それは、四月二十九日のこと。
「ロスウェル五月祭?」
スロットが聞き返せば、「うん!」とハルは元気よく返事をする。
「五月一日にあるんだって!」
「ロスウェルってーと……あのロスウェルか」
「そうそう」
「えーっと……」
ちらりとカイトを確認する。
「まあ、ここからなら一日に間に合うな」と苦笑いが返ってきた。
「行こうよ行こうよー! 依頼だって終わったばかりだし!」
「いや、それはいいんですけどね、ハル」
カジが剣の刃を拭いながら、やはり苦笑いを返す。
「依頼が終わったばかり過ぎるんですよ……」
――"半月の卓"は現在、血溜まりの中に立っていた。
今回の依頼内容はこうだ。
『森に得体の知れないモンスターが現れた。腕の立つ冒険者に討伐を依頼したい』。
「いやー、ドラゴンではないと思ってたよ? こんな平地にドラゴンはいないでしょ。近くの山にもそういう噂一つなかったしね」
サザメが『ソレ』に座って足をぷらぷらとさせている。
「でもまさかキマイラだとは思わないでしょ……」
今しがた"半月の卓"が仕留めたのは、獅子の頭に山羊の胴体、二本の蛇の尾と大鷲の翼を持つ合成獣であった。
「大方、何処かの研究施設から逃げ出してきたんでしょうけど……まあ、賢者の塔は口を割らないでしょうね」
ナギが亡骸を検分しながら言うのに、皆同意するしか無かった。
「血に毒がないからな」
カイトは魔法の触媒である自身の剣で地面に魔方陣を書きながら続ける。
「何かを殺す為ではなく、研究材料だったと思うんだ、俺も」
「ますます怪しいじゃないですか。この依頼、リューンの賢者の塔からじゃありませんでしたか?」
「カジ、それは言わぬが花よ。依頼主様なんだから」
「む……」
「そうだぜ、カジ。首突っ込むと取れるぜ、首」
「分かってますよ、スロット」
今でこそ和やかに話している"半月の卓"であったが、戦闘は熾烈を極めた。
ナギは右腕を折られ、カイトは脇腹をえぐられ、カジは炎に巻かれ、サザメは尾に腕を噛まれ、スロットにいたっては首を深く傷つけられていた。
全員が無事だったのは、ハルが精霊の力で傷を治した結果だ。
強大な敵を前にしても、彼女が『心身共に無事であれば』"半月の卓"は死ぬことは無い。
そんな戦いを幾度もしてきた。
――死ぬのが怖くないわけではない。
死なない為にどうするべきかが、はっきりしているだけなのだ。
「出来た。皆離れろ」
カイトが魔方陣を書き上げ、全員を下がらせる。
「サザメ、証拠はとったな?」
「にっくき蛇の頭と接合部だけだけど、まだ必要かな?」
「いや、それで信じないような阿呆はいないだろう」
「しんらつぅ」
カイトはにやりと笑って、剣を振り下ろした。
着火音、そして、青く燃え上がる魔方陣の中心――キメラの死骸。
「ん、不燃の特性でもあるかな……燃えが悪い」
「じゃあそのうちに作戦会議といきましょうか」
ナギは苦く笑う。
いつだってハルの能天気さに振り回されているからだろう。
「確かにロスウェルまで行けば馬車道があるし、リューンだって戻りやすいでしょう」
「やった! だったら私達にとっても良いってことだよね?」
「でもね、私達は討伐対象を倒しただけなのよ、ハル」
「……? うん」
「報告義務があるでしょう」
ナギがついと顎で示したのは、サザメが持つ袋だ。もちろん、中にはキメラの部位が入っている。
「うん。分かるよ。その部位を依頼人に渡して、倒したよって報告をするんだよね。いつもしてる」
「そう。だから、私達はのろのろしていられないの」
「うん。……うん?」
「ロスウェルの祭に参加できるのは――」
"半月の卓"の参謀は、ぐるりと全員を見回す。
「半日ね」
「……」
たっぷりの沈黙の後、「ええええええええええ!?」という叫びが森に木霊した。
「み、短い……短すぎるよ、ナギぃ!」
「もともと祭りに参加するつもりじゃないもの。私達は、依頼の、途中」
わざわざ言葉を区切るものだから、ハルも事の大事さが分かったようで「むむむ」と小さくなってしまった。
