愛宕神社の由来
愛宕神社の由来
<愛宕神社の由来>
愛宕神社の本殿は後瀬山 (168 m) の山頂にあり、若狭守護武田氏の館跡に建っています。後瀬山は、関ヶ原の合戦後に若狭国を拝領した京極高次公が海岸へ城を移すまで、国政の中心となったところです。
社寺由緒記によりますと、元和元年 (1615 年) に後瀬山麓の神明神社の神主菊池治部太夫が白羽の矢を見つけ、神にお告げを乞うたところ、愛宕大権現が神主の夢の中に現れ、「後瀬山上に社を建ててこの白羽の矢を安置すれば国家の守護神となるであろう」と告げられたので、後瀬山上に草庵を建てて、白羽の矢を納めました。
後瀬山城の廃城後、元和元年 (1615 年) に火伏せの神としてこの山頂に鎮座された愛宕神社は、京極忠高公の姫君の支援によって社殿が建てられたと伝えられ、以来京極家の家紋「四ツ目」を社紋とする神社となりました。
この社殿は長い年月の中で、風雨にさらされたり、度重なる災害を被り廃墟となったこともありましたが、その都度修復されてきたようです。
近年では、昭和36年 (1961 年) 6月に落雷のため社殿が焼失しましたが、伏原区民総出による懸命の働きで、昭和38年 (1963 年) 4月に再建され、現在に至っています。
なお、元和6年 (1620 年) には、霊夢を見て感激された京極高次公夫人のお初さん (常高院) が侍女に命じて、秘蔵の仏画「地蔵菩薩十王図」一幅を愛宕神社に寄進し納められています。
<四社参り>
小浜では、「四社参り」と称して、市民が市内の由緒ある神社へお参りする習慣が現在も続いています。氏神の「八幡さん」、火の神の「愛宕さん」、水の神の「瀧の天神さん」と「神明さん」(熊野山) の四社であります。
この小浜の「四社参り」は、江戸時代初期から始まったもので、八幡・愛宕・神明・天神神社の四社を正月に参拝する習わしであったようです。
<愛宕信仰>
愛宕信仰とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰であります。
愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者によって、江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められました。
中世後期以降、愛宕の神は火伏せに霊験のある神として、広く信仰されるようになりました。
日本全国で、「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約 1,000 社あるそうです。