※注意※
【この物語の主人公】
ザイン。大人・男性・豪傑型・吸血鬼。
リューンに定宿を持つ冒険者。
自らが吸血鬼であることは仲間は知っている。
吸血鬼たる自分に誇りを持ち、とあるパーティのまとめ役。
口が達者でやや乱暴な物言いをするが、根は真面目。
「……」
夜は深く、宿の亭主が片付けをする以外の音は排されていた。
それももうじき終わる。
もうここには居られない。
「これ、ありがとう」
平静を装い、杯を返した。
「おう。おやすみ。夜更しも程ほどにしろよ」
「ああ」
「ゆっくり眠るからこそ、朝がありがたいんだからな」
「分かってるって」
そう答えた。
だが――
朝は、嫌いだ。
この身を暴く、生の陽。
いつか、指を指され、剣を刺され、胸に杭を受けるのだろうと思わせるには十分な光だ。
「親父」
「ん?」
皿を磨いている亭主が振り返ったが、ザインは「親父もほどほどにな」と告げて席を後にした。
何を言いたかったのか、自分でも分からなかった。
次の日の仲間が受けてきた依頼を、ザインは体調不良を理由に断った。
彼の不参加を惜しむ声や、不調を怪しむ声があったが、それにもやんわり対応する。
――この問題に巻き込む気はさらさら無かった。
嘘を吐くのは、嫌いじゃない。
それが誰かを守るためなら尚更だ。
「ふん……」
世界は愚かにも晴天で、ザインは日陰でリューンの人混みを眺めていた。
頑丈なひさしの下に陣取って、背中を壁に預ける。
前以外から攻撃されることは無いだろう。
「相手も馬鹿じゃない、よな……」
白昼堂々襲ってくるわけもなく。
しかし、ザインは確認せずには要られなかった。
いつ、ヤツが動くのか。
そして、ヤツを"守った化物"とやらの意図。
――ヤツが来なくても、"化物"だけが来る可能性もあるのだ。
「……」
全てを図りかねていた。
天秤の受け皿に疑問と釣り合うだけの答えを乗せられない。
誰にも頼れない――頼らない――以上、信じられるのは自分だけだ。
日陰を選び、ザインは移動する。
陽の中にあって、あえて闇を選ぶ。
しかし、不自然にならない程度に。今日は日差しが眩しいからと言い訳が出来る程度に。
――期限は、仲間が馬車護衛の依頼から帰ってくる、三日後。
それまでに決着をつける覚悟と焦りがあった。
逃げは許されない。
せっかく手に入れた居場所を、奪われるわけにはいかない。
ザインは道すがら、リューンの大聖堂を睨んだ。
おそらく、ここがヤツ"ら"の根城だろう。
こちらから出向いてやる義理も無いが、それでも一言言ってやりたい気分だ。
――俺が、お前に何をしたのか、と。
「くっだらねぇ」
誰にともなく毒づき、再び歩き出す。
たっぷり時間をかけてリューンを歩いたが、件の"猟犬"は現れなかった。
一度休んで、今日もまた月の下を歩こう――そこで仕掛けてくるに違いない。
そう思い、宿に戻る。
そして扉を開けるなり、派手に舌打ちした。
「おう、ザイン」
その宿の亭主の軽い挨拶に。
カウンターに輝く銀色に。
――『馬鹿だった』か。
「お前に客だぞ」
「知ってる」
ザインは銀色を睨み、「親父、ボトルをくれ。部屋で飲む」と銀貨を投げた。
「おいおい、失礼なことをするなよ。この人は聖北教会の――」
「知ってるっての。なぁ?」
わざとらしく、声を潜める。
銀色は、ようやく視線をザインに向けた。
照明の下、かすかに赤を帯びた鳶色の瞳が、意外にも穏やかにザインを見つめる。
「すみませんね、わざわざ」
「こちらこそ、どうもわざわざ」
『居場所』を知られているのは昨夜で分かっていた。
だが、そこに飛び込んでくるとはなかなかの馬鹿だ。
――竜の仔を屠るには、竜の巣に入り込まなければならないとでも言うのだろうか?
