――何がどうしてこうなった?
カジは森の木を背にして内心毒づく。
彼の背後に迫っているのは、『死神』だった。
巨大な鎌を掲げる、多分、男。
多分というのは、カジが恐怖で相手を見れなかったからではない。
相手は『黒い羽根兜を被り、完全に顔を隠している』からだ。
それが、じりじりとこちらに近づいている。
――何がどうしてこうなった?
剣に手をかけながら、カジは焼けそうな脳内で思い返す。
「十字森の黒い怪異?」
カジはうさんくさいその名称を繰り返した。
「はい……」
依頼人である村の村長はその名称を呼んだだけで震え上がっている。
「十字森にはもともと野生動物がいましたが、ソレとは別な妖魔がいるんです」
「はぁ」
良くある話だ、気のない返事にもなろうというもの。
「どういったものが? コボルト? それともゴブリン?」
「いえ……もっと大きなものです」
「オーガが? そんな馬鹿な」
カジがそう言うには理由がある。
十字森はそんなに大きくない。背の高い木はあるが、オーガが住まうにはあまりにも狭い。
「いや、あの……人の形をしているのは確かなんですが、居る時と、居ない時とがあるんです」
「……俄には信じがたい」
「だからこその怪異です」
「はぁ」
この仕事がカジに回ってきたのも分かる気がした。
カジは――立場上――聖職者である。
居たり居なかったり、存在したりしなかったり、出たり消えたり。
そのいう類いの物で一番最初に思い浮かぶのは幽霊、亡霊、悪霊といったところだろう。
であればその道のプロフェッショナル――だと思われるカジに話が来るのは通りだ。
「その怪異を斬ってしまえば問題ねぇのか」
「ほ、他に方法が!?」
「……」
カジは内心頭を抱えた。
怪異には二つある。
原因が斬れる物と、斬れない物だ。
レイスやバンシーの類いであれば斬ってしまえば問題ない。その後聖歌や聖句、聖水で清めるのも有りだろう。
だが、斬れない物であれば?
カジは己の腕と剣を信じてここまでやってきたし、生き残ってきた。どんな強大な物でも勝負してみせる。
しかし、そう言う問題では無い場合は?
己の手に負えない――例えば自然現象などであればどうしようもない。
魔術師の一人でも連れてくればいいのだが、生憎今は一人きり。
カジに出来るのは、斬って破壊することだけだ。
「まあ、やってみるさ」
安請け合いしたのを後で後悔することになるのだが、この時点では「とりあえず斬れれば斬る、でなければさっさと報告に帰ってこよう」と思っていたのだ。
予想通り、十字森は光の通りも良く、巨大な生き物が住んでいれば隠れきれないだろうというのが入り口からも分かった。
「うーん、どうしたもんだかな……」
霊の気配はここからでは感じられなかった。
とにかく、森に侵入するしかない。
気を引き締めて、カジは森の中に足を踏み入れた。
――後から振り返っても、この時点では何の怪異もなかった。
ただ、森は陽が良く入って明るいのに落ち葉の腐った臭いがするな、と思った程度であった。
異変が起きたのがいつか分からない。
気がついた時には、目の前にそれが見えていた。
『黒い羽根兜を被った何者か』。
甲冑を着込んでいるわけではない。顔から下は一般的な服装なのだ。
体格的には、男。
その腕に軽々と掲げられているのは、巨大な鎌であった。
――まるで、死神。
カジはとにかく『それ』から身を隠した。
嫌な汗をかいていることを自覚する。
あれが、『十字森の黒い怪異』なのか?
いつあれは現れた?
