各大学の自動車部が一台4人乗車で山手線の内回り、外回りの早回りで、東京駅を起点として、各駅間は最短距離で競う競技があった。神田駅を通り秋葉原、御徒町、上野鶯谷、田端、日暮里駅など日頃は殆ど走行する事のない道路である。各駅の事務所で駅スタンプを捺印する面倒な作業もあった。巣鵬、駒込、大塚駅などは板橋街道で頻繁に通過する親しみが多い。池袋、目白、高田の馬場、新大久保、新宿、代々木、原宿、渋谷、目黒、恵比須、五反田、大崎、品川、は慣れた道で得意で走れた。残る田町、浜松町、新橋、有楽町そして終点東京駅は一息で完走次に外回りに続くのである。
我々は日頃品川練習所に新郎員を連れて行く時は、行きも帰りも少しづつコースを変えて駅間の通路の時問などを研究して走行したものである。早稲田の車庫から飯田橋経由で宮城前(祝田橋)を通り増上寺前、三田から大踏切を渡って品川練習所まで18分で走った大先輩も2~3人は居たようである。
長谷川、伊野、諏訪、各先輩が車で名声を挙げ、サイドカー3人衆では吉村、本橋、かく申す佐々木健三が三羽烏と云われていた。
早回り競走は混雑する市内、絶え間ない工事作業、道路、下水、ガス、マンホール、等の障害により通行止め、交通渋滞等を巧みに交す感覚を身に付げる技術、容易に通行可能な道路を探求する能力を会得するのに大いに役立った。そして、その技術が勝敗を決定することになる。単に運転技術と云っても、そう簡単なものではない、様々な要素を身に付げなければならない奥深いものであるのだ。