2025.12.09
2025年10月下旬、カンボジア第三の都市であるシアヌークビルを訪問しました。美しい自然景観を有し、諸外国からの投資を受けて発展してきた歴史を有する一方で、国際犯罪の温床になっているとも言われるなど、さまざまな歪みを抱えている都市です。その訪問記を植田が報告します。
シアヌークビルの歴史
カンボジアでは、メコン川を下ってベトナムのサイゴン(ホーチミン)を介したルートによって交易が行われていたが、仏領インドシナの解体後、ベトナムに依存したメコン川ルートを脱却するため、フランスの港湾建設支援とアメリカの道路建設支援によって新しい港であるシアヌークビルが建設された。
ベトナム戦争中、シアヌークビル港は共産側の北ベトナム・南ベトナム開放民族戦線(FN)の補給ルートとして利用されたが、1970年の親米派によるクーデターにより米軍の拠点に転換した。その後、ポル・ポト時代の荒廃を経て、シアヌークビルは再びカンボジアの開発・復興における重要な位置を占めるようになった。
1990年代の和平達成後に治安が改善し、シアヌークビルはビーチリゾートとして人気を得るようになっていった。2010年代後半以降、中国の「一帯一路」構想により、シアヌークビルは海上交通の要衝として中国から巨額の投資が流入するようになっていく。オンラインカジノやギャンブル関連施設への投資が活発に起こり、建設ラッシュが起こった。2007年と2025年の航空写真を比較してみると、全体的に市街地は大きく拡張しているが、特に南側の沿岸部において道路などの基盤整備が進み、大規模なホテル・コンドミニアム・カジノ・ショッピングモールなどが建設されていることがわかる。
2007年1月の航空写真(出典:Google Earth)
2025年9月の航空写真(出典:Google Earth)
しかし、2019年にカンボジア政府はオンラインカジノの全面禁止を発表。さらにその直後、新型コロナウイルス(COVID-19)の流行によって観光客も激減し、シアヌークビルでは投資の流入がストップした。シアヌークビルの市内では、建設途中で放置された廃墟ビルが大量に残され、負の遺産となっている。政府は放置されたビルを買い取って完成させる投資家に税制優遇を行うなどの廃墟の再利用政策を進めているという。
建設途中で放棄された超高層ビル
中国語看板のショッピングモール・カジノ・コンドミニアムが建ち並ぶ
旧市街と不法居住区
栄枯が混在する感じる沿岸部を離れて、内陸の旧市街を歩くと観光客らしき人々の姿はほとんど見かけなくなり、地元で暮らしている住民による日常的な生活風景が広がっている。高床式の住宅で、床下のところにリビングを置いて涼みながら談笑するご家族や、バーベキューの用意をしていた人々、歩道でバドミントンをしていた人々など、おおらかな時間と空間の使い方が広がっていた。
エカリーチ通を歩いていると、歩道でバドミントンが始まった
学校への通学路の途中にある駄菓子屋、日常的な風景が広がる
また、シアヌークビルの港湾は、カンボジア経済の発展に比例して年々貨物取扱量が増加し、容量の逼迫を招いていることから、新しいコンテナターミナルの整備・拡張工事が進められている。しかし、その周辺には不法居住とされている漁村集落が広がっている。漁船の往来経路を確保するため、新しいコンテナターミナルは離れ小島の形式で建設が進められている。
沿岸部に広がる不法居住エリア、漁船・桟橋と家屋が一体化している
シアヌークビル市街地を見下ろす
シアヌークビルでは、港湾・高速道路の開発といったインフラの支援、急激なリゾート施設の開発が大国のグローバル経済・政策の一環として進められてきた一方で、日常的な住民の生活はそうしたものとは切り離されて送られているように見受けられ、都市のさまざまな要素が未統合である印象を受けた。
都市空間は誰かが居住する生活空間であると同時に、それよりもより大きく広域なスケールで駆動される経済原理に基づいた投機空間でもあるということが強く感じられた。しかし、それは発展途上にあるシアヌークビルのような都市だけではなく、日本を含めた先進国の大都市でも、インバウンド需要を取り込もうとする観光地でも、さまざまな地域で共通する課題なのではないだろうか。