気がついた時には視線の先にいたではないか。
『怪異』という言葉が肩に重くのしかかる。
カジは剣を抜いて深呼吸する。
しかし、不浄の臭いを感じることは出来ない。
『あれは間違いなく生きている』。
であれば、斬れる。
――その事実を確かめなければならない。
その身を法力で満たしながら、カジは身を預けていた木の陰から飛び出す。
「!」
ソレは、もう直ぐ側に迫っていた。
大鎌は既に勢いをつけて振られており、間違いなくカジの首を狙っていた。
「あっぶねぇっ!」
思わず大声を上げながら、間一髪でそれを避ける。
それでもなお、首に刃の圧迫感が残るほど、ぎりぎりの回避であった。
「……」
カジはその黒を見つめる。
表情は黒い羽根兜に覆われて全く読めない。
しかし、これは人間だ。その確証は持てた。
「はぁっ!!」
地を蹴り、剣を相手に突き立てる。
しかし、相手はそれを身を軽くひねって避けた――が。
「っ……?」
死神の、息を吐く微かな音。
カジは微かに笑う。
「雷か」
黒い羽根兜から発されたのは、男の声であった。
カジが剣に纏わせていたのは微量の法力だ。
彼のそれは雷撃に似た力を持つ。
刃は完全に避けられたとしても、不可視の電撃までは避けられまい。
ましてや相手は金属を纏っているのだから。
「一発先に貰っちまったからな」
カジは息を吸って、自らの身を包む法力を整えた。
「さあ、やろうぜ。こういうの、好きだろ?」
返事を待たず、カジは剣を振りかぶる。
「ちっ」
舌打ちと共に大鎌が振られ、カジの長剣はあっさりと弾き返された。
「んぐっ」
双方は一度距離を取る。
重量、そしてリーチがあまりにも違いすぎた。
普通大鎌はその取り扱いの難しさから敬遠される武器であるが、相手はそれを物ともせず、自分の筋力と技量と経験とでカジを近づけさせない。
対してカジは決定的な遠距離攻撃を持たない。投げナイフ程度では避けられるのが目に見えていた。
――どうする。
こちらが一歩下がった事に反応するように、死神はまっすぐに走り込んできた。
カジは下がり続けながら、短く聖句を唱えて雷撃を放出する。
「……!」
そして縦に振られたそれを剣で受け止めた。
「――んっ?」
相手の意外そうな声がした。
それもそうだ。相手の攻撃には全力が乗っていた。だというのに、ぎしぎしと悲鳴は上げているが剣は折れず、けなげに噛み付いている。
「こんのっ!」
刃を滑らせ、鎌の刃をすり抜けて、相手の懐に飛び込んだ。
大鎌はその構造故に、手元はお留守だ。
だから、怪我を恐れず飛び込むしか勝機はなかった。
「ちっ」
だからこそ、相手が腰から短剣を抜くのが見えた時、これ見よがしに舌打ちしてしまったのだ。
死神はあっさりと自分の鎌を見離した。
代わりの短剣でカジの長剣をいなし、二度、三度と素早く打ち込んできた。
先ほどまでの力強さとは真逆の、繊細な連続攻撃――
「はっ」
その刃はカジの首を捉え、浅くではあったが正確に切りつけた。
ぱっと血が飛び、黒い羽根兜に点々と模様を描いた。
「やりやがって」
傷を押さえながら、カジはくるりと宙を舞った。
軽業は苦手だったが、必至にやらなければ追撃を受けていた。
「それはこっちの台詞だ」
兜の奥から睨み付けられたような、気がした。
「さっきからばちばちと――うざったいな」
「やれることがこれくらいしかないもんでね」
傷に指を強くこすりつけて、カジはにやりと笑う。
「相手が雷を使うなんて聞いてないぞ」
「俺だって相手が死神だなんて聞いてねぇ」
「何で怪異なんぞやっているんだ? あんた、人間だろ?」
「それはこっちの台詞――何だって?」
――誰が怪異だって?
「黒い羽根兜……そっちが『十字森の黒い怪異』だろ」
「俺はそれを退治しに来ただけだ。あんたこそ、黒い怪異だろうが」
「馬鹿な事言うんじゃ」
ねぇよ、と続けてはっと気づく。
――今着ているのは、黒い外套ではなかったか?
「俺は、黒い怪異を斬りに来た」
「じゃあ、なんだ。ダブルブッキングされたってことか?」
「……」
それは、違うような気もする。
あの依頼人はやっとの事で一人雇えるだけの金を用意したと言っていた。
だというのに、もう一人雇うだろうか? 嘘をついてまで?
「依頼人は誰だ? おっと、守秘義務だなんだと言うなよ」
「……丸顔の村長だ」
苦々しく答えると、「奇遇だな、俺は鼻のでかい村長に頼まれた」と死神は言った。
「は? 別に鼻はでかくねぇだろ」
「ああ、丸顔じゃなかったからな」
「……村の名前はカルテリオス」
「俺もそうだ」
「……あー」
カジは額に手を当てて空を仰いだ。
――この感覚には覚えがある。
「あんたさあ、多分――」
その先を言うことは叶わなかった。
なぜならば、突然空中から巨大な足が降ってきたからだ。
「!!」
死闘を繰り広げたばかりの二人は瞬時に反応し、同じ方向に飛び退いていた。
ずしりと重い音が続き、足ばかりではなくその巨体が間もなく姿を現した。
「トロール……!」
それは確かに怪異であった。
背丈はカジの倍。それは、よく見る。
黒い布を纏ったトロール――そんなもの、見たことがない。
しかもその布は、まるで黒い砂で出来ているかのように、ざあざあと蠢いているのだ。
「あれが本当の怪異か」
黒い羽根兜の男は、「怪我大丈夫か」と小さくカジに尋ねた。
「血が止まった。平気だ」
「そうか」
