馬車を待っている時だった。
「あなた、冒険者?」
空は快晴で、日差しが強く眩しかった。
カジは目を細めながら声の主を見やる。
少女は薄手の白いドレスを身に着け、こちらを睨み付けるように立っていた。
「……まあ」
否定も肯定もせず、カジはその少女の足下に視線を移す。
そこには彼女の身の丈からすればかなり大きなトランクが置いてあった。
「知ってるわ。冒険者は、格安で仕事を請け負ってくれるって」
「格安は余計です」
「安くなかったら傭兵と一緒でしょ。違うってことは格安なのよ」
「……」
妙な理論に噛み付くほど余裕は無かった。
何せ、暑い。
「あの、わざわざ冒険者を探していたんですよね、何をさせたいんです?」
額の汗を手の甲で拭きながら、カジは問う。
辺りの空気がぐらぐらと煮えたぎる鍋の湯のように思えていた。
だというのに、依頼人未満の少女は、汗一つ無い涼しい顔で足下のトランクを指し示す。
「このトランクを開けて欲しいの」
「……え?」
なんとも拍子抜けする依頼だった。
「開けて欲しいって……ダンジョンに隠されてる宝箱じゃないんですから」
「鍵が無いの」
「こう、力尽くで……」
「じゃあどうぞ」
彼女はずずいとトランクをカジの足下へ押しやる。
「あの。報酬の話をしていません。冒険者が格安だからといって1spでやるほど僕は安くありませんよ」
「トランクの中身を換金するつもりなの。それが報酬」
「それは、ちょっと。何も入ってなかったらどうするんです」
「……」
とんとんと少女は細い指でトランクの取っ手を突いた。
持ってみろ、ということだった。
「ん……」
確かに持ち上げてみると何か――重い、とまでは言いがたかったが入っている。
しかも中をころころ、からからと何かが動く音もする。
それを宝石や金貨だと見積もるほど、カジは甘くなかったが。
「……ふむ、仕方ありませんね」
仮に全部で10SPだとしても、馬車賃の足しになる。
カジは袖を改めて巻くってトランクの開口部分に手をかけ――
そっとそれを離した。
「止めておきます」
「何で? 試してみればいいでしょ。壊したって良いわ、開けばね」
「違います。これは力尽くで開くものではありません。魔法がかかっている」
そこで少女の顔色が初めて変わった。
緊張を孕んだ焦りから、純粋な驚きへと。
「そう……なの?」
「ええ。僕は魔法に詳しくありませんが経験から言って、触った時のこの抵抗と反発、拒否――自然なものじゃありません」
「じゃあ、魔法を解呪してくれる人を探せば良いの?」
「そう、ですね……とりあえず詳しい方に見せてみるのが賢いでしょう」
よいしょとカジはトランクを持つ。
視界には既に四頭の馬が見えてた。
「馬車が来ましたが。あなた、お金は?」
「……そんなに持ってない、けど?」
「ここは払います。報酬に上乗せです」
カジは手を上げて馬車を停める。
「開けてくれるの?」
「まあ――」
カジは目を細めた。
「こんなに頑丈に守られてる中身ですから、安いわけがありませんよ」
少女はミルテと名乗った。
カジも名乗ったが、相変わらず彼女は「冒険者」と呼ぶ。
「冒険者は、どうしてこんな所に? 何かの依頼? それとも冒険?」
「休暇です」
「きゅ、休暇……?」
「そう。冒険者だって休む時は休みますよ」
当ての無い旅だった。
少し拠点としている街から離れて、違う空気を吸いたくなった――そんな安い理由で。
馬車を乗り継ぎ、歩き、滞在し、また歩き。
そうして今は九十二日目。
行く先々でこうして小さな依頼を受けて、金を継ぎ足し。
まるで聖書の"息子"のようだ。
ただ最近気がついてしまったのだが、いつでも拠点に帰れるように無意識に金と距離とを試算してしまっていた。
そんな自分に嫌気がさしていたのも事実だ。
だからこそ――こんな不確かな依頼を受けてしまったのか。
「この馬車、何処で降りる気なの」
「次のオイコートで降ります。あそこなら魔法に詳しい人がいるでしょう」
「……」
彼女はその街を知らないと言った表情だった。
「ミルテ。あなたどこから来たんです」
「……それ、このトランクを開けるのに必要?」
「いいえ」
黙秘ということらしかった。
