1代会長 横井利夫 (小牧市) 1968年~
2代会長 山下寿郎 (師崎) 1972年~
3代会長 鳥居鐐一 (三好町) 1975年~
4代会長 太田善一 (鳳来町) 1979年~
5代会長 市川恒雄 (日進町) 1980年~
6代会長 太田善一 (鳳来町) 1981年~
7代会長 山口伸彦 (設楽町) 1982年~
8代会長 鈴木政二 (知立市) 1986年~
9代会長 鈴木武 (桜井) 1990年~
10代会長 村上彰 (日進町) 1992年~
11代会長 横井敏夫 (美和町) 1994年~
12代会長 奥村岳宏 (足助町) 1996年~
13代会長 水谷憲明 (尾張旭市)1998年~
14代会長 八木丈之 (木曽川町)2001年~
15代会長 鈴木章 (足助町) 2003年~
16代会長 深津秀仁 (下山村) 2005年~
17代会長 関浩二 (東浦町) 2007年~
18代会長 森瀬仁 (足助町) 2009年~
19代会長 鈴木克尚 (みよし) 2011年~
20代会長 児島秀則 (祖父江町)2015年~
21代会長 加藤泰幸 (足助町) 2017年~
22代会長 山本亥織 (北名古屋市) 2021年~
ここでは現理事が歴代県青連会長方から直接お話を伺い、当時の思い出や後輩たちに向け熱いメッセージを紹介させていただき、今後の活動などの一つのヒントになればと思います。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A やっぱり友達だよね。
当時の愛知県は13支部の頃で72 商工会あったくらいだから、 3000〜4000 人はいたと思うんだけど、県青連の会⻑をやると愛知県中いろんな支部の方と知り合いになれるっていうことが一番強いんだよね。
中部ブロックの思い出は、
同期会長5 人とも結構仲良かったから、当時はよく飲みに⾏ ったりしていたよ。
最近はやっていないんだけど、卒業してからもたまに5人で集まって石川県⾏って、ゴルフやって、温泉入って、お酒飲んでみたいな!一泊二日でね!
年に 1 回くらい集 まってやっていたよ。
全青連の思い出は、
まじめな方で言えば、愛知県は47都道府県の真ん中って事で何か意見を言え!って言われてて、結構平気でいろいろ言っちゃって気付いたら輪の中心になっていることが多かったかな。
あとはやっぱり・・・会議が終わってからの・・・
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A 社業に対してはやっぱり、責任感が強くなったところかな。
⻘年部は会長・副会長って役職はあるけど、みんな同等だと思うんだよ。
そこで「これをやれあれをやれ」と言って、命令形ではやっぱり人は動いてくれなくて、仲間にはやっぱりお願いって形 をとらないとなかなか動いてくれないところがある、そういうのがちょっと会社組織とは違う けども、会社も同じイメージでいると社員も動きやすいのかなぁって思うようになった。
社業にとって悪かったこと?笑 やっぱり時間を取られるじゃないですか。 その時に限って仕事が入ってきたりする場合があって「留守なんですか。」って仕事を取りこぼしたりという事はあったかな・・・でも当時の社長が「取りこぼした仕事は自分で責任を取りなさい!」と言われ、余計に責任感が強くなったかな。
まあ結果として悪いことではなかったのかなぁ。
Q ③ 当時を振り返り、一番苦労した事は?
A 1 番プレッシャーを感じたのは、青年部手帳かな?
それがね、全国的にみんな買ってなかったのよ。
だから全国の会⻑会議でこれを全員携帯しよう!って話になったんだけど、愛知県もあまり普及していなくて・・・
それが一番プレッシャーだったかな。
なかなか買ってもらえな くて、 各支部へ頭下げに⾏って、「買ってください、お願いします!」ってお願いしてまわったかな。
・・・あとはやっぱり会議後の・・・飲み代かな。笑
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 県内どの単会も予算って少ないと思うんだ。その少ない予算の中、 知恵を絞って⾏くしかないんだけど、
やっぱり楽しくやってもらうこ とが 1 番なので、自分たちが楽しいと思う事業をどんどんやってください!!
