三期主宰:
壬寅年四月十一日申時132号
台湾復興基地はコロナ病毒疫情に、勢い極めて強く遭遇している。
生きていくにも容易ではない。生活は苦難に満ちて生命は弱々しくなる。宗教としては気にかけ配慮する今、適時に慰問する行動は、「共同奮闘」の向心力を堅め集めて団結し、地域、境界、我、彼、分別せずに生気を培養して、災害を消し苦難を解決することである。
春劫は勢いを助長している。
春夏は矛交える(対戦)の時、隠れたり現れたりするので、力を尽くして荒れ狂う波を引き留め、修道を行い、教えを導いて善に変わりしめる。
人の心は常に変化を懐かしく思うので、苦しみが過ぎた後にその苦しみを思い出して、教訓を汲み取り正気に満ち溢れさせ、無事に危険を免れるのである。
一炁宗主
二〇二二(民国一一一)年五月五日
壬寅年四月五日 戌の刻125号
「天帝教壬寅年全球超薦陰安陽泰法会」の無形組織は,本地球の生存空間において劫にあい,受難した行き場不明の性霊と精霊を開化して,宇宙の運行法則を悟らせる超薦の義は,応元神媒がエネルギー転化の力を借りてその中の媒介となることであり,慈悲和力により各種の性質を持った有情無情を導き,終には自力で修持し親力を発するに至り,積極的に奮闘する。
天安太和道場で法会が行われ,上は清涼・蓮花両聖境より,下は運清涼殿、同済殿、天・地・人の三曹が共同で運化して,救劫使者は意を誠にし心を正して,天地自然界に加わり調整を行なう。
極初大帝:
二〇二二(民国一一一)年五月五日
壬寅年四月五日 午の刻123号
今日は本師節で,「一呼吸一呼吸が帝心に通じ,一声と願い全てが金闕に達する」,光殿に入り祈祷・誦誥・静坐などを行う時には,決して初心を忘れてはいけない,救劫弘教は光殿より始め,誦誥救劫は魔氛を清め,救劫使者の天命を発揮する,奮闘救劫は自分に向かっての奮闘から始める。
社会の挑戦に相対し,時代潮流は変化して,宗教は人心を慰め,人心を教化し,人心を導く,勢いによって導き,家を教えの本として,人心に入り,家庭に入り,宇宙大道を根深く耕す。「万事救劫ほど急ぐものはなし」,力を集め,心と徳を一緒にし,衆生のために祈り,救劫弘教して,時と共に進む。
春劫の劫難に相対し,教綱に回帰して,体制を建設し,団結奮闘する,「天地のために心を立て,生きる民のために命を立てて,万世のために太平を開く」。
慈恩聖母:
二〇二二(民国一一一)年五月四日
壬寅年四月四日 午の刻122号
一年一度の慈恩節は,新型コロナウイルスの疫情の危機でもあり転機でもあるが,救劫と同時に,行劫も行われ,常に監視が行われるので,人を欺き天を欺けば,天には受け入れがたいのが決まりである。
天帝教の同奮は救劫使者であり,共同して奮闘し,道徳を談じて,道心を固め,五門の功において修行の技を下せば,真の印を見ることができる。
天人教主:
壬寅年四月一日巳時 119号
各種類の訓練班は,短期集中教育訓練の機制であり、各地の教院の弘教組織は日常的な
指導単位部署である。平日の奮闘状況の基準によって、訓練班クラス別の目標を定める。
極初大帝:
壬寅年四月一日巳時 118号
ロシアとウクライナの戦争で,春劫行運の足取りが乱れ騒がしく動いている。
継続するか停止するかは戦争の出発点、初心によって延長、或いは終止の時機を決定する。人類の救劫の力量はコロナ病毒疫情を受けて消耗しつつある。
何処にして対応するのか?
