「殺意の咆哮」
(作者:River様)
「……」
少女が、いた。
深い森を貫く一本道。
蜘蛛の糸のようなその道の上に。
頼りない足下に、呆然とするように。
――彼女の瞳は、何処も見ていない。
「……」
しばし、眺めた。
さほど離れた位置に居るわけではないが、こちらの存在に気づいた様子は無い。
――まるで糸の切れた操り人形、あるいは……。
思考を乱暴に断つ。
「こんにちは」
声をかけた。
少女は勢いよくこちらを振り向き、顔を驚愕に歪める。
「――――ッ……ァ……!」
あまりの事に声が出ない、と言った様子だった。
しかしそこにははっきりと人間の色が浮かび上がり、先ほどまでの『人形』は既に何処にも見えない。
薄暗い森の中、細い道の上。
そこには今、どこにでもいそうな幼い少女しか居なかった。
「……こんにちは」
彼女はおずおずと返事を返す。
上質な服を着込んだ少女は、自分より五つ六つ年下のように思えた。
「えっと、あなたは、だあれ?」
もっともな疑問だ。
「僕の名前はカジ。冒険者です」
そう、偽った。
「ボウケンシャ――…………冒険者!」
少女は顔を輝かせた。
「冒険者ってあの、悪いひとをやっつけたり、困ってるひとを助けたりするっていう?」
随分な誇張だ、とカジは思った。
そんなんじゃないと飛び出しそうになった言葉を飲み込む。
少女の変わりように驚きながら、カジはなるべく嘘を悟られないように柔らかく微笑んだ――つもりだ。
今は仕事中故に、上手くできた自信は無かった。
「ええ、その冒険者です」
「すごーい! 私、冒険者さん見るのは初めて。思っていたより、ずっと素敵だわ」
「……うーん、それはどうも」
今度こそ上手く笑った。
苦笑いだったが。
「それで、冒険者さんは一体こんなところに何のご用なの?」
「今日は仕事で、この先のお屋敷に用がありまして。……もしかして、あなたは、お屋敷の娘さんでしょうか?」
「――はい。申し遅れました」
彼女はさっと表情を改め、スカートの裾を摘まんで丁寧に礼をした。
「ベルクマン家長女、キルシェと申します。以後、お見知りおきください」
その仕草に、カジは内心舌を巻く。
こんな片田舎であっても、さすがは領主の娘だ。気品がある。
「お屋敷にご用事ってことは、父様のお客様なの?」
すこし砕けた彼女に「そんなものですよ」と返す。
会いたいのは、領主だ。無論、依頼がらみの要件でここを訪れた。
彼女とここで会ったのは、偶然。もしくは『神の悪戯』だ。
「あの、キルシェはこんなところで何をしているんですか? いくら屋敷の近くといっても森の一人歩きは危険ですよ?」
カジの疑問に対して、キルシェは少しだけ逡巡する。
しかしそれもほんの少しの間で、彼女は静かに口を開いた。
「……探し物を、していたの」
「探し物?」
「うん」
少女は寂しげ、あるいは申し訳なさそうな様子で頷いた。
「大切なものをね、失くしちゃったの。多分、どこかに落としちゃったんだ」
キルシェは俯き、「……父様と母様から貰った、本当に大切な物だったのに」と声を小さくした。
今にも泣き出しそうな顔でそんな風に言われて、カジも表情を改める。
「そうだったんですね」
ここで依頼を優先して、泣き出しそうな少女を放り出すほど、カジは人間が出来ていない。
「……分かりました。まだ、約束の時間まで少し時間があります。その探し物、お手伝いしますよ」
「え?」
彼女は不思議そうに顔を上げた。
「でも、いいの?」
「まかせてください。冒険者は探し物に慣れているんですよ」
彼女は小さく「え、あの……」と呟いていたが、やがてぱっと表情を明るくさせて「よろしく、お願いします!」と言った。
――こうして、カジは彼女の探し物を探す事になったのだ。
「それで探し物というのはどんなものなんです?」
例えば、カジの身の回りでの探し物と言えば、十字架、羽根ペン、コップ、財布――全部同じ部屋に寝泊まりしているエリックの落とし物で探し物じゃないかと内心毒づく。
「えっと、それは……、」
長い思考の後、彼女は「よく、分からないの」と告げた。
「分からない?」
「うん。でも、大切なものなの」
「よく分からないのに?」
「おかしな事を言っているのは分かっているの」
彼女は「ごめんなさい」とまた泣きそうな顔になる。
探し物が分からない。分からないものを探している。
まるで哲学だ、カジは思った。
――しかし、そんな不確かな何かを、自分も探していたような気がする。
「……謝る必要なんてありません」
眉間をもんで、記憶の想起を鎮めた。
「探し物が分からないというのは難しい問題ですが……きっと、来るべき時が来たら分かるものなんでしょう」
その来るべきときというのは、自分から歩み寄らなければ近づいてこないものだということを知っていた。