「上だぜ」
階段を上がり、自室に招き入れる。
男はまったくの無防備に『見えた』。
「どうぞ、聖北さん」
「そのように畏まらなくてもよろしいですよ、ザイン、さん?」
「ふん」
部屋に通す。
殆ど戻らない住処だ。生活感はなく、戦利品や装備が無造作に積まれているだけの部屋であった。
「それで? いまさら物的証拠でも探してんのか?」
鼻で笑うと、銀色の男は肩を竦めた。
「まさか」
「じゃあ――脅迫か?」
従わなければその身の秘密を宿中にばらす、とか。
「まさか」
男は繰り返すだけだった。
「……酒、飲めるか?」
「ええ」
「いいご身分だな」
ザインは適当に荷物の中から杯を取り出して、男に放った。
「親父の酒だ。何も入ってねぇぞ」
「聖北の使徒に毒が利くとでも」
「違いねぇ」
相手に質素な椅子を勧め、ザイン自身は荷物を適当に積んで座った。
爪でついとコルクを弾き、先に注いでやる。
「酌み交わすに必要なものがあると思うんだがな、俺は」
「ああ――クラウスです。そう、他人は呼びます」
「はあ。……こっちはいいだろ」
「ええ」
男は躊躇いなく杯に口をつけたので、ザインも口をつける。
安い味がした。
「美味しいですね」
「はぁ? これが?」
「ええ」
いつもどんな不味い酒を飲んでいるのか、他人事ながら不安になる。
「……」
赤紫の液体を喉に流し込みながら、しかし油断なく、ザインはクラウスと名乗った銀色の聖北の使徒を眺めた。
鍛えられた肉体は、ザインが下手な動きを見せれば直に動けるように緊張している。
瞳は鋭く、しかし殺気は無い。
昨日ザインを傷つけた剣はその腰にある。
「ん――」
「どうしました」
クラウスはほんの少し、視線を杯からザインへと上げた。
「怪我は」
「おかしなことを聞くんですね」
喉の奥で彼は笑った。
静かに。
「神の御業は等しく人に注がれます。――そう、人には、ね」
「鼻につく言い方しやがって」
彼らを守護するモノの力は並大抵のものではない。
例えば聖なる力であったり、恐れを知らない精神であったり、社会を統括する権力であったり。
とにかく、敵に回したくないのは吸血鬼に限らず、冒険者の共通認識であろう。
「んじゃあ、さっさとその御業で俺を何とかしたらどうなんだ」
「こんなところで?」
クラウスは目を細くした。
「馬鹿なことを言いますね、貴方ほどの者が。困るのはそちらでしょう?」
「ふん。お互い様、だろ? お前だって、ここで暴れたとなりゃ例え聖北サマだろうと庇いきれねぇだろうよ」
「そこはそれ、貴方の正体を公にするだけでいい。正義は私に味方する」
「じゃあ――何故だ?」
「嫌いなんですよ、吸血鬼」
その傷だらけの手が、杯を壊さんばかりに握り締める。
「滅さずにはいられないほどにね」
「……」
「しかし、人の身から外れた行いはするべきではない。同属にはなりたくないのでね」
「はっ」
ザインは思わず、牙を剥く。
――昨夜の"挑発"は、その銀色に違わない純粋な殺意だったというわけか。
「気に入った」
次は、確実に殺さなければ。
そう思うに十分な男であった。
「昨日の場所でいいか」
「ええ。問題ありません」
「邪魔が入るのだけは勘弁して欲しいんだがな」
「っ……」
そして、クラウスの表情はたちまち苦いものに変わる。
「――アレにはよく言い聞かせるとしましょう。所詮、化物なのですから」
「それは……」
しかし、その続きを口に出すことは叶わなかった。
「……!」
ザインは、自分に向けられた鋭い殺気に振り向いた。
そして、出会う。
超高速で飛来する、その赫に。
「ちぃっ!!」
叫ぶより早く、ザインの反射はそれを避けていた。
大音量の破壊音で窓を突き破り、床にぶちまけられたのは、やはり馴染み深いものであった。
「血――昨日のか!」
窓から射線が通らない場所に飛び込む。
飛来した赫は、既に跡形もなく蒸発していた。
「おい! あいつ、仲間じゃねぇのか!?」
思わずクラウスに叫ぶ。
彼は唖然としていたが、やがて我を取り戻したかのように「止めろ!」と叫んだ。
それはもはや絶叫に近い。
「手を出すなと言った、その意味が分からないのか!?」
その声に応える者は無い。
「お、おい……」
「……」
長い沈黙の後、クラウスは深く深く溜息を吐き「月が中天にかかる時刻に待っている」と身を翻した。
「すまない」
その悲痛な謝罪を、見送った。
「おい、窓くらいどうにかできねぇのかよ、その神サマの御業ってやつでよ……」
ずいぶん風どおりがよくなった部屋を見回す。
「ったく、あいつ酒をすっかり飲んでいきやがって……」
クラウスが使っていた杯が転がっているのを、悪態をつきながら拾い上げる。
と――
「……ん?」
違和感を感じた。
吸血鬼たる自分の鋭い嗅覚が、それをはっきりと捕らえていた。
「……匂い。そうだ、これは」
『同属』の匂いが微かにしていた。
