1.井上円了の全国巡講
円了は、哲学館における学校教育のほかに、社会教育に注目したパイオニア的教育者です。
哲学の伝道とともに、民衆に教育の機会を開放するという哲学館創立の精神のもと、日本人の精神的向上を願って、地方都市、農山村、漁村を中心に、日本全国に足を運び講演を行いました。
午前は移動、午後は講演、夜は揮毫という過酷なスケジュールの毎日だったようです。
こうした巡講の詳細な記録を、円了は「館主巡回日記」「紀行」として残し、それらを『哲学館講義録』や『南船北馬集』などの形で刊行しました。
また、このように各地の民衆のありのままを見た円了は、独創的な研究である『妖怪学講義』を誕生させたのです。
2.全国巡講のはじまり
全国巡講のはじまりは、1889(明治22)年、円了が第一回目の海外視察から帰国後、建設中の新校舎が暴風雨により倒壊するというアクシデントに見舞われたことから端を発します。
建設費の大きな負債を抱え、困窮している円了を激励したのが勝海舟でした。勝海舟のアドバイスもあり、円了は専門科開設資金募集のために、講演活動を実行します。これが全国巡講の始まりです。
旅に出る円了に対し、海舟は「陰ながらの筆奉行」と言って、自ら揮毫した「書」を円了に与え募金の手助けをしました。
そののち全国巡講は、円了にとって、単なる哲学館建設の資金のためではなく、日本の近代化を進めるための、社会啓蒙の機会として欠かせないものへと変化していきました。
※画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像(https://www.ndl.go.jp/portrait/)
勝 海舟
3.全国巡講と修身教会運動
1903(明治36)年、第2回目の海外視察から帰国した円了は、哲学館を専門学校令による認可を得て「私立哲学館大学」と改称するとともに、海外旅行中に立案した修身教会の設立運動を開始しました。
修身教会とは、国民の倫理・道徳に関する生涯教育運動で、欧米の「言論の自由、人権の尊重、社会道徳の発達」をモデルにしたものでした。
1906(明治39)年、学校から身を引き一人の教育者となった円了は修身教会運動の展開という新たなテーマのもと、巡講の旅に出発しました。
5.井上円了 最後の旅
第一次世界大戦の終わった翌年の1919(大正8)年5月、円了は中国各地を巡講する旅に出発しました。上海を皮切りに、蘇州、漢口の各地で講演し、北京、天津、営口を経て大連に向かいます。
そして6月5日の夜、大連の西本願寺幼稚園での公演中に脳溢血で倒れ、翌6日永遠の眠りにつきました。享年61歳でした。
円了は自ら創立した学校(大学・高校・中学・幼稚園)や哲学堂公園を、子孫に世襲せずに、社会公共のものとしました。円了の61年間は、日本の発展のため、「哲学」を介して民衆の教育に熱意を注ぎ続けた生涯でした。
中国巡講 ―万里の長城にて(右)―
~講演のテーマ~
演題はあらかじめ40題ほど、勅語関係、宗教、仏教、妖怪、世界視察談(西洋最近の実況、南半球周遊談、海外移民の近状、インド内地旅行談)などが用意されていました。講演で一番多かったのは勅語・修身の話で、次いで妖怪・迷信、哲学・宗教の順であり、その他、教育、実業などでした。
特に、1906(明治39)年~1918(大正7)年までの13年間で、60市・6島・472郡・2198町村を巡回し、2831ヶ所、5291席の講演を行っています。聴衆の人数は130万人余り。仏教関係者、行政・教育関係者が主催者となり、寺院や小学校を会場として行われました、
巡講した地を市町村別にみると、全国の半数以上に達しています。円了が「哲学者」よりも、「哲学の伝道者」と呼ぶのが相応しいといわれる所以です。
出典:「井上円了の生涯 第7章全国巡講と世界視察旅行」より(https://www.toyo.ac.jp/dp/enryo/life/index_h5.html#1)
井上円了の偉大な全国巡講を明確にするために、全国津津浦浦の訪問先をマッピングしました!
地区別では各地で詠んだ漢詩入り!!
