやれ。

 そうして最適なコンテンツを選べないあたり、歳をとっている感というか、不慣れ感というか、ギャップを覚えるともいう。

 まあ、これは分かる。そういう文章って、読む人のことを軽視していて内容もたいてい薄い。それで読むのが面倒になる。読みたくない。

 以上のような若者の発言からうかがえることは、自意識過剰な人は嫌われるということだろうか。

 当たり前だが――これはオフラインにおける人間関係と、何ら変わりない。

 とはいえ「おれってスゴイだろう」「こんなこと出来るんだぞ」「こんな難しい字使えるんだぞ」なんていうのは、実社会でよりもSNS上での方が痛々しいのではないか。

 自意識過剰な人間は内実からっぽであることに(ほとんどはそうなのだ)、たいてい自分でも気づいていない。

 SNSでは、他者が好むと好まないとに関わらず、エゴの垂れ流しを見せつけられるシステムになっていることにも無自覚。

 これが10代後半の若者ならば、誰もが通る道として見守りたくもなる。

 だが、ある程度、年齢を重ねてもそんな体たらくの人間、けっこういるようなのだ。

 ネット社会が増長させたのか、ネットの普及でハッキリ姿を見せるようになったのか……。


6.3.15

 iphoneのメッセージで、東京電力から「電気を止める」と言ってきた。

「先月分の電気料金が未払いのため、電気供給を停止する予定になります」と、何だかたどたどしい日本語で。

 天下の東京電力が携帯電話でメッセージを、しかも怪しい日本語で料金未納を報せてくるとは……世も末だ。

 そもそも当方、北海道住まいである。どういう仕組みなのか、北海道電力は東京電力から電気を送ってもらっているらしい。そして料金の徴収もするというわけだ。

 URLが添付されているが、東京電力を思わせるような文字列はなし。

 検索してみると、存在しないページのURLだった。

 詐欺(たぶんこのメッセージも)に用いられる言説は、基本的に虚構である。

 こうしたメッセージを送ってくる手合い、最近はあまりにリアリティを軽視していて、一瞬たりと本物と思えないものがすべて。

 それにしても……東京電力より電気の供給を受けている地域には、先月分の料金を払っていない人が大勢いるのだろうか。

 むしろ、そちらの方が気になる。


6.3.12

 昨秋はアカネズミの当たり年で、そこそこ被害にあった。

 アカネズミ、大人の指くらいと小さいのだが、なかなか食欲旺盛。稔りの秋を迎え、近隣の農家でもけっこう被害があると聞いていた。

 それがこっちにも来て……なのか、ある朝、奉献している稲穂が食われているのに気づき、あわてて対策をとることになる。

 ネズミとりを仕掛けたり、飼い猫をご社殿内で散歩させたり。もちろん猫が不敬なことをしないよう、監視つきだ。

 その効果あって、出没しなくなったと思いきや。

 異変は、猫が本棚の蔭を見つめてジッとしていたところから始まる。

 名前を呼んでも泣かず、動かず。触っても無視。晩飯を食わせるが、食後はすぐ本棚のそばに行き、また不動の構え。

 そう、そこにはネズミが潜んでいたのである。ご社殿から住居部分にまで侵入して来ていたのだ。

 シビレを切らしてネズミがダッシュで逃げたところで、猫の猛追が始まった。執拗に追いかける。におい、叩く。飼い主は何とかつかまえようと手を出す。猫に引っかかれ、ネズミに指を噛まれる。

