待望の部活、最初に目にしたのが、フォードの36年製V8ピックアップ、その車には大学生活3年間「旧制」御世話になっただけに、V8会なる名の会は、親しみが尽きない、車の運転整備の技術について、私はV8に育てられたといっても過言でない。
V8は、私の入部前年の昭和21年から自動車部の車として使われたとのこと、この車、大変な世話が焼ける車であっただけに、数々の想出が尽きないし忘れることも出来なく、感謝の気持ちさえ湧き上がる。
平成23年6月8日V8会が開催され、14名の会員が参加したが、半数の人達はV8の本来の姿を知らない年代なので、私が体験したV8生活を紹介します。
V8ってどんな車、名前の通りV型8気筒、ブレーキは ロットで ホイルドラムの内側から ブレーキシューを外に開いて止める方式であり、現在のような デイスクではない、ガソリンポンプはメカでダイヤフラムポンプ、エンジンの点火は、ディストリビューターでポイントを介してプラッグに電気を送る、エンジン上死点での点火時期は自動進角装置で決められる、現在のような電子部品はない時代の車。
故障は日常茶飯事、セルモーターでの始動は利かず、殆ど押しがけ、後半になってからクランクで始動できるよう整備した、御蔭で自動車部の部活は腹と靴が減る活動であった、押がけが常識であるがため。故障は多く、度々修理を余儀なくされた、キャブレーター、のフロートが上がり過ぎ、ガソリンがオーバフローしてしまう、此の現象には見舞われると、キャブレーターの蓋を空けて掃除し調整、その度に有り合わせの紙でパッキンを作成する、蓋に紙を当てて小さいスパナーで叩いて形を合わせて切抜くのである、挑戦すること多回、名人芸になった、当時ガソリンは配給、ドラム缶で購入し使用していたので、塵の混入も多かったことも原因であった。
次がキャブレターのポイント、点火ポイントは、汚れや酸化ですぐに通電不良となるため磨いて調整する頻度は多く日常業務、当時の車は、他の車種でも同じであった。
それに次いでの悩みはブレーキの利き、当時、車検は自分達で整備して、鮫洲の自動車検査場に持込み認可を受けていたが、ロットが磨耗し遊びが生じていたため試験場の坂での停車には苦労したもの、調整しても利かず時には松脂をドラムに塗って誤魔化すなど悪いこともした。