常滑ー柳州

Tokoname City Students' International Exchange Conference Association

常滑市内児童生徒国際交流推進協議会

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私にとって中国への初めての旅

2011年11月18日~11月21日

2011年11月 都築明美

中国へは初めてでした。広くて、でも高層ビルがたくさん。人がいっぱいで、元気のある国だなというのが、私が行った中国広西壮族自治区柳州市の印象です。中心部に180万人くらいの人が住み、私が予想していたより都会化した町です。中国南東に位置し、広西のビジネスセンターであり、都市計画で豊田市のような工業都市を目指しているようです。グーグルの地図では、場所はだいたい把握できても立体的には現地へ行ってみなければわからない素晴らしさがいっぱい詰まった街です。文化の違いも少しあり、なかなか面白いところでした。

11月18日(金)13:20セントレア発、21日(月)21:10セントレア着の3泊4日の短い期間での訪問でした。当初、11月3日から行こうかと思いましたが、チケットが取れずこの日になりました。

セントレアから上海まで約2時間、上海から柳州まで国内便で約3時間、乗り換えを含むと7時間から9時間。

TSIEが交流しているメキシコやコスタリカと比べたらずいぶん近い距離です。チケット、旅行保険で約95,000円、ホテル代他で約30,000円弱を2100元に換金して出かけました。為替レートで1元12円ちょっと。約2円の手数料込で1元14円くらいでした。格安ツアーの費用と比べるとちょっと高いかも知れません。別途、中国の友人へのお土産の費用が必要です。

私たちのこちらの仕事の都合をやりくりするのも大変でしたが、中国の方にもご協力をいただきました。いつでも歓迎しますとの言葉に甘えて行ってくることができました。

柳州は、大きく曲がりくねった川が流れドラゴンシティとも言われ、工業都市で地域開発の中心地区でもあります。歴史的文化も素晴らしく、独特な景観もあります。都市計画展示館では、これからの街の計画が大々的に宣伝されています。18,618平方㎞、48もの民族、総人口350万人(2004年)。水と山々に囲まれた工業都市景観は中国でも一番美しいと言われているようです。

近くの桂林は、有名な観光地で多くの日本人も訪れているようですが、柳州は観光地ではないので、ISSEの交流に関わっていなければ、まず行くことのない街です。これも何かの縁だと思います。2008年にコスタリカで中国人のジリアンさんに会わなかったら、またTSIEが中国との交流を完全に断っていたら、今回のような機会は訪れなかったと思います。

柳州滞在中、たった一人だけ日本人に会いました。同じホテルで、エレベーターに乗った時「おはようございます。」と日本語で挨拶したら、「おはようございます。」と返ってきました。えっ?日本語分るの?と思っていたら、「日本の方ですか?」「はい。」「めずらしいですね。めったにこちらでは日本人には会いませんからね。」仕事で1年半くらい滞在しているようでした。「こちらの習慣に慣れれば、いいところですよ。」とおっしゃっていました。

「中国へ行ってくるよ。」と友人知人に伝えると「いいですね。」とは皆さん言いません。「エッ?どうして?」「なんで中国?」「危ない国でしょ?」「嫌いだもん。」「行ってどうするの?なにするの?」など、ほんとうにあまりいい意見は聞かれませんでした。TSIEのメンバーの方たちも遠巻きに私の行動を視ているようでした。誰かが行くだろう、見てきてくれるだろうと思っている方、または、行って欲しくないと思っていた方もみえたかも知れません。

中国との交流を勧めるにあたり、メールでは、「かなりの数の日本人が中国人を嫌っている」と伝えられませんでした。誤解を招く恐れもあるので。顔と顔を合わせて本音で話す必要があると思い、とりあえずプライベートでISSE中国代表のジリアンさんに会おうと思って中国行きを決めました。同行者がいなければ一人で遊んで来ようと思っていました。が、TSIEの福田会長が同行してくれることになり、おかげで現地の重要なポストの方々にもお会いできました。