「おい、先ほどの聖北教会の方が、部屋の修繕費とかいいあそばして大量の銀貨を置いていったんだがお前様何をしやがりましたか?」
「親父口調っ、口調! 変になってるから!」
「い、いや……こんなに大量の銀貨を貰うなんてめったにないからな……思わず、声が裏返ってしまった」
「声だけじゃねぇだろ……にしても」
ちらりとその『大量の銀貨』を見る。
部屋一つにしては、多すぎるくらいだろう。
「しやがりましたかと聞かれれば――まあ、ちょっと、な。わりぃな。今夜は俺帰らねぇから、わりぃんだけど少し直しておいてくれ」
「あ? 出かけるのか?」
「まあ、ちょっと、な」
ザインは繰り返し、少しだけ笑む。
「行ってくる」
「ああ――気をつけろよ」
それには手を上げて答えた。
宿を出る。
冷たい風が、まだ丸い月の下を流れていた。
しかし、その姿はまだ見えたばかり。
――食事をしていこうか。
最期の晩餐にするつもりは無い。だが、親父の顔を見ているのも、違う気がした。
何処かで――そう、何なら路上でもいい。
この身は吸血鬼として、人と決着をつけんとする者なのだから。
「なんて、な」
自嘲し、レアのステーキを出してくれる店へ向かう。
塩さえあればいい。胡椒は時に味を害する。
裏路地に入る。
常連というわけではないが、それなりに足を向けたことのある店だ。
店主がザインの顔を覚えているかは微妙なところだが。
塗装の剥げた扉を押し開ける。
いらっしゃいなどと気の利いた出迎えは無い。
店主がこちらをちらりと確認する為に顔を出しただけだ。
適当にカウンターの左端に座る。
「……」
反対側の端には見たことの無い客が座っていた。
マリーゴールドの色をした長い髪と、大海のような瞳の少女。
彼女は『一生懸命』といったようすで、大きなステーキに齧り付いていた。
皿に滴る異常に赤い色が、その焼き加減が限りなく生――ブルーと呼ばれるものであることを証明している。
「おっさん、俺も彼女と同じものを」
その声に反応を見せたのは少女のほうであった。
「……」
息を殺して、ザインを見つめる瞳には、異常な緊迫感があった。
「遠慮なく食えよ。とって食いやしねぇ」
そう告げたものの、少女はザインを凝視したまま、呼吸すら止めたようだった。
わざとらしく大きく溜息を吐き、ザインは無言のままに差し出されたその皿を受け取った。
表面を少々焼いただけの、まだ生々しい血の匂いのする肉の塊。
ナイフを入れれば、艶やかな赤が彼の衝動を刺激する。
皿に落ちた血ですら、舐めとるようにして胃を満たしたい――
「……」
それでも冷静でいられたのは、少女がまだこちらを見つめているからだろう。
「やらねぇよ」
「いりません」
即答が帰ってきた。
「んじゃお前も自分の食えよ」
「……」
少女はちらりと自分の皿を見て、「もういいのです」と声を小さくした。
皿の上には、丁度半分だけ肉が残されている。
それどころか、付け合せの芋も人参もパンも丁度半分だ。
「ふん」
ザインは意地悪く笑う。
「中途半端は嫌われるぜ」
「……っ!」
刹那、小さいながらも鋭い殺気がザインを刺した。
「おっと」
ナイフとフォークを持ったまま、両手を挙げる。
「ここでおっぱじめる気はねぇよ」
「何故……気づきましたか?」
「それは白状したようなもんだぞ、おチビちゃん」
彼女はじっとザインを見つめる。
その右目が、赫色に変化していた。
「匂いがな」
ザインは自らの鼻をフォークで指し示す。
「『同属』にしちゃあ薄すぎる。だが、人間はそんな匂いを持っちゃいねぇ――となれば、お前はそう、半端者(ダンピール)だ」
「……」
彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
「ふん」
その表情が気に入らず、ザインは食事に戻る。
「大方――クラウスの連れ、だろう」
「……!」
「図星か?」
からからと笑った吸血鬼に、半端者は再び不快感を見せた。
「お前は半端なくせに気配が強すぎる。だから、狙撃を選んだんだろ?」
「……これだから吸血鬼は、性質が悪い」
少女は吐き捨てるように呟いた。
「この世にあってはならない、不浄な者よ」
「おいおい、お前がそれを言うのか?」
「うるさい。吸血鬼など――穢れた血めっ!」
「……ふうん」
ザインは瞳を彼女に向ける。
最大限の敵意を見せて。
「俺は吸血鬼。己を欺き、人を欺き、時に死すら欺いてきたが、魂まで欺いたつもりはねぇ。俺は、誇り高き夜の者。半端者にどうこういう資格は――ない」
「……!」
少女は一瞬脅えを見せたが、しかし毅然とザインを睨み返してきた。
「そんなもの……神の前には、意味の無い誇りです」
「はっ……。なるほどな」
ダンピールはその生まれから人間に組し吸血鬼を憎むと聞くが、まさに目の前に実物が現れたということだろう。
「だからクラウスと組んでるのか?」
