60数年の昔の話です、昭和20年2月「1945年」、戦中のこと、早稲田大学専門部工科で就学中であったが戦火も厳しいなり、学徒動員で向島消防署に派遣された、2から、3日に1回の24時間勤務となり、消防自動車が身近なものとなった、それが自動車運転に興味を抱いた動機で、自動車の運転に挑戦することを決意した。
3月10日、東京大空襲に見舞われ、向島消防署は跡形も無く焼落ち、動員先は失った、以後、時間に余裕が出来たのを機会に自動車免許取得を目指し自動車教習所に通って小型自動車運転免許を取得した。
青山に住んでいたので、京王帝都の明大前にあった教習所に通ったが、練習車は木炭車、警戒警報や空襲警報で度々中断しながらの練習、1ヵ月以上も費やし5月29日に免許取得を果たした。
昭和22年編入試験を乗切り早稲田大学理工学部に進学。専門部時代の学生生活の半分は戦争に翻弄され、後半の半分は社会崩壊と食糧難の混乱時期、勉強も疎かになり、此のままでは駄目と判断し、社会に出るまでに必要な学力をつけなければと、勉強できなかったことへの反省と、学生生活最後、幅広い学生生活を送りたいとり欲望から、勉学と部活を目指した、皮肉なもの、勉強ができない環境になると無性に勉強はしたくなるものである。
終戦後の落着いた時に、自動車運転免許を役立てたい、自動車部があったはずと思ったが、大隈庭園の裏に、それらしき車庫は目にしたものの、焼けた車を目にしただけ、機工部や グライダー部は耳にしたが、自動車部の存在は見当たらなかった。
編入試験を受けて進学、理工学部入学の4月早々、待望の自動車部が部員募集しているのに出会い、期待に心を躍らせ迷わず応募して入部、部活では大型免許が必要と早速、普通自動車免許をぶっつけ本番で挑戦し、5月には免許を取得した。