『自分がそうであったように』。
「さあ、早くしないと日が暮れます。探し物、探しに行かなければ」
「……うん!」
さて、とカジは歩みを進める。
――そう、遠いところにはない、はずだ。
これは勘であり、確信でもあった。
やって来たのは、人の手が加えられていない天然の花園だった。
咲き誇るのは野花であり、冒険者にとっては見慣れた物ばかりだった。
野を抜けていく風が心地良い。
カジの頬を撫でる風は花の香りを孕んでいた。
「良い場所でしょう?」
ふむ、とカジは頷く。
「はい。此処にはよく来るんですか?」
「ええ。お気に入りの場所なの」
キルシェは花々の間を縫うようにして目的のものを探し始めた。
よく来る場所であるなら探し物がここにある公算は十分高いと言えるだろう。
(さて、僕も探さなければ)
何を探せば良いのかも分からないまま、探し物をするという難しさ。
それでもなんとか、カジはそれらしきものを探し出す事に成功した。
「キルシェ。それらしきものがありましたよ」
「ほんとう? どれ、見せて見せて?」
彼女は興味津々でカジに近づいてきた。
「これです」
カジが花畑に広げたのは、綺麗な石、スコップ、貝殻、朽ちた鍵という、全く統一感のないものであった。
キルシェは首をかしげながら「うーん、どうかしら……」と眉間に皺を寄せている。
では、とカジが追加で差し出したのは、おふだ、鉄アレイ、仮面だった。
「い、いっぱい見つけてくれたのね……」
「まだあります」
よっこいしょというかけ声で、背中に隠していた巨大な石棺を『ずどん』と下ろすと、キルシェはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「どうですか? この中に探し物があるでしょうか」
「う、うーん」
この反応は、おそらく『違う』のだろう。
本物に、かすってもいない――それを、カジは悟った。
「この中にはないかなあ。というか、こんなによく見つけたね、特に最後の大物……」
「あちらに転がっていました。寂しそうな表情をしていたので、これかなあと」
「待って、石棺(これ)に表情? ねえ、な、何が見えてるの?」
「え? ほら、ここですよ。ここの顔がこう、寂しそうに歪んで――」
「待って! やっぱりいい! 聞かない! 怖い!」
「むう、残念です」
わりと真面目な顔でカジは告げた。
「う、うん、残念だね……」
彼女は苦笑いしていたが、「あ、そうだ!」と声を明るくする。
「あのね、私、ひとつだけ思い出したの。私が失くしたものは、そんなに珍しいものでは無かった気がするの」
「珍しくないもの、ですか」
あえて、繰り返す。
「……ここらへんにはないみたい」
「ええ。一度元の場所に戻りましょう」
「――ッ!」足を踏ん張る。「……随分、風が強いですね」
次に訪れたのは、そんな場所であった。
「地形のせいで、この辺に風が集まりやすいんだって。昼と夜とで風向きが違うのよ。父様が言っていたわ」
キルシェの小さな身体も吹き飛ばされてしまいそうだ。
「……御父上は博識なんですね」
「うん。父様はね、とっても勉強熱心なの。ご本もいっぱい読んでいるし、最近ではお屋敷に学者の先生を招くこともあるくらいよ」
「学者の先生?」
「うん。賢者の塔のひと」
「――ふむ」
カジにとって、賢者の塔は相性が悪い相手だ。
だからこそか、カジは今の話にきな臭さを感じずにはいられなかった。
――風が、強い。
ともすれば、全てもっていかれてしまいそうなほどに。
「……あ! またひとつ、思い出したことがあるの。確か私が失くしたものはお店では売っていないものだった気がするの」
「販売物ではない、ですか」
まだ全貌が見えない。
「どうして思い出せないんだろう……」
「いいんですよ、時間はまだあります。ゆっくり思い出してください」
「……うん、ありがと」
彼女は少しだけ笑った。
「冒険者さんって、優しいのね」
「僕が優しい、ですって?」
――そんなわけ、あるはずがない。
カジは緩く笑いながら、しかし内では全てを否定する。
キルシェは不思議そうにカジを見ていた。
結局、ここでも彼女の探し物を見つける事は出来なかった。
「結構深くまで入るんですね」
まだ正体分からぬ探し物を探して、森の奥へ奥へと入ってきた。
彼女は勝手知ったると言った様子でずんずんと進んでしまうのだ。
「この辺へは木苺を取りに来るの。ジャムにするとおいしいのよ」
「あなたが作るんですか?」
「ええ。意外かしら?」
「まあ、そうですね……領主の娘らしからぬといいますか……」
「……家庭的な女性はタイプではなかったかしら?」
こちらにウインクしながら、悪戯な笑みを浮かべている(つもりの)少女。
カジはそれに、強い既視感を覚えた。
――家庭的な女、カジは好き?