「組む? 何を馬鹿な……。クラウスは、聖なる使徒。私と組むわけ無いでしょう」
少女は俯いた。
それが、ザインには悲しみに満たされているような気がしてならない。
「私は、卑しい『吸血鬼殺し』なのだから」
「じゃあ何故昨日あいつを助けた。俺のことを見ていたんだろう」
「彼は神より吸血鬼を抹殺することを命じられた者。それを助けるのは、私の義務」
「……ふうん」
これは筋金入りの堅物だ。
ザインはそう思いながら、最後の肉を口に入れた。
「まあ、お前が人間だっつーなら俺だって咎めたりしねぇんだけどな」
「私は――」
「その顔だ」
ザインはナイフの切っ先を突きつけた。
このまま彼が本気を出せば、彼女などものの数秒で殺されてしまうだろう。
「半端者」
彼女は今度こそ恐怖に顔を歪め、身を小さくした。
「――まあ、いい。クラウスが俺を殺そうとしてるってことは、お前も俺を殺そうとしているってことだろ? 決着は後でつけようぜ……全部、まとめてな」
手で追い払う仕草をすると、彼女は顔を真っ赤にしてその店から飛び出していった。
反動で激しく揺れる扉に店主が舌打ちするのが聞こえた。
「食い逃げだ」
「そりゃ失敬」
ザインは二人分の食事代を払い、店を出た。
月が緩やかに天上を目指している。
ここからは、こちらも相手も、死の領域だ。
――だと、信じていた。
月が頭上を煌々と照らしている。
だというのに、あの銀色の姿はおろか気配すら現れない。
「うーん……」
嘘を吐かれる可能性は考慮していた。
奇襲の可能性も排除したわけではない。
それでも。
この約束の時間に何のアクションも無いのは、ただただ違和感であった。
「俺が場所を間違えた……、わけじゃない……よな」
だんだん自信が無くなってきた。
「まさかこれが、作戦……。な、わけないか」
そういう小細工が嫌いなやつだった。
信頼しすぎるのもどうかと思ったが、そこだけは信じられると思っていた。
全て冒険者の勘でしかないのだが。
やがて月はゆっくりと沈み、空は濃紺から紫、そして白く煙り始める。
「おいおい……」
律儀に待った自分を褒めてやりたかった。
陽の光を避けるようにして、路地に入り込む。
「ばっくれた? まさか、な」
――何かあったのだろう。
しかし、それを追求する義理は無い。
ザインとしては、このまま彼が現れなくなるのが後腐れも無くていい。
そうとは言ってられないのだろうが。
宿に帰ってみようかと思っていたところ、「号外! 号外!」とけたたましい騒ぎが聞こえてきた。
「聖北教会で、使徒が吸血鬼を保護した疑いで異端審問会が開かれるぞ!」
「はっ……!?」
思わず声を荒げかける。
異端審問。
それは教会の権力で最高のものだといっても過言ではない。
しかも、今回は身内に向けられたとなれば、それがどれだけ異常事態かザインでも分かった。
「クラウス……、まさか」
自分との関わりを知られたのか――そう思ったが、彼は内心でそれを否定する。
所詮敵同士だったのだ。
一度見逃したとはいえ、それは万全の体制で死合うためだけの、休憩時間に過ぎない。
だとすれば――
そう思いを巡らせていると、足元に鋭い音が突き刺さった。
「お?」
それは例のごとく血であったが、それが蒸発した跡にはくしゃくしゃに丸められた紙が転がっていた。
摘み上げて開いてみると、「時計塔」と震える字で記されていた。
「時計塔って、……あれか」
ザインは明けつつある空に聳え立つ、リューン中央交易所を見上げた。
「来い、ってことね……」
何はともあれ、確かめなければ始まらない。
この紙を無視するには、少々関わり過ぎた。
――強くなっていく陽と人目を避けて、ザインは時計塔を登った。
歯車の冷たい音と張り詰めた空気とに満ちたその空間は、とても寂しい物に感じられた。
彼女に自分が来たことを告げる為に、わざと脚音を鳴らす。
こつこつと。
反響する音の中に、微かに息遣いが聞こえてきた。
「あ……」
少女はザインの顔を見るなり震え始めた。
「おいおい、失礼なヤツだな。呼んだのはお前じゃないのか」
「……本当に、来た」
「来るだろ。呼ばれたんだから」
「お人よしね」
「よせって。俺はただ真相が知りたいだけだ」
そして、言い放つ。
「異端審問にかけられるっつーのは、クラウスだな」
「……」
彼女はしっかりと頷いた。
表情に乏しい顔ではあったが、確かにそこには不安が宿っている。
「何でだよ。あいつ、しっかり俺を殺そうとしてたじゃねぇか」
「……失敗できないから」
「あ?」
「失敗できないの。クラウスは!」
彼女は顔を覆う。
「神から告げられた全ての吸血鬼を抹殺する。そこに、失敗があってはならない。それが――私を聖北教徒にする時の約束」
「……」
「聖水を嫌い、聖句を唱えられない、十字架すら持てない私を、クラウスが殺さなかった理由」
「……」
「私の中の半分を、クラウスが信じて、生かしてくれた。だから私は、化物と言われようとも、クラウスを守りたかった!」