 ドタバタ騒ぎの末にネズミを仕留めて、ごみ袋に入れていると、その様子を「ナゼ アタチノ エモノ トルノ?」と猫は不満顔で見つめてくるのであった。

 それ以来、あまり白いネズミのおもちゃで遊ばなくなった。逃した獲物に姿形が近い、灰色の方がお気に入りとなった。

 カリカリをよく噛んで食うようにもなった。ガリガリ、ゴリゴリと、小気味よい音を立てて……。

 どうもつぎの機会に備えての、トレーニングのように思えてならない。


6.3.11

 小学生の頃、担任の先生が山男だったこともあり、大雪山山系の山の名前をけっこう憶えた。

 高校の頃、旭川に住んでいて玄関がちょうど東向き、登校時には画像のような大雪山の姿を見てから学校に向かっていた。

 当時、一番高いのは旭岳(2,290m)、二番目は北鎮岳(2,244m)、左端の尖った山容は黒岳(1,984m)ということで眺めていたのだったが、これが実は違っていた。

 旭岳は一番高いから、これだけは間違えようがない。

 北鎮岳は、旭川市街からは奥に位置する。二番目に高く見えたのは北鎮岳ではなく安足間岳(2,200m)だった。

 同じく黒岳は奥すぎて市街地からは見えない。黒岳だと思っていたのは、愛別岳(2,113m)だった。

 実はこれを、つい最近知ったのである。思い込みを修正、真実を知れてよかった。

 旭川周辺に住んでいる人には、大雪山の山容など珍しくも何ともないだろう。だが私には、これがたいへん懐かしい。

 そして今、大雪山の東側に住んでいるため冬、雪が少なくて済むという恩恵を受けてもいる。


6.3.9

 釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか』(中公新書)読了。

 サブタイトルは「『てふてふ』から『ちょうちょう』へ、音声史の旅」。

 神職ゆえか古代の発音に興味がある。

 また、音声は表記と不即不離、そうなると日常的に主に祝詞で歴史的仮名遣いを使用しているため実用上の要請もあって、本書を手にすることになった。

 学生時代、国語学専攻だった。しかし不真面目だったし、そもそもチミツな頭ではないので忘れていることが多数。そうした知識を再確認できて、よかった。

 またすぐに忘れるにせよ、知的好奇心が刺激される時間を持ててよかった、と思いたい。

 それにしても、本居宣長の知的センスというか、思考力、発想力には改めて驚嘆させられる。

 例えば、大きな業績のひとつに『古事記伝』がある。その研究中に、さまざまな気づきがあり、それがまたハイレヴェルなのである。

 古事記はすべて漢字で記述されているが「き」「け」「こ」を初めとする日本語の音節に、決まった漢字をあてていて、それが二系統ある、どうやら規則性があるようだと発見できるのが、すごい。

