指揮者 伊東恵司
(出典:http://www.yumemirusakananoabuku.jp/chorus/policy/yd-budou-nyuudan.html)
1)はじめに
「合唱において最も大切なものは?」と聞かれたら、何と答えるでしょう?
発声、耳、ピッチ、姿勢、…いろいろあり過ぎて質問自体はナンセンスかもしれませんが、私は「想像力」と答えることにしています。(これは人生においても同じです) そして、もう一つは間違いなく「仲間」です。一人で生きられないのと同様、ハーモニーも一人では作れません。つまり、お互いを聞き、意識し合い、役割を果たし合い、かつ支えあって和音は成り立つと思うのです。そして、それぞれが互いに想像力を膨ら ませて歌を歌うことによって、「合唱」ははじめて命を宿すのだと思うのです。
私はどうしても、どんなに拙くとも「表現者である」という観点を忘れたくはありません。換言すれば、我々は技術を磨くことを目標としているのではなく、「音楽」という 「芸術=うた=感情のメッセージ」と対峙しているのだということを忘れたくはありません。より深く豊かな表現を可能にするための「手段」として技術を磨くのだという考え方を忘れたくはありません。日常の眼差しの中に情動(エモーション)がなくては音楽が生まれず、生きていくことに苦悩や哀切がなければ、それによって癒され励まされるという感動は生じないでしょう。「芸術=うた」は技術や高尚さや理屈の問題ではなく、表現したい欲求と、それを吸収する心の器との呼吸の中に存在するものなのだと考えます。そして私はそんな「歌ごころある」合唱を目指したいと思います。
繊細で大胆な「情感」ある演奏・・・、「表情」ある生き生きとした音楽、「生きていて良かった」と思えるような演奏をしていきたいものです。練習の中でも常に「表現・表情・情感…」という心の陰影を丁寧に見つめた音楽が出来る合唱団を目指したいと思って います。一緒に「うた」を楽しみ、感情の呼吸をしながら「合唱」にチャレンジしていきましょう。
2)アプローチ
はてさて、合唱の「現在」はどこにあるのでしょう。
この10年間で合唱を取り巻く世界も大きな変化を遂げました。良い響きのホールがたくさん出来ました。世界の距離が近づき、合唱先進国の楽譜や音源やメソッドが直輸入されるようにもなりました。
わが国の短い合唱の歴史においては、ともかく「みんなで一生懸命がんばって一つに纏まる」という社会性や精神性を支柱に据えた取り組みが主流だった時代があったと思います。響きにくいホールを鳴らす為に、オペラ歌手よろしく力いっぱいの発声を鍛えていた時代もあったと思います。もちろんそういう側面を否定すべきものではありません。しかし、上記の変化や我々のライフスタイルの変化に加え、いまや国際交流や合唱研究も進み「北欧」や「東欧」はもちろん、「北米」から「南米」まで世界中のあらゆる影響も受けて、合唱はますます「様々な形態での楽しみ方」を追求出来る時代になっているように思います。
その膨大な情報と変化の中で、私たちは音の連なりやハーモニー、あるいはそれを成立させるための手段である声を出すテクニックに「合唱独自の面白さ」を追求することを基本としたいと思います。
もちろん「合唱独自の面白さ」といっても一様ではないでしょう。
誰でも持っている「声」を基本としている点、楽器にはない「歌詞」を持っている という点、一人ではなく大勢が声を「合わせてる」のだという点。・・・どこにウェイ トをおくかによって様々な個性ある合唱団が誕生するはずですし、時代によってニ ーズや欲求が異なってくるものだとも思います。しかし、この合唱団では、気負いはなくともある種の軌範となるべき社会人の一般合唱団として、合唱の「源流」や「これからの可能性」ということを念頭に置きながら、スタンダードな取り組みをおこなってみたいと考えています。
俯瞰する歴史としては「グレゴリアン」「中世のポリフォニー・マドリガル」から、「バッハ」「ロマン派の合唱」「北欧・東欧・バルトの合唱」・・・そして、「世界中のフォークロア」あるいは「我々と同時代を生きている日本の作曲家がどんな曲を 作っているのか」という<ビューポイント>を携えながら、合唱活動を行っていきたいと思っています。
3)心構え
☆一人一人が主役