「ナギ姉様、そんな言い方しなくてもぉ」
「まあね」
ようやく顔を柔らかくして、ナギはハルの頭を撫でた。
「でも、こう考えるのよ。ロスウェルまで行けば馬車に乗れる。馬車に乗ればリューンに戻れる。つまり、」
「リューンに早く戻る為にロスウェルに行ったって大義名分が出来る!」
「ご名答、スロット」
「おっしゃー!」
「ということは、馬車代を持ってもらえる……?」
「ご名答、カジ」
「いいじゃないか」
カイトが笑う。
「半日でも寄り道して自由に遊べた上に馬車代はタダ。このチャンスはものにしないとな」
「おお、リーダーのお許しが出たぞ! 行こうぜハル! 半日だって楽しいもんは楽しいだろ!」
「……」
彼女は少し不満そうだったが、「仕方ないよねぇ、私達冒険者だもんね」と目を細めて微笑んだ。
「美味しい物いっぱい食べたいなあ」
「ああ、いくらでも食べれば良いさ」
カイトがハルの肩を抱くのだが、それを見てカジは眉根を寄せる。
「これで背後で屍が燃えてなかったらいい雰囲気なんですけどね」
「野暮ね」
「この野暮野郎」
「カジ兄様、野暮でしょそれは」
「そんなに皆で責めないでください!」
――最初からこんな雰囲気のパーティではなかった。
ハルは始終震えて依頼の後は食事も喉を通らなかったし、血溜まりの中で食事の話をできるような人物では無かった。
カイトもスロットもそんな彼女を気遣いすぎて連携がまったくとれなかった。
連携がとれないという意味では、サザメも一人で何でもこなせてしまう為、協調性に欠けた。
ナギといえばそんな面子を冷ややかに見ていたし、カジもナギとの連携に慣れすぎてパーティの全員を守れるほど器用でもなかった。
それでも何とかやってこれたのは、やはり、ハルの存在が大きかった様に感じられる。
彼女が精神的にも肉体的にも成長を見せると、カイトが落ち着き、続いてスロットが落ち着き、サザメが自分の専門を見つける様になり、カジが全員を守る器用さを身に着け、ナギはそれを見てようやく全員に自分の指示を飛ばせる様になった。
そうやって、半月はやってきたのだ。
多分、これからも。
血の海の中であろうが、地獄の底だろうが、六人が立っていれば、多分、笑い話が出来る。
五月一日。
五月祭のこの日はロスウェル市民の願いが天に届いたのか、雲ひとつない快晴だった。
先日雨に見舞われたらしいが、今日はその影響も感じられず、日射しも柔らかかった。
「いい? 一回しか言わないわよ」
ナギは腕を組み、厳しい顔をする。
「時計を常に確認しなさい。馬車の時間は待ってくれないわよ。問答無用で置いていくからそのつもりで」
「は、はい……」
「特にスロット!」
「お、俺!?」
「さっきカイトと狩猟の催しがどうこう言ってたけど、最後まで参加してたら間に合わないわよ」
「ひ、ひぃっ、聞かれてた……!」
ナギはぎょろりと視線をリーダーへと移す。
「そして、カイト!」
「は、はいっ!?」
「ハルと食事に行くのは良いけど、あまり食べさせ過ぎないこと。馬車の護衛は順繰りよ、ハルを免除なんてしないんだからね」
「は、はい……」
「当然の様に私が食べ過ぎる前提で話されてる……」
「そろそろいい? あたし、お腹空いたよ」
サザメが「じゃ、馬車の時間までには戻るからね!」と今まで見たこともないような『子供らしい笑顔』で走って行ってしまった。
「あれはろくでもないことを考えている顔ね……」
「彼女の悪い癖が出なければ良いんですが……」
サザメの主な経歴として、『盗賊団団長の娘』という物々しいものがある。
今は盗賊ギルドに出入りもしているし、遺跡などでこっそりと私物を増やしたりもしている。
一番問題だったのは、彼女は手癖が悪く、道行く人から簡単にスレるということであった。
だが"半月の卓"の一員になってからはそういう『おイタ』をカイトやナギに窘められ、時にスロットが馬鹿にするものだからサザメの派手な行動はなくなった――実際は完全に無くなったのかどうかは分からないが。
