Fukuta's report

TSIE・中国 柳州 視察報告 期間2011.11.18(FRI)~21(MON)

TSIE会長 福田泰造

11月18日(金)

中国・柳州は広西こうせいチワン族自治区のほぼ中央部にある日本人にはあまりなじみのない人口200万弱の大都市(中国では普通の都市)です。もう少し分かりやすく言うと山水画に見る奇岩が独特の景観を織り成す桂林から南西に140㎞、ベトナムのハノイから北東に向かって450㎞の行程に位置します。11月下旬のこの時期は気温が20℃~25℃前後の日本でいえば初秋を思わせる心地よい風が汗を押えてくれる絶好の季節です。

セントレアを定刻の13:20に飛び立ったMU530便(中国東方航空)は定刻の15:00に上海浦東空港に到着し、私と都築副会長は預けてあったスーツケースと共に国内線ゲートへ動く歩道を乗り継ぎながら向かいます。柳州出発まで1時間45分の待ち時間の予定が30分程度延びて、結局、MU5207便が上海を飛び立ったのは17時過ぎでした。ドメスティックなのに航空機は新しく(インテリアだけかも知れない)シートも広く航空機もセントレアからの国際線よりも大きく感じます。日本との時差は1時間でいつも時差ボケに悩まされる私には助かります。

柳州空港は人口の割にローカルな空港で航空機からターミナルビルまでは徒歩でアクセスします。5年位前までの岩手花巻空港(現在は新しくなった)のようでのどかな人間味あふれる温もりのある空港です。スーツケースのベルトコンベアも1本で、荷物受取室から到着待合室がまる見えなのもコンビニエンスで分かりやすく親しみを覚えます。迎えのジリアンさんとは3年前のISSEコスタリカ・カンファレンス以来で大変懐かしい再会です。ホテルまではご主人自慢の日本車(三菱)で送って頂き、車中、都築副会長とジリアンさんはコスタリカ・カンファレンス以降の情報交換に時間を忘れ、あっという間にホテルに到着です。

チェックイン後、寝るにはまだ勿体ないと思っていたらジリアンさんに、少し街を歩きましょうと誘って頂き、夜の街の散策です。ホテルはダウンタウンのど真ん中に佈置し、名古屋でいえばさしずめヒルトンホテルか名古屋観光ホテルと言ったところです。週末の所謂「花の金曜日」の為、10時過ぎなのに凄い人出でうかうかするとジリアンさんと都築さんを見失います。中国では、当たり前のように子ども達も大人と一緒に夜更けを楽しむようです。我々は明日からの下見の準備もあり早々に繁華街を後にしました。

11月19日(土)

少し遅めの朝食はバイキングで卵料理とベーコン、そして生野菜とオレンジジュースのアメリカンスタイルで気取っていたら都築さんは「郷に入っては郷に従え」でお粥料理に舌鼓です。迎えのジリアンさんと下打合せの後、いよいよ出発です。

最初に訪れたのは、ホテル(麗晶大酒店:LIJNG HOTEL)から車で5分程度のLiu Hou Parkで、週末のためか早朝から沢山の市民が集い、中高年世代が本当に楽しそうにダンスをしたり、合唱をしたり、中には芝居のせりふの練習を自慢げに披露する姿が目をひきます。パーク内の柳候祠は「柳州」生みの親的存在の柳宗元が祀られていました。いかにも中国らしい祠の佇まいに親しみがわくのは、大陸の建築様式伝来以後独自の進化があったものの日本建築の原点に遡っているからでしょうか。日本で言えば初秋のような暑くも寒くもない爽やかな風に吹かれて次の訪問地に向かいます。

ジリアン(米国名)さんのご主人運転の三菱車は滑るように柳州自慢の橋(全部で17あるらしい)を渡り柳候祠とは対照的なモダンなデザインの市庁舎にあっという間に到着です。庁舎は柳宗元の時代の烏帽子(正式な呼び方を知らないので烏帽子としました)をモチーフにしたデザインでいかにも役所らしく威厳があります。土曜日で庁舎はクローズしていました。唯一、見学出来たのは北京や上海同様、他の多くの中国の都市に見られるその街の発展や過去から将来への変遷が模型(かなり大きい)や写真などでこれでもかと言うくらい展示された吹抜け空間を持つ展示ギャラリーで見学者は圧倒されます。