共同での討論と検討、指導者統合が有効な作用を発揮する。
行劫主宰:
壬寅年四月一日巳時 117号
台湾復興基地のコロナ病毒疫情の成り行きは、全体の適応化に向けた全体適応期に進入
している,これは全地球の人類が自然(界)に向かって奮闘する共同の課題である。
行劫主宰:
壬寅年四月一日巳時116号
台湾復興基地のコロナ病毒疫情の状況:
一,人為的不適当な行為にて、自ら行劫の力量を呼び寄せた。
その中で無形からの新しい知識を教え導き、善に変化させ、社会大衆が自ら顧みて考え
るように促しその非を悟る。
二,コロナ病毒疫情の発展について:
〈一〉,常に共存する状態の傾向にある。
中には親和力の作用があり、自然の法則に従って運行される。
〈二〉,それまでに全く類のない増強と変化により,更に、より深刻に感じる事もあるであろう。
無形の行劫の名簿と人間界の統計数字との違い、これは無形に隠れているものと人
間界に現れている違いなのだ。
三期主宰:
二〇二二(中華民国一一一)年五月一日
壬寅年四月一日巳時 115号
人間は第三次世界大戦に対して警戒心を持つ。人間界には核戦争の危険性が存在し、
小型核兵器は戦争の方向へと動く勢いである。
ただ、第一時代の使命を完成させることで、核戦争を形無く化減させることを確保でき
るであろう。
二,第三次世界大戦を引き起こす重要な要素は、「経済」が主である。
三期主宰:
二〇二二(中華民国一一一)年五月一日
壬寅年四月一日巳時 115号
人間は第三次世界大戦に対して警戒心を持つ。人間界には核戦争の危険性が存在し、
小型核兵器は戦争の方向へと動く勢いである。
ただ、第一時代の使命を完成させることで、核戦争を形無く化減させることを確保でき
るであろう。
二,第三次世界大戦を引き起こす重要な要素は、「経済」が主である。
宇宙監経大天尊:
二〇二二(民国一一一) 年四月二十八日
壬寅年三月二十八日 午の刻111号
壬寅年春季全球化劫禳災解厄法会の誦誥教化・誦経活動の,収経率は:
一、法会前期の誦誥と誦経の部
(一)誦誥収経率は四割八分である。
(二)誦経収経率は五割三分である。
二、法会当日の誦誥・誦経の部
(一)誦誥収経率は六割一分である。
(二)誦経収経率は六割三分である。
三、「経典」持誦の「質」と「量」は「心」と「物」を用いる作用のようである,「矛盾の衝突」と「調和の統一」の中で, 「和」の状態を達成する。
天帝教同奮は「量」から入門し,大量に持誦した基礎において,「質」の層を高め, 一元の和の極致の境界に入り,天人親和して,感応がある。天帝教の同奮は長期に誦誥・誦経し,常に「天を体して道を行ない」,求められた量を突破する習性を持って,質量を平衡させ,真の集中・集中合一の状態に達する。
首席督統鐳力前鋒:
二〇二二(民国一一一) 年四月二十七日
壬寅年三月二十七日 未の刻109号
壬寅年全球化劫禳災解厄法会の基本精神と原則は,すなわち天帝教の救劫天命と無形・有形間の天人関係である。「化劫」を元として,禳災解厄の作用を達成する, 化劫は因であり,災厄は果である。
三期劫運において,「自律律」と「全体因果律」に立ち,「壘望絶観(高く立って遠くを眺める)」により,浩然正気を凝集し, 「心意念欲」を調和させ無形の応化に呼応させる。
大を小と化し,小と無と化し,隠れて顕化して,未然に防ぐ。
無始古仏:
二〇二二(民国一一一)年四月二十七日
壬寅年三月二十七日 午の刻107号
「壬寅年春季全球化劫禳災解厄法会」 ,一年の計は春にあり,穀雨の節気は,雨露が等しく潤い,同じく恩恵を受ける。 「全球化劫」により,全世界が佈化・運化・同 化して,同じく帝恩に沐し,興仁・啓仁・履仁・行仁により,道心を固め,奮闘して止まないように。
