私は、これまで、「日常知と学問知をつなぐ」という、ジェンダー研究の理念に共感し、追求してきました。この「日常知と学問知をつなぐ」という理念は、私の研究にも教育にも一貫することであり、そして、私が研究対象としてきた女性教員も実践にも連なることであると私は捉えています。
そして、個と個がつながり、命を活かしあうことによって、多様性や違いを尊重することを大事にする社会を、命ある限り創造していきたいと考えています。
現在、私たちは、気候変動や経済など地球規模での課題を抱えています。こうした課題が明るみになるにつれ、産学官を問わず、複雑な現代社会状況の中で、個々には対立する諸側面を統合的・俯瞰的に捉えていくことが必要となってきています。
統合的・俯瞰的に物事を見通す際に重要なことは、分断を超えて、共に存在することであると私は考えています。
この考えに基づき、私は教育するときの立脚点を、「教えるのではなく、学ぶ」。すなわち、学生の日常の中の出来事を出発点として、共に学ぶことに置いてきました。
そして、大学という場において、過去の経験では解き明かせない新たな答えを探し続けるために、教える立場と教えられる立場という二分法によらず、共に学ぶという対等性を大事にしながら講義を展開するよう心がけてきました。
ときに、ジェンダー研究は、差別を告発し、人々の言動を取り締まるものであると誤解されていると感じることがあります。それは、“正しいジェンダー”が存在するという前提に立っているからだと私は考えます。
一方、私の目指すジェンダーの講義では、“正しいジェンダー”の知識を教える教育ではなく、日常に感じる素朴な疑問や日々の経験を持ち寄って、率直に学び合います。
なぜなら、学生の日常的な体験に基づく知とジェンダーという学問知を橋渡しする講義をしたいからです。そのため、講義のトピックには、学生が日常知を持ち込みやすい、家族形成とキャリア形成を軸に据えてきました。学生がそれぞれの日常知を持ち寄ることによって、多様な中の一人として自分の経験を絶対化できないことを学ぶことができるのです。
すなわち、受講生がそれぞれの日常知を持ち寄ることは、多様性を学ぶことにもつながるのです。
そして、日常知が多様というだけではなく、その多様性はどこからきているのかを学生が学ぶために、学生が自ら考える時間を多くとるように心がけています。たとえば、一方向講義形式の場合にも、教員からの問いかけを多くし、受講生の様子によっては、講義時間内外の課題、3~4人のグループ討議やペア討議、紙面ディスカッションを設定し、他の受講生の意見を知る機会も設けてきました。
ジェンダー研究の議論を、身近な事例に即して考え、他の受講生と対話することによって、自分たちの経験が、いかにジェンダーと関連するのかを学生は学んでいきます。この過程を通して、自分自身と他の受講生の経験に共通するジェンダーが埋め込まれた社会のあり方をつかむと同時に、ひとりひとりは多様であることを認識していく。以上の講義を通じて、ジェンダーという学問知が、自らの経験知とむすびつき、目の前の事象をジェンダー視点で捉えることができる教育を私は目指しています。
その結果、比較的うまく講義が展開した場合には、私の講義を終えたときに、受講生からは次のような感想が寄せられます。「ジェンダーは、ひとりひとりの生き方の話なのだ」と。
率直に意見を交換するためには、心理的安全性を保つための工夫が必要です。その工夫のひとつとして、大切にしてきたのが、話の聴き方です。すなわち「“聴く”をベースに学ぶ授業」。これが私の講義の代名詞でもあり、ジェンダーだけでなく、社会調査や社会学、労働問題、キャリア形成を教える際も、私は「“聴く”をベースに学ぶ授業」を展開してきました。
技術革新のスピードが速まる社会において、常に知識をアップデートしていくことが必要になってきます。日常知と学問知をつなぎ、自らの興味関心から学びを探究していく姿が、これからますます求められると考えています。
そのために、授業を担当する教員のあり方として、「自分自身の至らなさをさらけ出しながら、共に学ぶ」ということを心がけてきました。至らなさにこそ、学びの伸びしろがあることを受講生に教員自ら見せ、受講生が素直にわからないと言える場となること目指してきました。わからない/できないは、恥ずかしいことでも、弱みでもなく、伸びしろである。これが、私が受講生に一番伝えたいメッセージです。
こうした考えに至る過程には、私がこれまで研究してきた小学校の女性教員という対象が欠かせません。
女性教員は、ジェンダー不平等に抑圧されるだけでなく、主体的に自らの労働環境を改善し、キャリアを切り拓いてきた存在であると私は捉えています。
これまでの研究においては、戦後から高度成長期にかけての小中学校の女性教員の歴史を焦点化し、産休保障のために、産休代替教員を法制化した過程や、育児休業制度を法制化した過程を明らかにしてきました。それにより、児童・生徒の母親たちという階層の異なる女性労働者の処遇を見据えながら広範に運動を展開したことや、産休代替教員の法制化によって、新たに生まれた職種である産休代替教員という非正規雇用の教員の処遇改善を1960年代から追求してきたことが明らかになりました。
女性教員たちが運動を追求する過程において大事にしてきたことは、「日常知と学問知をつなぐ」ことに連なると私は考えています。産休保障や育休要求の運動は、日常生活で感じる労働や教育の問題状況や、職場や家庭における納得できないと感じる問題にいかに対処していくかといった「日常知」からスタートします。同時に、女性教員は、知的な職業集団でもあるため、女性解放論などの理論を学びます。そして、女性教員たちは、運動方針化に向けて、全国の女性教員の実態を捉える調査等をする中で、再び、日常の経験と理論をつなぎながら、女性教員の実態に即して女性解放論が目指す方向性とは異なる運動のスローガンをかかげていったことが、これまでの研究から明らかとなりました。
