記帳
Record
祀存
歴史 History
1791年 松前藩が勤場所を設置し、最上徳内が神明宮創建する。
1800年 伊能忠敬が東蝦夷地測量のため厚岸滞在する。
1843年 大きな地震と津波発生 ( 天保14年 )
1869年 蝦夷地を北海道と改め、11国86郡定 ( 釧路国厚岸郡設置 = 明治二年 )
1872年 厚岸病院
1891年 釧路郡役所に厚岸郡役所が併合し、湾月町ほか 3町 7村 戸長役場 設置
1900年 1 級町村制施行。4 町 7 村が、合併して、厚岸町になる。
1914年 厚岸—根室間で旅客自動車不定期運転開始 ( 大正三年 )
1917年 釧路—厚岸間鉄道開通 ( 大正六年 )
1972年 厚岸大橋 ( 完成 = 昭和 47 年 )
物語 Story
3歳 ~ 4歳頃 小児がんを患い、半年の余命を告げられ。闘病生活でノイローゼになった母親を見兼ねて、自殺という手段を知らなかった幼少期、来る日も、宮園~厚岸神社まで、往復して参拝し続けること、「 神様の所に連れて行ってください。どうかお母さんが楽になります様に 」と願い続けた。幼少の頃は、神様のいる所を天国と思い込んでいた。天国という単語を知らなかったから神さまの所行けば、親が楽になると必死に。
神社で願いごとは、礼拝所不敬罪。存在の前に願い事は、ただの侮辱でしかないことを理解するのは、もっと先のこと。神さまの所に行きたいと願い事をしたら罰を受けた。それは、どの様な痛みに苦しんでも、その存在が定めた寿命まで生きるという罰だった。人によって、罰の与えられ方が異なる。
伊勢神宮を参拝して、願い事をした平将門は即位直後に討伐され、家族や親戚も皆殺しにされている。願いが叶っても、叶った時点で命を奪われている。
伊勢神宮を参拝して、数々の勝利を収めていた上杉謙信も、願いがかなったと同時に上杉家の勢力が衰え、行方不明。
神社で、願い事をしたら、必ず大きな罰を与えられることを知ったのは、成人を過ぎてからだった。
厚岸神社の市杵さんは、男性に憑くと、月読で。月読は、伊勢神宮に祀られている存在。なので、市杵 = 二 = 月 = 月読です。市杵さんに願い事をしたら、きつい罰を受ける。
便から悪性のポリープが出て、延命され、日々、おなかの痛みを堪えながら、親の前では笑顔を装っての生活が続いた。夜もロクに眠れず、ご飯も、たびたびトイレで吐き、壮絶な痛さを堪えながらの生活。それでも、当時は、それは厚岸神社の神様が病気を治してくれた!と思い込んでいた。でもそれは、治したのではなく、神社で願いごとをした罰だった。楽に逝くより、痛みに苦しんで生きるという罰だった。
荒木伸行 - 記
御朱印 Calligraphy