――そんな願いが、折られたのか。
ザインはその小さな頭に手を置いた。
「そんな、泣くなって」
「……泣いてない」
「そうか? 俺には今すぐ泣きそうに見えるんだけどな」
「……」
少女は自分の顔を袖で乱暴に拭った。
「まだ処罰されたわけじゃないんだろ?」
「そ、それは……たぶん、そう」
「よし。行くぞ」
ザインが少女の手をとると「何処に?」と素っ頓狂な疑問が彼女の口から飛び出した。
「何処っておまっ……聖北教会だよ。クラウスを助けたいんだろ」
「駄目」
彼女はきっぱりと拒否した。
「は?」
「だって……失敗してしまったの。神が許すはずがない。彼は、仕方がないことをしてしまったの。だから、仕方ないの。助けるなんて、そんな馬鹿な話」
「馬鹿なのはお前だろ」
捕まえた手を、きつく握る。
「クラウスを裁くのは神じゃねぇ、人間だ!」
「でも」
「本当に神サマっていうのが居て、クラウスを裁くっていうなら。俺とあいつが一緒に杯を酌み交わした時に、処罰だろうが天罰だろうががあったはずなんだよ! そうだろ? 俺は、間違いなく吸血鬼なんだから」
「……」
「なぁ。クラウスがお前のことを生かしたのだって、クラウスが生かしたんだろう? 神サマじゃねぇだろ? そんなにきついやつなら……もう俺達、ここに居ないだろ?」
「……」
「いかねぇのか? なら、俺は宿に帰って寝るぜ」
「……」
少女はようやく顔を上げた。
「いいね」
ザインは牙を剥いて笑う。
「お前は聖北教徒かもしれねぇが、お前はお前でしかねぇんだぞ、半端者」
「ティオよ。これ以上半端って呼ばないで」
「おう」
考えを改めよう。
彼女は子供で、まだ、何者でもない。
ザインはふと、時計塔の外を見やった。
リューンを見渡せるその頂は、足元に恐怖を覚えるほどに高い。
リューンの大通りはいつも騒がしいものだが、今日はそこに異常さが加わっていた。
異端審問。
それが行われているとされる大聖堂の前には、野次馬がまるで蜜に集る無数の蜂のように騒いでいた。
「まさかこのリューンで異端審問が行われるなんて」
「騎士だか退魔師だとか」
「怖いわ。その人が追っていたモノがリューンに居るなんて」
そんな声を聞きながら、ザインは溜息を吐く。
「人が多すぎるな」
目立つことは許されない。
失うものが多すぎる。
「ティオよう、抜け道とかしらねぇのか」
「知っているわけないでしょう。大聖堂なんて入ったことも無いし」
「ははは。俺より教会嫌いじゃねぇか」
「うるさい」
脛を蹴られた。単純に痛かった。
「どうするかねぇ。……霧になって進入してもいいが、やつらに感づかれると元も子もねぇ」
「……霧?」
「おう。……何、お前なれねぇのか?」
「なれないわ」
「あー? じゃあ、蝙蝠とか、狼とか」
「私半分人間だもの」
「あー……便利なのに」
ティオは「そんなもの」とザインから顔を背けたが、直に自分の立場が分かって唇を噛む。
「はぁ」
ザインは幾度目かの溜息を吐いた。
「そう思うなら――力なんて使わずに生きればいいのによ」
「……それじゃ、クラウスが」
「そう思うならこそ、だろ」
それなりに『適当に』生きてきたザインですら、あの銀色の男の葛藤が見えていた。
彼女を"化物"と呼ぶ、その真意。
それを口にするか戸惑っていた矢先、大聖堂の扉がやけに大きな音で開いた。
「あ」
現れたのは煌びやかな法衣を纏った初老の男である。
「敬虔なる聖北の子らよ、どうかお静かに」
その声が、ザインの肌をぴりりと逆撫でた。
なるほど、高位の僧侶であるらしい。
「聖北の子らよ、どうか心を乱さぬようお聞き願いたい。今、神を欺いた偽りの使徒に判決が下された。その身は次の日の出と共に聖なる炎によって浄化される」
「……!」
すぐ傍で息を呑む音がした。
「このリューンに潜む不浄の者もすぐに討伐されるでしょう。どうか、今夜は外出をお控えください。不安な闇は今宵で終わらせましょう」
何処かからか歓声が上がり、人々の安堵と熱狂とが入り混じった空気がザインの身を下がらせた。
「ティオ、今は無理だ」
「……」
「ティオ?」
「……」
震える少女の手を、握る。
「行くぞ。しっかりしろ」
「……あの、人」
ティオは助けを求めるように強く手を握り返し、ザインを見上げた。
「怖い」
「……ああ、俺も怖いよ」
同調する。
「怖いよな」
宥める様に、その小柄な背中を押す。
「神サマよりも、俺はあいつが怖いよ」
そして一度だけ振り向く。
件の僧侶は手を振り、民衆に答えている。
「今行くのは愚策だな。仕掛けるなら、俺達の時間にしよう」
「それは」
「もちろん――不安な闇って奴さ」
その足で宿に向かうと、亭主は驚いて口を開いたが、何も言わなかった。
「部屋、直ってるか」
「あ、ああ? 万全とは言えないが……まあ、風は入ってこないと思うぞ」
「おう、あんがと」