中国と言う国は、先進国への仲間入りを目指して発展している姿を自慢げに見せびらかしているようで成金主義のようです。プレゼンは背伸びをしているようで時としてうんざりし、自慢話を押し付けられているような気がします。只、其の場に身を置いて冷静に観察すると、中国や韓国が大陸の利を生かして未だ鎖国外交から抜け出せない日本を追い抜いて行ったのは事実で、街の急速な発展にはよくもまあここまでやるかと感心します。

庁舎前の広大な面積の広場(公園のような)は、パリの音楽都市で見た世界的な建築家、バーナード・チュミ(現在はコロンビア大学建築学科の学部長)設計の朱色のフォリ―もどきが点在し結構面白く、いかにも石の産地らしい巨大なボラートが車の進入を阻み、我が物顔で走る車をシャットアウトしてくれるのはありがたいと思います。市役所前広場に隣接した街区は新しい高層集合住宅の建設ラッシュを目の当たりにします。

ここに来年ジリアンさん夫妻は引っ越すといって、是非見て欲しいとのことで新居に案内してもらいました。日本と違って海外の建物はどこも躯体工事と内装工事は別の請負会社が工事します。ジリアン夫妻の住居は20階にあり、内装工事をこれからするメゾネットスタイル(2フロアータイプ)の住居です。中廊下の為、廊下に自然光を入れるための工夫を相談され、中廊下に面した浴室の扉のスケッチを渡しました。完成したら是非見に来て下さいとのことでした。

ランチは柳州ホテル1階の高級レストランで柳州市外政・内政事務所の李旭香主任と張家蕾副主任(何れも女性)そして柳州市人民対外友好協会の何さん(男性)と一緒にステーキランチをいただきながら、TSIEと柳州の小学校との今後の交流について意見交換をしました。

皆さんん大変熱心で、日本で中国との交流について時期早々ではないかと心配する人がいるのが恥ずかしいくらいでした。やはり、鎖国外交の付けが回ってきていると感じます。都築さんが常滑の小学校の先生や父兄の半数は中国との交流を否定しているため、派遢が困難と説明すると、彼らは何敀そうなのか分からないと口をそろえて言います。アジア一番と先進国ぶってきた日本(我々)は偏見を捨ててもう少し前向きに対処出来ればと思います。

何さんによれば既に柳州の中学校は熊本県と茨城県との交流の経験があるとのことです。何さんは日本語が堪能であり、李主任からも日本語で挨拶されました。ちなみに李主任のお子さんはアメリカに留学中とのことです。それにしても、彼らの親日の態度には驚きました。英語が堪能な都築さんと違い、いつも苦労する私にとって日本語で話せるのが大変助かりました。

いよいよ、午後から下見らしく柳州市児童少年活動センター(日本で言う児童館の大掛かりのもの)を訪れます。我々が到着するのを今か今かと待っていてくれたのか黄翔(Huang Xiang)ジェネラルマネージャー(やはり女性)は、カメラマンとTVクルーを従えてエントランス前で迎えてくれました。エントランス上部は熱烈歓迎日本常滑市学生国際交流協会の文字が漢字とアルファベット交互に、電飾鮮やかに浮かび上がっていました。

1階の吹抜けホールでは書道家の何先生が潘先生(日本でいう尺八とたて笛をミックスしたような楽器の演奏者)のたて笛に合わせて書を披露してくれました。もちろん、我々は館内放送で紹介され大歓迎です。私と都築さんは子ども達の音楽、声楽、絵画、習字、武術などを習っている部屋を見て回り、まるで授業参観のようです。古典音楽の教室で若い先生に竹で出来た雅楽の笙のような竹管楽器をお土産に頂きました。小鈴谷小学校に届けたいと思います。

ジェネラルマネージャーの黄さんから、もし派遣が8月で学校が休みの場合は児童少年活動センターと交流すればよいのでは……と提案がありました。

黄さんの執務室でTVクルーのインタビューを受け、その場で何先生の手による「中日友誼長存」と書かれた畳1枚くらいの大きさの書をお土産に頂きました。これも小鈴谷小学校へ届けたいと思います。