合唱団の練習には本来の意味での適度な「個人主義」と言う感覚を導入しなくてはなりません。つまり合唱では「大勢の中に埋もれる一人」になりがちですが、本物の歌を歌うには、決して「誰かについて歌うばかりでなく」自分の思いを力いっぱい歌う「決意のようなもの」が必要です。
☆視線の確保
一緒に練習をしていて、歌い手が楽譜との対話になってしまうことほどつまらないものはありません。指揮者も歌い手もともに「表現者」です。指揮者を見るだけではありません。客席を見るだけではありません。歌い手は、常に、隣の人、他のパ ートと手を携えて歌って欲しいのです。時には指揮者とのアイコンタクトも交えて、一体感やコンセンサスのある合唱をしたいのです。視線を自由に確保する技術を一 番先に身に付けましょう。
☆理解するというということを大切に
指揮者が「低い」と言って楽譜に書き込み、指揮者が「大きすぎる」と言って楽譜 に書き込むだけの練習ではあまり面白くありません。単に客観的な指摘ももちろん多数必要ですが、「ここは和音構造的に明るく取る方が良い」、「この歌詞はこう いう意味だからそっとささやくように歌った方が良い」・・・というように練習の中身においては出来るだけ「理解を促進するような言葉」を心がけるつもりですので、歌い手は「理解」をし「納得」して「よりよく修正」していくことで、音楽の作り手としての気持ちを確保しておきましょう。
☆1回の練習を大切に
ここには「教える人」と「教えられる人」がいる訳ではありません。もちろん、組織や練習が機能するように、パートリーダーがいたり、ボイストレーナーや客演指揮者に我々の力を引き出してもらうようなことはあります。しかしながら、誰しもが忙しい状況をかいくぐって練習に来ている状況、1回1回の練習の密度が濃くな るように一人一人が努力をしましょう。最初から全てを委ねてしまう訳ではありませんし、練習には丁寧さを心がけ、居心地の良い場所でありたいと思いますが、 「音取り」「歌詞づけ」も最終的には「個人の努力」です。そして「努力する個人の集合体」が合唱団です。アンサンブルでは出来るだけ「どう歌うのか」「どう響かせるのか」という、アンサンブルならではの練習に時間を割くべきだと思うのです。初見で歌ってくださいという訳ではありません。また、能力にバラつきがあるのも仕方ないでしょう。しかし、「志」「気概」「気持ちのベクトル」のようなものをしっかりと合わせて行くためには、「個人の努力」「全体での努力」を整理し て、心構えを持っておくことが大切だと思います。
☆上達への二つの道
私は次の二点のバランスを考えています。
1.個人および全体の力量が少しずつ成長すること。
2.個人および全体の力量が今の状態で、少しでもより良い合唱音楽を作ること。
・・・前者が長期的な課題、後者は短期的な課題かもしれません。どちらかがどちらかを否定するものではありません。例えば、誰しも基本的にはもっと立派な(優れた)声で歌えるように努力すべきですが、今持っているその声を生かし、足りないところは補い合いながら現時点で良い合唱をすることも大事だということです。
☆練習の中身と方向性
○明るく伸びやかな発声
○抑揚(アルシステーシス)を考えたフレージング
○音楽作り(解釈や表現上のアプローチ)
に加え、合唱界の新しい扉を開く練習を心がけていきたいと思います。指揮者や技術 系リーダーが何から何までを教え込むというスタイルではなく、一人一人がしっかり と歌い基礎体力を鍛えることによって、自発性を身に付けられることが理想です。ア カペラを基本とした選曲で方向性を確保し、
○倍音を含んだ声
○和音
○カノン
○外国語の発音に関する基礎理解(ラテン語、ドイツ語)
を基礎としたトレーニングを心がけていきたいと思います。
●視唱(がむしゃらでなく落ち着いて全体を見通す)
●カンニングブレスの取り方の習得。(落ち着いて組織の中での自分の役割を認識)
●歌唱時に視線を確保すること。(仲間とともに、客席を巻き込んで歌う)
この三点もこの合唱団ならではのこだわりとさせてもらいます。
趣味だからこそ、「本当に良いもの」を目指したいと思います。それを手に入れる為には 確かにしっかりとした努力をしなければなりません。しかし、忍耐とか根性とかではなく、また生真面目に悩んでしまうのでもなく、少しの「想像力」で明るく幅広く豊かな活動に 結びつけていければと思っています。