創世期の部活には何処も同じく予算の不足に悩まされる、愛するポンコツ車を元気に動かすためには、それだげの貢献も必要だ、それで、希望者5人が相談して、手持ち金を集めて、少しでも役立てたいと思った。A君は35銭、B君は1円20銭、C君は1円50銭、D君は1円60銭、合計4円65銭が集まった。それで予算を組む、それでも、予算外の出費も必要になる、85銭のナット1個は自腹だとか、プレーキ部品90銭も自腹とか、部に請求出来ない出費が出てくる。部の方の予算もひどく逼迫していたのだ。こんなときには工夫して、何とか稼がなくてはならない、タイヤの端切れで、キャンバスを作ったりする等は朝飯前の事であった。目前の整備技術も役にたった。社会に出れば、第一歩から未知の道路を走るようなもんで、へひが出るかでるかじゃが出るか判らない、部活を通して社会勉強をして、将来は教科書にない、新しい分野で貢献する時期がもう来ているのだと部活での苦楽を味わっていた。
1935(昭和10) 早大自動車部車庫前で
(中央)1926年式ハーレイダビットソンサイドカー
(右)1928年式フォード幌型乗用車7人乗り