ジリアンさんが、この短い滞在中に効率よく交流のための打ち合わせができるようにアレンジしてくれました。この方とご主人は、本当によくお世話をしてくれました。ジリアンさんは中学校での英語教師、ご主人の王さんは警察官です。二人とも30代でとても親切な方々でした。

私はジリアンさんとは英語でやり取りをし、中国の人との通訳をしていただきました。中国語も「謝謝シェシェ」「你好ニーハオ」「再見ツァイチェン」「好吃ハオチー」くらいしか知りません。でも、挨拶くらいできると少し身近に感じると思いました。出かける直前に購入した「旅の指さし会話帳mini中国語」を携帯しましたが、ほとんど使用しませんでした。どこに何が書いてあるのか把握していないので使いこなせなかったかと思います。ですが、漢字の看板や広告をみると意味の共通なのもいくつかあり、分かるとうれしいものでした。

中国製品も多く日本に来ているのに、私たちが中国のことについて、知らなさすぎるのかなと思います。悪い事件ばかりがニュースで流れるので、それが全部中国だという印象を持っているようです。高速鉄道や地下鉄での衝突事件は、私たち日本人にとっても衝撃的でしたね。今回出かける直前のニュースで定員をはるかに超えた数の園児を乗せたバスが事故で多くの死者を出したと伝えていました。これが中国のすべてと思っている方も多いのではないでしょうか。

食事を交えての国際交流についての打ち合わせで「お互いによく知らないので、でもそれだからこそ交流が必要だと考えている」と、中国で会った外交関係の仕事の方や学校の先生方に伝えました。私たちと考えていることは同じようでした。日本に興味を持っている方も多いのかなと思いました。柳州では、すでに熊本県、茨城県との交流を行っていました。日本語を話せる事務の方も食事に参加してくれました。

柳州の小学校長より質問されましたが、あまり細かいことを気にしないような感じの中国の人も、地震や原子力の影響は日本全土に及んでいると思って心配している方が多くいらっしゃるようです。特に放射能の影響を気にしている親が、子供たちの日本行きは安全かと心配してのことだと思います。常滑が福島から500km以上離れていて放射能の影響はないし、経済的な影響は少しあるが、大丈夫と伝えました。でも、中国と日本の距離からみれば、ほぼ同じ場所まるで目と鼻の先程に見えるのは仕方がないことかなと感じました。

3日目の日曜日の午前中、柳州で一番高い所テレビ塔のある山180mからの街を一望する眺めは、素晴らしかったです。少し霞んでいたので残念でしたが、青空が見えるともっときれいということでした。表紙に載せた写真2枚がそれです。ここが柳州というながめでした。建設中の建物がいくつか見え、開発がどんどん進んでいると感じました。

滞在中、気温は19℃から24℃で穏やかな天気でした。Long Tan公園の急な石の階段を歩いて上ったのですが、息切れもし、少し汗ばむほどでした。風が心地よく感じました。毎日運動のため昇り降りする人も見えるようです。

亜熱帯の気候で夏4カ月と長く、冬が2カ月くらいと短いそうです。真冬でも0℃を下がるようなことはないようです。帰国した時、常滑は9℃で寒く感じました。

滞在したホテルは、4つ星でLi Jing Hotel麗晶大酒店。料金は、ジリアンさんが予約してくれたので、1泊朝食付358RMB(元)とお値打ちでした。外国の人が自分で予約すると少し高いようです。2重料金があるのかなと思いました。20階に部屋を取ってくれました。かなり広く快適に眠れました。

コンセントは、いろんな形があるようですが、泊った部屋では日本のプラグが使えビデオカメラの充電ができました。ホテルによっても違いがあるそうなので、事前に確認してもいいと思います。電圧は220Vです。

ホテルの部屋のトイレは洋式で、ペーパーを流して使用しましたが、1階や公園では、日本のようにしゃがんでするタイプのものでした。初めはどちらを向いてするのだろうと困惑しましたが、ドアの方へ向いて座るそうです。公園ではトイレットペーパーは、備え付けてありません。水洗式でしたが、もし紙を使用しても流さないようでした。備え付けのごみ箱に入れるそうです。ドアは付いていましたが、鍵の故障しているところもありました。日本の観光地でもこんなところがたまに存在するかなと思いました。公園では、日曜日でも清掃する人の姿も見受けられました。きれいに保とうとしているようでした。