震えるティオを支えて、自室に急ぐ。
「ったく……俺の部屋は便利部屋じゃねぇんだよ……」
少女を抱え上げ、けして上質とは言い難いベッドに放り投げる。
「ひゃっ」
「少し寝てろ」
「でも、クラウスが」
「いいから。睡眠だって必要だろ? ……それとも、棺桶が必要なのか?」
「……!」
ティオは怒りに身を震わせる。
「大丈夫、奴らは約束に煩い。絶対に明日の朝までは処されないさ。だから、寝ろ。お前が動けないと困ることもある」
「……」
「おやすみ、ティオ」
「……おやすみっ」
お世辞にも高級とは言えない毛布を被り、彼女はベッドの中で丸くなった。
しかし、まだ彼女は不安に震えている。
「……心配するなって」
冷たい小さな手を握る。
「一人じゃねぇよ」
――自分にそう言ってくれた人も居た。
だから、そう他人に言える。
冒険者になったからこそ、言える言葉がある。
この宿に来たからこそ、伝えられる言葉がある。
「……」
少女は緩やかに目を瞑り、やがて寝息を立て始めた。
ザインは肩を竦めて手を離そうするが、彼女は無意識のままに抵抗する。
「おーい」
「……クラウス」
小さな寝言が、ザインの抵抗力を奪った。
世界は厭きもせずに朝と夜とを繰り返す。
そこに喜びも悲しみも無い。ただ、そう在るだけだ。
しかし人はそこに境界を見出したくなる。
領域を定めたくなる。
他の者を、自分の領域から排除しようとする。
そこには時に憎しみが宿る。
ザインはそう思いながら、人気の無い街中を歩いた。
――あの夜と同じだ。
違うのは、隣に少女が居ること。
月が少し欠けたこと。
自身の感情が背中ではなく、行く道に注がれていること。
それくらいだ。
「……クラウス。無事、よね?」
ティオは震えこそ止まったが、顔色は晴れなかった。
「まだ、な。俺達しだいだ」
「……うん」
――因果な話だ。
追われていたはずの自分が、今はその男を助けようとしている。
正しく出会い、死合うために。
「頼むぞ、ティオ」
「うん」
彼女はしっかりと頷き、右手を月に伸ばした。
彼女の右の瞳が赫くなる。
ティオの手首から生えるように現れた赫い血は、緩やかに凝固し、一挺の弓と化す。
まさしくそれはここ数日、ザインの身を襲った血と同じ匂いがしていた。
「お前のタイミングで撃て」
「うん」
とたん、魔力の収束が始まり、瞬きの後には赫い矢が風を切って闇を切り裂いていた。
「早すぎ……」
ザインは矢が突き刺さった場所を眺めた。
リューン大聖堂、そのぶち壊れたステンドグラス。
「ははっ」思わず笑みがこぼれた。「聞こえるか? 慌てふためく声がよ」
「ええ」
答えながら少女はまた放つ。
強力な魔力で作られた赫は次々とステンドグラスを破壊し、それに伴って騒ぎは次々と大きくなる。
「よし――そろそろか。行くぞ!」
ザインはティオを抱え、身を一匹の巨大な蝙蝠へと転ずる。
「っ……」
少女の息を呑む音が聞こえた。
「暴れるなよ、落としたら大変だからな」
ザインは翼を広げ飛び立った。
冷たい風が肌に刺さる。
「高い……翼があるって、すごい」
「俺達は自由だ。何処にだって行ける。今は、ここに在るだけでな」
「自由……」
「少しは吸血鬼が羨ましくなったか?」
「何を、そんな!」
少女が慌てて否定するのに、ザインは内心満足する。
闇に紛れる翼は悠々と空をすべり、やがて教会の裏へと着地する。
さっさと人へと転じ、地下へ続く扉の先に滑り込んだ。
「さて……こっちかな」
さっさと歩き出したザインの服の裾を「待って!」と少女は掴んだ。
「クラウスが何処にいるか分かるの?」
「分かるぜ。匂いがあるからな」
「匂い……?」
「ああ」
間違いなく、クラウスはここにいる。
乾いた空気を吸い込みながら進み、僅かな光源を逃さぬように、二人は下へ下へと進んだ。
やがて階段は尽き、無骨な鉄格子がかけられたその空間に、彼は膝を突いて座っていた。
最後に見た時と同じ銀色。
しかしそこには静かな信仰心のみが在り、あの夜に感じた殺意も覇気も消え失せていた。
「クラウス」
声をかけるが、反応が無い。
彼はただ、彼の信じる物の為に祈り続けている。
「おい。何じっとしてんだ。約束の時間はとっくに過ぎたぞ」
クラウスは赤を帯びた鳶色の目を、ザインではなくティオに向けた。
「……"化物"まで引き連れてご苦労なことですね。私が何故ここにいるかご存知なのでしょう?」
「知ってるよ」
「ならこれ以上お話しすることはありません。もうじきリューンで大規模な掃討が行われます。貴方も身を隠したほうがよいのでは?」
「本気で言ってるのか」
「本気ですとも」
ティオはというと、ただクラウスを見つめるだけだ。
唇を閉じて、何も言わない、語らない。
心配していたとも、無事で良かったとも、言ったりしない。
「さあ、お引取りを。命が大事なら――」
「はん。気にいらねぇ。今更何を隠すっつーんだよ」
