ティザーストーリー


スピーカーから聞こえてくる幼い声は、通学路にまで漏れていた。

「最終下校時間は四時です。皆さん、気をつけて帰りましょう……」

追い立てるような放送委員会による棒読み声を背に、うちらは家路を急ぐ。背中のランドセルの中で、筆箱がガチャガチャ煩く鳴っていた。

――六波羅(ろくはら)さんちの三つ子。それがうちらの呼び名。

クラスは違うけどいつも三人一緒。

ポニーテールの菫(すみれ)、おかっぱの杏(あんず)、そして三つ編みのうち、翠(みどり)。

一卵性だから髪型でしか区別が出来ないくらい似ている。

「菫がっ、明日でいいのに本探すのやめないからっ」

竹刀ケースをリレーのバトンのように振りながら杏が、隣の菫を睨む。

「だってぇ杏が、今日は練習遅くなるから図書館で待っててって言ったからだよぉ」

菫はむうっと唇を尖らせた。

更に言い合おうとした二人の間に、うちが割って入る。

「ねえ、喧嘩しないで早く帰ろ……」

「「うるさいっ」」

息の合ったユニゾンで菫と杏が、同時に振り返って怒鳴るから、うちは泣きそうになる。

それを見た菫はあわててポケットを探って、ハンカチを出した。一番お姉ちゃんの菫は優しい。

「あーもう、泣いちゃだめだよ、翠ぃ」


しぃんと静まり返った通学路を歩きながら、杏はぼそりと呟いた。

「……今日の夕暮れ、なんか気味悪い……」

どす黒い雲がところどころに散る朱色の空に、夕日がぎらぎらと沈み行く。

逢魔時、誰そ彼時……昼と夜の境目は常に危ない。

特にこの金目島は、安易に『綻び』が生じて異界や幽冥に繋がってしまうから――。

「だから早く帰ろうって言ったの」

長い長い姉の影を踏みながら、うちは思わず湿った声で呟く。菫と菫は黙っていた。二人とて、早く帰ろうと思っていたのだ。

自然と三人は走り出す。

しかし家まであと少しの四つ角を曲がったところで、悲鳴と共に足が止まった。

ぽっかりと夕暮れが黒く裂けていた。誰もいない路地の真ん中が。

そしてぬるりと黒い裂け目から、大人の人間くらいの大きさの『客人』が出てくる。

それはリスだった。否、場末の遊園地にいそうなチープな作りのキグルミのリスだった。

ニコリと笑った朗らかな口に見合わぬ感情の無い大きな目、ぼさぼさの毛並み。洋ナシ形の体に短めの二本足。大きな手が持つ頭陀袋は、子供なら五人は優に入りそうだった。

――攫われる! 神隠しにされる!

「ヒ、……ヒッ」

うちの頭の中は真っ白だった。引きつった喉で必死に何か叫ぼうとしながら、目は痛いくらいに見開いて、リスを見つめていた。

「は、は、ァ」

あえぐように菫は浅い息を繰り返していた。かわいそうなくらい震えていた。

「に、にげ」

杏は固まっていた。あの時二人の手を引いて逃げたいと思ったけど、少しでも動けば、目の前の客人が動くと思った、と言っていた。

リスとうちらは無言で睨み合う。リスが話せるかどうか、わからないけど。

うちらには永劫とも思える時間だったけど、実際には数秒も無かったろう。

ず……とキグルミリスが動きだす。

「ヒイーーッ」

とうとう杏が堪らず音にならない高さで叫んだ。

「菫、杏、翠!」

後ろから誰か駆けてくる。知ってる声、六波羅 葵(あおい)。うちらの優しくて強くてかっこいい兄。

兄には、千里眼――目の流派の力があった。おそらく、この時直近におきる綻びを察知した兄は、補綴者を呼ぶ時間は無いと単身駆けつけたんだろう。

「お、おに、ちゃ」

我に返ったのはうちが一番先だった。

「おにいちゃん! おにいちゃん!」

振り向いて泣き叫ぶうちに、ようやく菫と杏も動けるようになる。

「葵兄ぃ!」

「いいから、逃げろ! お姉ちゃん頼んだよ!」

走ってきた兄が、菫のランドセルを押す。

弾かれたように妹二人の手を掴んで走り出す菫。

「でもっ兄ちゃんは、どうす……」

振り向いた杏は息ごと言葉を飲み込んだ。

目の流派はただ千里眼の力があるだけで、綻びを繕う事も客人と戦うこともできない。

なのに、兄はキグルミリスに飛びつき、綻びの中に押し込もうとしていたのだ。

「兄ちゃんっ!」

「おにいちゃん!!!」

杏を見て、うちも振り返った。信じたくない光景に何度も兄を呼ぶ。

「おにいちゃん、おにいちゃん!」

「いいから、行けええーっ!!」

兄はリスと押し合いながら喚いた。

「葵兄ぃ、待っててぇ!! 翠、行くよ!」

菫が泣き声でうちを叱咤し、引きずる。

「おにいちゃん、いやーーーー!」

追いすがろうとするうちを必死で引っ張り、菫は隣の妹に怒鳴る。

「杏! 補綴者のひと、呼んできてえっ」

「分かったぁああ!」

杏は泣きながら走り出す。国土補綴機関に。


補綴者が駆けつけたとき、既にそこには綻びしかなかった。

補綴者は綻びを繕うことはできるが、中に入って飲まれた人を救出することは出来ない。

綻びに飲まれることを『神隠し』と呼び、それは人の手では解決できないこととされる。

葵を飲み込んだであろう綻びを、補綴者はただ繕うことしかできなかった。

泣き叫んで中に飛び込もうとする母を、父が必死で押さえ、それがきっかけで母は病み、娘すら詰るようになってしまって、両親は離婚した。

母とて、葵を含めて目の流派の補綴者を数多く出している六波羅家の者として、神隠しはどうしようもないと分かっていたはずなのに。


それから十年の月日が過ぎて。

うちら『六波羅さんちの三つ子』は、それぞれ成長した。

菫は、いつか神隠しを解決しようと、異界総合研究所の研究者に。

杏は、人々を守るために、警察官に。

そして兄と同じように目の流派に目覚めたうちは、国土補綴機関の一員となった。

三人の誰も、客人と戦う力は手に入れられなかったけど、うちらは誓っている。いつか、兄を救い出すのだと。



前日譚『六波羅翠の悔恨』