街の中にある広い公園では、あちらこちらでラジカセを鳴らしながらみんなで太極拳のような体操をしていたり、ダンスの練習、合唱の練習、歌劇の練習、絵画の展示をしたりしていました。公園は、結構騒々しく、リタイアした人たちが多く、それぞれに余暇時間を楽しんでいるようでした。

川べりでの夜8時と9時の噴水ショーはラスベガスのように美しく規模も大きいものでした。多くの人が見物していました。Scholar Stone奇石でも有名だそうで、立派な石の博物館もありあました。

携帯電話は結構どこでも大声、マナーモードにするなんて考えられない感じでした。バスの中でも結構平気で大きな声を飛ばしていました。

交通ルールにも、少しびっくりしました。自分のことは自分で守るのが基本のようです。車、バイク、自転車、人、それぞれ入り組んで動いているように見えました。

帰国の際の上海でのバス移動のときはほぼ満席でしたが、立っている人はいませんでした。車での移動のときシートベルト着用義務はないようです。街中では、バイクも多く走っていましたが、ヘルメットかぶっている人もいましたが、やはり着用義務はないようです。自転車は、バイクに比べたらずいぶん数が少なかったです。

帰国時日程の都合で、上海で虹橋国際空港から浦東国際空港へ移動する必要がありました。45㎞ほど離れており、直通バスで30元1時間弱でした。時間的にはバスより正確な地下鉄でも行けるようなのですが、途中で乗り換える必要があり、直通で行けないので慣れない者にとってはちょっと不安でしたのでバスにしました。できれば、上海での空港移動がなければうれしいです。でも上海の街の様子も車窓から見えたので、私にとってはバスに乗ったのも面白い経験でした。

中国の人が日本へ来るにはビザを取らなければなりません。派遣団をホストするには、こちらから招待状を送付する必要があります。手続きに2週間以上かかるようですので、それ以前に交流のスケジュール作成、ホストとのマッチングを済ませる必要があります。日本人が、中国で2週間以上の滞在する場合にはビザ取得が必要のようです。

今度の一番の目的は、常滑が予定している柳州市弯塘路小学Guangxi Liuzhou City Wan Tang Road Primary Schoolと校長 Feng Wei(冯玮)さんを訪問することでした。この学校には、児童2000人、教師100人以上で10人の英語を教える教師。常滑の学校と比べると大きな学校ですが、ほかに3000人くらいの学校もあるので小さい方のようです。最終日に1時間ほどしか学校見学できませんでしたが、なかなかきれいな学校でした。1949年にできた学校で、現在の建物は1996年、2003年と2008年くらいに建てられたそうです。すでにオーストラリアのアップウェイサウス小とのISSE交流もしています。

小学校中学校は、ほとんどが公立。高校で私立が数校、中学校を終えると高校か専門学校へ進学するそうです。かなり子供に教育熱心で放課後や土曜日曜の週末に公的な機関である児童活動センターで、習字、笛、ドラムやピアノや琴などの楽器の演奏、歌や劇の練習、絵画や漫画の描き方、バレエレッスンや武道、テコンドー、レゴを使ってロボット作りや砂場で創作力を養っています。芸術やスポーツ、それぞれの子に合わせて能力を生かそうとしているようです。

日本が夏休みにしか児童らを派遣できないので、児童活動センターとの交流はできるかと提案がありました。この施設では、放課後や夏休みも活動しているので、そこに通ってくる子らとの交流なら、夏休みでも交流ができるかと。いろいろとどのようにしたら、交流できるのだろうかと考えてくれています。

お土産についてですが今回、英語と日本語で書かれた日本昔話の本CD付きを5冊とキャンディを数袋、ジリアンさんに贈りました。1歳半の男のお子さんが見えるので、読んでもらえたら嬉しいなと思ってですが。中学の授業でも使えるかもと言ってくれたのでうれしい限りです。他に会長が持参した常滑紹介のパンフレット、TSIE15周年記念誌、TSIEバッジ20個ほど、TSIE野球帽10個を政府関係者、学校関係者に贈呈しました。

