東北英語教育学会

設立の経緯

東北英語教育学会の設立まで

遠藤 栄一(宮城教育大学名誉教授・元奥羽大学教授)

文部省・会場大学主催で国立の教員養成大学・学部教官研究集会英語科教育部会が、昭和47年(1972年)宮城教育大学、同48年岡山大学、同49年静岡大学において3年連続して開催された。参加者数は毎回120名を越え、熱のこもった研究討議が行われた。その第1回の集会から、これほどの参加者がある英語教育のための研究集会を3回で終わらせるのは惜しいので、末永く続けてはどうか、という意見が出された。集会が回を重ねていくうちに、これに加えて、この教育系大学・学部の英語科教官の研究集会と、いくつかのすでに活動している地域学会とが連携して、全国的規模の学会に相当する研究集会へと拡大すべきではないか、という意見も強く主張されるようになった。

こうして第3回の研究集会において、とりあえず翌昭和50年高知で次回の研究集会をもつことが決議された。その後世話人会で検討を進めた結果、各地域の英語教育学会の連合体として「全国英語教育学会」を結成し、これに教員養成大学・学部教官研究集会英語科教育部会も加わって、第1回高知研究大会を実施することが決定された。

この時点ですでに存在していた地域学会は、日本英語教育学会・中部地区英語教育学会・中国地区英語教育学会・九州英語教育学会の4学会である。その他の地域については、できるだけ早期に学会を作り、全国英語教育学会に参加するよう求められた。こうして昭和50年には四国英語教育学会、同52年には関東甲信越英語教育学会、同54年には東北英語教育学会が全国英語教育学会に加盟することになる。なお、教員養成大学・学部教官研究集会英語科教育部会は、第2回研究大会以降姿を消すが、その3回にわたる研究集会の成果は、『英語科教育の研究』(大修館書店、1975)として刊行された。これはその後2度(1985,1994)にわたって改訂が施され、今も広く利用されている。

東北地区では、前述の要望に添って、昭和51年6県の国立の教員養成大学・学部の代表からなる地域学会の設立準備委員会(代表 遠藤)が設けられた。同委員会は翌年にかけて数回会合を重ねて、学会設立に関する諸問題を検討し、必要な準備を整えた。そして同53年(1978年)6月、「英語教育の研究・実践について情報を交換し協力しあう」(「設立趣意書」)ための組織として、東北英語教育学会が発足し、その第1回大会を開催する運びとなった。設立の経緯からも分かるように、本学会は、各県の教員養成大学・学部の英語関係部局が中心である6つの県支部の連合体であり、大会の開催や紀要の発行は別にして、平常の活動は県支部単位に行われる。発足時の会員数は、各県とも10-15名で、総数約100名というこぢんまりした学会であった。

蛇足を付け加えると、東北英語教育学会には、発足時は会員数こそ少なかったが、英語教育学を専門とする人々だけでなく、英語学・英米文学を専門とする人々も参加していた。これは当然のことである。英語学や英米文学の教師も同時にまた英語の教師でもあることに変わりはないからである。それにわが国の英語教育がいかにあるべきかを追究するためには、言語教育理論の仮説検証だけでなく、英語圏諸国の文化・社会・歴史などへの関心と理解も不可欠であることはいうまでもない。中学・高校の英語教師も、そのすべてが英語教育学の専門家である必要はなく、むしろ関連する諸分野を得意とする教師が存在するほうが望ましい。つまり、英語教育学会が英語教育学の専門家のみの組織ではないこと、あるいは、そうであってはならないことは、この学会を他の学会から区別する特異な点なのである。ところが、この特異な点が、全国英語教育学からも、東北英語教育学会からも、次第に失われつつある。この成り行きは、<学問の進歩>に伴う必然の結果として、そのまま受け入れなければならないのであろうか。これは、十分検討に値する問題であると思う。1997.10.9