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 地元の町おこしイベントかな。
地元のお祭りを通して、地域を盛り上げていました。そのお祭りをやることによって青年部同士の人間関係も深めていきました。
県青連時代の思い出といえば・・・
実は当時理事をやっていた頃、誰も来ないんですよ!理事会に。
結局「県青連」に魅力がなかったんでしょうね・・・
このままではいかん!ということで、
「県青連ブランド化」を考えていたんだ。みんながあこがれるような県青連にしようと奔走してたんだ。
そのおかげもあって何とかみんなが揃うようになったんだ。理事会に。
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A めちゃくちゃあったよ!!
青年部に力を入れすぎて会社が潰れそうになったよ・・・
気付いたら従業員半分いなくなってた。
そういう時に限って青年部の行事が忙しくて社業が疎かになるんだよ。
ただね、自分が強くなれたね。
青年部の仲間とは喜びや痛みを分かち合えた。
Q ③ 青年部が与えた自身への変化は?
A やりたい事をしようとすると嫌でも決まり事だったり、予算という壁にぶち当たるんだ。それでかな?
35歳の時に政治の道に進むことになったんだ。
当時は、青年部から政治の世界に進む人って少なかったんだけどパイオニア的な感じだったのかな。
政治でしか変えれないモノってあるからね。
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 情熱やな!!
時代は変わっていくけど、変わらないものってやっぱり情熱を持つってことだね。
すべてにおいてあきらめずに情熱を持って頑張ってほしい。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 一番の思い出って言うと、全⻘連の副会⻑の時に、青年部員を初めて国政へ送り出したことかなぁ。
松村さん(当時全青連会長・現参議院議員)は、全青連の会長を一期やってきた中で、「商工会をより良くする為には、国政へ出なければならない」とよく話していたんだ。
「だったら⻘年部がまず始めに動かにゃダメなんじゃないだろうか!」という考えで、松村さん本人が参議院選挙に挑戦したんだ。
結果として真夜中の2時位にギリギリ当選したけど、それでも勝った、自分たちでやった結果が残せたなぁ。という気持ちだったね。
初めての選挙っていうのもあって大変だんたんだけど、とてもやりがいがあった。だからこそ一番の思い出になっているかなぁ
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A 社業の面で言うと、商標登録が大きかったなぁ。
商工会から専門家を派遣してもらって申請をやってもらった。
会社をステップアップさせるとき、上手く商工会を使えばいろんな活用法がある。社業を発展させるきっかけをつかめるのが商工会じゃないかなって思うよ。
会員の困っていることを、指導員がちゃんと一つ一つ探してくれて、相談していくと自分たちの目指しているゴールに早く辿り着ける、というような事が起こる。そういう仕組みが凄い助けになった。
Q ③ 全国の方や⻘年部の時につながった方たちと付き合いは今でも続いていますか?
A 今でもずーーーーっと繋がっとるよ。
47都道府県の会⻑と友達になって、そのまんまずっと続いとる。
議員になって視察に行ったりするときに、例えば「広島に行くよ」とか、「秋田行くよ」とか言って一本電話すると色んな事を段取りしてくれたり、そうやってずっとそのまま繋がっとって、
今でもいい仲間だよ。
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 時代という環境にいかに合わせて社業を変えていけるか、どうやって生き残るか。もしできることであるならば、それを次の世代に繋げる事を考えてほしい。
自分が継いだ途端に自分の代で終わりだと思っちゃうやつが多い。
自分も家業を継ぐまでは、承継するのが責任だと思っていた。
そうじゃなくて、継ぎたい!と思ってもらえる魅力ある会社に・・・
次の世代に繋げられるように頑張ってほしい。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 私の時は40周年だったから、40周年大会かな!?
大会1年前になって、急遽会場が兵庫県但馬から東京に変更になって・・・
会場探しから大変で、なんとか武道館と赤坂プリンスホテルを破格の値段で抑えることができたんだ。
何とか大会も無事成功した次の日、赤坂プリンスから議員会館まで2000人の大行列で陳情に行ったんだ。
当時は「商工会不要論」みたいなのがあったからね・・・
それを払拭するためにみんなで議員会館に押し掛けたんだ!(笑)
もちろん警察の許可や段取りをしてね!!(笑)
あとは・・・甲子園で青年部野球大会をしたんだ!
