北米大学院出願の記録
北米大学院出願の記録
作成:2016年2月21日
最終更新:2016年4月17日
まとまりも何もありませんが、私が留学を思い立って以降いつ何をしたのかの記録です。自分自身の経験として、留学を志した最初の時期には何をどう進めていくのが普通なのかが分からず不安だったので、こういった記録が誰かの参考になればと思い公開します。ただしもちろんここに書かれているのは一個人の経験であってどれほど一般化可能かは分かりません。「こういうパターンもあるんだな」程度に思って読んでいただければと思います。留学に関しては専門分野・留学先の国・出身大学・経済状況等々に応じて状況はまるで異なるものになると思うので、いろいろな情報源にあたってみるのが大事でしょう。
なお、出願に取り組んでいた時のリアルタイムのつぶやきはこちらにまとめました。より支離滅裂ですがどなたかの参考になれば幸いです。
2014年11月
海外でPhDを取得したい思いが強くなる。指導教官とも相談して留学することに決める。
留学経験者の方3~4人に口頭・メール・Skypeなどで相談に乗ってもらう。大変有益なアドバイスを沢山いただいたが、相談する相手ごとに意見が異なる点も一部あることに気づく(例えば志望校の選び方など)。これは各々経験や価値観が違うのだから当たり前といえば当たり前だろう。余談だが、以前お会いしたアメリカのとある教授は留学に関して "Ask everybody, believe nobody." と言っていた。
一度目のTOEFL受験。とりあえず一度受けてみないと何をすべきかも分からないと思ったのでほとんど何の準備もしなかった。そのせいで時間配分も分からず、readingとwritingで時間が足りないという悲しい事態に陥る。加えてspeakingの難しさに驚く。
TOEFLは25,000円もかかるのだから初回からちゃんと準備して臨むべきだったと今は思う(当たり前のことだが)。そうしていれば3回も受けずに済んだかも知れない。
ちなみにスコアは77点だった。出願先での足切りや奨学金取得などを考えると100点くらいは欲しかったので全然足りなかった。
2014年12月
研究室の先輩で当時留学中だった方にPhilosophy of Biology Graduate Programsを教えてもらう。英語圏(オーストラリア・カナダ・ヨーロッパ・英国・米国)で生物学の哲学(私の専門)を学べる大学院と在籍教員およびその専門が載っている。このサイトには出願期間を通してとてもお世話になった。もちろん2014年冬の時点で「この人に教わってみたい」と思う教員は何人かいた(だからこそ留学したいと思ったのだし)のだが、こういうサイトの良いところはそれまで盲点だった大学や教員を見つけられる可能性があるという点だろう。また,志望大学間の比較にもある程度使えると思う。
The Philosophical Gourmet Reportを知ったのもこの頃だったか。大学院で哲学を学ぶことに関する情報サイトで、哲学を学べる英語圏の大学のランキングを載せている。下位分野(「科学哲学」や「生物学の哲学」など)ごとのランキングが特に参考になるので、出願大学選びの出発点として便利。ただしこのサイトのランキングを鵜呑みにするのも多分よくない。実際私が最終的に出願した6校の多くは「科学哲学」ランキングでも「生物学の哲学」ランキングでもさほど高いランクではなかった。
某先生(北米でPhD取得)に志望大学選びについて質問したところ、「とりあえず沢山出願しておいて、合否が出た後に合格したところを訪問し、いいと思ったところに決めればいい」とアドバイスされる。
某先輩からAPA Guide to Graduate Programs in Philosophyを教えてもらう。北米の哲学系大学院について、男女比・人種構成・就職状況など主に統計的なデータが充実したガイド。
第一志望校の教員に質問のメールを送る。「xxの研究がしたいがあなたのところは環境として適しているか」「あなたの指導を受けたいがPhDの学生を受け入れる気はあるか。また、異動の予定などはないか」などを尋ね、いずれも肯定的な返事をもらう。
2015年1月
2015年7月にカナダで開かれる国際学会(ISHPSSB)での発表を申し込む。志望大学の先生方と話す機会だと思ったのでなんとしても参加したかった。