「じゃ、解散!」
「了解!」
当たり前の様にカイトとハルが二人で食事に出かけ、スロットが「途中棄権でもいい! 俺は! 大暴れしてくるっ!」と魔王退治の勇者の如く走り出し、あとには聖職者と参謀の二人が残った。
「やれやれ、あのスロットがはしゃいでますよ。そんなに魅力的な出し物なんでしょうか」
「ただの負けず嫌いでしょ」
ナギは仕事は終わったとばかりに、やれやれとベンチに腰を下ろした。
「おつかれさまです」
「遠足に来たようね」
「はい」
見て、とナギは促す。
白い衣装に身を包んだ少女二人が、大勢の少年達を引き連れて家々を回っている。
温かくて微笑ましくも神秘的な光景だ。
「あれは……何かの儀式、でしょうか?」
「夏の訪れを告げるものだそうよ」
「そういえばロスウェルには土着の……精霊、だったとおもうんですが、その信仰が根強いとかなんとか」
「気になる?」
「可愛いですねえ、子供達。緊張して顔がぎこちない子もいますよ」
「……まあ、そんなことだろうと思ったけど」
ナギは柔らかく笑って、「デートには短すぎる時間よね」とカジの腕を突いた。
「え? ええ……まあ……」
「色気が無くて悪いけど、付き合ってくれる?」
「何処へでも」
「ええ。まあ、クレープくらいは食べたいかな」
それはカジにしか見せない表情に間違いないのだった。
「……お、おう」
スロットは思わぬことにぼんやりと上を見上げた。
そこにはずらりと挑戦者名簿が掲げられており、左右からせっせと新しい名前が継ぎ足されていく。
「超人気イベントじゃん……」
「元々は狩猟の神へ感謝を捧げるためのものだったんだよ」
「へー」
「今じゃただの弓の腕を競う大会だけどね」
「ふーん……」
スロットはゆるゆると視線を右にずらし――更に下にずらした。
思ったより小柄な、でも何となくたくましい姿が並んでいる。
「……お前、冒険者だろ」
「そっちもだよねー?」
「否定しねぇなぁ」
スロットは少女の姿を改めてよく見る。
なんてことはない軽装ではあるが、しっかりと整えられた弓と矢筒。服の下にはナイフでも持っていそうだ。
これでただのロスウェル市民とは言いがたいだろう。
顔を拝見すれば、まるで猫の様な黄と青のオッドアイと少女らしい快活な唇がにんまりと笑っている。
「お嬢さん、お名前を伺っても?」
「えー? 名乗る時は自分からっていうのが礼儀でしょー?」
「ん、それもそうだ」
からかいを含んだ言葉を流されて、スロットは緩んでいた顔を引き締める。
「スロットだ。よろしくな、嬢ちゃん」
「チコ! チーコ!」
「よろしくな、チコ」
「うん! よろしく、スロット!」
で、とスロットはまた挑戦者名簿を眺めている。
「お前もこれ、参加するわけ?」
「もっちろんだよ! スロットまだ参加表明してないの?」
「な、何故参加するとばれた!」
「いや、そんな演技っぽいことしなくても、これ見てたら参加希望ってわかるでしょ」
「ただの観客――」
「こんな手しといて?」
「……」
自分の手を広げてみる。
――なるほど、こんな手の傷つき方、同じ弓を扱う者であればすぐ分かるのだろう。
「早くしなよー! ただでさえ今年は人数が多いんだから、締め切られちゃうかもよ?」
「お、おう!」
そう言われると何だかその必要も無いのに焦ってしまう。
スロットは受付に駆け込み、さらりと自分の名前を書き――気がついた。
――免責事項。内容は予告なく変更されることがあります。当運営内でこうむった被害に対し、当運営は一切の責任を負いません。
「……何か、思ったよりもずいぶん……」
スロットはひやりと肝を冷やしながらも、不敵に笑った。
「面白そうじゃねぇか……!」
サザメが足を向けたのは屋台の並ぶ一角で、その中でも真っ先に近づいたのはくじ引き屋であった。
(本当はもうちょっと刺激的な賭けをしたいけど……)
小銭をポケットから出しながら、思う。
(これはこれで面白そうじゃんね?)