ある宴会の席で「甲子園で野球がしたい!」「わかりました!」みたいな ノリで部員さんと約束しちゃったんだ。(笑)
全国各地で予選をやってね!
当時は甲子園を借りるのも今より大変で予備日なんて取れなかったから、雨が降ったら終わり!って状況だったけどなんとかなったんだよ。
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A やっぱりいろいろな人と出会ってたくさん刺激を受けたよ。
それで思ったのは「動かなきゃ!」だったね。自分で。
そのきっかけが青年部だったし、いろいろな業種の話が聞けて視野が広がった。
補助金や行政とのやり取りの仕方は建設業の先輩から教わったんだ。
まぁ・・・本業は少しだけ疎かになったかな。
その分頑張ったけどね。
会社ってより、自己成長に繋がったかな!
Q ③ 他にも印象に残った思い出はありますか?
A 当時うちの部員さん子供の体調の都合でに石垣島に移住したやつがいたんだ
石垣島の部長さんに連絡をしたら「同じ仲間だから!」ということで、住居から店舗まで全部用意してくれて、仕入れ先の相談まで乗ってくれて。
同じ志をもった人ならどこに行っても仲間だ!ってことでいろいろお世話になったみたいで、
今でも石垣島で商売をしているよ。
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 自分を一番にせず、育ててもらった人たちや地域、環境に感謝して恩返しをしていけるような人間になってほしい。
できない理由を並べるのは簡単なんだけど、まずは何のためにやっているのかを理解してほしい。
そして、地域の人たちから感謝されるような会社に育ててほしい。
地元への感謝の気持ちを忘れないでほしい。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 県青連会長時代の思い出といえば、全国大会(福岡ドーム)で大会宣言をさせてもらったことですね。
大勢の人前に立った経験もありませんから一抹の不安もありましたが、尊敬する方に相談したら・・・「関さん!やっちゃいな!」の一言でなぜか丸坊主に
しちゃったんですよ(笑)
それで肝が据わったみたいな・・・
そんな思い出が印象に残ってますね。
東浦町青年部での一番の思い出は、青年部長だった時に東海豪雨に見舞われ地域復興の為に「災害復興バザー」しました。
今、青年部でできることをやろう!と1か月もない準備期間で仲間たちと物品をかき集めイベントを開催できたことが印象に残ってますね。
あとは・・・
青年部活動を理由にして飲みに行ったり(笑)
飲みすぎて次の日体調悪かったり・・・(汗)
どれもいい思い出ですよ。
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A 当時、青年部には建設・土木関係の人が多かったんですよ。うちも大工仕事をしていて、単会で1チーム作れちゃうんです。
当時「みんなが揃えば家が建つね!」なんて会話から、本当に部員の家を建てちゃったこともありました。
こうやって青年部の繋がりで一つの仕事ができる。
そういう関係性を持てたことが、今の社業に活きてるなぁって思います。
Q ③ 関さんは当時30歳で単会部長をされたとお聞きしましたが、「若い」ということで苦労はありませんでしたか?