地図へのマッピングは、井上円了研究の第一人者・三浦節夫の論文「井上円了の全国巡講データベース」の全国巡講地一覧のデータを基にしております。
各マッピングには訪問日・訪問場所の「井上円了選集」へのリンクも掲載しています。
※論文:三浦節夫「井上円了の全国巡講データベース」井上円了センター年報,22号,p.37(326)-160(203), 2013年9月20日
※マッピング登録は下記を参照して行っています。
・市町村の中心地
・Geoshapeリポジトリの市区町村ID一覧の代表点
・巡講の訪問先(小学校、寺など)
今後もさらに詳細な情報を追加し、地図をアップデートしていく予定です。
円了の活動を地理的に可視化したことで、円了の教育に対する真摯さや活動の広がりを感じて頂ければ幸いです。
また教育・研究でマッピングデータが必要な場合、下記までお問合せください(東洋大学教職員・学生限定)。
■問い合わせ先
東洋大学井上円了哲学センター事務室
E-mail:ml-enryo★toyo.jp ※お手数ですが、コピーして『★』を『@』に変換してください
全国巡講地の中には、円了が訪問を記念した石碑や書が遺されている場所があります。
井上円了哲学センターでは、それらを「足跡」として、場所の情報を収集・地図に反映しております。
■全国に残る井上円了の足跡
https://sites.google.com/toyo.jp/iecp-traces/
ぜひこちらのページもご覧ください!
三浦節夫「井上円了の全国巡講データベース」,『井上円了センター年報』, 22, p. 037(326)-160(203), 2013年
長谷川琢哉「井上円了の仏教改良と修身教会運動」,『東洋学研究』, 60巻, p.319(290)-335(274), 2023年,
堀雅通「旅行記にみる井上円了の健康状態」,『井上円了センタ一年報』,32巻, p.15(244)-36(223), 2024年,
長谷川琢哉「円了センター三〇年の歩みと三浦節夫の井上円了研究」,『井上円了センタ一年報』, 32巻, p. 5-16, 発行年 2024年,報告 三浦節夫先生追悼シンポジウム「井上円了研究の過去/現在/未来」
白川部達夫「井上円了の全国巡講 -旅する創立者 国内編-」,『東洋大ブックレット第7巻』,2014年,
堀雅通「井上円了の「旅店改良案」について」,『観光学研究』, 22巻, p.81-104,2023年
堀雅通「旅行記にみる井上円了の鉄道利用」,『井上円了センタ一年報』,31巻, p. 37(226)-59(204), 2023年
堀雅通「円了旅行記にみる風景賛美」,『井上円了センタ一年報』, 30巻, p. 178(23)-198(4), 2022年
中島敬介「<論文>『戦争哲学一斑』に見る、井上円了の日本(人)倫理観」,『国際井上円了研究』, 6, p. 229-251, 2018年
柴田隆行「井上円了と社会学,Enryo Inoue und Soziologie」,『東洋大学社会学部紀要』, 62, 1, p. 5-17, 2018年
佐藤厚「井上円了の鹿児島巡講 ―新聞記事の調査を通して―」,『井上円了センタ一年報』, 25, p. 3(244)-29(218), 2017年
堀雅通「「坐ながら国を富ますの秘法」にみる井上円了の観光立国論」,『観光学研究』, 16, p. 19-44, 2017年
三浦節夫「井上円了の研究」,kakenhi,32663,東洋大学,博士,文学,乙第216号,2015年
堀雅通「旅行記にみる井上円了の観光行動と交通利用について」,『観光学研究』, 15, p. 11-38, 2016年
堀雅通「旅行記にみる井上円了の観光行動」,『国際井上円了研究』, 4, p. 137-155, 2016年
堀雅通「INOUE ENRYO'S TOURIST ACTIVITIES AS RECORDED IN HIS TRAVEL DIARIES」,『国際井上円了研究』, 4, p. 86-107, 2016年
朝倉輝一「井上円了の後期の思想について―修身教会活動との関係から」,『国際井上円了研究』, 3, p. 107-121, 2015年
MIURA, Setsuo「INOUE ENRYO'S MYSTERY STUDIES」,『国際井上円了研究』 , 2, p. 119-154, 2014年
三浦節夫「井上円了の生涯」,『国際井上円了研究』, 1, p. 178-183, 2013年
三浦節夫「井上円了の世界旅行」,『国際井上円了研究』, 1, p. 137-142, 2013年
朝倉輝一「井上円了の修身教会活動」,『東洋法学』 , 57, 3, p. 47(422)-66(403), 2014年
三浦節夫「井上円了の全国巡講」,『井上円了選集』, 15, p. 443-499, 1998年