「オイコートは観光地で治安も悪くありません。でも離れないように。あなたは目立ちます」
「護衛代でも取る気?」
「トランクの中身があんまりでしたら、それも考えます」
「ふーん……」
彼女は身体を小さくしてトランクをしっかり抱えていた。
重いだろうに。
対するカジは悠々と彼女の向かいに座っていた。
剣と少しの荷物。最近は街から街への移動で、保存食は最低限で良かったため、荷物は少なめだ。
だからこそ、そのトランクを抱える彼女が、とても窮屈そうにしているのが解せなかった。
彼女は身を守る物を持っていない。
水も食料も。
恐らくこの近くの人間だ。だと言うのに、オイコートを知らない。
何かの事情があるのだろう。そしてそれを隠したがっている。
面倒なことに巻き込まれているにしろ、単純に家出娘であるにしろ、引き受けてしまった物は仕方が無い。
――依頼は遂行する。それが、自分の冒険者像なのだから。
馬車はカジとミルテの他には、行商人らしき男と、冒険者らしき少女と少年の組み合わせが一組。
がたごとと車輪が揺れる中、しだいに少女はうつらうつらとしてきた。
眠りかけては驚いて目を覚まし、また眠りかけては驚いて目を覚ましの繰り返しだ。
「僕の荷物を使いますか? 枕にしていいんですよ」
「……結構よ」
どうやら機嫌を損ねたらしい。
結局、彼女はオイコートに馬車が着くまで、寝て起きてをずっと繰り返していた。
それを半ば呆れながらみていたカジだったが、油断はしていない。
馬車は昼夜問わず危険だ。
道が崩れたり、魔物が出たりばかりが『危険』では無い。
馬車内での窃盗、人攫い、詐欺、暴力――珍しいところだと呪いを貰ったりする。
今は依頼中。しかも依頼人はそういったことに不慣れとくれば、嫌でも神経が尖る。
行商人らしき男は自分の荷物に囲まれて寝ている。不用心だがカジには関係なかった。
冒険者らしき少年も大きないびきをたてて寝ているが、少女の方はにこにこと外を眺めている。
――その少女が、ふっとこちらを見た。
「オイコートへ?」
「……ええ」
小さく呟いたにしては、随分よく通る声の持ち主であった。
「同業者……にしては雰囲気が違うんじゃない、お兄さん」
「……」
見破られているのか。
カジは、『笑った』。
「私達――そこの兄さんも、だけど。オイコートを拠点にしてるの。道案内しましょうか」
「魔法に詳しい方を知りたい」
「ああ……残念だけど、オイコートにおおっぴらな魔法を取り扱う組織は無いわよ」
「……嘘でしょう、そんな」
「厳しくてね、いろいろ。お酒も飲めないわよ」
「……『あなたのところにはあるか?』」
含みを持たせた言い方をすると、彼女は「『私の所にはないわね』」とやはり同じように言った。
――どうやら盗賊ギルド員ではなさそうだ。
「お口は固い方かしら、『冒険者』さん」
「でなければ、『僕の立場で』魔法に詳しい方を探したりしません」
「そう。なら、教えてあげる。『右手の親指に盃』が紹介してくれたって。地図を書くわ」
「……何ですって?」
「『右手の親指に盃』よ」
そうして彼女は自分の右手の親指を見せた。
そこには確かに、爪に描き込まれた黒い盃の絵があった。
「はい。集合住宅って道で聞けばすぐに分かるはず」
「はい」
「一緒に行くとバレるから。ごめんなさいね」
「いいえ、助かりました。ありがとうございます。早く解決してあげたくて」
カジは地図を受け取りながら、彼女に銀貨を握らせた。
遠く近く、鐘が鳴り響いている。
この音自体が<万鐘の都 オイコート>の名物だ。
丁度夜の帳が下りるところだ。きっと本日最後の鐘なのだろう。
「宿を取ります。それとも、馬車で寝たから平気ですか?」
「……お願いするわ」
「はい。少々意地悪でしたね」
彼女はトランクを引きずりぎみに持ち歩いているが、トランクが傷ついた様子はない。
恐らく、そういった魔法もかかっているに違いない。
「さすが観光地。ピンからキリまで宿が目白押しです」
ひとつひとつ等級を確認しながら、宿通りを歩く。
自分だけなら最下級の宿でも問題ないが、今は依頼人がついている。下手な宿は選べなかった。
「しかし……」