「はい?」
ザインはつかつかとクラウスに近寄り、鉄格子越しにその右手を捻り上げる。
「っ!」
「匂いがすんだよ。ティオの吸血鬼の匂いだ――お前ら、一緒にずっといるんだろうよ」
「なっ、にを、馬鹿な……」
「隠してどうなる? いや、隠してるのは俺にじゃない。お前自身が自分に隠し事をしてるのか」
「……!」
ザインは瞳を見開いた。
「彼女は半端者、お前は吸血鬼を狩る者。ティオはお前が生かした。そうだろ?」
「……そこの"化物"が言いましたか」
「ああ、その"化物"っていう呼称も、所詮彼女を守るため、だろ。そう言われるのが嫌だと、思わせたかったんじゃないのか? 人間にしたかったんだろ?」
「……分かったような口を!」
クラウスはザインの手を払いのける。
「お前のような吸血鬼に分かるものか! 父を吸血鬼に持ち、両親を聖北の手で失った者の気持ちが! 吸血鬼に家族を殺され、恨みと怒りの中で一人残った者が誰かの家族を奪う気持ちが! お前に分かるものか!」
その血走った目が、ザインを射抜く。
「神を恨みながら、その神にすがって生きるしかない私の気持ちが――ティオに、過酷な生の続きを与えてしまった私の気持ちなんて……!」
「クラウス」
二人の男ははっとして、ようやく言葉を発した彼女を見た。
彼女の右の瞳は、赫く変色している。
「ありがとう」
「馬鹿な」
クラウスは愕然と表情を歪めた。
「感謝されることなど、私には何も」
「生きてる。それだけで、感謝できる」
「私のエゴで、お前を生かしたにすぎないんだ!」
「それでも。ありがとう、クラウス」
「ティオ……」
そして、ティオはザインに向き直り「ザインが居なかったら、ここに来れなかった。ありがとう」と微かに笑んだ。
「……お前なぁ。俺はクラウスと決着をつけるために来たんだぜ? 俺とお前は敵同士、だろ?」
「それでも。ありがとう」
「……ふん」
ザインは自分の得物――つまり爪――で鉄格子を一閃する。
「さあ。出ようぜ、クラウス。『人間に』裁かれる前によ」
「……そう。そうですね」
彼は立ち上がり、少女の手をとった。
「……それでも私は、聖北の使徒で、吸血鬼を滅ぼしたいと願っています」
「別にいいだろ、そんなこと」
「そんなこと……」
クラウスは口の中でザインの言葉を転がし、「そんなこと、ですね」と笑った。
「行きましょう」
「おう」
「しかし――どうするんです? どこに行こうにも、リューンは厳戒態勢でしょう?」
「どーせお前を異端扱いしたのはお前を厄介払いしたい奴らだろ。あんなに騒ぎ立てちゃ、退くに退けないはずだ」
「……だから?」
「迎え撃つさ。お望みどおりにな」
ザインは牙を剥いた。
夜の静寂は破られ、松明の灯がゆらゆらと通りを照らしていた。
昼間ほどとは言えないが、闇を破る光の強さは聖北教会の力そのものを表しているようにも思えた。
「ふふん」
得意げに笑ってみせる。
「下っ端に見つけられっこねぇ。あんなに昼間騒いでおいて、堂々と通りを歩く吸血鬼がいるか」
「……これだから吸血鬼は嫌いだ」
商店街の屋根の上。
光の届かない死角を三人は泳ぐようにして進んでいた。
「人間は上を見上げることが苦手だ。特に命のやり取りをしたことの無い綺麗な聖職者なら尚更。脇道でもいいが、それだと勘のいい奴にばれそうだからな」
「でも、街を出るには門をくぐらなきゃ。ザイン、分かってるの?」
「馬鹿にすんな! その前に間違いなく――ほらきた」
ザインは一つ、信じているものがあった。
どんなに高位の人間になろうと、けして人間である限り捨てられない物。
欲。
それをザインは信じていた。
「あれは――あの僧侶の部下か」
クラウスはちらりと足元を見やる。
そこには"下っ端"とは言いがたい雰囲気を持つ者が一人。
「このまま人気の無いところまで行くぞ。俺達は『追われている』んだ」
「……悪魔め」
「褒めるなよ」
――手柄を欲しがっていることが手にとる様に分かった。
クラウスの処罰と同時に吸血鬼を朝日と共に浄化できれば、リューンにおけるあの僧侶の力が磐石になるに違いない。
それを狙っているのだ。
そのためには"下っ端"はただの駒であらねばならない。
まったく、分かりやすい。
闇を選んで進むが、追ってくる気配は道を行くごとに増えていった。
「数は、四。実力は……ん、大したこと無いな。1クラウスにも満たねぇ」
「人を勝手に単位にしないで貰いたい」
「そいつは失敬。まあ、本命がいないからな。本命が来たら1クラウス、プラス、0.5ティオってところか」
「反省無し」
ザインが二人と追っ手を導いたのは時計塔であった。
「こんなところで?」といぶかしんだクラウスに「奴らはのってくる、絶対だ」と自信満々に言い放つ。
時計塔は相変わらずひんやりしていて、よく音が響く。
絶対に外からは中で何が行われているかは分からない、閉じた空間。
好都合だった。