サザメは『子供の笑顔』をふりまいて、「おじちゃん! 一回!」と銀貨を払う。
「っと……」
横目で景品を確認する。
まだ早い時間だ、ほとんどの種類が残っている。一番のアタリは、ロスウェリアンビーフ一年分券だろうか?
後は、焼き鳥引換券(本日のみ有効)だとか、栗カボチャプリン詰め合わせ(保存魔法済み)とか、とにかく美味しそうなものと、細々とした雑貨が並んでいた。
(ここはやっぱり、肉でしょ、肉!)
サザメは屋台の主に「はいよ」と差し出された木の箱に手を突っ込む。
「んっ……!?」
彼女は"半月の卓"の調査役だ。危険なものを解除するのは彼女の領分であり、彼女のみに許された特権の様な物でもあると本人は思っていた。
その手が、箱の中身を入念に確認し――
(多くない……? くじ、多くない……!?)
今度は慌てて景品棚をはっきりと確認する。
「う、うわっ……!」
その景品合計数、二万と少し! ここに外れを足せば、三万票以上ということになる。
(それがこの小さな箱の中に入ってるっていうの……!? 冒険者の荷物袋じゃ無いんだから!)
「お嬢ちゃん、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「はっ!」
慌てて子供の笑顔に戻る。
「う、ううん、大丈夫だよ!」
話ながら箱の中身をかき回し、アタリを探す。
――アタリのくじは、ちょっと違う。書いたヤツ、箱に入れたヤツ、引こうとしたヤツ、引けなかったヤツ、そういうやつらの思惑が絡んでいるからだ。
それは罠を作ったヤツ、仕掛けたヤツ、解こうと挑んだヤツによって、罠が若干の差を見せる様なものだ。
だから、それを嗅ぎ分けてアタリを探すことなど造作もない。
「これだぁっ!」
意気揚々と取り出したくじには、眩しいほどに「はずれ」が堂々と書いてあった。
「……えええええええええええ!?」
「お嬢ちゃん残念だったねぇ」
くじの主は意地悪く嗤う。
「もしかしてお嬢ちゃん、運よりも『手』の方が自信あるタイプかな?」
「む、……」
「いやね、冒険者っていうのはそういうのも居るって聞いてたからさ」
であれば、と、主は勿体ぶって続ける。
「うちは、本物の運で勝負だからね――ごまかしは利かないよ?」
「……ふふーん?」
サザメは奥歯を噛んで一瞬だけ悔しさを滲ませたが、直ぐに『"半月の卓"としての顔』になる。
「オーライ、やってみせるよ!」
お小遣いは後五回分。他人からお小遣いを『貰う』とカイトが怒るので今はこれだけが軍資金だ。
自分の運の全てを、この一瞬に賭けるのだ!
