――その日は、やたらに乾いた風が吹いていた。
「スロット」
ハルは目の前の騎士候補生を呼んだ。
だが、彼は振り返らない。
「が、頑張って……! 絶対、いい点数とってね!」
「おう。あんがとな、ハル」
背を向けたまま、静かな声が返ってくる。
「カイト」
「うん?」
「俺と当たらなかったこと、幸運に思えよ?」
「それはこっちの台詞だ」
スロットはにやりと笑った後に二人に手を上げた。
「行って来る」
「女神の微笑みがあらんことを」
「冗談! お前らが応援しろっての」
そう冗談めかした彼は、扉の向こうに消えた。
不安そうにしたハルの肩を、カイトは軽く叩く。
「大丈夫。きっと合格するさ」
新年の浮かれた空気も過ぎ去り、今年もその時期がやってきた。
デザートローズ王国の騎士試験。
騎士候補生達の人生が決まる日だ。
今年の実技は集団模擬戦闘。
試験官の決めた即席のチームで挑み、勝利条件は対戦相手を『行動不能にする』こと。
考えられる採点項目としては、チームワーク、身体能力、魔法の使い方、等。
騎士の仕事の一つとして犯罪を犯したものを捕縛するものがあるが、それだと思えばいい――ただし、過度な怪我はご法度。
故に攻撃型の魔法使い達は苦労することになるだろう。
カイトは観客席から闘技場に造られた模擬戦場を眺める。
――瓦礫や木材が積まれ、隠れる場所が多い。
こういう場所ではスロットの魔法が有効だ。
彼には『視える』。
ここからでは窺い知ることは出来ないが、この戦場には魔導石が隠されているはずだ。
その魔法の種類さえしっかり把握することが出来れば、スロットは楽に合格できるだろう。
「……」
隣のハルはそわそわと落ち着きが無い。
『付き人』として連れてきたものの、カイトは若干の後悔を感じていた。
――スロットですらこうも彼女は緊張するのに、自分の試験を見ていられるのだろうか。
「ハル、飲み物でも貰ってこようか」
彼女はぶんぶんと勢いよく顔を横に振った。
「遠慮しなくていいんだ」
「違うの。……よく皆、食べたり飲んだりできるね」
「娯楽の一つなんだよ。毎年一般にも公開してるしな」
「……分かんないな」
「それでいいよ」
ハルを席に座らせる。
「応援してやってくれ」
「うん」
ややあって観客席が歓声に包まれる。
「スロット」
ハルが身を乗り出した。
彼は同じチームの二人と一緒に入場していた。どちらの候補生も顔を知らない。
おそらく意図的に知らない相手と組まされているのだ。
――自分の時もそうなんだろうな。
カイトはハルの隣に座りながら気を引き締めた。
合格しないということはありえない。
この実技でチームが負けても直接不合格になることはないだろうが、それでも勝っておくに越したことは無い。
それはどの候補生達も同じ気持ちだろう。
「油断するなよ、スロット……」
口の中で親友への心配を転がした。
さて、とスロットは息を整える。
いささか緊張していた。
左右に控える騎士候補生は当てにしていない。
チーム戦だが、協力は無意味だ。
何せ作戦を立てる暇もなければ互いに分かり合う時間も無い。
『使えれば使う』、それだけだ。
それを格好良くチームワークなどと呼べるのは、よっぽどのお人好しだろう。
「それでは――始めっ!」
その掛け声と共に、左右の騎士候補生は動いた。
大方、この場に隠されている魔導石を探しに行ったのだろう。
武器は速く手に入れたほうが良い。
それは分かっている、が。
スロットは二人からやや遅れて移動を開始した。
手近な遮蔽物――横に倒された石柱――に身を隠し、その『向こう』を伺う。
彼の魔法の前に、遮蔽物は意味をなさない。
千里眼といえば過度だが、まあとにかく、スロットの眼には遮蔽物は意味をなさない。
距離も随分遠くまで『視える』。正確に計った事は無いが。
「ちと遠いな……」
魔導石は確かに配置されているが、距離だけ見れば敵チームの方が幾分近い。
しかも無理して先に手に入れたところで、その魔法が『アタリ』かどうかは分からないのだ。
――方針はあっさりと決まった。
スロットは腰を下ろす。
戦場を見渡すと、こちらの右手から動いた味方が魔導石を手に入れたところだった。
まずは、お手並み拝見だ。
魔導石の発動。続いて、着火音。
「いけぇっ!」
三連の炎の矢が敵陣に放たれる。
「おっ」
しかし、その後の出来事に思わずスロットはにやりとする。
相手の魔導石が発動し、その炎の矢をいとも簡単に蹴散らした。
――風を巻き起こす魔法か。
炎の矢よりも使い勝手が良さそうだとスロットは判断する。
「倒すのが全てじゃねぇからな……」
小さく呟いた背後「うおわあああああ」という悲鳴が上がった。
ぎょっとして振り向くと、先ほど炎の魔法を撃った仲間が、『砂利に埋まっている』。
「うわ、あんな魔法あんのかよ……」
おそらく上から振ってきたのではなく、位置を把握されて打ち込まれた魔法なのだろう。
相手に位置を知られてはまずい。
腰を上げ、身を低くしたまま踏み出す。
魔法が飛んでくる気配は無かった。
――腕の見せ所だ。
障害物の後ろに配置されていた魔導石を掴み上げ、それを『理解する』。
いい手応えににやつきながら、スロットは進んだ。
頭上では砂利と風とが竜巻のように自軍に降り注いでいる――かと思いきや、誰が行使しているのか、それらは弾かれて明後日の方向に吹き飛んでいた。
防御に特化した魔法は珍しい。もしかしたら味方の『核』の魔法なのかもしれない。
が、今はそれはどうでもいい。
「みっけ」
敵軍の一人は、地面に突き刺さった巨大な金属の盾に完全に隠れていた。
最も、スロットにとってその遮蔽は意味をなさないが。
魔導石を行使する。
じんわりと熱くなり始めたそれを握りこみながら、盾の向こうに飛び込んだ。
「はぁい」
敵のぎょっとした顔に満足しながら、スロットは魔導石を相手の腹に押し当てる。
刹那、石を握りこんだ手にばちんっと衝撃が走り、思わず奥歯を噛んだ。
「ってぇ……!」
これはごく近距離用の『衝撃の魔法』だ。肉体に雷でも落ちたかのような『衝撃』を与える。
この魔法が込められた石を女子供が護身用に持っていたりするが、それらに比べてこれは大分威力が高い。
事実、腹部に石を押し当てられた相手は悶絶の表情で倒れ込んでいる。
「俺もいてぇのは何とかならねぇのか」
少々考えるが、その手の事が苦手なスロットだ、あっさりと「仕方ないか」と思考を切り替えた。
敵は後二人。味方も後二人。
味方は当てにしていない。
三人くらい、自分で何とか出来なければ、『意味は無い』。
息を整え、潜む。
――こちらの二人は動く気配が無い。
恐らく遠距離攻撃慣れしているのだろう。敵軍と自軍の間はかなり離れているが、正確に魔法を打ち込んでいる。
であれば、ここまで潜んできた甲斐もあろうという物だ。
スロットは影を泳ぐ魚のように、敵の背後をとる。
「やっほ」
相手が振り向く前に、魔導石を押し当てて失神させる。
こうなると、もはや暗殺者の気分だ。
――性に合っている、か。
ともかく、後一人だ。
どうやら、残っているのは最初に風を操っていた奴らしい。
油断せず、一歩一歩、着実に近づく。
しかし相手も馬鹿では無かった。
自分が一人になったことにいち早く気づき、接近戦を仕掛けている者が居る事に気がついたらしい。
完全に警戒されてしまったが、スロットはこれ以上待つつもりは無かった。
「ふっ!」
肺にはまっていた空気を全て吐き出して、一つの跳躍で距離を詰める。