 これはのちに「上代特殊仮名遣い」として、知られるようになる。

 本居宣長が生きていた時代、江戸周辺のア行は「あ」「い」「う」「いぇ」「うぉ」と発音されていた。

 この「いぇ」をヤ行に、「うぉ」をワ行に移し、こんにちのア行にしたのも宣長である。

 そもそも「え」と書いて「いぇ」、「お」と書いて「うぉ」と読んで、当時の日常生活では何の問題もなかったわけだ。

 だが、ローマ字で音を移して書いてみると、a  i  u  ye  wo である。この   y  や  w  が余分だ、五十音図であるべき場所は、ここじゃない。

 ……とローマ字を使わずに、気づけるのがすごい。

 結局「いぇ」は「え」に、「うぉ」は「お」に統合されて今に至るので、この宣長の業績は軽く見られがちかもしれない。

 wifiの仕組みを知らなくてもネットが使えるように。あるいは、なぜものを冷やせるのか知らなくても冷蔵庫が使えるように。

 そう考えてみると、われわれの日常生活は、多くの偉人の業績に支えられているのではないのか。

 ありがたいことである。


6.3.8

 相内神社は神社神道にのっとって、日々神様にお仕えしたり、参拝者の対応をしたりしている。

 神社神道とは、神社を礼拝施設の中心とする神道であり、運営についてはたいていの場合、氏子組織に支えられている。相内神社もそうだ。

 神社神道における祭祀はもちろん神職が中心に執り行うのだが、ときに勘違いする神職がいる。

 神社が祭祀を行う場ゆえ(それはほとんど第一義的でさえある)、致し方ないところなのかもしれない。

 例えば、あるAという祭祀が歴史ある神社で行われていたとする。

 Aは仏教色の強い祭祀だが、長い間、毎年決まった日に行なわれてきた。

「それはちょっと……神道じゃないでしょ」という内容であっても、「一社の故実」であり「(特別の)由緒ある祭」であれば全く問題ない。他の神職の誰も文句を言わない。

 こんにちの教学・教説よりも、長いこと続いた祭祀であるという伝統が優先されるわけで、これはまた実に神道的な価値観のひとつであろう。

 さて、そのAという祭祀を、その神社と何の関わりもないある神社で突然、行うとする。

 これは、心ある神職ならば、まず支持しない。

 Aを斎行するにあたっては、その神社が何と理由づけをしようと「一社のコジツケ」であり、「由緒をでっちあげた祭」である。

 何よりも、氏子から祭祀を「あずかっている」という意識に欠けている。換言すれば、祭祀を私物化しているということだ。

 そして、多くの場合、祭祀を執行するのは神職だから、どうもその神社の祭祀は何をどうやってもいいとカン違いする者も出てくるわけである。

 さらに、このAが仏教起源の要素を含んでいるなら、なおさらAを執り行おうとする神職は誹りを免れまい。

 確かにわが国の歴史の中で、神仏習合・神仏混淆の時代は長かった。

 だが、「今」なぜ神社神道の神社で「仏教起源の要素を含む」祭祀を行う必要があるのか。パフォーマンス以外に、理由が見当たらない。

 何よりも、Aはもともと、仏教の教説に基づいて行われていた。Aが仏教の影響を受けた神道において行われていたとしても、同様である。

 その教説への信仰を有しているというなら神社神道ではないし、有していないというなら、Aを行うについても何の効験もないであろう。

 つまり、無意味ということだ。


6.3.6

 最近、学生だった頃のことを思い出す(ここに書く)のが多いのは、今年から人様にモノを教えることになったからかもしれない。

 読み返してみると、確かに学習、知識やその周辺を、たびたび話題にあげている。

 これは、意識してではない。

 小学生から高校生まで、子供の学習を見てきて、それでメシを食っていたこともあったけれども、今度は専門学校の生徒が相手だ。

 ある知識を「こう伝えれば理解しやすい」、あるいは「この手順が王道」などなどノウハウではなく、知識の断片について思い出すことが多いのは(我ながら)興味深い。

 そうした断片が、ノウハウの「引き出し」となっているのか。

 なお、今のところ、まだ下調べを何もしていない。


6.3.5

 大野芳『「宗谷」の昭和史』(新潮文庫)読了。

 積ん読撲滅キャンペーン実施中。

 もう40年ほど前になるが、『南極物語』という映画が人気となり、関連本も多数、出版された。

 昭和基地から帰還する際、連れて行った樺太犬を置き去りにせざるを得なくなる。

 翌年、また上陸したところ、タロとジロの二匹だけが生きていた。

 そんな感動物語だが、今考えてみるとヒドイ話である。

 その観測隊を運んだのが「宗谷」で、かつては海軍の特務艦であった。

 本書ではソ連の発注による建艦から始まり、年代順に筆を進めていく。

 ところが私にはこれが、実に読みにくかった。

 筆者の他の著作も同様で、途中で放棄してしまったものもある。

 なぜか。

 試みに、適当にページを開いてみると、太平洋上のトラック環礁に、

「水上機母艦「神威」が停泊していた。竣工から十九年を経た神威は、ウェーク島攻略に大活躍をした横浜空の母艦である」(119頁)