これからは、産休・育休といった出産後の継続的な就労が制度的に保障された後の時代について研究していく予定です。出産後の継続的な就労の制度的基盤である産休代替教員制度や育児休業制度の実現の後、女性教員の就労継続において、課題となったのが、退職勧奨という労働慣行です。1985年まで教員には、定年がなく、退職勧奨が行なわれてました。
その際、退職勧奨の年齢は、男性教員は平均55歳以上であるのに対して、女性教員は平均50歳以上と、平均5歳以上の差があったのです。加えて、夫が校長や教頭といった管理職になると、妻が退職勧奨を受けるという労働慣行も残っていました。
こうしたジェンダー不平等を是正するために取り組まれた運動を保護者や地域住民の同意を得ながらいかに運動してきたのか、あるいは、同意がなかったのかを分析していきます。
もうひとつの研究課題は、1985年の定年制度の導入以降に焦点化されます。定年制が導入され、50歳以上の女性教員が増えたことによって、次に課題となったのが、女性教員の管理職登用者が過小であるという問題です。日本教職員組合が女性管理職登用を運動方針に掲げることはありませんでしたが、50%近い都道府県教職員組合が、1990年代に中堅期の女性教員に対する低位化・周辺化の問題として、女性管理職登用を運動方針に据え、都道府県教育委員会に女性管理職候補の名簿を提出するといった女性管理職登用に向けた運動を展開したといわれています(佐藤 2018)。同時に、佐藤智美(2018)の大分県での事例研究によると、1990年代のジェンダー平等教育の実践が、2000年代の女性管理職出現に影響を与えたことが明らかです。
けれども、これまでの学校女性管理職の出現を扱った研究は、女性教員の運動と女性管理職出現の連関を捉えてこなかったため、大分県以外の動向は未解明のままです。女性教員の運動の等閑視は、「実質的なジェンダー平等の実現」を目指してきた女性教員の主体的な側面の軽視につながりかねません。
したがって、ジェンダー平等教育の実践が、他の地域では、女性教員のキャリア形成にいかなる影響を与えたのかを分析していく必要があります。具体的には、東京都X市を事例に、1990年代の市立小学校におけるジェンダー平等教育の実践と、輪番で主任をまわす学校運営の実態、および、地域の公民館で盛んに行われていたジェンダー平等社会教育との連関を、社会運動と労働運動の両方に着目しながら分析していきます。
そして、ジェンダー平等教育の実践が教員のキャリア形成にいかなる影響を与えたのか、2000年代の教育改革や、ジェンダー平等に対する“バックラッシュ”と呼ばれる社会現象が、ジェンダー平等教育や教職におけるジェンダー平等を目指す運動にいかなる影響を与えたのかを考察していきます。
戦後の女性教員による労働運動は、その膨大な記録にもかかわらず、これまで十分な関心が向けられてこなかったといえます。その理由は、男性主導の教職員組合において、女性の存在が不透明化され、女性が主体的にジェンダー平等を切り拓いた運動が見えにくかったことが考えられます。女性教員が、児童・生徒の母親や、地域住民といった他の労働者と連帯し、組織の男性中心主義に対抗してきた教職員組合女性部の運動を考察することは、労働組合が常にジェンダー不平等を再生産してきたわけではないという点において、労働組合とフェミニズムの新たな側面を描き出すことにつながると考えています。
以上のように、女性教員は、職場や生活環境の中で感じた問題をスタートラインとしながらも、当時の女性解放論にも学び、自らが日常的に感じている問題や、その問題から生じる要求の正当性を確認してきました。この女性教員の営みは、私が重視したいと考えている「日常知と学問知をつなぐ」ことに連なっていくものであると考えています。私は、女性教員の歴史的事例に着眼するからこそ、「日常知と学問知をつなぐ」ことを考える立場をとり、同時に、女性教員の運動を重視して、ジェンダー平等実現に向けての過程や、日本社会がもつジェンダー構造を解き明かす研究をしているのです。
「日常知と学問知をつなぐ」ことを重視して研究する上で心がけていることがあります。それは、研究者としてではなく、日常を生きる生活者として過ごす時間をもつことです。8時半以前、17時以降は、仕事をせず、休日をしっかりとり、生活者として日常を生きることも心がけています。研究者以外のコミュニティにも顔を出し、研究者以外のつながりをつくることも大切にしています。
私のゼミでは、「社会人メンター」と呼ばれる話し相手が学生に一人ずついて、月1回30分ずつ、学生の話をただ聴く時間をとっています。教員一人で学生に向き合うのではなく、多様な背景をもち、異なる年代の人びととともに、学生に向き合い、ともに学ぶ。意図してできたつながりではありませんが、研究に向き合う姿勢として、「日常知と学問知をつなぐ」ことを追求した結果、教育においても、心強い味方がたくさん集まるようになりました。
このように、私は、研究でも教育実践でも「日常知と学問知」とつなぐことを大切にしてきました。
「日常知と学問知」をつないだ先にある未来は、個と個が互いを尊重しながらつながり、命を活かしあう社会であると考えています。
あらゆる いのちの尊厳のために……
私は、労働組合の連帯の歴史を追いながら、抑圧されるだけではなく、主体的にジェンダー平等を切り拓いてきた人々に学びながら、これからも、自らの至らなさをさらけ出しながら、誰かとともに歩んでいきたいと思います。
引用文献:佐藤智美,2018,「管理職進出における女性教員の努力と連帯についての一考察――1990~2010年代初め 大分県日教組女性組合員の場合」『日本教師教育学会年報』27: 86-96.