あの時、自分はなんと答えたか。
――好きですよ。あなたは、いい奥さんになるでしょうね。いい旦那さんを見つけてくださいね、ディエ。
そう、言わなかっただろうか?
彼女が亡くなって、もう何ヶ月もたつのか――
「冒険者さん?」
「ああ、いいえ。何でも無いんです。……っと、それでは、この辺も探してみることにしましょう」
枯れ葉をかき分け、カジはまだ見ぬ探し物を探し始める。
だが、木苺一つ見つけられなかった。
「何も見つけられないわ……」
「ええ。場所を移した方が良さそうですね」
カジは土に汚れた己のコートを払う。
「あの、キルシェ。探しているものについて、他に思い出せた事は無いでしょうか?」
「ううーん……」
「例えば、形、重さ、大きさ。あとは……そう、色とか」
「あ!」
カジの言葉を受け、キルシェは声を上げた。
「そう、色! 色は確か、白かった気がするわ!」
「……白」
それらしきものは、この深い森の色の中で見つける事は出来なかった。
「だめだ……見つからない……」
彼女は落胆の色を見せた。
二人は出会った場所に戻ってきていた。
謎の探し物を探し始めて早くも二時間が経過している。少女の精神力と体力も限界なのだろう。
「どうして? 大事なものなのに。どうして見つからないの?」
焦燥が彼女の身体を押し潰しそうだ。
「どうして私は、それが何なのかも分からないの?」
どうしてと何度も呟くキルシェの声は、もはや涙声となりつつあった。
「……」
カジはただ、泣き崩れる彼女を眺めるしかできなかった。
(これは……悪夢だ)
聖書の一文が、罪人の嘆きが、カジの頭によぎる。
(見つからない失くし物を探し続ける煉獄。自分が何を失くしたかすら分からないという無明)
――彼女の探し物は、いったいなんだ?
手がかりは、もう揃っている。
目を逸らしてきただけだ。
(ああ、それは確かに珍しいものではない。誰かから買えるものでも、ない)
少女は泣き続けている。冷たい雨が降り続くように。
蜘蛛の糸のような道の真ん中、動けずに居る。
(なんて悪いユメ――彼女にとって、そして……)
そこで、思考を止めた。
――そもそも、偽ったのだ。
最初から探し物なんてしてはいなかった。
彼女のソレに付き合っただけだ。
偽ったのだ。
彼女も、自分も。
答えはずっと前から――出会った時から知っていた。
探し物は何か、どこにあるのか。
分かっているのだ。
知りながら、知らないふりをした。
だからこれは悪夢ではない。
これは現実であり、彼女のユメであり――
(……僕は、彼女にとっての悪魔なのだから)
さあ、答え合わせをしよう。目的を果たすのだ。
カジはソレを拾い上げる。
「……っ……ス、コップ? それって、さっきの……」
「……」
花畑で見つけたものだ。
好都合だと、思っていた。
でなければ、剣をつかう羽目になっただろうから。
「……あの……冒険者、さん……?」
「キルシェ」
強く、名前を呼ぶ。
「……少しだけ、下がっていてもらえますか?」
「……? う、うん……」
キルシェはカジの様子の変化に戸惑っているようだった。
彼女は道の脇に避けた後、カジは慎重に道を歩く。
一歩、一歩――感覚を研ぎ澄ませて。
「……ここか」
『分かっていた』。
確信を持って、スコップを地面に突き刺した。
そこはキルシェがカジと初めて会った時に立っていた場所。
『分かっていた』。
カジは機械的に地面を掘り進める。
無感情に。考えないようにして。
己の感情を殺すのには、もう、慣れすぎていた。
「……!」
何か固いものに触れた感触。
スコップが進む先、ソレは、やはりそこに在った。
カジは穴にしゃがみ込み、ソレを手にする。
「……なるほど」
目を細め、カジは問う。
「最後のヒント――確か、無くした物の色は白、でしたね」
「そ……それは……」
彼女は震えながら、カジの手の中にあるそれを覗き込んだ。
ソレ、は小さな『白い』頭蓋骨であった。
子供の、それはちょうど――
「――私、の……?」
探し物、その答え。