外在の環境は困難で,内在の環境は手かせ足かせがある,風雨の中で信心を生み,仁徳を守り抜いて,力強く行ない,己が立ち人を立たせ,己が達し人を達しさせ,誠意敬意により反省懺悔して,天人力を合わせ,春劫劫運を減緩させて,康同の降臨を啓き守ることは,天人の同じくする願いである。
慈心の哀求により,一緒に運を啓き,天人交感して,日月同じく輝き,万方が協和して,延康を啓いて守り,天は清に地は寧に,全世界が平和となり,この世は清平となる。
三期主宰:
二〇二二(民国一一一)年四月二十七日
壬寅年三月二十七日 午の刻106号
香雲は巡り,瑞気は照らし,塵を洗い流して,同時に浄化する。 五行相生相剋の中,陰陽調和の中,三曹共振の力を借りて,春によって春を化し,劫によって劫を化して,禳災解厄して,乱をはじいて和に返し,同じく正道に帰して,天を悲しみ人を憫れみ,仁徳を啓いて,仁徳を佈化する。
三期の中にあり,春劫が行われていて,人心は進取を思わず,殺伐さが充満して,陰霾が天を覆い,神道の教えを設け,霊は心竅に迷う,劫劫あい因となり,人倫が背いて,救劫弘教は功を見ず,興世興仁はまだ着実になっていない,危機が転機となって,枯木は春に逢い,人心の浄化にかかっている,救劫使者の無私の奉献により,両誥を誦持して天運を回転する。
壬寅年春季全球化劫禳災解厄法会,全世界の人類和平意識を結合して,心力は大結合する,念力は大同の歩みにより,共同の心願を上達して天に聴いていただき,天人親和して乾坤を転じ,天地寧清にして,太和を啓く。
一炁宗主:
二〇二二(民国一一一)年四月二十七日
壬寅年三月二十七日午の刻105号
「壬寅年春季全球化劫禳災解厄法会」は乾坤を明るくし,日月同じく輝き,一炁が三千を化し,三千が同じく佈化して,玄機(神秘・道理・機微)は自ら啓き,天心を仰いで,至誠至敬にして,延康の奇怪を持たせ,神威を明らかにし,清濁を分ける。
春劫の中にあり,浩浩として聖徳により,天地の間に立って,人はその中にあり,大道は広く行なわれ,人為を先とし,常に赤子の状態を保って,初心を失わず,天を開き人に継ぎ,道を啓き徳をたすけ,世を源にして,親和する。
地球の気運は,人を宗とし,心を本にして,人心は浄化して,己を人に及ぼし,春劫の運行は,自然に回帰して,自然の生態は,順序に行なわれ,三曹は同じく光り,天は清く地は安らかである。
先天斗姥大聖元君:
二〇二二(民国一一一)年四月二十七日
壬寅年三月廿七日 午の刻104号
「壬寅年春季全球化劫禳災解厄法会」は,広く法華雨が降り注ぎ,塵を洗い浄化して,再興穀雨(の時節)に再び興し,風雨が順調で,國泰民安の気象に至っている。
天の時と,人の和がすでに備わり,全教は一斉にネット上でつながり,先天の力が後天の功と交わって,佈化を開き,転春・化春・迎春により,全世界の災劫を減緩して,「天を開き『人』 に継ぎ,道を啓いて徳を助ける」,人心は善に向かい,覚世興仁は自然として至る。
全世界の災劫はいかに多いことか,自ずとその定まった運命がある,化減はできるが,化除は難しく,人心は貪・嗔・痴・愛・恨・慢・疑となり,七情六欲が災いして,因果の循環により,顚倒を続け,牢獄を逃れることは難しく「放下・浄化・清空」によってこそ,突破できる。
仁徳の教化により,大地は回春して,世界が協和し,教化を興すことによって,陽和が満ち,陰霾を掃蕩して,劫によって劫を化す,春によって春を移し,春風によって春劫を化し,春雨によって春厄を化す,日月が運行し,時が推移して,天に親しみ人に和し,天地はその中を執る,日月が空にあり,四時は順序通りで,人心は仁に帰し,功成って太空に帰る。