この後は近くのレストランで黄ジェネラルマネージャー主催のディナーです。児童少年活動センターのスタッフと何先生、潘先生も参加した本格的な中華料理ディナーで会話に箸が進みます。会話が途切れたれた時(15分間隔位)に行う乾杯はアルコール抜きで助かりました。本来、アルコールで行う中国風の乾杯のもてなしは杯を飲み干すのが礼儀の為、私も含めた普通の日本人はベロンベロンになってしまいます。

ディナー後、我々は黄さん達と分かれて地下街を散策し、川辺で行われている水上パフォーマンス見物です。柳州は街の中心を柳江河が曲がりくねって流れる都市です。まるで竜がうねっているようです。別名、Dragon Cityとも言います。

川で行われている光と音楽によるエンターテイメントは先月、女房と二人で甥の結婚式のついでに立ち寄ったディズニーシーのショーを彷彿させます。疲れを癒すためにジリアンさん、都築さんと立ち寄ったパブでの柳州ビールは疲れを忘れさせ、ほろ酔い気分で帰ったホテルのベッドは桃源郷でした。

11月20日(日)

ホテルでの朝食後、日曜日と言うことでこれから一日柳州観光です。最初の訪問地はGuangxiという地名の丘陵と言うか高台と言うか、ここに登れば柳州全景が一望のもとに見られる展望台です。確か180mと聞きました。麓では早朝から水で漢詩を歩道に書くパフォーマンスがみられます。山頂までの石段は62歳の私にはハードで息切れと酸欠で途中、ジリアン夫妻と都築さんには迷惑だったかもしれません。5年前のメキシコ・ティオティワカンの太陽のピラミッド登頂に挑戦したことを思い出しながら山頂までなんとか辿り着きました。

山頂からの眺めは、柳州紹介でここからの写真が必ず出てくる景色でとても素晴らしく疲れを忘れさせてくれます。山頂近くに工事現場があり、聞くとエレベーターの工事中とのことです。もしかして、再訪する機会があれば今度はエレベーターでの登頂かもしれません。登るより降りる方がつらいと思いつつ、笑った膝にTSIEの視察に参加するのも今回が最後でもう潮時かと話しかけ、まだ老けこむのは早い、もうひと踏ん張りと自問自答しながらの下山です。途中の羅漢寺というお寺に立ち寄りTSIEの交流が上手くゆく様にお願いの願掛けをしました。余談ですが、賽銭箱には何敀か「福田箱」と書き込みがあり親しみを覚えます。

ハードな山登りも終わり適度な空腹を感じます。昼食は海鮮中華料理店で小鈴谷小学校の交流相手校の弯塘路小学校の馮校長先生、黄副校長先生、学校のスタッフ(全て女性)が素敵な笑顔で出迎えてくれました。馮校長先生はいかめしい校長先生と言った風貌でなく、小柄で大変チャーミングな校長先生といった印象です。このレストランは1階に大きな水槽が沢山あり、自分が食べたい魚貝類を水槽から選んで料理してもらうスタイルです。

弯塘路小学校も日本語の話せる人を付けてくれました。小鈴谷小学校についての矢継ぎ早の質問は彼らの期待の大きさを感じました。小鈴谷小学校については学校紹介から始まり、盛田酒造からSONYそして花壇のコンクール入賞まで、私の知っている範囲の事は全て話しました。ここでも食事中、会話が途切れるとお茶で乾杯です。弯塘路小学校との交流にも乾杯!!!

馮校長先生や弯塘路小学校のスタッフの皆さんとは明朝の学校訪問を約束してレストランでお別れです。

午後は、ミュージアム巡りと言うことで最初に訪れたのは柳州美術館です。ENTホールには柳州から北へ200㎞位に掛る屋根付き橋、「程阳風雨橋」のレプリカが所狭ましと吹抜け空間を占め、見学者は圧倒されます。柳州のルーツを辿る展示は大変分かりやすく素晴らしい民俗資料館だと思います。

次の見学場所は柳州の地場産業である奇石(Scholar Stone)が展示してある八桂奇石館です。この美術館は建物が素晴らしく、屋根のうねるような曲線は柳州の街を囲む丘陵のようで、半田市の新美南吉記念館の屋根を彷彿させます。もしかして、設計者の若手建築家、新家さんはこの美術館を知っていたのかもしれません。只、規模は八桂奇石館の方がかなり大きいです。

