ゼミ生が海外移住資料館(JICA横浜)を訪問しました
ゼミ生が海外移住資料館(JICA横浜)を訪問しました
東洋大学国際学部国際地域学科の金子ゼミ2年生が、2025年11月6日に海外移住資料館(JICA横浜)を訪問しました。まず担当職員の伊藤様より、資料館のなりたち、海外移住の概要、自身が日系ペルー人4世である伊藤様のファミリーヒストリーなどを講義形式でお話し頂きました。その後、資料館ボランティアの松本様にご案内頂きながら、館内の見学および質疑応答をとおし、南北アメリカを中心とした日本人の海外移住の歴史および移住者と日系人の就労と生活状況について学修しました。以下はグループでの事後学修レポート要約版です。
グループ1:久谷菜月、松本めい、小室希葉
今回の研修で私たちは日本人の海外渡航の歴史を知ることができました。日本人の海外渡航は、1885年に海外からの開港要求を受け入れたことから始まります。初めは、一時的な出稼ぎ目的としてハワイやアメリカが主要な渡航先でした。しかし、次第に出稼ぎの日本人が増加したことで、現地の労働力を奪うことに繋がってしまいます。すると、次第に反日感情が高まり、1907年に紳士協約が締結され日本人のアメリカ上陸が禁止となってしまいました。アメリカを追い出された日本人は、次第に中南米へと渡航先を変更し、そこに移住する人々が増加していきました。しかし1941年の真珠湾攻撃により、日本人は強制収容所へ送られ第二次世界大戦終了時までそこに収容されることとなってしまいます。第二次世界大戦終了後は、北米での移民法改正により帰化が可能になるとともに、中南米への移住も再開されました。その後は日本の経済成長とともに移住者は減少していき、現在の状況に至ります。このように、日本人の海外渡航は、様々な世界情勢や人々の感情などに左右されながら行われていたことが分かりました。
次に、今回の研修で得た気づきとして、第一に、今日の日本は外国人労働者の受け入れ側ですが、かつては日本人が海外で現地の仕事を奪う立場にあったということです。そのため、今日本に来ている人々の背景や感情を理解することが重要だと感じました。第二に、移民非難は単に労働を奪うことだけが原因ではなく、国際関係など複数の要因が重なって起きたものであり、移民自身は状況に振り回されていた側だということです。現在の移民も同じ状況にある可能性があるため、表面だけを見て非難すべきではないと感じました。第三に、歴史を知ることの大切さを感じました。移動に至ったその背景を理解することで偏見を避け、自分で考え判断できる力が身につくと強く思いました。
グループ2:堀千紘、土屋翔大、渡邉琴乃
日系移民は限られた環境の中でも現地の文化を柔軟に取り入れつつ、日本の食文化や宗教、娯楽を工夫して守り、新しい文化も生み出しました。また、日本人会や婦人会、日本語新聞が生活を支え、コミュニティ形成の中心となっていたのです。資料館訪問を通して、相互協力や思いやりが多文化社会を支える重要な要素であることを強く実感しました。
海外への移住前の手続きや移住後に行われた開墾や農作業についても知ることができました。特に第二次世界大戦前後で海外への移住や出稼ぎが大きく変化していると感じました。また、移民は国家から支援を受けて活動しながら、自身が稼いだお金の一部を国に譲っており、相互援助の関係になっているように感じられました。
グループ3:高橋りり花、坪山佳帆、古谷海晴
私たちはJICA横浜の海外移住資料館を訪れ、日本人移住の歴史と日系社会の歩みを学びました。移住は西日本出身者が中心で、最初はハワイやアメリカ本土の農園で働くことから始まり、写真花嫁制度で家庭をつくっていった様子も展示されていました。その後はブラジルやペルーなど南米へ家族で移る人が増え、現地に根付いた日系社会がつくられたのです。戦時中には強制収容があり、財産没収など厳しい扱いを受けましたが、資格があれば収容所外で働ける人もいたことを知りました。戦後にはアメリカ政府が補償を行い、日本と日系人とのつながりは送金などを通して続いていたのです。担当エリアでは、ハワイのビッグファミリーの写真や法制度の変化が紹介されていました。世代を重ねる中で文化や顔立ちが多様になり、家族としてのつながりが受け継がれてきたことが印象的でした。また、1989〜1990年の入管法改正により、日系二世・三世やその家族が長期滞在し働けるようになり、日本で暮らす日系人が増えることとなりました。
そして実際に日系ペルー人の方のお話を聞くことで、家族の世代ごとに国を移り住み、そのたびに文化や言語の間で揺れ動く様子は、資料だけでは理解できないリアルな体験として迫ってきたのです。話を通じて、移民の歴史は単なる過去の出来事ではなく、個人の選択と環境によって繰り返される「生き方の連続」であることに気づかされました。今回の訪問を通じて、移民の歴史に見られる努力や希望、そして「移動」がもたらす複雑な感情を理解し、現代の多文化共生社会において私たちがどのように他者を受け入れるべきか考える機会となりました。
今回の研修を経てブラジルを例に、日系人や日系社会の変遷について学ぶことができました。しかし、変遷の歴史を辿っていくうちに日系人は差別だけを受けてきたわけではないことに気づきました。日本人が敵性外国人として認識されていたさなかでも、日本語教育や大学進学の支援が行われていたのです。このことから、私たちは日系人が戦後に差別ばかりを受けてきたわけではないことを理解する必要があるのではないかと思いました。日系社会が変化していく中で、日系人が現地で受けた恩恵についても調べてみようと考えています。
(執筆者: 金子聖子准教授)