「竣工から十九年を経た」は不要であろう。

 あくまで「宗谷」が主役であって、神威の情報はそれほど重要ではない。

 別に、僚艦が建造されてからの正確な年数を知りたいわけじゃないのだ。

 老朽艦ばかりがいた、というなら、そう言えばよい。

 また、横浜空(横浜海軍航空隊)が大活躍、というのは誇張か、事実誤認であろう。

 同島攻略は航空戦力(神威を含む)の不足のため、増援を受けてようやく成し遂げられた。

 だいいち、このとき航空攻撃の主体となったのは千歳空である。

 筆者が膨大な資料を読み解いて、本書をものしたのはわかる。

 だが、ときどきこのような箇所があると、新聞を読ませられているような気分になってしまうのだ。

 今後、筆者の著作はちょっと、単行本はおろか、文庫本でも手を出しにくい。

 本書を含め、これまで筆者が扱ってきた題材には興味をひかれるものが多いので、残念である。


6.3.3

 今と同じくらいの日経平均を記録した頃の話。

 高3の頃、世界史をとり、優秀な成績を修めた。

 別に頭がよかったわけじゃなく、当時は歴史が好きだったからだ。

 ところが通っていた高校では、2年時に履修する科目を受験科目にするよう推奨されていた。

 単純に時間数が多いこと、勉強時間を受験まで多く取れることが理由だったろう。

 教科担任の先生は「受験科目じゃないのに真面目にやる姿勢が、必ず実を結ぶときが来るよ」と仰ったものだが。

 卒業以降しばらくの間、はたして実を結ぶことがあったのだろうかと、たびたび思ったものだ。

 第一、マジメにやったのではなく、単純に好きだったから勉強しただけだ。

 いや、何かの役には立っているのかもしれない。世界史の学習を通じて得たことは……。

 嫌いなことをやるのはツラい。

 何か必要があって努力しなければならないのなら、自分を騙してでも好きだ・楽しいと思い込ませる方が楽。

 そこで、自分を騙すテクニックをさまざま、身につけるのが先決である。

 今、考えられるのは、そんなところだろうか。


6.3.1

「年間降る雪の量って、結局変わらんのよー」とは、よく聞く話。

 ある時点まで少なければドッと降ることがあるし、多ければチョボチョボ少量が降り続くなどして、帳尻を合わせるようなことをしてくる、と。

 ここ最近、用事で北見市の市街地に行くことが続いた。車で20分くらいの距離である。

 ところが脇道に入ると道路の左右に結構、雪が積み上げられており、交差点では見通しの悪いところもあった。

 ビックリした。

 当地は郊外、それほど雪は積み上がっていない。雪の降り方は市街地とそう変わらないはずだ……と、そこで気づく。

 わが神社、どこにでも雪をはね飛ばせることに。

 いや、さすがに御社殿や境内社の前、参道などには溜めないけれども。

 そうして目の前に雪が積み上がっていないから少なく思えるだけで、実は今年の降雪量、今のところ多いのかもしれぬ。

令和6年2月

6.2.28

 早朝に境内の見回りをすることが多い。

 先日、歩いていてキキッと声がしたかと思うと、何かが樹をすばやく駈け登っていった。

 見上げると、エゾリスである。

 樹の幹にしがみついて、不動の構え。こちらが近づいてもジッとしていた。

 そのまま、しばらく観察していたのだが、エゾリスは身じろぎひとつしない。

「ボクは樹の枝です。ボクは樹の枝です。ボクハ、キノエダデス……」

 だが、登ったのがアカマツなので、灰色の体毛は目立つのであった。

 人間の社会でも目立たないよう生きるのは、たいへんだ。