カジの手の中に収まる、小さな、白い、子供の。
「あ、アアア、アアアアアアアアアアアアアア!」
空間を切り裂く慟哭。
それは森の中にこだまし、静かだった森を波立たせる。
「思い、出した。全部、思い出した! 失くしたもの、そうだ、なんで私、忘れて……!!」
がたがたと震える少女の、その、表情が、カジの目に焼き付いた。
「父様、母様から貰った、大切な、大切ナ、大切、な……私の……、からダ……」
絶望というには余るほどの、深い闇。
「――ハ、ハハハ、ジャア、わたしの失くした物って――わたしの――イノチ――」
カジの赤い瞳が、『答え』を得て実体を保てなくなった彼女を見つめていた。
「ソウダ、父様――父様にわたしは」
崩れそうな――否、変貌しそうな少女の姿。
「ヤ――やめて、許して! 父様、トウサマ、痛い!! 誰か誰かダレカ助けテ痛いの痛い苦しいトウサマ赦して!!」
ぐらぐらと煮えた闇。甲高い絶叫。そして、すがりつくための、ほんの小さな光。
「イタイノは嫌ッ――!! クルシイのも嫌ッ――!! 死ぬのは怖くてコワクテコワクテ助けテ、冒険者さ――」
その光に、少女は手を伸ばす。
すでに、ヒトでは無い貌で。
「死にたくないシニタクナイイタイユルシテアアアヤメテヤメテわたしをわたし殺さないでころさないでころさないでイイコにシマスワタシとうさまイタイのイタイノハ嫌嫌嫌嫌アアあぁっ!!!」
「――ッ!!」
耐え切れず、カジはキルシェの頭蓋骨――彼女の魂を縛る楔――を踏み砕いた。
「ぁ……」
声にならない声を上げて、あまりにあっけなく、キルシェの霊は消滅した。
「……」
からり、足で頭蓋骨だったものを避ける。
「……クソッタレ」
大勢の聖北騎士の先頭で、見知った異端審問官がこちらに親しげな表情を見せている。
「おつかれさまです、カジさん。見事な手際でした」
カジはそれと目を合わせない。
「先ほど結界の破壊を確認しました。ここから先は、我々の仕事です。報酬は所属する教会へ届けさせます」
「ええ」
素っ気なく返す。
――こちらから親しくするつもりはさらさら無かった。
「……それにしても、自分の子を殺して結界の礎にするとは。死霊術師という輩には本当に虫唾が走りますね」
「……」
表情に何か出ていたのだろうか、異端審問官は言葉を続けた。
「……あの子供に関してあなたが気に病むことはありませんよ。哀れではありますが、悪いのは邪悪な死霊術士――異端者ベルクマン卿です。あなたは、正しいことをした」
この異端審問官はカジを知っているし、カジもまたこの女を知っていた。
カジは、そういう、聖職者だ。冒険者では無い。
聖北教会の狗――その今回の仕事は、死霊術に手を染めた領主が領民を脅かしている、というものだった。
しかし領主の館への道は結界で塞がれていた。
死霊術による結界。死者の魂を糧とし稼働する防護障壁。その術を解呪することが、今回カジに課せられた使命だった。
「……僕の仕事は、結界の防護機構を破壊する事でしたね?」
「ええ、それが何か? ――ああ、何故あなたに頼んだか、疑問に思われているのですね?」
女は口元を隠した。笑っているのか。
「子供の霊一匹ごとき、簡単に祓ってしまえばいい、と。しかし、あの結界の礎になっていた霊は邪なる術の規則に則らなければ消滅しない物でした。制約により力を宿すというのはあの手の術では珍しくない。ですがね、我々はあれと言葉を交わすわけには 行 か なかった。あれは邪悪な術に縛られた霊でしたから」
ぴくり、我知らず指が動いた。
「ほら、聖なる加護を約束された我々が汚染されては困るでしょう? おかげであなたとあなたの教会に大層な報酬を支払う羽目になりましたが」
「――はっ。何人もの人間を斬った、異端殺しの僕なら良い、ということですか?」
「ええ、まあそういうことになりますか」
「そう、ですか。いいえ……別に、今更ですね」
カジは嗤ったつもりだった。
だというのに、異端審問官の女は「そ、そんな目で見ないでください」と震え上がった。
――今、自分はどんな顔をしている?
