2025年2月5日から7日、鈴木ゼミは「スローシティを通じた地域活性化」をテーマに宮城県気仙沼市でゼミ合宿を行いました。スローシティ(イタリア語でチッタスロー)運動は、1999年にイタリアの地方小都市で始まった取り組みです。大都市とは違った人間サイズのまちや地域での「ていねいな暮らし」を持続可能なものにして、そこに暮らす人が「よりよく生きる」ことが、スローシティ運動の目的です。そのためには、地域にないものではなく、あるものや失われつつあるものを活かし、まちの個性と多様性を尊重したプロジェクトを都市政策に反映させて、市長、行政、市民が協働して実践するための枠組みです。気仙沼市は、2013年に日本初のチッタスロー国際連盟から認証を得た都市です。
今回は、鈴木ゼミの2年ゼミ生12名が、各自で決めたテーマの現場を来訪したり、当初は予定になかった場所を気仙沼の方々に教えてもらって訪れたりしました。また都内の学生目線で魅力的に映った場所やモノやコトにも注目しました。主に以下の現場を訪れました。
● 気仙沼市震災復興・企画課
● 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
● 大谷海岸
● MINATO|気仙沼市移住・定住支援センター
● 気仙沼市まち・ひと・しごと交流Pire7
● 地産の飲食店
以下では参加した学生たちが作成したフィールドノートと感想を基にスタディツアーを紹介します。
テーマ① 震災復興
・この研修を通して1番印象に残っているのは、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を訪れたことだ。東日本大震災のリアルをこの目で観察したことは、一生心に残ることだと思う。震災のことは小・中・高校の授業で何度も学んだが、その時は津波の恐怖を理解しきれていなかったし、他人事のように思っていたと思う。今回の研修では、20歳という節目の年に震災のことを深く知り、理解することが出来て良かった。町が復興してもあくまでハード面であって、人々の記憶にはあの時の津波が深く刻まれているのだと痛感した。私たちに出来ることは、この震災を忘れないことだと思う。理不尽に奪われた命があり、必死に生きた命があったこと、今も苦しみを抱えながら生きている人がいることを忘れてはいけない。
・東日本大震災で大きな被害を受けた大谷海岸を訪れた。BRTバスに乗っているときも少し見えたが、海自体は透明度が高くとても綺麗だった。事前学習で調べた時に見た画像よりも砂浜は大分広かった。防潮堤はベンチのように段刻みになっているという記事を事前に読んだので、階段のようになっているのかと想像していた。だが実際は一段がかなり大きく、30cmぐらいの高さがあり、しっかり足を上げないと登れない高さだった。実際にこの目で見て、調べた情報が合っているのかの答え合わせをすることの重要性を感じた。
・気仙沼市の市街地を歩いていると、市役所の建物や飲食店の柱に「津波到達点」と書かれた標識があった。街にいると震災を想像するような場所がたくさんあり、今でもその経験と一緒に街が作られているのだなと感じた。伝承館を訪れた後、外の公園にいた犬たちと触れ合い、海の方へ歩いて慰霊塔へ行った。階上(はしかみ)杉ノ下地区にある「海の殉難者慰霊塔」だった。不思議な場所にお墓があり、海の近くだった。海はとてもきれいで、地域の人たちが海と一緒に生きていくという意味なのかなと感じた。
テーマ② スローフード・食
・昼ごはんは街の飲食店で海鮮丼を食べた。イクラをサービスしてくれたり、100円割引にしてくれたり、店主の方の優しさに触れて気仙沼の人のおもてなしを実感した。たこ焼きを食べたお店の方も海鮮のお店の方も、スローシティを学ぶために来たと話したところ、スローフードフェスティバルのことについて触れていた。地元の人にとって、スローシティよりもスローフードの方が認知度は高いと思った。また、店員さんによると、お年寄りにとって農業は辛いから、多くの人が辞めているとお話していた。若い人は就職の際、都心の方に行ってしまうので若い人がいなくなって、高齢化が進んでいることに悩んでいた。だからこそ私たちのような若者が高齢化の進む気仙沼を盛り上げて欲しいと、お話していた。
・3日間、海の見えるカフェに通い続けたが、ここのカフェは、客席でゆったり海を眺めながらくつろげる場所で、とても癒しの場になるような良い所であった。また、大きなテーブルもあり、みんなで集まれるような場所でもあった。東京などでこうした場所を探すとなかなか見つからなかったり、時間制限があってゆっくりと休めなかったりするので、貴重だと感じた。
テーマ③ 移住
・まちづくりに関係する方への聞き取りによると、気仙沼には料理の専門学校が4年前に出来た。東京の大学に行かないと職が得られないという事態にならないように、気仙沼でも将来の選択肢が多く選べる地域にしていく必要があり、これから少子高齢化が進む中で重要になっていくと話していた。
・2年前ほどに気仙沼に移住してきた方のお話を聞いた。やりたいことが出来るし、人が温かい気仙沼だからこそ、移住してきたそうだ。移住当初は、都会でよく行っていた映画館やカフェに行ったり、娯楽を楽しむためには、車で1時間かかることに少しギャップを感じたそうだ。しかしその方は、自然とその地域に適応することが出来て、いつの間にか娯楽以外の気仙沼の海や山などに魅力を感じるように変化したと言っていた。気仙沼には都会で味わえる楽しさは少ないかもしれないが、気仙沼ならではの自然や食べ物、人の温かさなどが移住のきっかけになっているのかなと思った。
・移住促進や地元の人を留まらせるために、気仙沼では企業や20.30代の人が学べる塾で人材育成を進めている。色々な人と交流したり、学び続けることの楽しさを知ってもらうようにしている。また様々な団体と手を取り合って市役所と連携し、チームで子育て支援をしている。その結果、住みたい街ランキングで上位になり、地域の人も新しいチャレンジのたねが生まれていく。良い循環になる。だからこそ地域全体で子育ての支援が重要であるとわかった。
・行政職員や事業の人々の戦略により、ふるさと納税がとても成長している(東北1位を連続でとっている)。それは人材育成のための支援が手厚く、整っているからだと考えられている。移住を進めるためには、人材育成や子育て支援など多くの面でサポートが必要になっていくと理解した。
わずか2泊3日の滞在でしたが、気仙沼がスローシティたるゆえんをもっとも実感したのは、週末の利用客でごったがえす東京駅に着いたときだったかもしれません。
・東京駅に着いて、周りを見るとみんな早歩きで、自分の手元しか見ておらず、他人のことを気にしていない様子であった。また、気仙沼と比べて人が多すぎて気が滅入ってしまった。東京に戻って改めて気仙沼のスローシティを感じることが出来た。
・東京に着くと人がたくさんいて、現実に戻された。初日に気仙沼に着いたときはあまりそう思わなかったが、最終日には気仙沼に戻りたいと思うくらい魅力的で、とても素敵な街だった。今回の研修では、気仙沼の魅力や地域の温かさ、人の優しさをたくさん感じられた。自然を感じたことや、チェーン店などがほとんどなく、地元ならではのお店があったところが、スローシティだなと思った。また、東京では電車の中でスマホを見ながら移動することが多いが、気仙沼ではいろいろな景色やお店を見て、話しながら歩いて移動した。効率よく時間を使うのではなく、移動やゆっくり過ごすことに時間を奪われる心地よさも感じ、スローだなと思った。気仙沼の良さ、スローを感じられた研修だった。
本活動は、東洋大学地域活性化支援事業「Toyo Slow City Project」の支援金を受けて実施しました。
国際学部国際地域学科 鈴木鉄忠教授