「結構仮装してる子が多いね」
ハルがそんな風に言う物だから、「仮装したいのか?」とからかってみる。
「う、うーん……ううん、思いつかないから、いいや」
「そうか」
目の前の天使の様な翼をつけた子や、蝙蝠の羽根をつけた子、猫や犬の耳をつけた子などを眺めていると、目の前のハルには何が似合うかと考えて――それが殆ど子供用の仮装だと気がついて内心で謝った。
ハルは、一応、立派な淑女なので。
「お待たせいたしました」
そう言ってウエイトレスが机に置いたのは、三段のケーキスタンドであった。
下から、ロスウェル地鶏とその卵を使ったサンドウィッチ、フルーツトマトと小エビのタルティーヌ。ロスウェリアンビーフを使った小さなミートパイと栗カボチャのチーズ入りボール。上段にはベリーベリーケーキとレアチーズケーキのカップと焼きドー ナ ツ 。
脇に添えられているスコーンにはチョコレートソースとホイップクリーム、最後に運ばれてきたのは地元の茶葉をブレンドしたという紅茶という豪華なラインナップだ。
この街ではロスウェリアンサイズといって、大体リューンで見る食事よりも大きなサイズで出てくるものがほとんどなのだが、ここはいわゆるアフタヌーン形式をとっているからか普通サイズ――しかし普通のアフタヌーン形式であれば大きすぎるくらいで は あ ったが――である。
「ふあー」
ハルは感動できらきらした目をしている。
「すごいねぇ」
「朝一でこれを頼む人間もそうそういないだろうな……」
カイトは周りを伺う。
ロスウェルの大通りにある高級店――だが、予約と飛び込み客とで大盛況だ。
運良く滑り込めたハルとカイトの周りの席では、バターブレッドや紅茶、ミルクのみという客も多い。
そんな中でもケーキスタンドを注文したのは、ハルが「全部食べたい。食べられる!」と豪語したからである。
「まあ、俺達の五月祭はここで食事をするのが目的なので……」
カイトは慣れた手つきで紅茶を注ぐ。
「ゆっくり楽しもう」
「そうだね、いただきます!」
ハルは銀のフォークとナイフを手に取る。
――冒険者とはいえ、彼女はこういった所作が綺麗だ。
まずはサンドウィッチを食し、「美味しい!」と顔をほころばせた彼女を見るだけで、カイトの心は温かくなった。
「贅沢だよねぇ!」
「そうだな」
自分もサンドウィッチを食べ、紅茶を飲む。
爽やかな新茶の香りが清々しかった。
「でもやっぱりこういうのはアフタヌーンティーと一緒が良かったな……」
「なぁに?」
もはや頬袋いっぱいに木の実を詰め込んだ栗鼠よろしく、ハルは一段目を食べきろうとしていたところだった。
「いや、いいんだ。紅茶も飲め、ハル」
「うん」
彼女は嬉しそうに二段目に手をつけた。
「……! このミートパイ美味しい!」
「ロスウェリアンビーフという、地元牛だな。厚く切ってステーキ、薄く切ってローストビーフ……うーん、お腹が空くな」
「いやいやいや、今これ食べてよこれ!」
「それもそうだった」
紅茶の二杯目はミルクを足そう――そう思いながら、カイトはミートパイを手に取った。
「っひゅー!」
スロットは高揚のあまり我知らず高く囃し立てていた。
既にここは深緑都市ロスウェル内ではない。
参加者は『キルヴィの森』――その入り口に弓矢一つで並ばされていた。
広大な森を眺めながら「ははは、この森、おっかねぇなぁ」とスロットは興奮を隠せない。
「そんなにー?」
先ほど知り合ったチコが隣で首を傾げる。
「俺は砂漠出身でな。こんな森、冒険者になってから見たわけよ」
「なるほど……」
「だから、えーっと……獲物一頭仕留めて、持ち帰って、その早さを競う……だっけ? そんなん言われたら……やれるかどきどきしちまうぜ」
「へらへらしながら言われても説得力ないよー!」
「へっへっへ」
しかしそんな緩んだ顔も、後ろからどんっと人にぶつかられて、否が応でも引き締まる。
「……多いな、おい」
既に押すな押すなの大盛況で、皆弓矢を持って勇ましく並んでいる。否、並ばされている。
「今年は本当に多いねー」
「こんなんでスタートがき――うわっ、わりぃな」
「あいてて……いや、これを乗り越えてこその予選で、いた、いたたた、何か引っかかってるよ!」