金光はめぐり,神光は佈化して,瑞気は降臨し,陰陽が調整され,五行順よく転回し,吉祥が現れ,普く大地を照らし,全世界を遍化して,凶に逢えば吉に化し,春が大地に帰る。
天人教主:
二〇二二(民国一一一)年四月七日
壬寅年三月七日 戌時 095号
清明時節は,自然と人文の理を含み,風雲に覆われると天は明らかでなくなり, 物欲に覆われると心は明らかでなくなる,倫理はすなわち天理である。
清明の追憶においては,孝の道が礼に異ならない。「生は,これに仕えるに礼を以ってなし;死は,これを葬むるに礼を以ってなし,これを祭るに礼を以ってなす。」
禮は,経も変もあり,経は常で,変は常の変である,礼を以って義となし,儀を以ってこれを載せる。
祭は, 意志思慕の情であり,忠信愛敬を致すところであり,礼節態度の盛んなところである。君子が心を安んじてこれを行ない,聖人が明らかに知って,一段一段進んでゆけば,民の徳は厚い所に帰する。
天を敬い祖先にならい,水を飲む時は源を思う,すなわち大元に立ち返り本来に戻る道であり,志を受け継いで事を述べる伝承である。
彌勒古佛:
二〇二二(民国一一一) 年四月一日
壬寅年四月一日酉の刻090号
壬寅の年に上元龍華が設立され、救済する機会が動き、救済の使者は救済奮闘に積極的に参加し、世界の不安定で不確実な状況に直面して、道心を固く信じ、変わらぬ奮闘をし、多変的な災害へ対処する必要があります。
三期末劫の亂世に於いても、修道を育む良い機会であり、天帝教同奮は人間界での身体の存在を大切にし、功徳と道徳を育み、その使命を果たして下さい。
首席督統鐳力前鋒:
二〇二二(民国一一一)年三月三日
壬寅年二月二日 午の刻 074号
ウクライナとロシアの戦争において,人間界の天帝教は積極的な反応をなし,機を把握して制するべきである,目下すでに施行された行劫方案には警戒を保持し,時を把握して行劫の勢を化緩軽減すべきである。
58号は3月3日にお送りしていますが、再送します。
三 期 主 宰:
二〇二二(民国一一一)年三月三日
壬寅年二月二日 午の刻 073号
ウクライナとロシアの戦争は,歴史的背景と原因を持っていて,後天の現実による制限であり,また行劫の手始めとなるところである。無形について言えば,行劫は死傷を生み出すが,なお教化であり,また歴史の共業を解決することである。ウクライナとロシアはなおも地縁関係と歴史背景を脱することはできず,分合を繰り返し,双方の平衡に到達する。
三期主宰:
二〇二二(民国一一一)年三月三日
壬寅年二月二日 午の刻072号
ウクライナとロシアの戦争は,人間界から言えば,多くの原因はあるが,全体の行劫の気運は再度新しい流れに入っていて,行劫方案を執行して累積された全世界の劫気を緩和させようとしている,本教の時代使命は核戦争の危機を大から小に化し,小から無に化して,目下の戦争に対し非核兵器の状態を保持させるようにする。後にもしロシアが核兵器を使用しようとしたならば,第一時代使命への直接の挑戦となる。救劫の要は時代使命に対して衝撃を生むかどうか注目することにあり,崑崙の地仙はすでに配置を行ない,人間界の天帝教の救劫行為に呼応して,化延の功を達成しようとしている。本教の使命の立場に戻ると,注意を保ち,一週間内にはなお多くの変化があり,壬寅年の全世界の将来い影響しようとしている, これはまた春劫新運の新趨勢であり,特に行・清・平劫の結案であって,強烈な劫運展開の加速は,壬寅年気運の大方向である。
