それでいて何故V8が当時の アイドルなのか、戦後の自動車部の1号車、それも私が入部してからも1年半程は、自動車部でたった1台の車であったことも起因している。
先に説明した如く故障だらけであったが、素晴らしい性能の車でもあった、エンジン音は静粛、それに振動が無い、8気筒の実力か、現在の高級車にも引けを取らぬ滑らか回転するエンジンであり調子の良い時には スタートも滑らか音も出さずに滑りだせる、戦後の自動車部はV8から始まったのである。
舗装道路で50~60km前後の速度で走っていると クウークウーと静かで うっとりするような音は、今でも忘れない。
更にV8は、他の車に見られない隠れた性能、エンジンをかけおき、バッテリーを外してもエンジンは回り続けエンストしない、ダイナモの容量が、点火に必要な発電量を持っていた、その状態で走らせたこともある。但し、一旦エンジンを止めれば、電気はなくなるのでエンジンは止まるし、バッテリーなしでは再始動も出来ない、当たり前である。
車庫は、文学部脇の坂を15m程上がった所、木立の中、トタンで囲った粗末な掘立小屋であった。(現在の9号館政治経済学部、大隈さんの銅像に近い木陰)
翌年は、商学部の傍らに新設された現在の10号館のあった場所に、学校のトラック・ダットサン・総長の送迎用のダッジ、部の車はV8・ニッサントラック・進駐軍払下げのダッジのトラック・後の総長村井先生個人の所有車のクロガネの全車が同居、車庫付属の部屋には、学校の専属運転手・古屋君が住んでいた、気の良い男だったので何時も上がりこみ部室替わりに利用したものである。