相手は虚を衝かれていた。
魔法発動の気配――しかし、それは間に合わない。
スロットの方が、腕一本早かった。
だが、
「!!」
腕に衝撃が走った刹那、『何故か顔面に熱い物を感じて』、スロットの意識は赤く堕ちた。
「ひあっ」
ハルの悲鳴。
カイトも思わず立ち上がっていた。
――スロットが倒れた。
正確には、対峙していた相手の魔法が暴発して、スロットの頭を割ったように見えた。
「救護班!」
自分がそれを言う必要は無いのに、気がつけばカイトはそう怒鳴っていた。
「カイト」
隣のハルが震えている。
その肩を抱いて「救護室に運ばれるはずだ。行こう」と伝えたが、彼女は顔を手で覆うばかりであった。
「スロット……スロット、死んでない、よね……?」
「……大丈夫だ」
そう、言うしかなかった。
会場は緊急事態にざわめき、見守りの騎士達もこの混乱を収める為に四苦八苦しているように見えた。
それを横目に、彼女を引っ張って、カイトは救護室に飛び込む。
「スロット!」
後ろからまた、ハルの悲鳴がした。
何人もの魔法使いと魔導師、騎士達がベッドに横たわるスロットを囲んでいた。
赤黒い血が、辺りにぽたぽたといくつもの点を描いている。
「何が、どうして」
「――ああ、リヴァレッド家の」
何人かの魔法使いがカイトに頭を下げた。
「彼が放った魔法が、相手の核の反作用に耐えられず暴発したんです。結果、彼の、額がざっくりと」
「どいてくれ」
ハルを入り口近くに立っていた騎士に任せ、カイトはスロットに近づく。
血の臭いが生々しい。
親友の額は深々と斬られていて、見間違いで無ければ骨まで達しているように見えた。
「我々としてもこういった対策は立てていたのですが、相手の核の力を把握し切れていなかったようです。今回の模擬戦闘で核の力が増大した可能性も――」
「そういうのはどうでもいい!」
自分の身体が震えているのを、自分の意思では止められなかった。
「誰か――誰か、治せる人は居ないのか!? 女神教会の僧侶は!?」
「生憎、ここまでの怪我を治すほどの石を持っているものはおりますまい」
「そんな」
「今はできる限り傷を塞ぐ事になりましょう。それなら、今から来る僧侶の石でも足りるでしょう。後は、本人次第。今日の深夜が山になるかと」
「これが、これが! これが本人の気力で何とかなる怪我なのか!?」
「カイト」
激高する精神をなだめたのは、ハルであった。
彼女は青い顔をしながら、しかし凜とした声で彼の名を呼んだ。
「スロット……多分、静かにしていた方が、いいと、思う、の……」
「……すまない」
「仕方ありますまい。お二人は、幼馴染みだったのでしょうから」
「過去形にしないで」
ぴしゃり、彼女は言う。
それに畏怖の表情を見せながら、魔法使いは「はっ……」と言葉を噤んだ。
「何にせよ」もう一人の魔法使いが言う。「この試験は最初から見直さなければならないな」
「この部屋は封鎖する。スロットは動かせんからな。カイト、残りたければ好きなだけ残りたまえ。直に女神教会の者が来るだろう」
「……はい」
ゆるゆると人が引き上げ、代わりに女神教会の人間が来てスロットの傷をほんの少しだけ癒やし、後にはカイトとハルが残された。
その間、何も出来なかった。
これが夢であれば良いとずっと思っていた。
何も出来ない自分が、あまりにも情けなく思えた。
「カイト」
「……うん?」
「まだ、スロット、息をしてる、よね」
「……ああ」
何度も確認する。
浅い息で、必死に生きようとする親友を失いたくなかった。
しかし時間ばかりが過ぎていく。
昼からここまで、何も、本当に何も出来なかった。
ただ、失いたくないと駄々をこねて、神に祈るくらい、本当に何も。
「もう、夜になるね……」
「……」
スロットはもう、血を流しすぎている。
感覚的に分かるのだ。
もう長くない。
呼吸は、もう間もなく、途絶える。
「カイト」
ハルの、声。
甘く、幻のような。
それは夜を連れてくれるという異国の蝶を思い出させた。
――彼女はそんな風に話す人物だっただろうか?
「私が、お願いしてみるね」
「え……?」
「聞いてくれるか、分からないけど……もし、聞いてくれなかったらって思ったら、すごく、怖くて……今まで何も出来なかったけど。お願い、してみるね」
「一体誰に」
「精霊に」
カイトは身を強ばらせる。
確かに、彼女は魔法こそ使えないが精霊に好かれる素質はある。
今も小さな精霊達が彼女の側にくっついて離れない。
しかし、それはあまりにも儚い願いだ。
瀕死のスロットを救うには、女神教会の高位の僧侶が持つ石が必要な程なのに。
彼女の願いを叶えられる精霊が、彼女一人の願いを聞くはずが無い。
「お願い」
唇から零れる、彼女の声。
「私の大事な人の大切な人を、救って欲しいの」
刹那。
ぐにゃり、カイトの視界は歪む。
その感覚は魔酔いに似ていた。
「え……」
思わず、言葉を失う。
ハルの後ろには、何者かが顕現していた。
しかし、それを直視できない。辛うじて人の形をしているのは分かった。
それほどまでに、目の前の存在は気高く、強力な力を持っていた。
だというのに、『それ』はハルに和やかな態度を示し、微笑んですら居るように思える。
「出来る?」
『それ』はふわりと掻き消え、かわりに部屋がにわかに熱くなる。
膨大なエネルギーが集中している――そう気づいた刹那、はっとしてスロットを振り返った。
「スロット」
手を伸ばす。
確かに先ほどまでは消えかけていた鼓動が、絶える寸前だった呼吸が、終わるはずだった命が、戻ってきている。
握った手が、温かい。
「スロット……!」
生きている。
安堵に泣き出したかった。しかし、ハルの手前、そんなこともしてられない――
「ハル、ありがとう、お前は、」
恩人だ、と言いかけたが、それはすんでの所で立ち消えた。
彼女はへたりと床に座り込んで、今にも倒れてしまいそうだったからだ。
「大丈夫か!」
「えへへっ……平気だよ」
彼女は青い顔をしてぽたぽたと汗をかきながら、それでも笑う。
「良かった……お願い、聞いてくれて……。もう大丈夫、もう、スロット、死んだり、しないから」
「ハル、お前、無茶をして……!」
「だって」
カイトにもたれ掛かりながら、ハルは笑う。
「死んじゃったら、悲しいから」
「……」
もう何も言う事が出来なかった。
「スロットが元気になったら、皆で何か食べに行こうね……私、東通りの、アンミツ食べたいな」
「分かった、貸し切ってやる」
「もー、またそういうこと言う……」
「金はスロットに出させるからいい」
「もー……」
彼女に見えないように涙を拭うのが精一杯であった。
スロットの怪我は、結局の所内々で処理された。
学校とはいえ、騎士の不祥事を大事にはしたくない上層部の思惑だった。
カイトとしてもハルの精霊の力を公にはしたくなかった。
教員達は、突然現れた精霊がスロットを治したという言葉を信じた。否、信じざるを得なかった。
確かにスロットの怪我は治っているからだ。
しかし、全ては上層部の決定で「女神に導かれた高位僧侶の奇跡」と相成った。
事件の当事者であるスロットにもそのように伝えろとカイトは言いつけられ、事実そのように伝えた。
「そういう嘘が俺に通じると思ってんのかよ」
スロットはベッドの上で不機嫌そうだ。
「どうせ、学校側が女神教会に打診か何かして作り上げたんだろ? そうだよなあ、これで女神教会の威信も上がるってもんだ」