 自分の置かれている環境を、よく認識しなければならないのだな、と、そんなことを思った。

 私はできるだけ目立たないよう、生きていきたいのだ。


6.2.26

 ひさしぶりに朝からの雪で、今日は国旗掲揚もお休み。

 この時期、国旗を掲揚塔のヒモにくくりつけ、ヒモを引っ張ってあげて……というのが、なかなか大変なのだ。

 寒さで手が凍えるからである。

 昨日、7年前の3月6日の画像を見て、驚いた。大雪で参道が埋まっているではないか。

 参道の地面が見えている今年とは、エライ違いだ。

 来月10日には、境内で人形をお焚き上げするので、ある程度、雪が積もっている方がよい。 

 あくまでも「ある程度」。

 大雪はたくさんだ。

 さて、春まであと、どれくらい雪が降るか。

 天気予報は、雪に関しては、けっこう当てにならない。現に今の時間、雪が降るとは言っていない。

 天のみぞ知る、といったところだ。


6.2.25

 白洲正子『かくれ里』(講談社文芸文庫)読了。

 先日から、積ん読撲滅キャンペーン実施中。

 紀行エッセイ。主に近畿地方の、あまり知られていない古寺や古社を巡る。

 神仏関係の話題となることが多いから、神代から古代は当然として、中世、近世と自在に筆が及ぶ。

 日本史、特に宗教史の知識があれば、本書をより楽しめることだろう。

 本書の単行本が刊行された当時(昭和46年)から、半世紀ほどが経過した今。

 どれだけが残り、どれだけが消滅したのだろう。残っていても時代とともに、変わってしまったもの・ことも、多数に及ぶのだろう。

 ここに描かれているのは、もはや「古きよき日本」である。

 とはいえ、骨董への透徹した目を持つ白洲正子は、観測者として最適だったのではないか。

 悠久の歴史のうちのある一点、ある一時期を観察し、言語化するには適任だった。

 その「歴史」とは教科書にのるような、大文字の「歴史」ではない。

 その時代時代に生きた人々の精神、生活がうかがえる小文字の「歴史」である。


6.2.24

 正座をすると足が痺れる。

 神主としては、できるだけ痺れないよう、痺れるまでの時間を長引かせるよう、多少痺れても普通に歩けるよう、経験上いくつもテクニックを持っているものだが。

 さて。

 天皇陛下は、秋の終わりの新嘗祭で二時間ずつ計四時間ほど、正座なさる。

「痺れた状態になられることは、ないんですか?」と誰かが伺ったところ、

「神事に集中していれば、痺れません」との、お返事があった。

 確かに、緊張するなどして余計なことを考えれば、すぐに痺れる。

 これまで祭事中に足が痺れることもあったのは、集中力が足りなかったからだと、反省した次第である。


6.2.22

 猫の日につき、今日は猫を特に可愛がる予定。

 それはさておき、昨日、境内の氷割りをした。

「水割り」ではない。酒を飲むのではなく「氷割り」である。ツルハシで地面の氷を割っていくのである。

 先日の気温上昇で雪がとけ、それが朝晩の寒さで凍る。境内のあちこち、もうツルツルになっている。

 参拝者が転ぶ恐れがあるので、そんな作業が必要になるわけだ。

 これも例年より一か月早い。二月後半にやらねばならないとは。

 -5℃くらいでも、天気がよければヒナタの雪はとける。

 今日もよい天気になりそうだ。


6.2.21

 夏目漱石『それから』(岩波文庫)読了。

 再読。まあ漱石は読ませるのが上手い。

 それにしても、主人公の代助。高校生のころに読んだときは、自分よりちょっと年長の男はこんな風に考え、行動するんだな、と思ったのだが、今回は代助の父や兄に同情したのだった。