「異端審問官殿。――死霊術士ベルクマン卿の討伐、僕ひとりに任せてくれませんか?」
「は? いったい何を――」
「責任感でも、罪悪感でも無い。ただ、これは――」
カジの言葉は、冷たい風に煽られて立ち消えた。
だが、女にだけは聞き取れたのだろう。彼女は戦慄した。
恐怖が、形を成して女の脳天に突き刺さったかのようだ。
「わ、分かりました。討伐兵は屋敷の包囲に回すとしましょう」
彼女は圧倒された様子で、カジの言い分を飲んだ。
ばたばたと聖北の騎士達が屋敷に向かい、最後に残った異端審問官は震えながらカジに向き合った。
「……どうか、あなたに、神のご加護があらんことを」
「はっ――言っていろ」
さっさと行けと追い払う。
「……」
一人残った森の静かさと言ったら。
まるで、悪夢の中のようではないか。
カジは道の先を静かに見据えた。
(この先には、保身のために自らの娘を手にかけた外道が一匹。そしてここには、自らの目的のために少女のユメを壊した悪魔が一匹)
腰につるした剣を意識する。
「――天秤は釣り合っている」
そして、カジは天に向かって高らかに、殺意の咆哮を打ち上げた。
聖北騎士に包囲されながら、しかしその屋敷は静かであった。
「本当に行くのですか?」
異端審問官の声。
それに、扉を足で蹴り破る事で答えとした。
豪奢な扉は歪な音を奏でて内側に倒れ込む。
――屋敷の中は、やたら、『臭った』。
「時間をかけるつもりは無い。そっちも同じだろう?」
わざと靴を慣らしながら、カジは死霊術士の屋敷を蹂躙する。
広間、書斎、食堂、寝室、子供部屋――
何処も酷い臭いだ。
くらくらする。
行く先々で剣を振るい、備品や調度品、書類を切り裂いた。
挑発が半分。ただの怒りが半分。
それでも件の死霊術士は姿を見せなかった。
残る場所は――ただ一つ。
子供部屋の窓を肘で破り、反動をつけて屋根に上がる。
そこに、それは居た。
大きな筆で屋根に魔方陣を描く男の姿。
――これが、死霊術士であり、領主であり、彼女の父であった、ベルクマンか。
黒い煉瓦に落ちる、赤い、赤い、液体。
その嗅ぎ慣れた臭いに、顔をしかめる。
「おお……来たか、無礼者」
男はこちらを見ようともせず、しかしにやりと笑った。
「よくもまあ、あの結界を解いた。その蛮勇、認めるしかなかろう」
「……」
眉間を揉む。
「言いたい事はそれだけか?」
「他に何か?」
「――いいや。期待していたわけじゃ、ない」
切っ先を向ける。
「楽に殺してやるつもりは無い」
「何故、そのように猛る? 私が、一体お前に何をした? お前が、聖北の使徒だからか?」
「――本当に分からないのかッ!!」
もはや、何を期待しているというのか、この穢れた死霊術士に。
カジは屋根を蹴った。
屋根を踏み荒らしながら、まっすぐにベルクマンへと突っ込む。
「その蛮勇、結構! お前の首、新たな礎にしてくれよう!」
血の臭いが強くなる。
ぶちまけられた赤い血が、魔力を帯びて重く輝いた。
――分かっていた事だ。
カジはその身に法力を宿す。
身に絡みつく穢れた力を弾きながら、カジは剣をベルクマンに叩き落とした。
だがそれは、ベルクマンが持っていた筆に防がれる。
「……!?」
否、ただの筆では無い。
それは一瞬にして巨大な杖に転身し、莫大な魔力を宿す。
ベルクマンの力の源――それをはっきりと感じ取った。
「はあぁっ!」
まるで暴風のような力で、カジの身は宙に投げ出された。
「ちぃっ!」
空中で体制を整え、着地と同時に跳ねる。
止まっていては、この魔方陣の効果に飲み込まれそうだ。
飲み込まれしまえば、『彼女』と同じ目にあうのは火を見るより明らかだ。
精神の尽きるまで、全身に法力を張り巡らせなければならない。
「うおおおおおおっ!」
吼える。
剣に乗った聖なる力が、ベルクマンを襲う。
相手はカジほどの武人では無い。