「鋭いな」
「お前は頭が良いが、馬鹿だからな」
「ははは……」
苦笑いを返すしか無い。
「本当のところは、どうなんだ。お前の核、とうとう治癒魔法まで使えるようになったか? だとしたら出家だな」
「馬鹿言うな。俺は、戦しか出来ないよ」
「ふーん。じゃあ、何だ? 正直に言えよ。この部屋、音を遮断する魔法がかかってんだろ。ったく、要人扱いも楽じゃねぇぜ」
カイトは一瞬迷ったが、隠しても益の無い事は分かっていた。
「ハルが、精霊を呼んだ。直視できないほど、強い、やつだ」
「……何だと?」
その解答はスロットにとって、あまりにも恐ろしい響きだったようだ。
「それは、……鳥、だったか?」
「いや……? もっと、人の形に近かったな」
「そうか……。そうだな、精霊の気まぐれだったんだな……それを、教会の利益にしちまうのは、まあ、分からなくもねぇわ」
彼の言葉は震えているようにも思えた。それを追求する気は起きなかったが。
「しっかし運が悪かったとはいえ、騎士試験どうなっちまうんだ?」
「噂に聞いたが、別な試験を用意しているとか」
「へぇ……これで楽になったら、俺に感謝しろよな」
「そうだな」
話ながら、カイトはスロットの顔を見る。
精霊によって傷は塞がれたが、痕が残っていた。
それが時折突っ張るのが見て取れる。
「あ、これな? どうも綺麗には治らねぇみてぇだな。気になっちまうか?」
「色男が台無しだ」
「言っとけ」
くつくつと笑うスロットを見ていると、ほんの少しだけ、安心できる。
「なあ、俺はいつ軟禁を解かれるわけ?」
スロットが『閉じ込められているのは』、教会の隣に建てられた診療所だ。
あの日以来、スロットは家に戻っていない。
殆どの雑用をカイトが受け持つ事になったのは、偏にハルが起こした奇跡を知られたくなかったからだ。
「さあな」
「おいおい、そこは聞いといてくれよ」
「お前、自分がどれだけトップシークレットなのか自覚しろ」
「ええー」
「自覚しろ」
「はいはい」
スロットはごろりと体勢を変えて背中をこちらに向けた。
話は終わりだとでも言いたげに。
「また来るよ」
「そうしてくれや。――あ、そうだ」
そう言いながらも、彼はこちらを向かない。
「ハルは、元気か」
「熱を出した。でも、今は元気だ。これからハルが昼休みだから、水下通りで飯」
「くー、いいねぇ。さっさと行っちまえ」
「そうする」
カイトはひらひらと手を振りながら、部屋を後にする。
この分だと上の決定さえあればいつでも復帰できるだろう。
不覚にもまた泣いてしまいそうになる。
これから騎士になれば、王の命令で戦に出て、いつ死に別れるか分からないというのに。
それでも今は、情けない事に、覚悟が出来ていなかったのを実感した。
騎士試験のやり直しの告知が届いたのはそれから四日後であった。
「本日より三十日以内に『剣』を手に入れろ?」
スロットは告知がしたためられた紙を凝視しながら、思わずといった様子で読み上げていた。
「剣?」
ハルが聞き返すと、スロットは「あー、うん、この場合の剣はな」と頭をかく。
「魔法騎士に相応しい武器ってことだな。多分、それなりにランクの高い魔導石がはまってねぇといけないやつだ」
「へぇ? じゃあ……、買うってこと?」
「それじゃ駄目だろうな」
カイトは告知に目を通しながら言う。
「実力を試しているんだ。恐らく、自分で作るか、腕の良い誰かに頼んで打って貰うかしなければ合格しないだろう」
「ああ、そうだよね……買うのって、カイトやスロットからすれば簡単だもんね」
「否定はしねぇな」
これでも二人は貴族の息子だ。金ならば苦労なく出せるだろう。
しかしそれでは『不合格』になる。
「ハル、これから夜鷹の間を昼夜問わず使う。身の回りの事を頼んだぞ」
「かしこまりました」
仰々しくハルはスカートの裾をつまんで礼をする。
「とりあえず街に出よう。鍛治に頼むだろう?」
「そうだなぁ」
しばし沈黙が落ち、唸り声が重なった後「水鳥通りかなぁ」とスロットが呟いた。
「水鳥通りの鍛冶師が、確か親父殿が贔屓にしていたような……」
「親父さん、市井の鍛冶師を贔屓に?」
「おう」
ローゼライト魔法騎士の『石位』を頂くと、大体その『剣』は騎士団お抱えの鍛冶に頼む事になる。
事実第一石のカイトの父親、クロウ・リヴァレッドは強力な『剣』を名匠と名高いディスク一門に打って貰っていた。
第二石のゴード・ランフォードが市井の鍛冶師を頼っているのは、違和感を感じなくもない。
「あ、俺は会った事ねぇからな! コネとか期待しないように!」
「おいおい……それじゃあ会ってくれるかどうかも分からないじゃないか」
「そこはそれ、ほんっと普通の商店街の水鳥通りに店持ってるくらいなんだから、会うだけは出来るだろ。会うだけは」
「会うだけはな」
とにかく行ってみなければ始まらない。
「ハル、お前の買い出しもあるだろ。一緒に行こう」
「はーい」
三人は準備もそこそこに、水鳥通りに向かう。
途中、鍛冶屋が集中する鉄鎖通りに急ぐ若者達を何人も見かけたが、皆焦りの表情を浮かべていた。
無理もない。騎士候補生の時点で鍛冶屋にコネを持つ人間が何人居るというのか。
「自分で言っておいて何なんだが、水鳥通りで本当にいいのかね?」
辺りを見回せば――
焼きたてのパンを売っている屋台、夏の果実を売り出す八百屋、西の海から来たという魚が店頭で泳ぐ鮮魚店。
こんな所に本当に鍛冶師がいるのだろうか?
「どう探すかねぇ」
「おい、千里眼。そいつで何とかならないのか?」
「おう、未来の≪孔雀の七爪≫。お前の魔法でどうにかしてくれよ」
「二人とも顔笑ってなくて怖いよ」
ハルが苦笑いをしているのに気づき、カイトは天を、スロットは地を見つめる。
「とりあえず歩いてみようよ。私もお夜食の材料買いたいし」
「そ、そうだな……」
彼女を先頭に、注意深く通りを歩いてみる事にした。
「……」
旬の果実が芳しく香る。
「……」
気の良い店主が客引きをする――
「……ああっ! ま、待って!」
ぼんやりとした雰囲気を切り裂いたのはハルの悲鳴であった。
彼女の買い物袋は、何処からやって来たのかリスの形をした精霊に強奪されてしまっていた。
リスは鞠のように地面を跳ね、茂みを飛び越え、建物と建物の間に滑り込む。
「お、お財布が入ってたの……!」
「そいつはまずい」
スロットが駆け出し、一歩遅れてカイトも走り出す。
リスの精霊は風を司る≪核≫なのか、突風の様に走り抜けてしまう。
そのあまりにも小さな背中を捉えるのがやっとだ。
「ええい、待てこらー!」
スロットが壁を飛び越える。
――壁?
「スロット、そこは多分私有地――」
「うおおおおおおおおっ!? なんだあああああ!?」
驚愕をはらんだ叫び声。
カイトは恐る恐るその壁の向こうをのぞき込んだ。
そして、同じような声を上げる事になる。
「な、何だこれは……!?」
そこは庭というにはあまりにも異質であった。
打ち棄てられた鋼の剣が幾つも転がり、魔導石がまるで瓦礫のように積み重なっている。
「カイトぉ」
壁の下で、やっと追いついたハルが息を切らせていた。
「変だね、この建物……門が何処にもないよ……」
「何?」
「ここに入っちゃったんでしょ? さっきのリスちゃん。でね、ごめんくださいってしようと思ったんだけど、何処にも門がないんだよ。ぐるっと壁なの」
「……」
まさかここが?
だとしても、壁を越えてはいるのは、いささか不躾ではないだろうか?