A 苦労どころか年上の先輩たちに可愛がってもらえました。
年齢なんか関係なく、部長として扱ってもらえた点がありがたかったですね。
他単会の部長さん達にも可愛がってもらって、今でもお付き合いをさせてもらってますよ。
若いうちからいろいろ経験させても貰えたので、県理事の話を頂いた時も抵抗なく引き受けることができましたね。
結果的には、一年生理事から副会長も飛ばしていきなり県青連会長になっちゃいましたけどね(笑)
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 何もわからずただ突っ走るのはダメだけど、普通の大人ならやらないようなことでも青年部だからやれるって事はいっぱいあるだろうし、青年部が動くと「まち」が動くってこともあるから。
ぜひ皆さんには青年部らしく失敗を恐れずにいろんな事に挑戦してほしい。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 一番の思い出?一番の思い出かあ。いろんな人と出会えて、刺激をもらったことですね。
実は会長を嫌々やったんでね・・・
怖い先輩に「やれ!」と言われて断れなかったんだ。
根性っていうやつだよ(笑)
でもやってみた結果、良かったなっていうことはいっぱいあって…
全青連だと、当時でいうと情報ネット戦略委員会という委員会があって、僕以外にパソコンが触れる人もいなかったので好き勝手にやらしてもらったことですね(笑)
単会でも好き勝手にやらしてもらって、補助金を活用して町の中にフリースポットを設置したりwebサイトを作ったり、まだスマホもない時代だったけどそういうことをやっていたのが思い出としてありますね。
いろいろ勉強になることはかなりあったかなぁ。
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A 青年部に入る前に「僕、時間ないんですよ」って言ってたんだけど、ある先輩に「時間なんて作るもんだわ!」って怒られて(笑)
青年部での事業や県青連、全青連の会議に行くためには都合をつけて出かけて行くわけだけど、任期が終わってからその時間がポンと余ってくるんだよね。
要は自分が時間を作る術をこの青年部活動の中で覚えてきて、その余った時間が仕事に使えるようになった。
そこから会社が伸ばせたかなと思うね。
余った時間を飲みのほうで使っちゃダメだよ(笑)
Q ③ 現在の商工会へのかかわり方を教えてください。
A 今は地元親会の副会長です。また壮青年部という組織の部長もやっています。愛知県は青年部みたいに連合会ではないので会長ではなく部長です。あと全国の壮青年部連合会では副会長をやっています。
壮青年部はいわゆる青年部のOB会で55歳までの組織で、なかなか国から内部組織化が認められていなかったんだけど、3,4年前に急に認められて…
今は各県に作って加盟してもらって連合会にしていってる段階ですね。
ここ2年位はコロナで活動ができなくて、リモート会議とかもおじさん達のリテラシーが低すぎて、本当に何もできてないんだよね(笑)
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A せっかく時間もお金も使うのでちゃんとそれを商売にフィードバックして取り返してほしい。
「メリットは?」ってよく言われるんだけど、実は商工会にはすごくたくさん機能があるのでもっと活用してほしい。
うまく使えばそこまでお金をかけずに商売の役に立つのでとにかく活用してほしいですね。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 愛知県大会かな!!
愛知県大会を作ったのが自分の代だったんだよね。
もともと主張発表大会だけしかやってなかったんだけど、どうせみんな愛知県中から集まってくるんだからもっと有意義な時間にしたいと思って、講演会をしたり、交流会をして親睦を図ってほしかったんだ。
それで最初は自分の地元みよし市が立候補して開催したんだ。
あ、ちなみに・・・第一回大会の会場なんだけど、
施設名が変わるんだよね!うちの会社名に。(笑)
施設のネーミングライツで「カネヨシプレイス」になるんだ!
ちょっと宣伝しちゃった(笑)
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A 青年部活動をやっているといろんな人に出会うんだけど、「上には上がいるな」って思うんだよね。会社の大きい小さいとかじゃなくてね。
いろんなリーダーがいて、そういう人たちからたくさん刺激を受けて、たくさんパワーをもらうんだ。
全青連に行くとそれが更に強くなるんだ。
それで自分も負けたくないとか頑張ろう!って思えて力になったね。
Q ③ すごくポジティブな方だと感じますが、その秘訣は?
A こう見えてもすごく傷付きやすいんです・・・(笑)
例えば喋り方が上手な方もいればそうじゃない方もいる。「上手じゃないから聞かない!」じゃなくて自分に置き換えて「自分だったらこうしよう!」とか思うようにしてて。
自己暗示かな!?