この頃はlistening対策としてジブリ映画を英語吹き替え版字幕なしで観たりしていた。4本くらい観ただけなので効果のほどは不明。
2015年2月
「TOEFLは語彙力が鍵」みたいなことをいたるところで聞くのでフラッシュカードを使った単語暗記を嫌々ながら始める(数ヶ月後に結局やめる)。
カナダの学会での発表申し込みは無事受理される。
2015年5月
二度目のTOEFL。Listening以外は前回よりマシだったように感じた。
TOEFLのスコアを受け取る。結果は91点。初回(77点)よりははるかにいいがまだ足りない。それなりに時間をかけたlisteningとspeakingが全く伸びていないのが悲しかった。
留学のための奨学金の締切を逃すというやってはいけない失敗をする。この頃は学会発表の準備が複数あったりしてなかなか忙しかったためだが、けっこう落ち込む。
2015年7月
ISHPSSB @Montreal。第一志望校の先生と再会する(彼とは二年前に同じ学会で一度話したことがあった)。その他の志望校の教員にもcocktailの時間などに話しかけて留学について話を聞く。一部の教員は自分の指導学生を紹介してくれたので、学生目線での情報も入手することができた。教員も学生も皆フレンドリーかつ協力的でとても参考になった。
2015年8月
三度目のTOEFLに申し込む。が、試験の直前に身内に不幸があり、受験をキャンセルして実家に帰る。
留学支援奨学金その1に申し込む。
2015年9月
修士論文を英語で書くことに決める。大学院出願のためのwriting sampleとして都合の良いものがなく、修論を英語で書いてそれをそのままwriting sampleとして出してしまうのがいいだろうという判断から。
7月の学会で直接話せなかった何人かの教員にメールで留学に関する問い合わせをする。概ね好意的な返信をもらう。
留学支援奨学金その2に申し込む。
2015年10月
出願校を決める。結局6校に申し込むことにした。指導教官と先輩、知り合いの先生に推薦書の執筆を正式にお願いする。
第一志望校(M大学)のstatement of purposeを書く。なかなか進まず大変苦労する。2週間くらい費やしたんじゃなかろうか…時間かかり過ぎ。出願前にコメントをもらいたかったため、第一志望校の教員にstatement of purposeを送る。
留学支援奨学金その3に申し込む。
GRE初受験。Analytical writingの時間が全く足りず、推奨されている字数の半分くらいしか書けなかった。Verbalは単語が分からなさ過ぎて困る。Quantitativeはまぁまぁ。GREはverbalとquantitativeのセクションは受験が終わった直後に点数が分かるので、帰りの電車の中で第一志望校の過去のGREの得点分布(公開されている)と自分のスコアを見比べる。少なくともこの二つのセクションに関しては再受験の必要はない程度には取れているかな、と考える。
三度目のTOEFL。過去二回よりも成長しているような感じはあった。特にlisteningは随分聞き取れるようになっていた。Writingは、内容はともかく執筆速度は上がっていることを実感する。この頃statement of purposeと修論執筆にばかり取り組んでいた結果か。
2015年11月
奨学金その1の書類選考の結果があまりに遅くて不安になる(面接審査予定日の一週間前なのに連絡が来ていなかった)。事務に問い合わせてみたらそもそも大学の推薦を得られていなかったことを知る。土俵にすら立っていなかったとは…。
GREのanalytical writingのスコアが返ってくる。結果は2.5で、英語非ネイティヴであることを差し引いても低い。GREは一度だけの受験でいいかと思っていたが再受験することに決める。
三度目のTOEFLのスコアが返ってくる。99点。目標の100点には届かなかったがほぼ100点ということで満足することにする。内容的には、listeningが伸びた代わりにwritingが下がって一年前(最初の受験)と大差なくなっていた。四つのセクションの中で一番頑張って対策したのはspeakingだったのだが、speakingは結局三度の受験を通してほとんど点数が変わらなかった。
第二志望校に出願する。出願直後に書類の不備を発見してメールで訂正するなど。