最高等級の宿を見上げてカジは自嘲ぎみに笑った。
「ここまでの必要は――」
「ここにするの?」
「え? い、いや」
「私、もう疲れたから。ここにしましょう」
そう言って彼女がカジに渡してきたのは、数枚の金貨であった。
「は?」
「ここは払うわ」
「あなた、さっきあんまり持ってないって」
「持ってないわよ……」
「は?」
これはどうやら金銭感覚が噛み合っていないようだ。
「まあ、いい、ですかね……」
金貨を数え、一泊であれば二人分でもおつりが出るのを確認し、カジは手続きを済ませた。
「聞いてなーい!!」
「うるさいですよ」
「お、同じ部屋に泊まるなんて、き、聞いてない!!」
ミルテがぎゃーぎゃーするのも分かっていたことだった。
カジはさっさと寝台から掛け物だけとって、部屋の入り口の前に自分の寝床を作った。
部屋は豪華絢爛とまではいかなくても、冒険者であれば避けるだろう華美な部屋である。
湯にも香が焚かれていて、とにかく部屋の端から端まで全てが上品であった。
「僕は扉の前を動きません。この部屋はあなたの好きに使ってください」
「……」
「僕は冒険者。あなたは依頼主様ですよ? それに、何かするならもうとっくにしています」
「……寝ている間は近づかないで」
「御意。おやすみなさい、良い夢を」
「……おやすみ」
ミルテは寝台に横になると、少しの間もぞもぞと動いていたが、存外すんなりと眠ることが出来たようだった。
知ってはいたが、着替えも何も持っていないので白いドレスはそのままであった。
カジはというと、おやすみとは言ったが、しばらく眠る気は無かった。
ちらり、少女冒険者から貰った地図を見やる。
――危ない場所にあるわけでは無い。あの冒険者の雰囲気からしても、危なくはなさそうだ。
かといって、ミルテを連れて行くわけにはいかなかった。
「さて……」
浅い仮眠の後、カジは音も無く立ち上がる。
近づくなと言う言いつけをあっさりと破った。
目的は、トランク。
静かに指を伸ばし、取っ手に手をかける。
しかしそれを動かす前に、小さな手がカジの腕を掴んでいた。
「っ……!?」
「持っていかないで!! 私、私が、開けるから!」
「ちょ、ちょっと」
それは絶叫であった。
「パパ! やめて! ママ! 持っていかないで! 私が開けるから! 私が『取り出す』から! だから持っていかないで! 怒らないで! 怒鳴らないで! 必ず私が『取り出す』から!!」
――『取り出す』?
「ミルテ。大丈夫です、これを開けるだけです。大丈夫、落ち着いて」
「み、見つからなかったらどうするの? また怒鳴るの? 怒るの? ぶつの?」
「ぶたない。怒鳴らない。怒らない」
「嘘! 嘘、嘘、嘘、嘘、嘘! おじいちゃんの遺産しか興味ないくせに!! だからそうやってパパとママはいっつも喧嘩ばっかりしてるくせに! 私をぶって、おじいちゃんのトランクをよこせって怒鳴るくせに! パパもママも大っ嫌いよ!!」
「ミルテ」
怒りのあまり真っ赤になった彼女の顔に手を当てる。
「大丈夫。開けます。朝になったら、迎えに来ます。観光の準備をして、待っていてください」
「……」
「大丈夫。トランクは開きます。僕が、開けます。待っていてください」
「……」
彼女の手が渋々と言った様子で離れ、彼女は身を丸めて掛け物の下に潜った。
カジはトランクを抱え、音が鳴らないように細心の注意を払って部屋を後にする。
「……びっくりしたぁ」
宿を出てからようやく声を絞り出して緊張をほぐした。
「この中身――よっぽどのものなんですかね」
恨みがましく側面をノックし、カジは地図を頼りに歩き出した。
『右手の親指に盃』のある女の紹介である――そう伝えると、『壁の一部が扉に変わった』。
普通の扉はダミーか、と横目に見つつ、カジはその扉を開ける。
「おいおい、聖北の狗がこんなところに何用かね」
それは部屋全体に響いた。
「魔法に詳しい方を探していたら紹介されました。僕だって好き好んであなた方の工房を荒らそうとは思いません」
「そいつはどうも。三歩進んだら右に曲がりな」
言われたとおりにすると、そこは小さな空間で、壁際には小さな熊の縫いぐるみが座っていた。