「スロット、一度確認して――スロット?」
すでに彼の姿は視界の何処にも無い。
「ハル、ここで待っててくれ。何かあったら」
「大声で呼べ?」
「そう、良い子だな」
ひらりと壁を乗り越え、カイトもその異様な庭へと踏み入った。
――何故かぶるりと寒気がする。
「ごめんください、失礼いたします」
一応声をかけながら、カイトは入り口らしき扉を目指す。
返事はなく、仕方なく扉を叩いた。
「ごめんください。お話をお伺いしたいのですが」
「――――え」
「ん」
小さな声が聞こえる。
「――――はいえ、と、いっえおる!」
「……」
随分訛りの強い返答だ。
「失礼いたします」
カイトは扉を押し開けた。
そして、絶句する。
「おうおう、いろおとおがきたな」
にやりと笑ったのは女だ。しかもとんでもないものに座っている。
「ス、スロット……?」
「むぐー!!」
彼は何の冗談か猿ぐつわを噛まされた状態で床にうつ伏せで倒れており、その背に女がどっかりと乗っているのだ。
「こいつ、お前みたいに挨拶もえんかった。ちと、こう、な?」
「そ、それはすいません……そいつに変わって謝ります」
「よおし」
女はがははと大笑いし、スロットの背から下りた。
「わたしの名前はラミー。本当の名前は、発音がむずあしい、ラミーと呼べ」
「私はカイトと申します。失礼ですが、……北方の国からこちらへ?」
「おう、よくわあるな。感心感心」
彼女はスロットの猿ぐつわを乱暴に剥ぎ取り、「お前は?」と問いかける。
「ス、スロット、です……」
「おうおう。実はしっえるぞ。ランフォードだろ?」
「はい……はい!? しってんの!?」
「お前の親父がよおく来る。剣を研ぎにな」
ラミーは放心気味のスロットを乱暴に立たせ、「剣を頼みに来あのか?」とにやりとした。
「あーいや、その……それもなんだけど……」
「すみません、それよりも先に。こちらに私達の連れの荷物を奪った精霊が逃げ込みまして……」
「……」
静寂が横たわり、しかし直ぐにラミーの大笑いが高い天井に響き渡る。
「だっはっはっはっは! わたしを、前にしえ! 剣より大事な、話が! あると! はっはっはっは!」
「あ、あの……」
「すあんすあん、意外だった。そいつはリスだったか? それともライオン?」
「リスでした」
「んんん、このやいきの中庭に木がある。そこだな、精霊の住処になっえる」
「ありがとうございます」
二人は案内されて中庭に入る。
そこに充満する魔導石の気配は、まるで火山のようでありながらあまりにも静かであった。
「あ! あの袋だ、ちょっと待ってろ」
スロットが木々の中に隠されていたハルの買い物袋をいち早く発見し、木に手をかける。
「……この木、中に魔導石が埋まってるな? うう、ちょっとやりにくいぜ……ラミーさん、棒か何か貸してくれねぇかな……」
「ほい、こいつをつあえ」
と、手渡されたのは銀色に光る長い杖だった。
「うげぇ、これあんたが打った杖だろ絶対! ほらここ銘が入ってる!!」
「銘はいれあが、失敗作だからなんとでおなる」
「やだー! 壊したらすごい値段するってこれー!!」
なんだかんだ言いながら、スロットは袋を取り戻し、二人は丁寧に礼をした。
「ご迷惑をおかけしました」
「いんあ、このリスはわたしの家人も同様。イタズラがすぎあのはこっちだ」
彼女はやはりがははと笑い、「で?」と続きを促した。
「――ええ、私達は騎士試験の為に剣を打ってくれる鍛冶を探していました」
「そえで、ここを?」
「はい、お噂を聞きつけて」
「ふむふむ、褒められるのはわあくない。これも縁、うけてやおう」
「うおっしゃ!」
スロットが大きく身振りで喜んだが、「ただし!」と遮られてしまう。
「魔導石は取っえこい。その石の強さに応じて打ってある。料金は、さあびす、格安にしてやう」
「……!」
戦慄する。
これまた、金で解決してはいけない問題だ。
この女鍛冶師ラミーは、強い石を持つモンスターを倒し、その≪核≫を取ってこいと言うのだ。
「石をお渡ししてから、どれくらいで完成しますか?」
「あー、二本だかあ……十日は欲しいな」
「……分かりました」
――何があるか分からない。ぎりぎりに渡すのは危険すぎる。期限としては、後十五日といったところか。
「必ず、良い石をお持ちします」
「いい顔あ。次にここに来たら、ラミーを呼べ。直ぐ分かる」
「ありがとうございます」
改めて礼をし、庭に出て壁を越える。
その時、「おおい、スロット」と呼び止められた。
「選別あ、もってけ」
投げられたのは先ほど使った銀の長杖であった。
「げええええ!? なんで!?」
「売ったら殺す。でお、使って壊すのあかまわん。上手く使え」
「えええええ!?」
その声に気づいたのだろう、「カイトぉ、スロットぉ」とハルの声がした。
「ああ。大事なお嬢ちゃんによろしく」
ラミーはやはり、がははと笑って屋敷に戻っていった。
カイトとスロットは壁を越え、そわそわと待っていたハルと合流する。
「大丈夫だった?」
「うん。やっぱりここが、鍛冶師の屋敷だったよ」
「そっか! 良かったね」
ハルは「お財布ありがとう」とスロットに笑いかけるのだが、彼はぷるぷると震えたままだ。
「この杖……やばくない? すげぇ魔力……でも、何の魔法が込められてんだこれ?」
「……風、かな? やばそうでは、ある」
「へー」
ハルはぺたぺたと杖を触って「そんなの分かるんだ」と首をかしげた。
彼女は精霊に好かれる体質だが、自らは魔法に関して疎い。
「それはスロットに任せたから」
「やだー」
「我が儘言うな。俺はモンスターの出没情報を集めてくる。スロットはハルと買い物してこい」
「あれ? これが剣じゃないんだ。てっきりもう貰ってきたのかと思ったよ」
「魔導石を持ってこい、と言われた。モンスター狩りの準備が必要だな」
改めて言葉にすると、背中に冷たいものが落ちるのを意識せざるを得なかった。
モンスター退治はした事が無いわけではない。
だが鍛冶師の気に入る≪核≫となると、かなり強いモンスターを倒さねばならないだろう。
それを、一体、もしくは二体。
――震えがしない方がおかしい。
ランプの火がちらちらと揺れている。
夜鷹の間はその光と、ハルの周りを飛び交う蛍達で十分に明るかった。
彼女の首に掛かる紫色の魔導石が淡く輝いている。
「うめぇ……ハル、このパン粥なんなの……うめぇ」
「塩がいいんだよ。働く時は塩が大事なんだって、クロウ様の『妻』が言ってた」
「へええ……」
スロットは粥を啜りながら、地図を眺めている。
正面に座るカイトも同じように、地図を前にしていた。
――基本的に、自然が厳しければ厳しいほど、そこに存在する魔導石の純度は高くなる。
希に木や水の中に魔導石が結晶化している事もあるが、大体はモンスターの体内から奪うしかない。
出没情報はいくらでも流れてくる。危険だからだ。
大物は騎士団が直々に倒すが、もしかしたら今回はわざと『お目こぼし』されているかもしれない。
「グロシュラ山はどうだろう? 四角熊が出たって話だ」
「あー、それくらいなら俺達だって楽に退治できるだろうが、多分そんなにいい石がとれるわけじゃねぇと思うぜ」
「うーん、じゃあ、ライスパル湖まで行くのは?」
「遠すぎ! 多分期限内に終わらねぇぞ!」
「そうか……そうだな……」
今回は期限が決まっている。遅刻は許されない。
しかし近場ではいい石はとれない。見極めが難しかった。
そんな様子を、ハルが眠たげに見つめている。
「俺はバラックの村の向こうはどうかと思うんだが。補給もしやすいし、いいんじゃね?」
「今日、そちらに向かう一団をいくつか見た」
「くっそう、考える事は皆同じか……」
「あー。ハル、水を……ハル?」
既にハルは机で船を漕いでいた。
時計を見れば日付が変わっている。
「ハル。ハル。部屋に戻れ。明日もまた頑張って貰うんだ、休め」
「……むぅ」
返事もそこそこに、彼女は立ち上がり、眠たい目をこすった。
「おやすみなさいませ、旦那様……」
「うん。そういうのは大丈夫だ。うん、おやすみ、ハル」
「おやすみ……」
――ハルが下がった後、スロットは目を細めて声を低くする。
「試験開始から三日……、ロージーが死んだって聞いたか」
「……ああ」
「大方無茶したんだろうよ。あいつ、その……あんま言いたかないけど、下級騎士の家だもんな」
「……」
騎士になれなければ、候補生達はそれまでなのだ。
カイトやスロットのような昔から続く上級家系ですらそうなのだから、下級ともなれば扱いの差は歴然だ。
騎士になり、手柄を立てて、自分の家を上級に押し上げたい――