 30歳というのに働かずに親がかり(書生・召使つき)、しかも一軒家に住むというゼイタクさ。

 今風に言うとニートだが、こんな恵まれた環境、ちょっと現代のニートも代助には感情移入できまい。

 代助は旧友の平岡と、ヒロイン・三千代の結婚を取り持った過去がある。

 それが、三千代への愛情を今更確認し、三千代に告白する……とまあ、プロットだけ見ると、しょうもない話である。

 父や兄から結婚を勧められ、お見合いさせられるなどの過程で三千代への感情に気づいていくわけだが。

 三千代と結婚したいと意志表示をすることを、どうも代助は軽く考えていたと思えてならない。

 平岡との絶交が決定する場面でも、父からの経済的援助が打ち切られそうな場面でも、急に取り乱すのだ。

 私も歳をとっているから、むしろ父や兄の言い分、また行動や生き方の方がごく全うに感じられる。

 こんなのが弟、息子だったら、やりきれんなあ……と同情しさえする。

 結局、代助にとってはバッドエンドとなるが、いい大人が読めば「当たり前だろう」との感想を持つだろう。

 最後の方では、まだ所帯を持つ段階までいかないのに、病弱な三千代の死も匂わされている。

 唯一、兄嫁の梅子の存在が救いだろうか。

 むろん父や兄側の人間だが、両者の間を取り持つのはもちろん、よく気がつくし、当座の生活費を代助に送るなど、あくまで代助には優しい。

 これには、作者漱石の兄嫁のイメージが投影されているのだとか。

 そのためか、ヒロイン三千代よりも魅力的に感じられる。


6.2.20

 なんと、アオサギが戻って来てしまった。

 例年、3月15日前後に南から飛来、20羽くらいが参道両側の樹上に駐屯する。

 未婚のアオサギは当地で結婚するし、もう結婚しているアオサギは基本的にそのまま、つがいでやってくる。

 そうして巣作り、子育て、巣立ちさせ、9月後半から10月前半にかけて南へ帰っていくのだが……。

 一か月ほど早い。若者ならばヤバイ、ヤバイを連発するところである。

 個体差があるだろうし、寒さに強いアオサギがフライングしたのかもしれないものの、こうなると今後の気候が気になるところだ。

 確かに今季は例年より温かく、雪が少なかったし、この先の雪解けも早そうだ。

 問題は夏である。昨年以上に暑くなるとしたら……。コレハモウ、北海道ヂヤナイヂヤナイカ。


6.2.18

 このところ異常気象で温かい。

 二月というのに、真冬日とならない日があるどころか、あすは気温が十度を上回る見込み。

 もともと積雪の少ない、鳥居付近の参道など、もう地面が出てきてしまっている。

 北見に来てもうすぐ丸七年になるが、こんなことは初めてだ。

 大雪が降って雪かきした……のも、今季はまだ四回しかない。

 昨年の夏は暑かった。今年はどうなるのだろうか。

 よほどの冷夏でもない限り、いよいよクーラーを買わなきゃなるまいな。


6.2.17

 田中貢太郎『日本怪談実話』(河出文庫)読了

 筆者が取材した怪談を、断章形式で並べたもの。似た話が数話並んでいることはあるが、それぞれの話群の並び方に規則性はないようだ。

 つまり、最初から順をおって読む必要はない。どこを読んでもよいし、どこを読まなくてもよい。

 怪談好きの中には、ひたすら怖さを求める人がいる。恐怖ジャンキーとでもいうのか、カレーは辛くなければならぬと激辛ばかり追い求める人に似ている。

 そして、そんな人がどうも主流派のようなのだ。

 恐怖ジャンキーにとって本書は不向きだろう。創作ではないから、各話これといったオチもないし、話材そのものがこんにちの「怪談」にはそぐわないものさえある。

 しかし、幕末から昭和戦前までの世相、風俗がときどき垣間見え、これが面白い。恐怖を追求するだけが、怪談本を楽しむ方法ではないことを思い知らされる。

 それにしても、こうした本を読んでいて背筋がゾッとするような感覚に最後に襲われたのは、いつのことだったろう。

 他ならぬ私自身が、恐怖ジャンキーなのかもしれない。


6.2.16

「~いたす」を「~致す」と書くのは間違いだとの言説を見かけた。

 そうは言っても、漢字の「致」に「イタス」という訓がある以上、間違いとは言えないのではないか。

 間違いだという根拠のひとつとして、公用文では「ご案内いたします」などと漢字を用いないから。

 またもうひとつ、漢字の「致」を使うと意味が変わるから。