三期主宰 :
二〇二二(民国一一一)年三月一日
壬寅年一月二十九日 午の070号刻
壬寅年となり,人間界ではロシアとウクライナの戦争が勃発した,烽火は無情であり,戦争は残酷で,国際情勢は「大転回」した,三期末劫の春劫は逆転の線上に処しており,人間界では新暦三月一日より誦誥強化を始め,「至誠祈求仁徳を実践して人心を感化し国際協力により対抗衝突を消し去り春劫のほしいままの衝撃を緩和して至仁の力量により康同に転じる」ことを願い,天人は同時に救劫運化強化を始めている。救劫使者は現階段において勤勉に光殿に上がり両誥を奉読して,正気の力量により魔氛を抑制し,乱をはじいて正に戻し,戦争を消し去って,春を破り春に返れば,大地は春に返る。
極初大帝:
二〇二二(民国一一一)年三月一日
壬寅年一月二十九日 午の刻069号
辛丑年巡天節昭示 「最高の仁には極限がない」は壬寅年救劫教化の主方針である。すなわち無形の「大旋回」の力により,行運を回転させ,情勢を変化させて,春劫の方向に戻す。二〇一七年の「大逆転」により,天人の運化が呼応したが,奮闘の力量は行劫の魔氛を完全に化減するにはなお不足している,春劫行運が原点に戻ったことから,有形の奮闘正気の力量が極めて重要であることが知られる,「天人合力」で,「人」の呼応はすなわち鍵であり,人間界の天帝教にはすでに「信仰」・「信心」・「信念」と距離を持ってしまい,人と人が親和を強めることが待たれる,それでこそ「天人親和」の熱準を持つ。宗教が力量を凝聚するにはまず「至誠」であり,「誠が人を感じさせ」,「誠が天を動かすことができ」,「至誠でやむことがない」,教政・教務は共同して「大経―新境界」・「大法―教綱」・「大宝―宇宙応元妙法至宝」を基礎にして打ち建てられる,勢いによって導き,人心を教化し,心霊を充実させて,「絶対に上帝を信仰し」,「天命・信心・奮闘」を打ち建てる,活動を広げ,同奮が作用の力を産むのを鼓舞し,救劫の気勢を奮発させる,人々が親和し,天人相親しみ,天人相呼応して,「天人合力 は最大の救劫作用を発揮する。
三期主宰:
二〇二二(中華民国一一一)年二月十九日
壬寅年一月十九日 午の刻058号
私は「延康副帥をつかさどり,五十九余次の三期を主宰した」御命を奉じ, 特別に人間界の万生万霊の栄枯と盛衰および時と共に進む演化に関心を持ち,物が天と競い天が選ばれる天律を確定して,特に大地蒼生の気志心神の趨向に関心を持って,志道あるいは清明あるいは道理に暗い流れにより,三期行運を動かす。言い換えると,衆生の心気祥戾の累積によって,三期末劫の化延が決定するので,事は重大であり,人間界の天命救劫使者の行なうべきことであって,積極的に奮闘し,祥和して天心に合致すれば,道は勝ち劫は化される。
『大同真経』に曰く:「一旦吉祥が生まれれば次々と私心のない気の吉祥が生まれ,劫乱は起こらない,こうなれば清寧となって大同に進める」,これは春劫総清の劫災がなお頻繁にあり,人心の覚醒は,天帝教同奮の至真至誠の祈祷誦誥による迴向で,「道徳再建は,心より自らを救う」から「覚世興仁」の切迫した呼びかけと無形運化の呼応により,天人が力を合わせ奮闘する道功が目の前に出現する,ただ春劫総清を総観すると勢はなおも高くて強く,まだ少しも弱まることがない。
人心の善悪を省察すると,すなわち天理と人欲の闘争には止むことがなく,勇敢な心・精進の心・恒の心・気迫を持った長期の奮闘により,衆生を善に導き,道を抱き徳を楽しんで,乱をはじき和に戻し,順調に康同に転じさせる,これは正に全人類の大革新・大改造の大使命であり,同奮はお師匠様の「できないこと知ってそれを為し」・「一息でもあれば,徹底的に奮闘する」無畏の犠牲奉献精神にならい,時間を計らず始終貫徹し,みずから「一生一祥」を証し,拡大して,共に「吉祥が生まれ集まる」ことを創り,この地球の三期末劫を無形に化解する。