そうして彼らは無謀な任務に挑み、あっさりと帰ってこなくなる。
重責に堪えかねて逃げ出したならまだ良い。だが、多くは死だ。
「その手の報告は今から聞きたくないほど聞くだろうな」
「……俺達は大丈夫、とか思ってるか?」
「いいや」
カイトは強く否定する。
「そうなるかもしれない。だからこそ、そうならないようにする」
「おう。そうしようぜ」
スロットが眉根を寄せる。
「イワンやロッソに声をかけるか?」
「いや。どうせ分け前でもめる。良い石が本当に取れるか分からないんだからな」
「ほーう、俺は信頼されてるようで何より」
「頼むよ」
「おう。お前もな」
「ああ」
もう休むかとスロットが言い、部屋の隅の寝袋に近寄っていくの見て、カイトは「寝台を使えよ。俺は自分の部屋があるし」と肩をすくめた。
「いいよ、俺はこれで休む」
「……鍵をかけるぞ、この部屋」
「うっかりかけ忘れろ」
「ちゃんと寝ろよ」
「お前こそ」
考えることは同じのようだった。
仕方なく、カイトは『鍵をかけ忘れて』自分の部屋に戻った。
――翌朝、夜鷹の間に向かうと、何食わぬ顔でスロットがハルに給仕されていた。
「おはよう、カイト」
「お先~」
「おはよう、ハル。スロットはもう少しハルに遠慮すべき」
「善処します」
テーブルに並んでいたのは、朝だというのに肉料理であった。スロットが注文したに違いない。
「カイトは? お粥?」
「いや、俺も同じのを貰う。腹が鳴ってる」
「うん、待ってて」
ハルが厨房に下がった後、二人は顔を合わせる。
「それで?」
スロットが笑う。
「ああ、うん。夜通し文献を漁った。丁度、今の時期」
「砂漠に鯨が出る」
「……うん、それだ。お前も?」
「ああ。金貨一枚で買ってきた」
「折半――」
「は? しねぇよ? これは俺の情報だからな」
「そうか。ありがとう」
二人は地図を広げる。
「砂鯨。『大きな世界』からの生き残り。砂漠中を旅して、食べた生き物の核を身体にくっつけている、と」
「実際どうなんだよ、その鯨にくっついてる核は『使い物』になるのか?」
「『治癒』の核が取れたこともあるらしい」
「……リヴァレッド家の文献にそう残ってるんだったら事実なんだろうなあ」
スロットは肉を食べながら器用に地図に赤い印をつけ始めた。
「ここからここで目撃されてる。最新情報ではこの位置あたり。周期的に見ると、かなりノロマらしいぞ」
「……情報が本当であれば、二百年ぶりか」
「おう。今日出発すれば明日か明後日には出会う。このままの速度なら、丸一日ついてられるんじゃねぇか?」
「後は、誰が狙ってるか――といったところか」
「ははっ」
眉間に皺を寄せたカイトに、スロットは豪快に笑いかけた。
「こんなカビの生えた伝承の産物――狙いに行くヤツなんてそうそういねぇよ」
「しかしお前は、それを金で買ってるんだろ」
「あー……」
彼はばつが悪そうに頭をかいた。
「『砂漠で手頃に危ないヤツで誰も狙わなそうなヤツを一つ』っていって出てきたネタだったからな」
「それはひどい。よく金貨まで払ったな」
「本当だったら面白そうだったもんで」
「ははは」
カイトはそんなスロットの性格が好きだった。
幼少期からの付き合いだ。お互いにお互いをわかりきっていた。
「はーい、お待たせ」
戻ってきたハルは、湯気の立つ三角牛のローストをどんと机に置く。
随分な量だ。
湯気と香ばしい匂いだけでお腹いっぱいになりそうなくらいには。
「しっかり食べてね」
「あ、ありがとう……」
「私、今日のお弁当を作ってくるから、二人とも出かける時は声をかけてよね!」
「あ、ああ」
彼女は「よし」とかけ声をかけて再び厨房に戻っていった。
「……カイト」
「うん?」
「お前になんかあったら、ハルは、」
「……」
「……何でもねぇ。とにかく、準備は万端に、だ」
「ああ」
とりあえず目前の敵は、朝食にしては多すぎる、皿の上の肉だった。
青毛の愛馬は落ち着かない様子であった。
それどころか他の馬もそわそわと浮き足立っているように見える。
――何かが近づいているのを敏感に感じ取っているのだろうか?
「どれ……」
スロットも流石に神妙な顔で馬に跨がっていた。
「見に行きますかね、太古から生きてるっつー、生き物を」
「ああ」
荷物は必要最低限とはいえかなり多くなってしまった。
砂漠の"熱"は変わりやすい。
ローゼライトから一歩出れば、そこは水晶鳥の加護のない過酷な砂地が広がっているのだ。
だからこそ――
「ハル」
愛馬の近くで待っている彼女には言わなければならないのだ。
「お前は連れて行けない」
「うん、分かってる」
意外にも彼女ははっきりと頷いた。
ハルの背中には小ぶりとはいえ立派な荷物袋があるし、手には誰から渡されたのか護身用のナイフが握られているのに。
「勝手について行くから、大丈夫」
「それは大丈夫とは言わない」
カイトは思わず頭を抱えた。
「ハル。言いたくないが、ピクニックに行くんじゃないんだ。死ぬかも知れないんだぞ」
「うん、それも、分かってる」
「ハル」
「だって、死ぬかもしれないんでしょう? なら、絶対に、行く」
「どうして」
「……死ぬかも、しれないんでしょう?」
ハルはただただ繰り返した。
多分それは、先日のスロットの件を受けたからだ。
失いたくないと思ってしまったからこそ。
「あのなあ、ハル。俺もお前は残った方がいいと思うんだがなあ」
「スロット」
その声に、スロットだけではなく、カイトまでもが背筋を伸ばした。
ハルの静かな、しかし激しい感情を煮詰めたような声。
「死ぬかもしれないんでしょう?」
ただ繰り返しただけだというのに、彼女の声は――まるで物語の『絶対王オーベロン』のように――二人の髄を震撼させた。
「勝手について行く。それで、いいよね?」
「……駄目だ」
カイトはやっとの思いで声を絞り出す。
「父上の馬を、借りよう。俺の馬に引かせる。そっちに乗ってくれ」
「いいの?」
「ああ……」
「ありがとう!」
ハルの笑顔がぱっと華やかに咲くと、三人を圧迫していた空気が解けたような、気がした。
「……いいのか」
相棒の問いに、小さく頷くことしか出来なかった。
――父クロウは、やけにあっさりと馬の貸し出しを許可してくれた。
一般人のハルを連れて行くことを咎められるかとも思ったが、「お前が守れれば『妻』なぞいくらでも連れて行けば良い」と言う。
何故かすこぶる機嫌が良い。
カイトはそれに疑問を持ったが、流石に問いただすことは出来なかった。
「五番を連れていくと良い」
「五番――父上、その、差し出がましいようですが、そんな良い馬を……」
「俺だって息子の『妻』に死なれては目覚めが悪い」
「……分かりました」
五番。
用意された馬は、ローゼライト魔法騎士団の第一石が持つ馬だ。よく鍛えられており、些細な危険では動じない。
いざという時はカイトの指示でこの家まで戻れるだろう。
――結局、少々遅くなったものの、概ね予定通りの動きとなった。
「それじゃ、お先に」
スロットはくるりと愛馬を反転させ、さっさと走り始めてしまう。
ハルはというと、慣れない馬の背だ、もたつくのも仕方ないといった様子である。
「急がなくていい。どうせ、あいつは俺達より随分早いんだからな」
「足手まといにはならないようにしたいんだけど……」
「何したって足手まといさ」
「うっ……」
「だから焦るな。安全第一」
彼女がしっかりと体勢を整えたところで、カイトも愛馬を走らせる。
街を往く騎士候補生達から関心の目で見られながら、三人はローゼライトを出立した。
――ああ、今日もまた、風が乾いている。
左耳の紫色の魔導石が音も無く揺れていた。
金色の砂が波打っている。
まるで一つの生き物のように、西に、東に、時に空に蠢く。
騎士候補生二人の正直な感想として、ハルが着いてきてくれた事に深く感謝することになってしまった。
彼女の馬を追いかけている影の精霊達が作る日陰が、砂漠の暑さを緩和しているからだ。
もちろん冷気の魔導石は仕事をしているが、それでも日差しは容赦ない。
「私達を助けてくれるの? ふふっ、ありがとう」
影達はハルの声に喜ぶ様子を見せ、それが更に別の影を呼びこむ。
「正直――」
スロットがスピードを緩めてカイトに並んだ。
「ありがてぇ」
「ああ……」
ちらり、二人はハルを見やる。
彼女は精霊達のちょっかいに、くすぐったそうに顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
――果たして、数多く居るローゼライトの魔法使い達の中で、ここまで精霊を使役できる者が居るのだろうか?