展示してある石は日本で言えば国宝級のもので価値は数千万か億単佈かと車中で想像していたら、歩き回った疲れと車の揺れの心地よさが程良く混ざり、うとうとして気が付いたら、児童活動センターの黄ジェネラルマネージャー推薦の広大な森林公園(名称不明)に到着です。実は今朝、満員だった為、入場を諦めて帰った公園で本日二度目の来訪です。時間が遅かったせいか今度はすんなりと入場できました。園内では日曜日と言うことで、あちらこちらで結婚式が行われウエディングドレスの花嫁が疲れを吹き飛ばしてくれました。山水豊かな風景は如何にも中国らしく漢詩に歌われるようなパノラマが360度広がります。

池に掛る橋は柳州美術館にあった「程阳風雨橋」の原寸大レプリカで橋として機能しています。もちろん渡れます。夕暮れまで、公園を堪能し、夕食はジリアンさんのご主人推薦の下町の食堂で、中国風シャブシャブです。付けダレは自分でトッピングして味を自分流に合わせます。羊肉のシャブシャブは、思いのほかおいしくて柳州ビールとの相性は抜群です。夕食後の地下街でのショッピングは、食べ過ぎたおなかの運動にちょうど良く、地下街からアクセスするスーパーでTSIE役員の顔を浮かべながらお土産のお菓子を購入しました。疲れとほろ酔いが睡魔を誘いホテルに帰って爆睡でした。

11月21日(月)

いよいよ、弯塘路小学校の訪問です。ホテルからほど近いダウンタウンのど真ん中に弯塘路小学校はあります。ほとんどの児童は自家用車で送迎のようです。我々が到着した時はすでに朝礼中でこの1週間で成績優秀だった児童の表彰式の最中でした。日本からのゲストとしてスピーチを求められ、震災の話や小鈴谷小学校との交流に対する期待などをTSIEの代表としてお話しました。

その後、多目的ホールに移ってカルチャーショーを披露して頂きました。司会進行をしていた女子児童は見るからにオールマイティな素晴らしい女子児童です。弯塘路小学校は既にオーストラリアのアップウエイサウス小学校との交流の経験があり、その時の映像が先ずスクリーンに映し出されアップウエイサウス小学校の様子が我々にも大変懐かしく思い出されました。カルチャーショーは大人顔負けのプログラムで少数民族舞踊、京劇風パフォーマンス、農村の様子やベトナムやタイを思わせるような踊り、英語の歌、中国拳法などバリエーション豊富なプログラムでかなり高レベルのように感じます。但し、かなりの特訓の成果だと思います。

カルチャーショー終了後、子ども達で作った切り絵をお土産に頂きました。弯塘路小学校は親御さんも熱心で先ほどの朝礼も多くの父兄が塀の外から見学です。柳州でも学業は生活レベルも含めて一二を争う小学校だそうです。帰りの航空機の時間を気にしながら教室の見学、校庭散策は馮校長先生、黄副校長先生や通訳の方も同好して下さり交流への期待がひしひしと伝わってきました。

柳州空港へは、ジリアンさん夫妻に送って頂きました。どうも中国の国内線は定刻30分以上の遅れは当たり前のようです。コーヒーを飲みながらの視察の反省はジリアン夫妻と今後の期待も込めてより一層親睦を深めました。

定刻11:25のMU5204便は11:55柳州空港を飛び立ち上海、虹橋空港へ14:00(定刻では13:30)到着です。国際線の上海浦東空港までは高速バスで約40分の道のりです。車中、大声で人の迷惑省みず携帯電話をする中国人に呆れるばかりです。こうした道徳観のなさが今一つ日本人はなじめないのだと思います。只、柳州ではこうした道徳観のない人に合わなかったと思うのは多少の贔屓があるのでしょうか。

高速バスは途中、上海浦東エリアの日本の森ビル(492m、スカイツリーは634m)に代表される上海環球金融中心の高層ビル群や万卙の中国館などを遠くに臨みながら15:42に浦東空港に到着です。MU291便は定刻の18:15セントレアに向けて出発です。機中は疲れをいやす心地よい眠りであっという間のフライトでした。セントレアの出口で常滑一番の国際交流理解者、伊奈輝三氏と偶然お会いしたのは柳州の羅漢寺での願掛け成就の前触れかもしれません。小鈴谷小学校との交流に期待込めて視察の終了です。

都築さん、本当にご苦労様でした。

ジリアン夫妻に感謝と敬意をこめてこの視察報告を捧げます。