「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」の故事は、戦国時代における策略家・蘇秦(そしん)の活躍を描いたものです。
彼が小さな者が頭になることを良しとし、大きな者の下につくことを嫌うという考え方、小国でも独立と主導権を持つことの大切さを説いたことが由来します。以下に、詳細な解説をします。
「鶏口牛後」は、戦国時代の策士・蘇秦(そしん)が、弱小国である燕の王に対して「牛の後ろに位置するよりも、鶏の口となる方が良い」と説いた話に由来します。大きな国の従属国になるよりも、小さな国でも独立を保ち、主導権を握るべきだと進言したのです。
「鶏口牛後」、小国でも独立を守るべきだと主張したこの故事成語は、 現在では個々の独立心や自主性を重んじる際に使われる教訓として残り、自分のポジションや役割がどのようなものであるべきかを考える際に用いられます。特に、「大きな組織で下位に甘んじるよりも、小さな組織で主導権を握る方が良い」という意味で使われることが多いかと存じます。
舞台は中国の戦国時代(紀元前5世紀 - 紀元前3世紀)です。戦国時代は、七大国が天下統一を目指して争いを繰り広げた時代で、燕の国はそのうちの一つでした。
この故事成語は、『史記』の「蘇秦列伝」に由来しています。
この言葉は、燕の王を説得し、小国であっても独立を守るべきだと主張する際に使われました。
『史記』の原文には、次のように記されています 。
『史記』蘇秦列伝より:
蘇秦曰:「臣聞之,寧為鶏口,無為牛後。」
「私はこう聞いています。鶏の口(頭)となることを選び、牛の後ろ(従属)にはならない方が良いのです。」
「鶏口牛後」の故事は、戦国時代における策略家蘇秦(そしん)の活躍を描いたものです。この故事の背景や詳細な内容、さらに蘇秦の暗殺に至るまでの経緯について詳しく説明します。
戦国時代は、中国が七大国(秦、楚、燕、斉、韓、趙、魏)に分かれて争った時代です。各国は互いに領土を奪い合い、時には同盟を結んで強国に対抗するなど、複雑な外交関係が展開されていました。
蘇秦は、こうした時代において、諸国を巡り、それぞれの王に助言を与えて国の存続を図る策士として活躍しました。
蘇秦は、戦国時代における外交の達人であり、彼は六国(韓、趙、魏、楚、燕、斉)を秦に対抗させるための合従策を提唱しました。
この時、燕の国は他の強国に比べて小国でした。
蘇秦が燕の国を訪れたとき、燕の王はその国力の弱さに悩んでいました。周辺には強国がひしめき、特に強大な秦の脅威が迫っていました。
蘇秦は、燕の王に次のように進言しました:
「大国の牛の尻尾に甘んじるよりも、小国の鶏の口(頭)となって独立を守るべきだ」
「大国の一部になって、その支配下に甘んじるよりも、小国でも独立を保ち、自らの運命を掌握する方が良い。牛の後ろに位置するよりも、鶏の口(頭)である方が、自由であり誇り高いのです。」
蘇秦は「鶏口牛後」という言葉を用いて、燕が独立した立場を維持し、大国に従属しない道を選ぶべきだと説得しました。
この「鶏口牛後」という比喩は、小さくても主導権を握ることの重要性を示しています。
燕の王は蘇秦のこの進言を受け入れ、結果、燕はしばらくの間、独立した地位を維持することに見事成功しました。
燕は他国と連携しながらも独立を保ち、大国に従属することなく自らの立場を守ったのです。
そして蘇秦の合従策に基づき、燕は独立を守りつつ他の諸国と連携を図り、秦の侵攻に対抗する道を選びました。
蘇秦(そしん)
蘇秦は戦国時代の著名な策士であり、合従連衡の策略を駆使して各国の王を説得し、連盟を築くことに成功しました。彼は一時、六国の宰相として絶大な権力を握りましたが、蘇秦はその権力のために、多くの敵を作り、最終的には趙の都で暗殺されました。
蘇秦はその生涯の多くを、国家間の駆け引きや策略に費やし、最終的には敵の手によって命を落とすこととなりました。
燕の王
燕の王は、蘇秦の助言を受け入れて独立を保とうと努力しました。燕は最終的には強国の秦により征服されましたが、その独立心を失わずに抵抗しました。この故事からは、小国でも独立と主導権を持つことの大切さが強調されています。
蘇秦はその後も諸国を説得して、六国を連合させる「合従策」を推進しました。政策は見事に成立、蘇秦は六国の宰相に任命され、絶大な権力を握ることになりました。
しかし、その権力の増大は、各国の中で彼を快く思わない者たちの反感を招きました。特に、蘇秦の合従策に反対する勢力や、彼を妬む者たちが暗殺を企てるようになったのです。暗殺者は、蘇秦の勢力に対抗する者たちで、彼らは蘇秦を討つことでその影響力を削ごうとしました。
一時は大きな影響力を持った蘇秦は政敵に暗殺され、波乱に満ちた生涯を終えました。そして彼の政策は崩壊し、燕を含む諸国は秦に屈服しました。
彼の提唱した合従策は崩壊し、六国は再び秦の勢力に対抗できなくなりました。秦はその後、次第に強大な力を持ち、他の六国を順次征服していきました。
蘇秦の策士としての生涯は、戦国時代の政治の複雑さと策略の重要性を象徴するものとして、後世に語り継がれています。