否、彼女は使っているのではない。好かれているだけだ。
それがこんなにも、三人を助けている。
「パースの野郎は、お付きのヤツを引き連れていったとは言ってたが。こんな気分かねぇ」
「ずるをしている気分だ」
「ばーか。ハルは俺達の『友人』だぞ。しかも俺達を手伝いたいと言って、ここまで来てくれた。それをずると言っちゃ、ハルは怒るぞ」
「……うん」
カイトは表情を引き締める。
「最接近地点まで後どれくらいだ」
「夕刻にかかるな」
「よし。ハルの精霊が遊び飽きる前に進む」
「了解」
スロットが加速し、カイトの馬もそれに習う。それに綱で繋がれたハルの馬が、行儀良く後に続いた。
カイトはちらりと後ろを振り返りながら、海を往くという「船」が砂漠にもあったら移動も楽に済むのでは、とぼんやり考えた。
――海、とは。
視界いっぱいに金の砂ではなく、水があるのだそうだ。
そこにはかの女神の月が写り、美しく揺れるのだそうだ。
いつかハルをそこへ連れて行ければ良い――そんな風に思った。
きっとそこでは水の精霊や風の精霊が彼女の行く先々に現れるのだろう。
その隣に、スロットは居てくれるのだろうか。
いやそもそも、自分は、彼女の隣にいるのだろうか。
暗い考えばかり生まれて仕方が無い。
ひたすら前を向くことでそれを払い、此度の遠征に集中する。
砂漠にはやがて赤い日差しが落ち始めた。
ハルに集まっていた影の精霊達も一つ、また一つと砂漠へと帰っていく。
「あ、あそこにしようぜ。風を避けられそうだ」
スロットは何も言われなくとも今晩の寝床を探していたようだった。
大きな岩の影にテントを張り、灯り石や水出しの魔導石を手早く準備してくれたのは意外にもハルであった。
「カイト……、魔導石の火、つけてくれないかな」
「あ、ああ……」
彼女はカイトやスロットにてきぱきと指示を出したが、己が苦手とする魔導石の起動以外は殆ど自分でやってしまっていた。
「お疲れ様でした」
男二人が唖然としている間に、あっという間に出来上がった温かい夕食を、ハルは笑顔で差し出してくる。
「……ハル、無理をしていないか?」
「え? ううん」
カイトは食事を受け取りながら、怪訝な顔をしてしまう。
「仕事が早すぎる」
「それは、いっぱい訓練したから」
「……は?」
「砂漠でのテント設営とか、荷物の扱いとか。私、魔導石だけはどうしても苦手だったから不安だったけど、二人は得意だから助かっちゃった」
「……」
スロットは無言のまま苦く笑っていた。
「冒険者みたいだな、ハルは」
カイトがそう告げると「それは?」とハルが目を丸くする。
「この世界が、大昔はもっと大きかったのは知ってるか?」
「うん。習ったよ。女神ノッテが、人間の行いに怒って小さくしちゃったんだよね」
「そうだ。世界は変わってしまった。そこで、大きな世界の痕跡や魔工、未知の生き物を探しているのが冒険者だ」
「へぇ……。ローゼライトにも居る?」
「いないよ」
スロットが目配せしたのを感じ取った。
――ローゼライトは冒険者の流入を嫌っているのだ。
水晶鳥の恩恵を盗られまい、と。
冒険者は、その道のプロと言っても良い。
野蛮とも言われるが、実際はひたすらに生きることに強いだけだ。
彼らは世界の未知を追求しながら、しかしロマンだけでは飯を食えず、何でも屋のような事をする。
時に戦争に加担し、時に道ばたで猫を拾う。
味方かと思えば、金次第で敵になる。
女神教会とコネがあるのに黒杖同盟に遺物を売り渡したりする。
ローゼライトはそういった『制御不能』を嫌うのだ。
「今から会いに行く砂鯨もそんなもんさ」
ようやくスロットが口を挟む。
「ああいうのを見つけるのが好きなのさ、冒険者ってやつは。時に金にも名誉にもならなくても、自分達が満足するまで探しやがる」
「へぇ……」
でもとハルは困ったように笑った。
「二人には冒険者になったりしないよね。騎士になるんだもの」
「ああ……そうだな」
「私、冒険者になって、二人についていこうかな」
「ハル――」
「ふふっ、冗談だよ」
彼女はカイトの肩にもたれ掛かった。
「遠い世界の話だね、冒険者って」
「俺も会ったことはないよ」
「俺はあるぞ」
スロットがにやりとする。
「親父殿がお袋殿に渡す宝石の買い付けを頼んでいた」
「へー!」
ハルは関心の瞳を向けているが、カイトはスロットの母親がもう何年も前に亡くなっているのを思い出し、表情を消すに留めた。
「宝石なんてローゼライトでいくらでも買えるだろうに」
「あー、うん……旧フルオーライト国にな、行って貰ったんだと」
「……ああ」
フルオーライト国。
三十年ほど前に帝国ラーヴァに飲み込まれた、清浄なる青き剣の国。
ラーヴァの諸侯により徹底的な搾取が行われたため、そこにかつての住民達は残っていない。
そんな場所だ。治安の悪さは火を見るより明らかで、そのために冒険者が『使われた』のだと理解できた。
危険なことしかない。それが冒険者の人生だ。
間違ってもハルにそんな人生をおくらせることは出来ない。
「綺麗な石だったぜ。カイトもハルにはそういうヤツをプレゼントするこったな」
「はいはい」
ハ ルの首にかかる紫の石を意識しながらも、カイトは軽く流した。
早朝、まだ暑さよりも寒さが勝る頃、微かな何者かの"声"が砂漠に響く。
カイトは即座に身を起こし、同時に動き出したスロットと目配せをして小さく頷いた。
テントを手早く撤収し、馬を起こさねばならない。
「……ふにゃ」
やや遅れてハルが起きる。
その青い瞳は虚ろで、素早く動く二人の側で、明るくなり始めた空をぼーっと見上げていた。
昨日の手際の良さとは真逆である。
「ハル、来るぞ。馬に跨がれ」
「……来るって?」
「砂鯨だよ」
スロットが小柄なハルを小脇に抱え、さっさと馬の上に『備え付ける』。
「さあ、ご対面と行こうぜ!」
愛馬を後ろ足で立たせ、わざわざ格好をつける相棒の姿が頼もしく見えた。
――ハルの馬は待機させるつもりだった。
だというのに、その"声"、そして振動が近づくにつれて、馬達はそわそわと首を巡らせ始める。
これではこの場に留まらせておくのは難しいだろう。
「行くぞ」
ようやく覚醒したハルが「お、置いてかないでよ!」と声を上げた。
「分かってるよ。離れて着いてこい、絶対に並ぶなよ!」
カイトの愛馬が走り出すのを見て、ハルの馬が走り出す。
「一体どんな面してやがるのかね」
スロットの顔には笑みが浮かんでいた。
「んで、弓で石が剥がれなかった場合はどうする? 乗るか?」
「確かに文献には『乗って取った』という記述はあったが、俺は正直誇張だと思う」
「まあなあ」
地鳴りがする。
おそらくこれは今頃、ローゼライトでも何らかの噂をもたらしているに違いない。
そして、それは現れた。
「……あれか!」
カイトの目に映ったのは、砂の地平から顔を出す黒い粒であった。
