プロフィール
氏名:カールセン真紀子(中西真紀子)
卒業年度:2017年
卒業後進路:商社に就職し、営業として3年間勤務後、結婚と移住を機に退職、夫婦で青森県へ移住をする。移住後は外資系企業で1年間、ベンチャー企業で1年半の勤務を経て、十和田市役所で地方公務員として働き始めて現在に至る。
大学時代
進路を考える高校3年生の頃、私はいろいろなことに興味のある学生でした。専門学校や美大、服飾系の大学など、あらゆる選択肢を卒業後の進路として検討していました。しかし、これだけ興味の範囲が広いからこそ、将来の選択肢を狭めることのない選択をしたいと考えていました。そのため、4年制大学でかつ様々な分野で応用できるだろうと考えた「語学力」と「海外留学・異文化体験」を軸に、東洋大学国際地域学部(当時)への進路を決めました。
入学後は短期で留学に行きたいと考え、留学希望時期や期間、英語圏で絞った結果、イギリスかアメリカの協定校を選ぶことになりました。私は食に対して人一倍の興味と情熱を持っており、絶対に食を楽しめる場所がいいと考えていました。アメリカの「美食の街」といわれるオレゴン州ポートランドにある大学が協定校であると知り、迷うことなく留学先として決めました。留学中は思惑通り、街に多くあるフードカートでユニークな食を毎日のように楽しみました。カフェも数多くある街で、それぞれのカフェに特徴があり、内装や個性的な店員からはものすごいインスピレーションを受けました。今でも当時刺激された感性を生かして、自宅のリフォームやDIYを行っています。
留学先を決定する際は、学校自体のプログラムや科目などを重視して決定する場合が多いでしょうし、勉学のための留学ですのでそれは正しいと思います。一方で、私のように学校周辺の環境や自分の趣味や興味を楽しめる点から場所を選択するのも、ひとつの考え方ではないかと思いました。
留学から帰国後は、夏休みに上高地でリゾートバイトとして約1ヶ月間、働きながら滞在しました、その時に、自然の中で暮らすことの素晴らしさと、様々な年齢や背景の人たちと働くことの楽しさを知りました。帰京後、リゾートバイトを海外でも経験できないかと考えた私は、大学のプログラムで海外インターンシップ制度を見つけました。翌年の夏休みには、アメリカのモンタナ州にある国立公園内のホテルで、レストランのサーバーアシスタントとしてインターンシップに参加しました。休日ごとに仕事仲間とハイキングに繰り出し、将来は自然の中で生活をしたいと強く考えるようになりました。また、同僚は米国内だけでなく様々な国から来ていたため、彼らの仕事に対する考え方や態度に触れて、自分自身が日本での働き方を考えるきっかけになりました。
将来の選択肢を広く持ちたいという理由で決めた東洋大学国際地域学部への進学でしたが、大学にはより視野を広げることのできる制度が用意されており、入学前の想像を超える経験をさせてもらうことができました。学内に数多くの制度があるため、自分に合ったものを探し、条件を確認して応募するという、能動的に動くことが大切だと思います。4年間という時間を自身で組み立てて行動していくことのできる人にとって、素晴らしい土壌が東洋大学には用意されていると思います。
国際地域学部では様々な学びがありましたが、何よりも良かったことは友人や先生との関係です。国際地域には幅広いタイプの学生がいる印象で、群れずにフットワークの軽い自由な気質の人が周りに多く、私にはとても居心地がよかったです。先生方もフレンドリーで学生と先生との距離も近いので、友人も先生も相談すれば応えてくれるという安心感が私の助けになっていました。風通しのよい環境で適度な距離感で付き合えたからこそ、卒業して6年以上経った今でも気軽に会える友人が多いのだと思います。社会人になってからも、学生時代の友人に助けられることがたくさんありましたし、ゼミの先生にもお会いして近況を報告したりしています。
卒業後
卒業後は都内に本社を置く物流商社に就職し、神奈川県川崎市の拠点に配属となりました。川崎駅の近くにひとり暮らしをし、都会生活を楽しんでいました。2020年春の結婚を機に、夫婦で青森県新郷村に移住することになります。
夫は、短期留学先のポートランドで出会ったアメリカ人です。彼は青森県新郷村でのALT(英語指導助手)任期3年間を終えて帰国した頃で、留学生相手のチューターをしていました。結婚にあたり、ふたりの居住地は日本に自然と決まりました。仕事のことや、アメリカの情勢や治安、ビザなどの条件を考えても日本にした方がスムーズだったからです。同時に、ふたりの希望であった「自然に囲まれた暮らし」を叶えるべく、青森県新郷村という人口2000人ほどの村に移住をしました。ALTとして新郷村に住んだ経験のある夫から、新郷村がいい場所だとは日頃から聞いていましたし、ふたりで何度か旅行でも訪れて私も気に入っていたからです。
私は移住後に転職を2回し、現在は新郷村に隣接する十和田市で、市役所職員として働いています。業務としては、移住に関する助成金事業や、移住・定住促進事業を担当しています。思えば移住後も出張などで2カ月に一度は東京にいる生活を3年ほど過ごしています。青森には友人が遊びに来てくれることも多く、ほとんどの人が「思ったより近いね」と言います。私が東京生まれ育ちだが青森に移住してきたと地元の方に話すと、多くの人は驚きますが、片道が新幹線で3時間弱、飛行機であれば1時間半のため、大げさに言ってしまえば通勤圏内では?とまで思っています。
私は以前から、小さな東京に日本の人口の1割以上が住んでいることを疑問に思い、地震など災害のことも考えると、地方移住がしたいと常々考えてきました。嫌になったら帰ればいいと気軽な気持ちで決めた移住でしたが、すでに4年目に突入しています。今でも快適な移住生活を送ることができているのは、新郷村の温かい人たちのおかげも大きいですが、学生時代に培ったマインドも助けとなっているように思います。
大学を卒業して思うのは、学生時代にどれだけ多くの価値観や生き方、選択肢に出会えるかが大切であるということです。卒業して社会に出ると、良くも悪くも自分と似た考えや生活環境の人と関わる時間が多くなるように思います。学生時代に幅広い人間関係を築き、多様な人生を知ることがその後の自身の人生をより豊かにする助けになるのではないかと思います。
在校生へのメッセージ
進路を考えていた大学3年の時に、先輩に言われて印象的だった言葉があります(戦没者遺骨収集ボランティアで出会った他大学の先輩でした)。「どんな仕事をしたいかよりも、どんな生活を送りたいかで考えれば?」というひと言です。振り返ると、まさにこの軸で私は様々な選択をしてきたのかもしれないと思います。
【ご参考】メディア取材
アメリカ人男性と東京出身女性の若い夫婦が青森県新郷村にIターン移住した例は珍しいらしく、取材を受けることもあります。下記はテレビ番組です。
BSテレ東「ワタシが日本に住む理由」2021年10月6日放送
https://www.youtube.com/watch?v=gvmih1rQizQ
BSテレ東「ワタシが日本に住む理由」新郷村2時間スペシャル 2022年3月2日放送
https://www.youtube.com/watch?v=OU65LLSpkao
RAB青森放送 「私がココにいる理由。」episode 4 2022年6月8日放送