いろんなことに対して肯定的に考えるよう意識しているね。
無理!って思ってしまったらおしまいだからね。
やれない理由じゃなくてやれる方法を考えるんだ。
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 青年部を活用してほしい。
ボランティア主体の組織って見られがちなんだけど、実際って経営の勉強ができたり、補助金活用の情報がたくさんあったり。
青年部って実はいろんなことを学べる場なんだから、それをもっと広めていけるような運営をしていってほしい。
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A 自分が会長時代に青年部50周年をやれたことかな。
やっぱり自社の仕事との調整が大変でね・・・
全国の副会長を兼任していたので東京や会場の福島へ行くことが多かったんだけど、自分の仕事もやりつつ、青年部活動をするということが一番苦労したね。
青年部に加入して3年は県の事業に全く関わっていなくて、県のほうや支部の理事が何をやっているかも分からず、県の主張発表大会にも行ったことすらなかったんだ。
自分が理事をやるようになってから支部内の交流も復活させて、単会や支部の人たちに県事業や中部ブロック、全国大会にも行って、見てもらえるようになったのが良かったなと思っていますね。
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A モチベーションが高くなったかな。
会議だったりイベントだったり青年部事業に合わせて仕事の都合をなんとかしなきゃ!と思って頑張れたんだ。
逆にそういうことがなくなったからといってモチベーションが下がっちゃってダラダラにしないようにしないといけないけどね・・・
Q ③ 青年部に加入しているメリットは?
A 会うことない人に会えるというのが最大のメリットだと思うよ。
なかなか青年部内で同業で繋がることは稀で難しいけど、逆に異業種の会えない人に会うことによって、自分のモチベーションをあげたり、スキルアップにつながると思うからね。
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A 役員や経験者はもっと率先して、新しい人たちを県の行事に引っ張ってきて、こういうことやっているよ!っていうのを見せてやってほしいなと思うね。
そうすれば未だ叶わない愛知県から全国の会長の輩出や中部ブロック大会や全国大会へもっと参加してもらえるかもしれないしね。
単会だとやっぱり温度差があって限界があることも、県ではそれ以上、プラスの事をやれることを理解して、いい刺激を受けていってもらいたいですね。
1980年生まれ
社業 和菓子屋
県青連会長在席期間 2017年~2020年
豊田市足助町商工会青年部
Q① 青年部活動での一番の思い出を教えてください。
A、やっぱり愛知県で開催した「全国大会」かな!
私が会長1期目の時に、当時全青連会長だった「越智会長」から、「愛知で全国大会をやってくれないか!?」
と打診があって、これだけ大きなイベントを開催できるチャンスは無い!何か1つでも学びになれば!と思って、強引に開催しました(笑)。
けどそんな時に、全国で活躍されてる先生に
「愛知県の皆さんは裕福ですね。」
そう言われた事があってね・・
その時の言葉が、今でもすっごく残っていて、直感的に、僕らには「必死さが足りなかったのかな、、」って自分の中で強く感じたのをすごく鮮明に覚えてますね。
Q ② 青年部に携わり、社業に変化はありましたか?
A、青年部に携わった事で「自分自身の学びになるのは何か?」って社業にも置き換えて考えられるようになったし、仕事に対するモチベーションは確実に上がりましたよ!
ただ青年部活動は、時間を使いますからね・・でも、その「時間」をどう作るかっていう事を考えながら活動していたら、最終的には、上手に作れるようになりましたね!
あと「家族や社員さんの存在がものすごく大きかった事!!」
4年間の任期は長かったようで本当にあっという間でした。けどね、家族・社員さん達の協力が無かったら絶対に無理だったし、本当に大切な存在なんだって改めて思いましたね。
Q ③ これは愛知県の強みだ!と感じた部分は?
A、 この言い方が正しいか分からないけど、「勢いがあるし、何をやるにもホント豪快!!」って感じたね!
ただ、勢いだけじゃだめだし、
全国大会の時に気付いた「必死に思いを伝えて行動する事」っていうのが、すごく大切な事なんだっていうのもすごく感じたね。
Q ④ これからの青年部(後輩たち)に向けてのメッセージをお願いします。
A、青年部って本当にお金も時間も沢山使うから、その分「何か一つでもいいから学んでほしい!」
これ本当に伝えたい事ですね。
「学びに行く姿勢」「交流を広げる姿勢」で商工会青年部活動をしてもらうと、もっともっと楽しくなると思います!