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卓上遊戯部は、名前通り、ボードゲームやカードゲームなどの卓上遊戯を扱う部活です。部の名前を「ボードゲーム」ではなく敢えて「卓上遊戯」としているのは、ボードゲームとカードゲーム、更には他の媒体によるものもすべてひっくるめて指すためです。
当部は、卓上遊戯を単にプレイするだけでは活動とは見做しません。プレイ前にインスト(ルール説明)を分かりやすく行うことや、競技者として強さを追求すること、或いはプレイ後にゲームを省みることなど、幅広い活動を共存させることを推奨しています。ですが、本当に強調したいことは、具体的な手段の実施を存続させることではなく、何をするにしても、「活動」と呼ばれる営みにおいては「単にする」だけで満足せず、その中で、飽くことなく「何かよいものを得よう、或いは学ぼう」という心を持ち続けるのがよい、ということです。
精密機械の如く、大したハプニングもなく機能している “ユートピア(理想郷)的” 社会を思い浮かべてみてください。そこに生活している人々は、ともすると特段不満も覚えず、与えられた食事や娯楽などに従って、用意された生活の型をなぞっているかもしれません。あなたはその一員として生活したいでしょうか?もちろん、一概には答えられないというのが当然ですが、取り敢えず、これと類似の構造は、現代社会にも、或いは今までのどの時代・地域にも見られたことでしょう。
卓上遊戯も含め、ゲームなどの娯楽は、もとより楽しむためのものです。そうは言いましたが、この「楽しい」という感覚や、それに類する感覚をたくさん思い返してみると、このように現状では同一の呼称をあてがわれている感覚は、実際はもっと細分化できるものだと思えてきます。言葉を分化させるのは容易なことではありませんが、個々人が意識的に、区別して認識しようと努力すれば、頭の中の概念としては分離させられるかもしれません。その分離した概念それぞれに名前を付けて用い始めたら、もしかしたら他の人もそれを使い始め、やがてその言葉と概念が広まっていくことになるかもしれません。今の言葉の在り方も、すべて、たまたま今を切り出して見た時に支配的なだけです。今までの人類の歴史をみると、そもそも現代のように「標準語」なるものや、辞書が確立していること自体が特異な事態です。(今後の歴史では却って一般的になるかもしれませんが。)
このことは、人が無意識のレベルで刷り込まれて受け入れているものの中には、目を向けるスケールを少し変えるだけでその無常さが容易に明らかになるものが溢れている、その一例としてあげました。たとえ「楽しい」卓上遊戯を行っていたとしても、注目するスケールに癖がついて固定化してしまい、新たな可能性や価値の発見が阻害されてしまうのは避けたいものです。これを避けることは、そのまま自身の世界認識を向上させる可能性を保つための重要な前提であり、また世界認識は人の知的活動すべてにとっての軸であるために、この努力はその人の営みすべてにとって意味のあることでありましょう。例えば、インストをするにしても、それを行う相手を理解する必要があるという問題意識の深さが不十分なところで停滞していて、よりよいインストを追及できなくなっているかもしれません。競技的プレイで、何らかの重大なバイアスのために、思うように成長をできていないかもしれません。もちろん、勉強・学習などでも同じ構造が見られるでしょう。
すべての物事でバイアスを自己発見し、変化を志向するべきだ、とは言いません。卓上遊戯に関しては必ずこの姿勢を貫け、とも言いません。何なら、卓上遊戯部に残ることにこだわる必要もありません。(そもそも卓上遊戯部は管理が緩いので、システム的な強迫はないと思います。)それでも、常に何事かに関しては、この姿勢を持って、歩み続けてほしいと思います。「それによって多様性が保たれることを期待する」と言ってしまうこともできますが、恐らくむしろ「なんだか良さそうな存在がこの世界に多く生まれ、続いて行って欲しい」と、記しておくべきでしょう。