それはこちらに近づいてくるというよりは、ゆっくりと旋回しているように見える。
さてどの角度から近づくか――そう考えてスロットを見ると、彼の笑顔は苦い物に変わっていた。
「どうした」
「でけぇ」
「……そうか」
――どうやらとんでもない物に手を出してしまったらしい。
スロットの顔はそう告げていた。
「あとさあ、なんかさあ……ぽろぽろ落ちてるんだけど……」
「石か? それなら楽なんだが、違うんだろうな」
「動いてる」
「動いてる……」
カイトはそのままそっくり言い返すことしか出来なかった。
「あ」
スロットが呟くと、黒い粒はぐらりと揺れて――跳んだ。
「あ、あいつウサギかよ!? 跳んだぞ!!」
「見えてる」
「お前にも見えてるって事はすげぇ高さだぞあれは!」
二人は後ろを振り向く。
そこにはきらきらした瞳のハルがいた。
「すごいねぇ」
――待てと言って聞くわけもないか。
「接触するぞ、落ちてくるもんに当たるなよ! あと、跳ばれたらおしまいだ。スロット、予兆を見逃すなよ!」
「おーけい、参謀長官。任せなぁっ!」
スロットの馬が加速する。
カイトにも、もはやソレの全形が見えていた。
黒い、巨大な塊。頭から尻尾まで、馬が四十頭連なってもまだ足りない体長。
登りゆく太陽に照らされて青く輝く体表と、その側面を走る白い筋。
大きな桃色の瞳。
そして、色とりどりの眩しい魔導石の数々。
それが砂漠をまるで自分の庭かのように、悠々と泳いでいた。
「すごい……」
我知らず、呟いていた。
「ぼーっとしてんなよ、カイト!」
スロットの怒号が跳ぶ。
「そら、落ちてくるぜ!」
風を切り裂きながら何かが砂丘に落ちてくる。
動いている、それ。
ハルの「うわあ」という間の抜けた声と共に、カイトはそれを正しく理解した。
――虫だ。
八本の手足をばたつかせて、砂に仰向けに突き刺さっている、それ。
「こいつは……鯨の背中に乗ってるのか?」
「いいや」
スロットは否定しながら、弓に矢をつがえていた。
「食われてる」
ぱっと魔力の籠もった矢が彼の手から離れる。
旋風を巻き起こしながらそれが飛んだ先は、鯨の腹に食らいつく虫だ。
ぱっと緑の体液が飛び散り、力を失った虫は遠く後方に吹き飛ばされていった。
「ん」
カイトは意識を集中させて、その虫の≪核≫の気配を捕まえる。
「……あれはたいしたことないな」
「そうか。楽には済まなかったなあ」
スロットが再び矢を放つと、また一匹虫が風に流されていった。
「石を狙う。期待してろ」
スロットが取り出した赤い石の矢は、彼の意志を反映して強く赤く輝いていた。
「ハル、もう少し離れてろ。巻き込まれる」
「……? スロットの弓に?」
「ああ」
ハルは不思議そうな顔をしながらも、スロットから離れるように馬に指示する。
それを確認したのだろう、弓引く彼はにやりと笑って矢を放った。
ぐあんと空間歪んだかのような不気味な音を引き連れて、矢はまっすぐに鯨の背中に突き刺さる。
――だが、それだけだった。
鯨は何も感じなかったようで泳ぎを止めないし、魔導石が背中から転がってくることも無かった。
「もう一発か?」
ここで外したのかと問うほどカイトは愚かでは無かった。
「いんや……抉れなかったみたいだな。用意してきた矢じゃ細すぎる」
「攻城兵器が必要なんだな」
「それくらいほしいねぇ……どうする? 諦めるか?」
スロットにしては弱気な発言だった。
「俺が魔法でやる」
「了解。そう言うと思ったぜ。狙いはつけてやる、少し後退するぞ」
三人が一度離れようとした、その時――
鯨の巨体が、ぐらりと揺れた。
「っ!」
スロットの顔色がさっと変わった。
「跳ぶぞ、離れろぉおおおおおおおお!!」
絶叫。
その瞬間、カイトは――命の危機を前にしながら、馬に指示するのも後回しにして――ハルを見ていた。
ハルはカイトを見ていない。ただ、鯨が今にも巨体を踊らせようとしているのを見ていた。
その横顔を眺めながら、強く、思う。
――『彼女』は死なない。それは、絶対だ。そう決まっている。何者も介入できない、改竄できない運命。だが、『自分』は死ぬ。『自分』の代わりなどいくらでも居る。『自分』が死んだところでこの国は変わらないし変わりようもない。『彼女』はどう思っている? 『自分』が死ねば、『彼女』はどうなる? 『彼女』は無事に『自分』の代わりに行くのか? いや、『彼女を誰かに渡したくない』。『自分』は死ぬ。分かっている。『彼女』はどう思っている?『彼女』は死なない。死ねない。それも分かっている。『俺達』は側に居なければならない。『彼女』はどう思っている? いや、『俺』は側に居たい。『彼女』は関係ない。『俺』は死ねない。死ぬわけにいかない。側に居たい。死ねない。
死んでたまるか。
胸の≪核≫が軋む。魔法の行使に、カイトの周りの空気がかき乱され、髪が逆立つ。
「カイトっ!」
スロットの叫び。
「カイト……!」
ハルの狼狽。
それらを受けても、カイトは止まらなかった。
鯨が砂から放れようとしたその刹那、
「止まれぇえええええええええ!!」
それは獣の咆哮にも似ていた。
魔力が立ち上り、まるで砂から逃すまいとするかのように、氷柱が鯨の腹に絡みついていた。
初めて聞く、鯨の低い唸り声。
しかしそれは痛みではなく、上手く跳べなかった疑問のように感じられた。
まるで奇跡のような停止は、鯨がぶるりと身を震わすことで終わりを告げる。
鯨の巨体からすれば僅かな動きだ。だがそれだけで、併走していた三人の身体に暴風が吹き荒れた。
もしこの距離で跳ばれていたら――そう思うとぞっとする。
「……ああ、くっそ! 良くやりやがったな、カイト」
スロットが汗を浮かべながら笑っていた。
「助かったぜ」
「……い、いや。ああ……夢中だった」
特大の魔力の行使によって疲弊した精神を何とか奮い立たせる。
「カイト、大丈夫?」
ハルの声に、自分でも驚くほどに安心した。
「大丈夫だ」
――しかし、もう次はない。
「……ここで俺がやらなきゃ、かっこ悪すぎだな」
全速力で馬を走らせながら、スロットはその背の上に立ち上がる。
彼の顔には笑顔があり、その左手には手綱、右手には、あの銀の杖があった。
「もう一度跳ばれる前に決めるぞ。覚悟はいいな?」
「――言われずとも」
「上等だ!」
銀の杖が、それにはめられた魔導石が、魔力を受けて光り輝く。
「ここで使えってことだろ、なぁ!?」
発動、そして――
鈍い衝撃の後、気がつくと、空中に投げ出されていた。
「……はっ!?」
落馬ではない。
『高いところに浮いて、鯨を見下ろしていた』。
「ええええええええっ!!」
悲鳴は隣に放り出されたハルのものだった。
「ハ、ハル!」
必死に手を伸ばし、彼女の肩を抱いた。
砂漠の乾いた風の中、まるでもてあそばれる枯れ葉のように、二人はぐるぐると空中で転がってしまう。
「しっかり掴まってろ!」
「う、うん……!」
―― 一体何が起きた?