「ティオ、先に言っておくことがある」
「?」
「最初の夜。お前が居なかったら、俺はクラウスを殺してたからな?」
「……」
「お前が力を行使しなかったら、クラウスは死んでた。それだけだ」
「ザイン、お前何を」
「しっ。来たぞ」
わざとらしくクラウスの疑問を止めた。
ここはどんなに慎重になろうとも、足音が聞こえてしまう。
ザインは二人を下がらせ、そのやってきた人物を見て「ほら」としたり顔で微笑んだ。
現れたのは今朝得意顔していたあの僧侶だった。
「絶対にお前が来ると思ったぜ、目立ちたがり屋さんよ」
「口を慎め不浄の者」
「へーい」
しかしザインのにやにやした表情が許せなかったのか、僧侶の怒りが煮詰まっていくのが簡単に分かった。
「クラウス、お前は神の御心を謀ったばかりか、その処罰からも逃れようとは、全くどうしてしまったのだ」
「……私は今でも、吸血鬼を許すつもりは無い。だが、ここで貴方の出世の道具になるつもりも無い」
「出世などと……。お前は約束を守れなかったではないか。現に、そこの吸血鬼は生きている」
「それだって、私を殺すつもりでこの吸血鬼にけしかけた――もう分かってるんですよ。神が直接、人を殺すように仕向ける事などありえないとね。結局私も、自分の感情で吸血鬼を憎んでいる。そこに、もう神など関係ない」
――そりゃそうだ。
ザインは一人、体勢を整える。
――結局人は、神の道具ではなく、人なのだ。
「話は終わったか?」
「ああ」
クラウスもまた臨戦態勢をとろうとしたのだろうが、ザインは「ああ、いいよ」とそれを押し留めた。
「俺が何でここを選んだか教えてやる」
「は?」
「ティオ――飛べ!」
刹那。
膨大な魔力の増幅が時計塔内部を振るわせた。
「馬鹿な――お前、ティオに何を!」
「いや、あいつもともとあれくらい出来るって。吸血鬼としての性の方が強いんだよ。お前だって気づいてたんだろ。だから必死に人間にしようとしてたんじゃないか」
「っ……」
「ティオは自分を認めた。お前も自分を欺くのを止めろよ。お前の性格、嫌いじゃない。お前は誰より、人間臭い」
そしてクラウスを突き飛ばし、
「今度、また何処かの夜で」
ティオに渡した。
「よし。元気でな、吸血鬼」
「ええ」
彼女の身体は無数の蝙蝠と化し、小柄ではないはずのクラウスを楽々と持ち上げた。
「ザイン――必ずお前を殺す!」
「おう、そうしてくれや。楽しみにしてるぜ」
月夜に二人が飛び立つのを、ザインは悠々と見送った。
ここからならば高度を保ったまま、リューンの壁を越えられるだろう。
きっと二人は、何だかんだで上手くやるはずだ。
問題は、こちらに残っている。
「さて……。準備は整ったな」
唖然として、口を開けたまま固まっている聖職者達に向き直る。
「返事くらいしろよ、な?」
「は、はが……」
五人は目を瞬かせるだけで、武器を取ることも、聖句を唱えることもない。
「おう。少しは対抗するか。よく出来ました」
ザインは子供を褒めるように手を叩く。
彼が使ったのは魅了だ。それも、精神に作用し、従わせるタイプの。
吸血鬼の十八番と言ってもいいだろう。
「大体、お前らは隙がありすぎる。吸血鬼を相手にしてるんだ、一瞬たりとも油断しちゃいけねぇぜ」
ザインは堪えきれず、くつくつと笑う。
「どいつもこいつもご丁寧にクラウスとの会話に気をとられやがって。それとも……神サマの力で何とか成ると思っていたのか?」
答えは無い。許さないからだ。
「さあ。お祈りってのは毎日済ます物だろ。もう、いいよな?」
ザインは窓を指差す。
「飛べ」
五人の足音が不規則に鳴り響き、小さく「悪魔め」と声がした。
「知ってるだろ? 俺は、吸血鬼だ」
悲鳴は終に挙がらなかった。
「お帰り。お前、大丈夫だったか?」
「へ? 何が――」
「異端審問会が開かれたのも知らんのか? その関係者が時計塔の上から一斉に飛び降りたんだとよ。街じゃ神罰がどうのって恐れ多い噂がだな……」
「はぁ。それで、何で俺が心配されてるんだよ」
「ああ、いや……お前は何かと問題を起こすから、つい」
「ひっでぇなおい。窓が割れるのも俺のせいかよ」
「それはそうだろ」
「……はい」
カウンターに座り、水を貰う。
「そういえば今日辺りお前の仲間が帰ってくるんじゃないか?」
「あ。そういえばそうか」
「さぼりも終わりだな。合流したら今度はきっちり働けよ」
「へーい」
――夜の街で聖北騎士に追われた俺は、結局そいつを殺し損ね、挙句最も面倒な敵にしてしまった。
でも、悪くない出会いであった。
むしろ最高の出会い方だったと言ってもいい。
「親父、乾杯しようぜ。葡萄酒を出してくれ」
「ああ? 何に乾杯するって言うんだ」
「そうだな……、半月の美しさに」
「真昼間だぞ」
「いいんだよ。月ってのは見えないだけで、いつも在るんだから」
杯が軽く合わされ、澄んだ音が宿に響いた。
fin