この研究は、アルコール飲料の歴史や文化的影響、製造法、消費パターン、健康への影響などを総合的に調査・分析することを目的としています。メンバーには、経済政策、社会学、財政学、経営学、食環境科学、情報学などの分野の研究者らを集め、学際的な研究を行う体制を整えています。
8月22日(木)東洋大学経済学部ワーキングペーパー「南西諸島の酒類規制の特例措置―奄美群島「黒糖焼酎」と与那国島「花酒」を巡って―」が公開されました。
8月20日(火)東洋大学現代社会総合研究所ワーキングペーパー「アルコール飲料の消費実態調査」が公開されました。
7月29日(月)Relay Essays on Alcoholic Beverageに小野田美都江さんのエッセイ「喜界島に恋をして」掲載
❐「南西諸島の酒類規制の特例措置―奄美群島「黒糖焼酎」と与那国島「花酒」を巡って―」(東洋大学経済学部ワーキングペーパー、2024年8月)
❐「アルコール飲料の消費実態調査」(東洋大学現代社会総合研究所ワーキングペーパー、2024年8月)
❐「酒類規制・税制の変更が酒類の需要構造に与える影響―2003年ビール系飲料の税率改正を中心に―」(東洋大学『経済論集』2024年3月)
❐「酒類規制の研究ービール系飲料の課税と需要構造の変化の検討を中心にー」(東洋大学経済学部ワーキングペーパー、2023年10月)
【喜界島に恋をして/小野田美都江】(2024年7月29日)
飲酒科学研究所という研究所を勝手に作って、酒飲みの研究をやっています。友人たちは「酔っぱらい研究」とか、「お酒飲み博士」とか言うのですが、本人はいたってまじめなのです。
そんな友人たちと、2024年6月30日から7月3日まで喜界島に行ってきました。「喜界島に行かない?」との誘いに心が動いたのは、「黒糖焼酎」の蔵元さんも回るから、という殺し文句。喜界島には朝日酒造さんと喜界島酒造さんの2つの蔵元があります。サトウキビ(黒糖)の焼酎を、現地で飲めるチャンスに二つ返事でOKしたのは言うまでもありません。
昼は、「黒糖焼酎の条件は、黒糖と米麹を用いて、単式蒸留で、かつ、奄美群島で製造する場合に限って認められている」という説明から始まった蔵元さんのお話を伺いつつ、醸造や貯蔵の現場を見学させていただきました。そして、サトウキビ畑の間の一本道をドライブしたり、珊瑚の海で青い魚と一緒に泳いだり。
立ち寄ったスーパーマーケットでは、お酒の棚からおじさんが慣れた感じで紙パックの黒糖焼酎を選んでいたので、「お気に入りですか?」と聞いてみたら、「安くて、美味しいから」と。「どうやって飲まれます?」「6:4のお湯割りだね」と、気さくに答えてくださった。夕方になって、黒糖焼酎を飲み飲み奄美大島の方向に沈む夕日を眺め、日が暮れるとプールバーに繰り出して、シマ唄ライブで三線に合わせて、その場にいたみんなで輪になって踊ったのでした。
黒糖焼酎が喜界島の暮らしにいかに溶け込んでいるか、そして、島の人びとのつながりをどれほどに醸しているのかに、触れることできた旅でした。お酒の研究は、人研究だとしみじみです。東京で飲んでいるだけではわからなかった、黒糖焼酎の魅力にはまって、すっかり黒糖焼酎&喜界島LOVEになって帰ってきました。
贅沢にも同じ23%の2種類の獺祭とDassaiを、前日の記憶を呼び戻しながらの24時間差で飲み比べができたが、どちらかというと日本版のほうが好みだったような気が、、、そのアメリカのDASSAIが、MLBのヤンキーズのスタジアムに広告をだしたこと。かちょええ!!「獺祭」の漢字がロゴとして使われている。特に欧米人は「漢字ずき」だから、この難しい漢字、ブームになるかも。ちなみに、獺祭によると、日本発売は4月末からの一部店舗限定だったそうで、すでにほとんど売り切れとか。私が翌日に行った店も売り切れで、展示してあった空き瓶(笑い)をみせてもらった。
もうひとつ「ちなみに」(笑)、その日本国内頒価は、720mlで1万円、と。1合あたり2500円。お店だと最低でもその倍ですよね、、ひえー。(二日目に行った方が高級店なので、今度値段を聞いてみよう(笑い))。ミーハーだけど、獺祭は初期からファン。「その先へ」、「クリスマス向け発泡版」、「2割3歩」などを楽しませてもらってきた。獺祭のアメリカでの成功、祈念!!です。
かつて、私は日本酒と蕎麦が大の苦手だった。これらが大好物に転じたきっかけは、20代前半頃に年末年始を過ごしていた長野県の飯綱にある。
飯綱は、日本屈指の蕎麦処の戸隠の手前の集落である。ある時、常宿の主人が地粉で打った年越し蕎麦を供してくれ、蕎麦前として木曽の地酒「七笑」を振る舞ってくれた。恐る恐る口に運んだのだが、一気に視界が開けた。目から鱗が落ちたのだ。酒と蕎麦のそれぞれが実に美味しい上、見事なペアリングだった。こうして、私の日本酒三昧と蕎麦屋巡りが始まったのである。
あれから40年程が経ち、あるきっかけで当プロジェクトが立ち上がり参加している。あの時あの酒を飲まずに目に鱗がついたままだったことを想像すると、今日の破顔一「笑」はなかっただろう。