「椅子も無くてすまんね。用事はそのトランクかね」
「開かないんです」
「ほーう。じゃあ私の側に置いてくれないか」
「壊さないでくださいよ。依頼人が怒ります」
「分かってるよ、心配性だなあ、もう」
熊の縫いぐるみは「よっこらしょ」と立ち上がり、トランクをべたべたと触り始める。
「へーん、ほーん、はーん」
「分かりそうですか?」
「これ、鍵はどうした?」
「は? 鍵? そもそも鍵穴がないじゃないですか」
「これだから一般人は。鍵穴があると絶対に鍵が必要なのか?」
「……、依頼人も鍵については何も言っていませんでした」
「ふんふん。よし、じゃあ説明しよう」
縫いぐるみは偉そうにトランクを叩く。
「こいつには二つの魔法がかかっている。まず、トランク自体にきっつい防護魔法がかかってる。焼こうが凍らそうが壊れないな。まあ、世界を破滅させるほどの魔法ならわからんけど」
「そんなに?」
「ああ。よっぽど頑丈に作りたかったんだろうなあ。もう一個は鍵穴にかけられた魔法だ。鍵じゃないと開かない。シンプルでわかりやすい、しかし絶対の法に則った魔法だな」
「ふむ」
「ということで鍵を作った。どうぞ」
「早すぎるのでは?」
「錬金術師舐めんなよ、聖北の狗」
短い腕をぴしっと上げて、縫いぐるみは偉そうに続けた。
「鍵は銀貨と交換だ。どれくらい誠意を見せてくれるのかな、聖北の狗、さん?」
「……」
カジは黙ってコートのポケットを漁り、無造作に袋を投げた。
重い音を縫いぐるみが「おっとっと」と受け取る。
「ひーふーみー……へぇ、結構出すんだな。狗のくせに」
「それ以上言えば滅します」
「おお怖。まあいい。報酬と引き換えに、鍵を渡そう。ほれ」
縫いぐるみの手に現れていたのは、小さな金色の鍵だった。
それを用心深く受け取り、カジはトランクにそれを近づける。
「……何処に挿すんです?」
「カギを持ったまま、開けてみろ」
「ふむ」
トランクはあまりにもあっけなく開いた。
中には思いがけずいろいろな物が入っていたが、カジには『取り出すべき物』が直ぐに分かった。
拳ほどの大きさの紫がかった赤い宝石。そして大小様々な大きさの真珠。それらが繊細な金細工によって繋がれて豪奢なネックレスとなっている。
それはあまりにも――自分では正確に計れないほど――高価な物であることは明らかだった。
「これが……おじいちゃんの遺産、ですか……」
「すっげぇ。これはこれは立派なロードライトだ。目玉が飛び出るほどの価値があるに違いない」
「これを巡って、依頼人の家はがたがたになったようですよ」
「そりゃあ……こんなもん相続できるとしたら人は狂うぞ」
縫いぐるみは「譲ってくれないか」と手をもみもみしたが、「依頼人にどうぞ」とカジは突っぱねた。
「まあいいさ。どうせお前はまた来る」
「……聞き捨てなりませんね」
「今後ともご贔屓に、聖北の狗さん」
「滅しろ布きれ」
するとお言葉に甘えてとでも言わんばかりに、縫いぐるみは魔力を失ってごとりと床に転がった。
カジは舌打ちしながらトランクを閉じ、その部屋を後にした。
最後に振り向いた時、扉は既にダミーもろとも存在していなかった。
「ミルテ。起きて、寝坊ですよ、ミルテ」
カジが彼女の肩を叩くと「ぎゃっ!」と低い悲鳴が聞こえた。
「寝てる時は近づくなって言ったでしょう!?」
「あ、あのですねぇ、もう昼ですよ。このままもう一泊する気はさすがにありません」
「へ、へ……? お昼……?」
ミルテは慌てて窓に駆け寄り、カジの言うことが真実だと分かると「ふ、ふん!」と顔を赤らめた。
「それで? 今日はどうするの?」
「もう開きました」
「へえ、もう開いた――へ!?」
カジはトランクを開けて見せた。
――そこにはいろいろな物が入っていた。
古ぼけた本。安っぽい指輪。美しい青色の羽織。異国の金貨。ペーパーナイフ。そして、あのネックレス。
彼女は「ああっ」と声を上げて、そのネックレスを手に取った。
「おばあちゃんのネックレス……おじいちゃんの宝物……やっぱりここに、あったのね……」
「これを取り出して欲しかったんですか?」
「……そう」
ミルテは唇を噛んだ。
