戦後80年、私たちは今暗く不安定な時代のただ中にいる。絶対的な常識や価値観の神話は音を立てて崩れ、信ずるにたるものを失い、立ち向かうべきものも定まらず、この重苦しい世界を生きている。
かつて私たちの先人たちは、常に何か強大なものに立ち向かって未来を切り開いてきた。芸術においては、近代絵画も、アヴァンギャルドも、漫画も、みなそれぞれの時代の権威や固定観念に立ち向かい、それらを打ち倒して新しいものを生み出してきた。新旧の交代は時代の変化の常であった。
私たちの時代はどうだろうか。東西対立激しいころの階級闘争は鳴りを潜め、かつての権威は老いさらばえて見る影もなく、どこかで聞いたような即席のイデオロギーだけがこだまする。思想は多極化し、社会全体に影響を及ぼすような権力は過去のものとなった。人々は強力で統一された信念を持たず、ゆえに強力な信念を持つ単一の敵も存在しない。代わって、理論的な支柱などなく、思想的な理想もない、それでいて圧倒的な規模を誇る消費社会が一過性の流行や気分だけで自由を謳歌している。かつて明確にあった立ち向かうべきものは雲散霧消し、私たちは何と対峙すればよいのか、迷いと不安の抑圧の中で決められずにいる。
そんな時代に、私たちは何をつくればよいのか。
今必要なのは唯一無二の正解ではない。この曖昧で不確定な時代を、それでも前を向いて生きるための覚悟だ。それは、曖昧なものを拒絶せずに曖昧なものとしてそのまま受け入れ、理解しようとする勇気である。そんな勇気を持つためには、少しだけ心の余裕が必要だろう。いらだつ心を静めて、冷静に物事を観察することが欠かせない。そんなときに求められる芸術は、絶対的な神話を説くものであってはならない。
第一に、人々にエールを送るような作品をつくること。人々がそれぞれ持つ生きる力を奮い立たせるために——一時しのぎでも何でもよい——まずは不安の中にいる人々を明るい気分になるよう鼓舞するものをつくる。
第二に、押しつけがましい作品をつくらないこと。今が固定的な思想や考えを唱える時代でないのならば、いっそ一度勇敢にそれらを捨て、思いっきり人々の気持ちや感性に訴えかけるものをつくる。
第三に、わかりやすい作品をつくること。専門家特有の理屈ではなく、きれいな色や不思議な形、絵画ならではの表現をふんだんに用いた、人々によりそう、直感的に理解しやすいものをつくる。
願わくは、私たちの作品が一種の清涼剤となって、人々の背中をそっと押すことができればこれ以上のことはない。