越後妻有は、縄文期からの豪雪という厳しい条件のなかで、米づくりをしてきた土地です。人々は、切り離すことができない人間と自然の関わり方を探りながら、濃密な集落を営んできました。人間は自然の、重要な、しかし一部なのです。そこから「人間は自然に内包される」という基本理念が生まれ、人間と自然がどう関わっていくか――。その可能性を示すモデルになろうと、越後妻有の地域づくりは進められています。
大地の芸術祭では、およそ200の集落を手がかりに作品を散在点在させ、現代の合理化・効率化の対極として徹底的な非効率化を試みています。世界のアーティストが手がけた約200の常設作品に加え、会期中には新作を公開します。里山の美しさ豊かさを際立たせ、そこに積層した人間の時間を浮きあがらせるアートを道しるべに、人々は五感を開放し、生の素晴らしさや記憶を全身に蘇らせるのです。
作品は、地域の人々が暮らしてきた土地につくられます。そこには自然があり、歴史があり、人々の生活があります。先祖から受け継いできた大切な土地によそ者が入ってくることに反発が生まれることもあります。異なる人間から生まれた案が他者の土地に植えられ、育っていくとき、建前や立場を超えた協働の場が生まれます。「他者の土地にものをつくる」とは、土地への敬意を前提に、その場所に生きる人々とともに、新しい意味や関係を生み出していく営みです。
普段そこに生きている人々にとって、見慣れた風景や、季節の巡りのなかで営まれてきた農事、田んぼや畑、集落や家、道具――それらは日常の一部です。しかし、外から訪れる作家にとっては驚きや感動を伴う「こと」「もの」として立ち現れます。その発見を作家たちは表現しようとします。その試みは、自ずと作品が置かれる場の力、作品の奥に広がる風景を際立たせる仕組みにもなっていきました。
アーティストは他者の土地にものをつくらねばならず、地域とのコミュニケーションが欠かせません。やがてアーティストの熱意が伝わり、住民は協働者として作品に関わり始めました。また、都会から多くの若者がボランティアに参加し、「過疎地の・農業をやってきた・お年寄り」と「都市で・何をやっているかわからない・学生」との出会いは、衝突・困惑から理解・協働へと変化していきました。
大地の芸術祭の代名詞ともいえる、空き家・廃校プロジェクト。越後妻有に残る膨大な空き家を作品として再生し、地域の記憶や知恵を継承しようと、100件ものプロジェクトが行われてきました。かつては地域を結ぶ場であった廃校にも、たくさんの作品が展示され、学校は再び集落のキーステーションとなりました。これらはアートという枠を超え、コミュニティの一部となって活用され続けています。
公共事業の一環として作品制作を行うこともあります。よりダイナミックな展開が可能になり、トイレや駐車場、道路、公園、トンネル、東屋、宿泊施設、鉄道などを舞台にしたアートプロジェクトによって、地域には多くの恒久的な作品が生まれてきました。
豪雪、集落、棚田、マブ、縄文土器、近代的土木構造物―。これら越後妻有の要素を凝縮した施設が、世界的建築家やアーティストの手で各エリアにつくられ、集落をつないでいます。それは越後妻有の縮図であり、その特殊性や魅力を存分に感じられます。
人間がつくってきたものはすべて「美術」であり、その原初的な部分が「生活芸術」です。なかでも重要な要素となるのが「食」です。大地の芸術祭では、文化・芸術の最も初歩的で基本的な表れは「食」であるという理念に基づき、力を注いでいます。「食」は、地元の人たちが主人公となれる、大切な要素なのです。
越後妻有には、アジアから嫁いだ女性たちがいます。過疎・高齢化の進む里山と世界をつなぐ場所が、この地域にはあるのです。そこに海外アーティストが入ることで、新しい交流が生まれ、さらに世界中の文化芸術機関が参加し、国境を越えた協働がなされています。集落を通じて世界とつながる。このヒューマンスケールによるつながりこそがあらゆることへの可能性なのです。