既に波乱巻き起こっていたのだが、その真価はスタートの鐘が鳴り響いた時に発揮された。
「ぎゃー!」
最前列に立っていたスロットとチコは、我先にと飛び出そうとする参加者の波に飲み込まれたのだ。
「じゃ、チコ、ここは弱肉強食の掟と言うことで! お先に!」
「いやいやいや、ここはレディーファーストってやつで! お先に!」
――開始数分、既に獲物は見えていた。
豊かな森なのだろう、視界外のあっちからもこっちからも獣の気配がする。
「貰いっ!」
弓を構えた瞬間、「ぎゃっ!?」と右から追突され、その衝撃で隣にいたチコの足を見事に踏んだ。
「わーっ!?」
ひゅんっと風を切る音。
チコが構えていた弓から明後日の方向に矢が飛んでいくのを横目で見た。
「スーローットー!」
「事故だ事故! 事故ー!」
言い訳するものの、チコから二度足を踏み直された。
――これは予想以上に面倒かもしれねぇぞ。
今度は後ろから頭を殴られそうになりながら、スロットはそれでもやはり笑った。
ナギがはたと通りの向こうに目をやる。
「バリーかしら」
「え?」
「ほら、『大いなる日輪亭』"月歌を紡ぐ者たち"の――」
カジがその方向に目を向けた時には、その姿を見つけることは出来なかった。
「居たんですか?」
「ええ。見間違いではないと思うんだけど……」
祭りの最中だ、どこもかしこも人ばかりで直ぐに見失ってしまうのも無理はない。
「"月歌を紡ぐ者たち"も来ているのかしら」
「このような盛大な祭りです、羽を伸ばしに来ているのでしょう」
そう言ったカジの手には煮林檎のクレープが握られている。
「美味しいですこれ……」
「感動してるわね?」
「おいひい」
「溶けてるわよ、カジ。いや、違うの、クリームじゃなくて、なんか、貴方自身が」
「む……」
「いいの、無理に付き合って貰ったようなものだし、クレープはゆっくり食べてほしいの」
ナギは自身の分をとっくに食べてしまっていたので、ひらひらと彼に手を振るだけに終わった。
「本当に、ごめんなさいね」
彼女が見ているのは、道の脇に設置されたベンチである。
それを中心として、華やかな祭りの雰囲気と少し違った顔を持つ者達がいた。
その中の一人――赤い耳飾りの男がちらりとこちらを見る。
「どうぞ」
「どうも」
うながされ、ナギはその男が手渡してきた本を手に取る。
「……いや、これはいい。もっと年代が古い物があれば」
「じゃあこれは?」
さらに手渡された本の表紙を検分し、「いいわ」とナギは即決する。
「それで?」
「金かスクロールで」
「ふむ」男は少し考え、「炎の魔法が良い。でかいヤツだ」とナギに平坦な声で告げる。
「いいわよ」
ナギは懐から一枚のスクロールを取り出し、「どうぞ」と手渡した。
「……ふんふん。これでいい」
男は中身を確認して、二人の取引はそれで終了した様であった。
一連の流れを見ていたカジも、今何が行われたのか正しく分かっていた。
よく見れば――
周りの数人の人間達も、さっと何事か交渉し、さっとその場を立ち去っている。
先ほどまでいた人物達は既に見えない。
「おまたせ」
ナギは片目を瞑ってカジにここを去る様に合図した。
「何が欲しかったんです?」
「日記」
「……日記?」
「そう」
歩きながら、ナギは戦利品をカジに掲げて見せた。
「これ。古代の魔術師の日記」
「興味あるんですか?」
「最近読み解こうとしていたやつが、どうも分からない単語が多くてね。手助けにならないかな、と」
「ふむ……?」
「ニュアンス」
「ああ」
仕事熱心ですねと続ければ、「趣味よ」と彼女は笑う。
「楽しいの、これでもね」
「分かりますよ」
じゃあ、とナギは肩をすくめる。
「次に行きましょ」
「まさか、次のベンチがあるんですか?」
「次は木が目印」
「そ、そうですか」
「でも近くにカフェがあったら紅茶が飲みたいわね。ロスウェレーゼも食べたかったけど」
「……さては少し浮かれてますね、ナギ」
「ふふふ。分かっちゃった?」
「はい」
そんな彼女が、カジは好きだった。
リューン行きの馬車はロスウェルの入り口に幾つも並んでいたが、"半月の卓"が手配した小振りの馬車は出番を待って一番先頭にいた。