「このトランクは、おじいちゃんが私にくれたの……でも、すぐにおじいちゃんは死んじゃって……トランクの開け方を知らないまま。パパとママはこのネックレスを探して、トランクを壊すって、私から取ろうとして……私は、逃げ出してきたの……」
「なるほど」
『初めて聞いた』という顔で、カジはそれに相づちを打った。
「開いて良かったですね」
「うん……ありがとう」
彼女は愛おしそうにそのネックレスを抱いた。
それを見て、カジはお節介だとは思いながらも言わずには居られない。
「ミルテ。それをご両親に渡すんですか?」
「……」
「あの、これは僕の想像ですが、そのネックレスを巡ってご両親は争いますよ。それはもう見ていられないほどの。あなたはずっと、そういうのに巻き込まれるでしょう」
「……」
「きっと、おじいさんも、そのネックレスをあなたにつけて欲しかったんじゃないかと思うんです」
「……そうかもしれない」
「なら、あなたが嫌だと思った物は捨てた方がいい。あなたは賢い、強かな方だ。やれますよ」
「……本当に、ありがとう」
ミルテは泣き出しそうなのをぐっと押さえているようだった。
――今の言葉は、彼女の人生を狂わせるかも知れない。
しかし、あの時の彼女の必死の表情が、カジに訴えかけていた。
苦しいのだ、と。
だからこそ逃げても良いと告げたのだ。
「あなたに報酬を渡さなきゃ……」
「そうですね」
カジは一度トランクを閉めた。そして金色の鍵をミルテに渡す。
「これが鍵です。持っているだけで作用する、と。トランクを開けて、僕に報酬をください」
「まどろっこしいのね」
「僕は契約を守るんですよ」
少女は年相応に少し笑い、トランクを開けようとして。
しかし、開かなかった。
「……開かないわ」
「そんなはずは」
カジが手を出すと、トランクはやはりあっけなく開いた。
そして、悟る。
「あの錬金術師……! その鍵はダミーで、僕自身を鍵にしたのか……!? 一体何てことを!」
――どうせお前はまた来る。
その言葉の意味を正しく理解した。
「ああっ、くそ……! 二度手間か……! 今度はどれだけぼったくられるか――」
「何? あなたにしか開けられなくなったの?」
「多分もともとそういうもんなんですよ……あなたのお爺さんしか開けられないものだったんです」
「ああ……なるほどね」
彼女は何故かくすくすと嬉しそうに笑った。
「じゃあ、こうするわ。あなたにはこのトランクを渡す。これが報酬よ」
「……何ですって? あなた、このトランクは大事な――」
「おじいちゃんから貰った、大事なトランク。でも、きっと、あなたが開けたってことは、そういうことなのよ」
「……わかりません、その、感覚」
しかし、断る理由も無かった。
「でも、ありがたく頂きます。大事にしますよ」
「ええ」
ミルテの顔には眩しい笑顔が溢れていた。
トランクに物を詰めていた時、分かったことがある。
この絶対に壊れない頑丈なトランク、三つ目の魔法がかかっていることに気がついた。
トランクの容量は見た目よりもかなり大きい。
カジの荷物を全ていれても、何故かまだ入るのだ。
いい報酬だった――素直にそう思えた。
ミルテがこれからどうするかは分からない。
自分もいつどうなるか分からない。
しかし確かに、トランクが繋いでくれた縁がある。
忘れられない大事な記憶だ。
「本当にありがとう、カジ!」
馬車に手を振る彼女に片手を上げて応える。
赤い宝石は、きっと彼女の首によく似合うのだろう。
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あとがき。
こちらはTwitterでいただいた、「正装をしたカジ」の絵で、カジがトランクを持っていたことから描き始めたものです。
素敵な絵を見た瞬間「よしトランクを手に入れる話を書こう!」というテンションで書き上げました。
本当は、若いカジの紹介もかねて、粗野口調で書いていたのですが、
正式に「聖歌隊の後」という時間軸に組み込んだので、丁寧口調に直っています。
最後になりますが、
万鐘の都オイコートの作者、Riverさんに感謝を。
快く許可していただき、ありがとうございました!