「はっはっはっはぁっ! こりゃ確かに失敗作だなぁ!」
同じようにぐるぐると回転しながらスロットは大声で笑っている。
「こいつは飛行の魔法だぁ!」
「ひ、ひ、ひ、飛行? そんな非現実な」
「だーかーらー、こいつはさぁ!」
スロットは大きく銀の杖を振り下ろす。
すると背中に衝撃が走り、三人は球技の球のように鯨めがけて吹き飛ばされた。
「うわっ……!?」
「こんなん飛行とは言えねぇよ! ぶっ飛ばされてるだけだ! だけどよ――おもしれぇ!」
スロットは「ハルをしっかり抱いてろよ!」と叫び、再び杖を振るった。
その度に背中に強い衝撃があり、しかし確実に鯨に近づいている。
「そら! 行くぜぇええええええ!」
流星のように、しかし鳥のような鮮やかな着地で、三人は鯨の背中のど真ん中へと降り立った。
「ううん……」
ハルが目を逸らしたのも無理はない。
そこは宝石の原だった。
視界いっぱいに色とりどりの魔導石が張り付いていて、砂漠の強い日差しがそれを煌めかせていたからだ。
鯨は背中の三人など全く意に介さず、ゆうゆうと泳ぎ続けている。
「――見て! ほら!」
ハルが指さした先。
何処までも続く金色の砂原と青い空。そしてその境界の曖昧な水色。
全てが今まで見たことのない、言うなれば鳥の――空におわす女神の視点であった。
「おお……!」
「これは……すごいな……」
思わず声が詰まるほどの、絶景。
恐らく、今を生きる人間は誰も見たことがないだろう景色。
それが三人だけの前に広がっている。
「綺麗……」
ハルの青い瞳の中は、きらきらとした光で一杯だった。
まるで、星空のよう。
そんな美しい光景からやっとのことで目を離して、カイトは足下の石に触れた。
「どれも凄い魔力を感じる……でも、一体何が込められているのか分からないな……」
「どいつもこいつもすげぇ石だからこそだろ。ど、どれにする……? い、一個ずつにしようぜ……、手に余る」
「ああ、うん……う、ううん……?」
困惑する二人は、ほぼ同時にハルを眺める。
彼女は風を受けながら、煌めく原の中で遠くを見ていた。
「なあ、ハル」
「うん?」
「ハルが選んでくれ。二つ、俺のと、スロットのを」
「……私が?」
きょとんとするハルに、強く頷く。
「私、魔導石、何にも感じないけど……」
「いいよ。色でも、形でも。好きな物を二つ、選んでくれ」
「……うん」
ハルは膝をつけて、ひとつひとつ魔導石を確認していく。
どれくらい彼女は迷うだろうか――そう二人は思っていたが、ハルはあっさりと一つを指さした。
「これ、スロットに」
「この赤いやつだな?」
「うん」
「よし。カイトのも頼む」
ハルは小さく頷いて、カイトの手を握った。
「カイトのは、あれ」
「……これか?」
「うん」
それは青と黄色が一つの石を真っ二つに分け合っている珍しいものだった。
周りを見回しても、こんな色合いは他にない。
「ありがとう」
礼を言い、カイトはナイフを用いてそれを剥ぎ取った。
陽にかざすと、それは透き通って透明な石にも見える。
「綺麗な石だな」
「うん」
「ぎぃいいいいいやああああああ!!」
悲鳴はスロットの物だった。
「ど、どうした!?」
「こ、こ、こ、この、石、ひっ! 見て、ほら、星……星みたいな、ほら、光の筋、ほら!」
「……ああ、知ってるぞ……! 星紋……レア物だ……!」
「いやあああああ! 怖いぃいいいいい! 剥ぎ取っちゃったよぉおおおおおおお!!」
「落ち着け! 大丈夫! 星紋は呪いじゃない、吉兆だ!」
「分かってるけどぉおおおおお!! おおおおおおおおっ」
魔導石に詳しくないハルは、「へへへ、どっちも綺麗でしょ」と笑っている。
「せっかくだから、あんまり見ない色の方が良かったよね?」
「良かったけどぉおおおおおおおおおおお!」
「あのな、ハル。星紋は、珍しい石なんだ。しかもこんなに綺麗な筋、父上だって見たことない、かも」
「わー! 凄いねぇ!」
「凄いけどぉおおおおおおおおおおおおお!」
突っ伏して泣きわめくスロットを、ハルはにこにことして見ているだけだった。
「ほら、スロット、帰るぞ。いつまでもここにいたら世界の果てについてしまいそうだ。早くさっきの杖を頼む」
「う、う、う、分かったよ……」
スロットが立ち上がり、魔法を使おうとした時、カイトの服の裾をハルが掴んだ。
「ハル? しっかり掴まってろ」
「あのね、カイト。世界の果てって、どうなってるのかな」
それは見たい、知りたいという、彼女の気持ちの表れだった。
「見たやつは誰もいないよ」
一緒に見ようと言うわけにもいかず、カイトはそう告げるのが精一杯だった。
――見れるものなら、一緒に見てみたかったが。
「がっはっはっ! あお、砂鯨から! とったおか! はっはっはっは!」
ラミーはいたくご満悦の様子で、二人の石を指で突いたり、持ち上げたりしている。
「いーい石だあ。こいつから、立派な剣を造ってやおう」
「ありがとうございます!」
これで一安心だ――カイトとスロットは顔を見合わせて笑った。
「しかし、砂鯨をねえ……。しっえるか? ここらでもすごい騒ぎだったぞ」
「知り合いから聞きました」
「まさか、あれの遊泳に間に合うとはな。張ってたんだおう?」
「はい」
「ふふっ……すごいやつらだ。あおはまかせろ、立派なものを造ってやる」
「ありがとうございます」
ところで、とラミーは顔をしかめた。
「お嬢ちゃんあ?」
「は、はい?」
「一緒い行ったと、聞いたぞ」
「……」
ハルのことは喋っていない。
だが、ラミーは何処かでそれを聞きつけたのだろう、嘘をついたり黙っておくつもりは無かった。
「今は寝込んでいます。砂鯨との出会いが、きっと、刺激的すぎたのでしょう」
「そうあ。お大事に」
そう言って、カイトの手に小さな鈴を握らせた。
「……これは?」
「この前のリス、いたあろ? あれがな、しんだ。寿命だな」
「……」
「どうも、お嬢ちゃんに懐いていたおうに思えたもんで。こいつを、造った」
「……」
リスの核を加工した魔導石の鈴。
そこから魔法を引き出すことは彼女にはできないだろう。
しかし、それでも。
「必ず渡します」
「うむ、頼んだ」
――そうして、八日。
使者に呼び出された二人は、またもや上機嫌の彼女の前に立つことになった。
「あー、はっはっはん、来たわねぇっあっはっはっは」
「……」
これは、魔酔(まよ)っている。
魔酔いは頭痛、吐き気、目眩などを引き起こすが、たまにこうして『言動がおかしく』なることがあるのだ。
「もーちょーいい石だったからぁ、加工したりぃ、舐めたりしてるうちにぃ、楽しくなっちゃってえ!」
「舐めたの!? 舐めたのかよ!?」
「そしてぇ、こっちぃ。星紋のやつぅ」
差し出されたのは、あの赤い魔導石が柄頭に嵌まった、緩く弧を描く短剣であった。
「えっへっへ、きれぇ! 綺麗だねぇ、ねぇ」
「お、おう……」
「でね、でね、あんまりにも、美味しかったからあ、わたしの故郷の、剣の形にしちゃったあ。怒る?」
「お、お、怒らねぇよ!」
「そーうー? ふふふ、大事にしてねぇ」
「あ、はい……」
呆然とするスロットを無視して、「じゃあこっちぃ。二色の石のほう」と差し出された長剣をカイトは受け取る。
銀の鋼の刀身に走る青い透明な溝。そして握りに輝く、青と黄色の二色の石。
「あなたはぁ、石に手が触れてたほうがあ、いーかな? って、思ってぇ。こっちも、綺麗にぃ造ってみたのぉ。どぉ?」
「美しいです。ありがとうございます」
「やだぁ、ありがとお! わたしこそぉ、こんないー石、触れてぇ、良かったぁ!」
「舐めちゃったんだろ」
スロットは頭を抱えてそう詰め寄った。
「えへ、実はぁ、削った部分、食べちゃった」
「お、おう……」
それはこんな前後不覚の魔酔いもするかもしれない。
「えへへ、これで騎士試験も合格ぅ! 間違いなぁっし! やったー! やったねぇ」
「え、ええ」
「死なないでねぇ、若人。棺までは造ってやれないからねぇ」
「……」
二人は――騎士が行う、最大級の礼のように――剣を目の前に構えて、目を瞑った。
「鯨、綺麗だったんだよ」
手の中で鈴を転がしながら、ハルは呟く。
「また、見れたらいいのに。次、ローゼライトの近くに来るのは、二百年後なんだって」
リヴァレッド家の邸宅、その庭を整えながら、一人笑った。
「今は、どこら辺を泳いでるのかなぁ」
空を見上げる。
今日も、ローゼライトの空は青い。
「……?」
上空の高いところを、何かが飛んでいる。
多分、精霊だ。
だが、『見えているのに見えない』。
まるで、本当はそこにいないのに見えてしまう、陽炎のような。
「……」
それは『大きな鳥のように見えた』。
『このローゼライトを包んでしまえるような、大きな鳥のように見えた』。
「水晶鳥……」
ちりん、と鈴が鳴った。
ハルはぎくりとして、自分の手の中のそれを見る。
小さな鈴に、異常は無かった。
「……?」
――今、鈴が鳴る前、何を考えていたっけ?
「うーん?」
空を見上げてもそこに何かを見いだすことは出来なかった。
――ローゼライト消滅まで、残り1140日。