しかし、屋敷の屋根に刻まれた魔方陣の効力、そして屋敷の柱に埋め込まれた『人柱』から吸い上げている暗い魔力が、ベルクマンの行動の全てを補助していた。
この場所で戦う以上、カジは不利である。
しかし――あの花園を、木苺の自生地を、風の強い崖を。
それらを穢されることなく、ここで倒す。
己が心にあの風景を焼き付けて、カジは死霊術士に迫った。
「あの子がどんな顔をしていたか分かっているのか!? 死にたくないと、怖いと、どんな顔してお前に赦しを願ったか、分かっているのか!?」
遠雷に似た音。
カジの身を包む法力が、雷光となっていた。
「分からないだろうなぁああああああ!」
言葉の最後は咆哮となり、地より立ち上がる雷が屋敷を割った。
「お前を、楽に、殺すつもりは、ない!!」
落雷の森にいながら、しかし死霊術士は笑っていた。
「娘に入れ込んだか。愚か者め。聖北の使徒は、お優しい事だ」
「――僕が、優しい、だと? 違う。違う!」
カジの赤い瞳が、殺意に見開かれる。
「この身は神の僕、そこに優しさなど――ない!」
ベルクマンの高い哄笑。
「気に入った! やはり、死んであの娘と同じ役目にしてくれるわ! それで、満足であろうよ」
杖が振られる。
宙に顕現する、四本の剣。
それひとつひとつが、高密度の魔力の塊だ。
とても身を覆っている法力だけでは防げそうに無い。
「まずは目、次に腕、次は足だ! 一つずつ、もらい受ける!」
四本それぞれが隼のように、軌道を変えてカジへと突っ込んできた。
それを――避けない。
「――――ッ!!!!」
痛みの絶叫をかみ殺す。
魔法の矢を打ち込まれた時のような痛みが、全身を襲った。
だが、倒れない。
目も、腕も、足も、全て急所を外した。
動ける。それだけで、いい。
カジは血まみれの身体で、走り出した。
「ふん、やはり蛮勇。そんなことでは――何?」
次の剣は飛んでこなかった。
カジは、嗤う。
己の身体から流れた血が、『先の魔方陣を上書きしていた』。
カジは魔法に明るくは無い。ただ、魔方陣がどれだけ繊細な物かは、経験で理解していた。
もう、終わりに出来る。
「ああああああああああっ!!」
魔方陣の補助を失った死霊術士の杖は、カジの剣を受け止められる事が出来ず、あっさりとへし折れた。
カジは鋭くベルクマンの身体に剣をたたき込み、腹に剣を突き刺して引きずり倒す。
丁寧にその頭を踏みつけながら、カジは問うた。
「楽に殺さない――そう、何度も言ったはずだな?」
ベルクマンの腹に刺さった剣を『回しながら』、そう告げた。
「血まみれじゃないですか!」
下に待機していた異端審問官の女は驚き、しかしカジがあまり痛がっていないのを不思議に思ったようだった。
「返り血ですよ。そんなに驚く事じゃないです」
偽った。
――自分の異端をここで説明する必要は無い。
「では、報酬は上乗せして、教会までよろしくお願いします」
「は、はあ。あなたは、何処へ」
「寄り道します。――さっさと行ってください」
もう遠慮無く強い言葉を浴びせて、カジは一人森に潜った。
――ああ、疲れた。
あの花園は、今までの出来事など意に介さず、静かに香っていた。
「……ここでいいですよね」
カジは『白い』それを、己が踏み壊したそれを、花園に蒔いた。
そして、謳う。
別れの歌を。
弔いの歌を。
鎮魂の歌を、ただ、一心に。
長く。長く――
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あとがき。
聖歌隊終了後、直後辺りの話。
作者であるRiverさんのお誕生日に合わせて公開したものですが、
私はもともとこの話をかきたくてたまりませんでした。
カジは冒険者ではなく、聖北の暗部を担う聖職者です。
異端審問官の台詞は強力な皮肉でした。
これは若カジで書かねば! と、思っていたのです。
Riverさんお誕生日おめでとうございました。
そして素敵なシナリオをありがとうございました!