ハルとカイトが到着した時には、既にサザメが隅でいじけており、なおかつじめじめとしていた。
「ど、どうした」
「うっ、カイト兄様……」
「具合でも悪いのか?」
「違うよ……」
彼女はふっと遠い目をする。
「私は負けたんだ……このロスウェルが誇る、くじ引きという最も公平な賭けにね……」
「よくわからんが、聞くと沼に落ちそうなのでそのままにしておくぞ」
「うん……」
今にもキノコかコケでも生えそうな様子だったが、「元気出してね」とハルに頭を撫でられてからは少しだけ日が当たった様に見えた。
「揃ってますか?」
カジの声が幌の外から聞こえ、カイトが「いや、俺とハル、それとサザメしかいない」と答えれば「スロットがまだですか」と返ってきた。
「ナギはいるのか?」
「はい。荷物の確認をしています」
「じゃあスロット待ちですね」
「待ちってったって……」
カイトはちらりと御者を見た。
随分歳を召しているその人物は、柔らかく「まだ時間まではありますから、大丈夫ですよ」と微笑んではいるが、それが逆に「時間通りにしないと悪いな」という気持ちをカイトに持たせた。
「まったく。あれだけ遅れるなと」
「夢中になっちゃってるのかな」
「だからって――」
「まあまあ、仕方ないですよ。もう少し待ちましょう」
「我らが聖職者様はお優しいことで」
ナギが自分の恋人を揶揄する声が聞こえた。
「私は容赦なく置いていくに一票」
「俺も」
「参謀殿とリーダーはシビアですねぇ。……おや」
「あら」
二人が声を揃えた後、「おまたせぇっ!」という大声が聞こえ、カイトは幌を勢いよく引いた。
「スロット、遅い!」
「何でだよ!? まだ時間あるじゃねぇか! 遅刻したわけじゃねぇーよ!」
うっと言葉に詰まり、それもそうだと思い直す。
「俺は道中の楽しみを持ってきてやったというのによぉ」
彼は何やら布がかぶせられたトレーを持っており、幌の中に全員が乗ると「じゃーん!」とそれを披露する。
「肉?」
「肉」
「お肉だぁ!」
「肉! 肉じゃん!」
「肉ねぇ」
こんがりと焼かれたそれは、六人と御者一人で食べても余裕がありそうである。
「これどうしたの?」
「イベントの参加賞。馬車の時間がつったら、じゃあもってけって焼いてくれた」
「へー」
「俺が仕留めたヤツだぜ!」
「へー! スロットもたまには役に立つじゃん?」
「んだとサザメぇ!? 俺がいつ役に立たなかったってぇ!?」
「押さえて押さえて……まったくいつもこうなんですから」
――そして、慌ただしくも楽しかった祭りから、"半月の卓"は離脱した。
馬車の中、各々楽しかった思い出を語りながら、スロットの持ち帰った戦利品を分け合う。
ハルときたら、「お腹いっぱい食べたんだよ!」と言いながらまだ食べるものだから皆を呆れさせた。
皆、遠ざかるロスウェルには未練はあったが「また来ようか」などと約束を交わし、振り向くのは止めた。
リューンまでの道程は、楽しかった祭りの残滓の様で。
そして、彼らは自分の宿に帰ってから知るのだ。
ロスウェルで何か大変なことが起きたと言うことに。
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食べて飲んでいただけだけどあとがき。
この物語は
周摩さんのカードワースリプレイ『ツキヒメノウタ』の中に出てくるロスウェル五月祭に"半月の卓"が参加していた――という話です。
先にスロットを弓技大会に出させていただいたのですが、その時の妄想と他の面子は何していたんだろう?という妄想とが折り重なって、とにかく飯を食べている話です。
ご飯美味しい。
何せ時間が半日しかありませんので、五月祭内で起きたあれこれには全く関与しておらず、とにかく食べて飲んでをしております。
半月の卓、祭りを満喫ご満悦。
それとは別に、お祭りと言うことで、くじ引きさせてみたり、デートさせてみたりしました。
楽しかった私ご満悦。
でもこれは!全て妄想!!桜林囃子の妄想なので!!
ロスウェル五月祭には何ら影響しないということをご容赦ください。
最後に。
どーしても!ロスウェレーゼを食べられなかった!!
次回!次回に!!!!
今回は本当にありがとうございました!