 ……という。

 前者。公用文での使用法は「基準」とはなりえても、「正誤」の判断材料とはならない。

 ビジネス文書を作成するとき、公用文にならうのはまあよい。

 だが、公用文での使用法は私文書、プライベートなメール、SNSの発言などなど、個人の漢字の使い方まで規制するものではないだろう。

 後者。これは「致」に悪い意味があるから、「~いたす」というとき漢字にしない、とも聞いた。必要以上の忖度というものである。

 また、「~致します」と漢字を使ったところで、意味が変わるわけがない。

「ごはん」と「御飯」。「たぬき」と「狸」。似たところで「~もうします」「~申します」でも同様。

 あることばが「正しい」かどうかを判断するのは、ときに難しい。

 ただ、官に漢字の使い方を制限されては、たまらない。

 公用文での使用法は公用文の中だけで、完結してほしいものだ。


6.2.15

 井上靖『幼き日のこと 青春放浪』(新潮文庫)読了

 再読。自伝エッセイ。筆者は旭川で生まれ、小学生の間の大部分は天城湯ヶ島、中学生は沼津、高校は金沢で過ごす。

 最初は豊橋の中学に入り、その卒業後は浪人。大学は九州帝大、のち京都帝大、学校に通わず東京に在住するなど題名どおり「放浪」している。

 筆者の自伝的小説としては『しろばんば』『夏草冬濤』『北の海』があって、本書には、そうした小説のネタバレ的な要素もある。

『北の海』は沼津中学校を卒業後、浪人中に、旧制四高の柔道部員との出会いから同校を受験しようと決意する経緯を描いている。

 これを中学三年のころ、高校受験のときに読んで、おおいに感情移入した。だが、主人公は旧制だから、こんにちの大学入試に相当するだろう。

『しろばんば』は、ときどき再読しているが、もう主人公の洪作少年に自分を投影することはできない。

 ただ、舞台となっている天城湯ヶ島はただただ懐かしい。もうひとつ、故郷があるようなものである。


6.2.14

 今日は、わが家に猫を迎え入れた日である。

 二匹いて、どちらも氏子さんの家から五年前、同時にもらってきた。

 当時一歳くらい、そのころの画像を見ると、顔にあどけなさが残っている。身体も小さい。

 もらって来た直後、茶白(♀)はすぐにカリカリを食い、ストーブ前で寝た。

 黒(♂)はテーブル下の椅子に隠れ、しばらく出て来なかった。だが、茶白の様子を見てか、しばらくすると警戒を解いて、一緒に寝始めた。

 以来、ときどき取っ組み合いをしているが、もらってくる前から仲がよかったようである。

 ただ雄雌の違いなのか、黒の方がパトロール好きで、寂しがりやでもあるから……今朝は枕元でニャーニャー鳴かれ、目を覚ました。


6.2.12

 一般の方には、夢を壊すようなことだけれど。

 こんな神主には気をつけた方がいいですよ……という例を、いくつかあげる(何に気をつけるんだか)。

①祝詞を読んでいるとき、祝詞を書いた紙の上端が、その神主の目線より下がっている。

②おじぎをするとき、頭を下げる。

③祭事のようすなどをネット上で公開する際、御扉が開いた状態の画像をあげる。

説明しよう。

①祝詞を読むときは「神様に顔を見せるな」、持っている祝詞を下げないよう指導された人も多い。

 これは、持っている位置で意味合いが変わるからだ。祝詞の位置を自分の目線より下にすれば、自分より目下の人に発言することになる。

 神様に不敬であるのはもちろん、何か祈願を取りついでもらうとして、お聞き届けいただけることはないであろう。

②これは「よさそうなものだ」と思われるかもしれないが、おじぎは頭を下げるのではなく、腰を折るもの。

 神主の作法では、場合に応じて、おじぎの角度やその角度を保つ時間も決まっている。

 だが、頭を下げることでその角度にしようとすると、これが実にみっともなくなる。作法の解説でも「腰を折る」と書いてある。

③御扉は御社殿内、御神前の扉。その神社の構造にもよるが、御扉を開ければ内部にもうひとつ扉があり、その奥には御神体が納まっていることが多い。

 これでお分かりいただけるだろう。御扉が開いた状態を不特定多数の目に常時、触れさせるのは不敬なのだ。

 御扉を開ければ、そこに御簾が下りていることも多い。私は御簾が下りている状態ならば中は見えないし公開しても、と思うが、それでも不敬ではないかと考える神主がいるはずだ。