二度目のGRE。初回に比べてverbalが3点下がってquantitativeが3点上がった。Analytical writingは相変わらずあまり書けなかったが、初回よりはマシだったように感じた。
2015年12月
第一志望校に出願する。
ひたすら修士論文を書く。ここまで出願準備・奨学金・TOEFL・GREに追われて修士論文の方の進捗が思わしくなく、時間との戦いだった。この時期は主観的にはちょっと辛かった。
修論執筆の合間を縫って他の志望校に出願する。
2016年1月
修士論文を提出する。
奨学金その2について、書面審査不採用の連絡をいただく。その2は一番採用される可能性が大きそうだと思っていたので焦る。奨学金が取れなかったがために留学できないという事態を避けるため、新たに奨学金その4に申し込むことに決める。
奨学金その3の書面審査通過の連絡をいただく。その1その2が駄目だったことで若干諦めムードだったので喜ぶ。翌週に東京で面接を受ける。感触は悪くはなかったと思う。
第二志望校からSkypeインタビューしたいとの連絡を受ける。
第一志望校からwait list入り(補欠合格のようなもの)だという連絡を受ける。第一志望校は教員とも繰り返しコンタクトを取って入念に準備していたので少々落ち込む。留学失敗かもなぁと考える。
2016年2月
第三志望校から合格の連絡を頂く。喜ぶ。
修士号取得が無事認められてほっとする。修士論文の執筆がかなりギリギリだったので正直不安でしょうがなかった。
第三志望校から合格者のためのgroup visitの案内をもらい、参加することに決める。旅費は自己負担なのが少々辛いが、いずれにせよ訪問はせねばならないと思っていたしちょうどいい機会だろう。ついでに補欠合格中の第一志望校も訪問することに決める。
第二志望校とSkypeインタビュー(のはずだったがSkype接続がうまくいかなかったため国際電話でのインタビューになった)。初っ端に「GREの点数がかなり低いけど理由を説明できる?」と聞かれしどろもどろになる。こういう質問をされることがあるというのは聞いていたけどもインタビューでいきなり聞かれるとは思っていなかった。あとはどういう研究をしたいかとか、どういう職業像を描いているかとか聞かれて説明するなど。
インタビューの翌日に不合格のメールを頂いた。GREの点数の低さに関する説得的説明が提示できないため、研究科はあなたに合格を出さないだろう、という旨の理由が書かれていた。加えて、あなたは我々の研究科があまり強くない方面に関心を持っているように見える、とも。これはその通りなので私も納得した(すでに一校合格をもらって気持ちに余裕があったからよかったが、そうでなかったら落ち込んだだろう)。
奨学金その3に採用される。第一志望校に奨学金の条件を伝える。
2016年3月
第六志望校から不合格の連絡。
第三志望校のgroup visit。教員・学生ともにフレンドリーで、楽しい時間を過ごす。英語能力への不安やTAのこと、fundingのことなど気になっていたことを率直に尋ねることができた。時差ボケで体験授業の時間に意識が朦朧としていたのは残念だったが…。同室だった別の合格者から進学先選びについて色々教えてもらえたのも思わぬ収穫だった。
第五志望校から合格の連絡。
第四志望校から不合格の連絡。
2016年4月
第一志望校から合格の連絡。入学先決定まで2週間を切っていた(北米大学院哲学科の慣例として、合格者は4月15日までに入学先を決定することになっている)。喜ぶ。
第一志望校と第三志望校のどちらに行くか悩む。教員・他の院生・生物学(特に発生生物学)のレベル・生物学者との関係・TAやRAの条件・予想される収入と支出・気候・土地柄など考慮すべきことは無数にある。学びの環境という意味では第一志望校に行きたい気持ちの方が強かったが、第一志望校は学費・生活費を一部自己負担する必要があるのがネックだった。
幾度かのメールのやり取りの後、第一志望校が学費と奨学金の条件を変更してくれたおかげで自己負担分はほとんどなくなった。これが噂に聞く「アメリカは何でも交渉次第」というやつか。
第一志望校に入学することに決め、第三志望校に断りのメールを送る。「我々としてはもちろん残念だけど、でもM大学(私の第一志望校)であなたは素晴らしい教育を受けられると思います」というようなメールを頂く。