極初大帝
二〇二二(中華民国一一一)年二月九日
壬寅年一月九日 酉の刻044号
寅年の一月九日,天帝教の教主 道統始祖宇宙主宰玄穹高上帝のお誕生にあたり,三界は同じく慶祝し,三曹は同じく喜びに包まれている。
春劫は二十一年目に入り,春劫主宰は「春劫行運」の義務を負う,地・水・火・風の諸劫が降臨しており,疫毒・災劫・気候・害虫が同時に来ている,願わくば世の人々が根本から自分自身を救うことができ,道徳が再建され,覚世興仁するように,さもなくば人心は古に戻らず,自ら牢獄に陥る,天帝教同奮は朝晩祈祷して, 上帝の浩劫を哀求するように。
壬寅年の春劫は「大廻旋」方案が行なわれ,世界の状況を変え,人々の運・天の運・地運・道運・人運・気運を突破して,「大廻旋」において変化を起こす,そして仁徳を行なうために用いられ,教主 上帝の「至仁無極境」において有形・無形を布化し, 天帝の恩沢を施して, 天帝の教化を広げ,天人の関係と距離を近くすることにより,衆生を「教化に入れ,世の情勢を明らかにし,智慧を増やし,分別をつけさせる」,清濁をきちんと分け,乱を退け生に戻し,春劫の「大廻旋」の行運の力を借り,新しく広い大道を歩み始め、世人を拯救する。
宗教の教化は人々の心に深く浸透し、心の毒と疫毒を取り除く,天人は一念の間にあり,即時にこれが分かれば、道途は光明で,自己検討により,新しい道に抜け出る、そして「至仁無極」の普遍的な教化を受ける。
三期主宰:
二〇二二(中華民国一一一)年二月九日
壬寅年一月九日 酉の刻043号
壬寅年新春となり,春劫はまた啓動した,人間界の救劫には「一足先に劫を制する」ことが必要であり,世界の運勢は, 髪一本で全体を動かすことができる,劫難はすなわち環環とあい関係するもので,人間界は慎重に判断しなければならない。 心に憂患意識を持ち,救劫使者の「自発的誦誥救劫」を激励する,特に「すでに警戒の出た地域」に対しては,正気のエネルギーを集め,凝縮することにより,天地の正気の誦誥の力を用いて春劫掃蕩をせき止め,破局・破勢・破格の挙に対し,救劫は劫難が発する前に発動しなければならない。 春劫の引動には,両誥の救劫力量を教化するしかない, 初春の時,危機を化して転機にし,春劫の難関を突破してこそ,救劫の運勢・気勢・道勢は定まる。
第二天慎之天天王
二〇二二(民国一一一)年二月六日
壬寅年一月六日午の刻039号
天運壬寅年一月四日,全教同奮代表が「迎啓教財儀典」に参加することについて, 提示する:
一 、 天帝教の救劫弘教拠点は救劫弘教・談道論徳の場所であり,道気は旺盛で,道の糧は自らやって来る。
二 、 無形の財富の転化は天命の救劫使者にある。財は,これをもたらすに道により,正大光明で,源を開き節制すること。
三 、 教財の源は教徒同奮 「無私無求」の奉献より来ており,有形の財富を精神の道糧に転化させ,功徳を積み,道の基礎を厚くする。教財の運用 は「節約するが出し惜しみはしない」,財により人が集まり,救劫弘教と日常の基本消費に融通をきかせて運用する,無偏無私であり,正しくておもねることなくして, 「少し余らせて激増はさせない」状態を保つように。
四 、教徒同奮の日常生活は修道の心により,「節制倹約」 を保つ,清心寡欲,安定して道に喜び,守る所なす所あって,足るを知り,福を惜しみ,感恩せよ。