 そもそも、大きな祭事でもなければ、御扉を開くことはない。そのためのカギの解き方、カギの置き方なども、みな決まっているくらいだ。

 つまり、御扉を開くような祭事の意味合いも、軽くなってしまう。

 ①③は本人の崇敬心の問題。②は自覚の問題。

 私もそうだが、神主学校を卒業以降、お作法は誰でも、しらずしらずのうちに我流になっていく。

 ときどき研修に出るなり、ほかの神主と話すなりして修正するわけだが、どうしてもその「我」の部分は出てくる。

 そこに本人の人間性や崇敬心が出てきてしまう。そう考えている。


6.2.10

 大学時代、第二外国語としてフランス語をとっていた。

 わりとマジメに勉強したが当時も今も話せないし、読めもしない。だいたい、フランス人に会ったことさえない。

 四年生のときはフランス語講読の授業をとり、『Le petit prince(星の王子様)』を読んだ。卒業するには単位数も足りていたし、趣味のようなものである。

 そのとき教えていただいたのは花輪莞爾先生で、実に美しい発音でフランス語を話された。

 ほかの先生はもとより、各種教材、ときどきテレビで耳にするフランス人の話すフランス語よりも美しい――そう感じたものだ。

 花輪先生が師事されたのは山田爵、この方もフランス文学者だが森鷗外の孫でもある。発音の美しさは、どうやらこのあたりに秘密があるらしい。

 ひとつだけ、授業中に発音のコツをうかがったことがあった。

「湿った」ような感じで発音するとよい、というものである。

 たいていの学生は中学以降大学まで、英語の発音に慣れてしまっている。ところが英語の発音は「乾いている」のだ、と。

 感覚的な教授法だが、腑に落ちたのだった。

 これは私が『王子』の指定された場所を音読しているとき、先生がおっしゃったことだ。

 今となっては本文を声に出して読めるかもアヤシイけれど、街中などでフランス語の単語を見かけるたびに「湿った」ような感じで発音する――というのを、思い出す。


6.2.8

 昭和20年、わが国がポツダム宣言を受諾した後、今のロシア、昔のソ連の軍が占守島を攻めた。

 占守島は千島列島の北端の島である。結局、日本側の守備隊はソ連を撃退、侵攻を食い止めたことで北海道が無事だったとは、よく言われるところだ。

 当神社の氏子が守備隊に加わっていたというので、当時の話を聞いたことがある。

 だが、戦闘時の苦労はほとんど語っておられなかった。むしろ冬の寒さと、物資の窮乏が「たいへんだった」と。

(話をうかがった当時で)70年以上前の記憶となると、寒かったり、腹が減ったりした方が強調されて残るのだろうか。

 この方も、もう亡くなられてしまった。もう少し、話を聞いておけばよかったと思うことがある。


6.2.6

 今度の年末年始では祝詞・祭詞を計11折、書いた。奉書紙に浄書したのが計11折であって、草稿や下書きの類は含まない。

 祝詞や祭詞を書くのは、それを奏上すべき祭事の準備の一環、つまりは必要に迫られてのことである。

 三日に一折のペースで作ったわけで、こんなに書いたら、さぞかし字が上手くなるだろうと思いきや、さにあらず。

 決して書き飛ばしたわけではなく、どの祝詞・祭詞も、むしろ丁寧に書いたというのに、上手くならなかった。

 だいたい、私は自分の字がキライである。自分で納得のいく、美しい字を書きたいものである。