出発前に、小鈴谷小国際実行委員会から聞かれたことを以下のように示します。黒字が質問内容で、赤字が帰国した日11月21日の夜中に回答した内容です。

中国に下見に言ってもらうことで、知りたいことを委員会で募集したところ下記の意見が出ました。

>

> ●英語(日本語)ができるか?地域によって言語が違ったりするのか 英語の先生が10人くらいいます。

> ●富裕の程度 田舎でないのでかなり中国ではいい方ではないかと。

> ●食べ物(宗派等で食べれない物) 中国ですからなんでも食べようと思えばなんでも。

> ●日本人に対する考え方 人それぞれですから、私がお会いした方々は友好的でした。

> ●食事の時間

> ●食べものの安全性

> ●衛生面

> ●生活の大きな違い

>

> などです。

> よろしくお願いします。

>

> 小鈴谷 柳原

すみません。後は今度の委員会の時までくらいに。今日は、疲れました。おやすみなさい。都築

以下は、21日に回答できなかった部分です。

地域によっての言語の違いと聞かれましたが、私は中国語が分かりませんので何と答えたらいいかとまどいます。日本のように地方によって方言があるように大きい国ですからいろいろあるかと思います。

食事の時間は、はっきりわかりません。朝、昼、晩と一日3食です。学校は、朝8時に始まって、昼休みは3時間で、家へ帰って昼食を食べるようです。午後5時に授業が終了。

食べ物の安全性はと言われても、大丈夫じゃないかしらと言うしかないかな。中国人だって安全なものを食べたいのは、日本人と同じことだと思う。蛇口からの水は、沸騰させてから飲むようにとホテルのバスルームにかいてありました。外出時には、ペットボトルのミネラルウォーターを持って歩いた方がいいでしょう。

衛生面。普通に生活するには大丈夫と思う。毎日洗濯もするようです。風呂は、シャワーだけなのかお湯をはって入るのかはホームステイしないとよくわかりません。家庭によりけりかもと思います。

生活の大きな違い。何がどう違うのか、どこが似ているのか、自分で見つけた方が面白いと思います。レストランで出てきた、ゆでたサツマイモ、サトイモ、落花生、トウモロコシは、私の家でも食べるものです。同じものを食べるんだとわかり、親しみを感じました。食事はあまるほど出てくるのですが、レストランでの食事のあとの残り物は、持って帰るんですね。残ったものはどうするのだろうかと思っていたので安心しました。

交流の相手国にアメリカ方面は遠いからアジア圏でと言いながら、中国なんてとんでもない、とこれはある先生のお言葉。交流に積極的な先生方もいらっしゃるが、外国との交流を恐れているのでしょうか。自分らに自信がないのでしょうか。メキシコの時もそうでしたが、遠いしとかスペイン語だし、英語圏でないしとか、忙しすぎるのでという理由をいくつかあげ、交流に少し消極的なのが残念です。

行ってみて本当によかったと思います。また、多くの友達ができました。メキシコへ行った時もそうでしたが、どんなところかドキドキしながら出かけました。でも、案ずるがやすし。英語が少し話せればどこへでも行けると感じました。英語がわかる中国人とともに歩いたのでかもしれませんでしたが、あまり危険とは感じませんでした。デパートや地下街商店街も10時くらいまで営業しており、歩行者専用道路では多くの人が夜の散歩をしていました。カラオケなども若い方々には人気のようです。行く機会はありませんでしたが。

ショッピング街を歩いていても、ぜひ買って帰りたいと思うものがないのが残念でした。逆になんでもある日本の良さを再確認しました。

ほんの2~3日の滞在でしたので、表面しか見てないのかも知れません。お会いした人皆さんが暖かく迎えてくれました。また、いつでも来てくださいと、うれしい言葉もいただきました。

少しビデオ撮影もしてきましたので、良かったら見てください。これを読んでくださりありがとうございます。

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