安養寺は、南北朝時代の1338年、古鏡明千禅師によって開創されました。
古鏡明千禅師は幼少より大鑑禅師(清拙正澄)に参じ、後に元(今の中国)に入り求道修練を積んで禅の深奥を究めた。
帰国後には禅宗の禅道修行を定めた「百丈清規」を印刻して流布している。
足利尊氏の請を受けて京都の真如寺に住し、飯田市川路の開善寺、さらに五山のひとつである京都の万寿寺に住した。
安養寺は最初臨済宗建仁寺派であったが、天正十年(一五八二)の織田と武田の戦火で焼失後、中興開山の別伝智単禅師により妙心寺派となり今日に至っている。
開基・松岡伊予守貞景は禅による求法の心が深く、古鏡明千禅師を招請して開山と仰いだ。
安養寺記に「松岡貞景は古鏡明千禅師の室に入り、衣盉を頂戴し、戒法を受持して道山居士と号す」とある。
長野県下伊那郡高森町下市田には、町指定史跡の松岡城がある。
山号の語源となった、松岡氏は平安時代の終わり11世 紀末頃から、江戸幕府が開かれる直前の天正 16年(1588年 )徳川家康により改易されるまでの約500年の間市田の地を支配した。
松岡伊予守貞景が松岡城を築いたのは南北朝時代と言われており、およそ200年間松岡氏の本拠地となった。
松岡城の他に支城、属城など十余城が築かれ、段丘下東側に安養寺を建立した。
松岡氏の供養塔と伝えられる宝篋印塔が境内にある。
吉野時代の作で貞政の造立とされる。実父貞政の墓塔であるともいわれている。