先ほど手放した大鎌を取り戻し、黒い羽根兜の男はそれを構え直した。
「じゃあ、仕事に戻ろうか」
言うや否や、死神は高く跳躍した。
トロールの首を狙っているのだと気がついた時には、既に刃はトロールの首に肉薄していた。
だが、
「斬れないな」
と、その声がした刹那、黒い布がざあと動いてまるで盾のように刃を防いでいた。
魔法か――否、それは正しくない。
「それは、死霊術だ!」
カジは声を上げてる。
自分の感覚に『障る』感覚は間違いない。
このトロールは死んでもいないが生きてもいない。
生死の狭間に押し込められた、恐らく、犠牲者。
魂を穢され、踏みにじられた者。
カジの最も忌避するモノ。
このトロールの惨状は、誰かに仕組まれている。
「厄介な」
黒い羽根兜の死神は忌々しく呟いて、中でくるりと反転した。
「どうする、魔法解除の法でも持っていないか?」
「俺は聖職者だぞ」
「期待はしてなかった」
「じゃあ聞くな!」
カジは剣に法力を乗せて、トロールの足に突進を仕掛ける。
剣の切っ先は紫電を帯びて、易々と黒い布を食い破った。
「おお」
黒い死神の感嘆の声と、トロールの低い呻き声はほぼ同時であった。
「いいね、やっぱり死霊術には法力か」
「お褒めにあずかり光栄だぜ」
小さく聖句を口ずさみ、再び法力を剣に乗せる。
しかし相手も馬鹿ではない。
「ウオオッ!」
丸太のような足が、カジを払った。
「だあっ!!」
そのダメージに法力を保っていた集中力が切れた。
「くっそ、ばかでけぇのはこれだから!」
カジは転がりながら、苦々しく叫ぶ。
「おい、そこの黒いの! 連携とか大嫌いって面か?」
「そうでもない」
「よし!」
剣を構え直し、カジは口を開く。
「『落ちろ!』」
瞬間、この場に漂っていた法力が一点に収束する。
すなわち、トロールの足下に。
『落ちるように』、雷がトロールの足から脳天に向けて立ち上がった。
「グオオッ」
断末魔にも似たその絶叫響く中、黒い死神がふわりと跳躍する。
「じゃあな、黒い怪異」
肉が切れるにしてはあまりにも鋭い音が、森に響いた。
「むっ」
しかし首は落ちず、焼け焦げたトロールはまるで溶けるように消えてしまった。
残ったのは静けさと、黒い死神のような男と、落ち葉に突っ伏しているカジだけだった。
「あんな策があるならさっさとやればいいものを。楽勝だったじゃないか」
「あのな、今のこの状況見てもそれ言うか?」
「……」
「あれは使いたくねぇんだよ。こうなるから」
精神力の全てをはたいて出した大技であった。
「あんたが居なかったら絶対に使えねぇ技なんだっての」
「そうか、なるほど」
カジはごろりと仰向けになる。
「今のが黒い怪異だとすれば、多分そろそろあんたと俺はお別れだな」
「何だと?」
「あれは多分、他の時間からやって来てる。そして、俺とあんたも、違う時間からここに来た」
「何を根拠に……」
「あれは時間を跨いでやってきてる。だから、二つの時間で目撃されて、討伐依頼が出てるんだよ」
「……ふうん、だから同じ村で違う村長から依頼を受けているというわけか」
「そういうこと」
カジは「ああ、これ言うの嫌だな。でも証拠になるだろうしな」と目を細める。
「『選定の剣亭』に行けばきっと真偽が分かるだろうよ」
「冒険者宿か?」
「っそ。あんたの名前、聞いても?」
「……柳火」
「俺は、カジだ。『選定の剣亭』のカジに会えば分かるだろうよ」
話はこれで終わりだというつもりで手をひらひらと振ると、いつの間にかその黒い死神は姿を消していた。
「ほらな。俺達は違う時間の人間なんだって」
一人で満足し、『乾いた落ち葉』に顔を埋めた。
――冒険者宿、『選定の剣亭』。
そこにその男はいた。
「はい、僕がカジですけど。……ええっと、どなたでしたっけ」
随分雰囲気は違うが、確かにあの森で会った若者に似ているような気がする。
「柳火。十字森で会った」
「……ああっ! あの時の! 思い出しました、死神さん」
「死神って名乗った覚えはないぞ」
「あ、いえ、気にしないでください。ええ、懐かしい。あれはもう五年以上前ですから……」
「何?」
「言ったでしょう? 違う時間から来た、って」
彼は悪戯っぽく、しかし柔らかく笑った。
「たまにあるんですよね、こういうの。もう慣れました。ところで、報酬はもらえましたか?」
「ああ、なんとか。正直信じてもらえなかった。死体も消えたしな」
「はははっ、僕も一緒でしたよ。じゃあ、その時のお金がここにあるとして――」
カジは銀貨を二枚取り出す。
「おごりますよ。久しぶりの再会に乾杯しましょう」
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あとがき。
柳の灯さんの柳火さんをお借りしました!
柳火さん、通称黒パナさん、Twitter上でのお話しを聞いていて「めっちゃかっこいいなぁ~」と常々思っていまして、いっそ書くか!というテンションで若カジとバトルさせてみました。
しかし、黒パナさん強い!
この時点では若カジは経験も実力も全く追いついていません。
またお借りすることがありましたら、次は大人の方のカジと依頼をこなしてほしい、なんて思っています。
ところで、今回出てきた死霊術。
実は裏設定があったりなかったり。
いつかまた、見えることになり得るかも知れません。
柳の灯さん、本当にありがとうございました!