リューンの暑い昼。
「誕生日なのよねぇ」
ぽつりと隣の女は呟いた。
彼女は自分の宿に何度か――確かバリーに用事で――来ていて顔を合わせたことがあった。
確か『選定の剣亭』のナギ。
バリーが話していたところによると、魔法の扱いに慣れた女で、冒険者パーティー"半月の卓"の参謀であるらしい。
そんな女が冷徹な顔で溜息をついていた。
――その様子が、コヨーテから見ればぞっとするほど艶やかで、かつ恐ろしく見えた。
「誕生日なのよねぇ」
彼女はもう一度呟いた。
コヨーテは「そうだな」と小さく呟く。
――七月七日。
今日は自分の誕生日だ。
毎年ささやかに祝われてきた日であったが、今日はそうもいかないらしい。
悲しくはない。
それよりも、間近に迫った危機の方が重要だ。
「ルナ」
コヨーテはソレを睨んだ。
リューンの東聖堂。
包囲する自警団達。
飛び交う怒声。
「いいか、少しでも動いてみろ! 中にいる奴らがどうなっても知らねぇからな!」
魔法で拡声された、潰れた声。
「ふー……あの人ったら、何してるのかしら」
隣の女の声。
全ては今日の朝から始まっていた。
七月七日 朝六時
『選定の剣亭』
「あら、おはよう、カジ」
ナギが声をかけると、まだ眠そうな声で「おはようございます……」と返事があった。
「こんな早くから寝床にいないなんて、心配しました」
「あら」
ナギはくすりと笑う。
「冒険者に夜はないでしょう?」
そう言いながら細い指を依頼書の束に滑らせる。
――まだ亭主も起きていない時間だ。
カジは緩い寝巻きの首元を押さえながら、
「ナギ、少しは自分の体を労って――」
と言うのだが、ナギは笑うだけで部屋に戻ろうとはしなかった。
「貴女って人は……」
カジは呆れながら、しかし止めても聞かないのは知っていたので、そのまま寝床に戻った。
それを見送り、ナギは「ふふっ」と笑う。
「あの様子じゃ、今日が何の日かなんて忘れてるんでしょうね……」
今日は七月七日。
カジの何回目かの誕生日だ。
いつも蔑ろにされる彼の誕生日であるから、今年こそ何かしようと思っていた。
ハルとカイト、それにスロットとサザメは少し遠出して有名な洋菓子店までケーキを取りに行った。
(カイトの魔法があれば、日持ちしないケーキも安心して運べるとの判断だった)
リューンに残ったナギはプレゼントに悩んでいたのだ。
長い付き合いだ。
贈りたい物は大体贈ってしまった。
本人も何が欲しいとは口に出さない――それどころか近年では誕生日自体を忘れているようだった。
「どうしようか……」
依頼書の束に隠していたのは、ハルがオススメしてきた宝石店の『ちらし』であった。
「恋人同士にぴったりの品あります、か……」
――たまには冒険者らしくないものでも贈ろう。
そう決めていただけに、ハルの提案は悪くないように感じた。
しかし、そういった場所に行きなれないナギからすれば、かなりハードルの高いプレゼントである。
「……よし」
覚悟を決める。
開店と同時に入れば店員を捕まえやすいだろう――
そう思いながら、もう少し時間を潰すことにした。
七月七日 朝七時
『大いなる日輪亭』
「ルナを見なかったか?」
コヨーテが宿の亭主に声をかけると「ああー」と鈍い反応があった。
「どうだったかな」
「……歯切れが悪いな」
「いやあ、歳かな。最近物忘れが――」
「……」
じっと睨みつけては見るものの、宿の亭主はこれ以上言葉を交わそうとしなかった。
何か誤魔化しているのだ。
「……危険なことをしてなければいいんだ」
ぽつりと呟いて席に座る。
「朝食は?」
「おう」今度は返答があった。「今日はいいベーコンが入ってな」と言うや否や、じゅうっと油の溶ける音と香ばしい匂いが厨房を満たした。
急激にお腹が減ってきた。
「あらあら、コヨーテはご機嫌斜め?」
くすくすと笑う"姉"から、コヨーテは顔を逸らす。
「私はちゃーんと覚えてるわよ?」
「え? 何を?」
「……っもう! 忘れちゃった? 今日は七月七日よ?」
「……ああ!」
――すっかり忘れていた。
「誕生日」
小さく呟くと、気恥ずかしくなる。
「いや、でもオレはもう」
「何言ってるの! 誕生日はいくつになっても喜ばしいことでしょう?」
「う、ううん……」
コヨーテは頬をかく。
面と向かって言われると恥ずかしい。
「でも冒険者が誕生日なんて」
「冒険者だからでしょう! 危ないこと、死にそうなこと、そういうのを潜り抜けてまた一年をお祝いするんだから!」
「……それもそう、か」
姉のテンションに気圧されるようにして、コヨーテはとりあえず納得した。
「お待たせ」
出てきた朝食はもやもやとした気分を打ち消す、いい香りがしていた。
――しかし、ルナは何処へ行ってしまったのか?
反応から見るに"親父"はルナの行方を知っていそうだ。もしかしたら"姉"も知っているのかもしれない。
「誕生日、か」
胸に期待が沸いたが、それは明確な意思を形成する前にあっさりと沈んでしまった。
七月七日 朝七時半すぎ
『リューン 蒲公英通り』
九時には開店するとのことだったが、その時間まで宿にいると流石にカジに怪しまれそうだったので出かけることにした。
蒲公英通りにはカフェも数多くあることだし、優雅な朝食をとってもいいと考えたのだ。
ナギは『サボテンと黄色い花』というオープンテラスのカフェを選んだ。
紅茶とミルクトーストを頼んで、通りを眺める。
小さな鳥達が戯れている様子に和んだ。
――ここのところ忙しかったから、朝食もろくにとっていなかった。
「お待たせしました」
運ばれてきた食事は、いつも宿で食べるものよりも格段に華やかであった。
こうなるととたんにいつもの食事が恋しくなるのは冒険者の性かもしれない。
ナイフとフォークでそれを切り分けて口に運ぶ。
しっとりとしたパンは甘さ控えめで美味しい。
添えられたフルーツサラダもさっぱりとしていて彼女の口に合った。
「……ん?」
もう直ぐ食べ終える頃、「ううーん! うーん!」という唸り声にナギは顔を上げた。
「……」
視線を巡らせると、修道女の服を纏った少女が食事を目の前にして唸っている。
いや、良く見ると手に持った何かに向かって唸っているのだ。
「うーん! でも、うーん……!」
そしてナギは、彼女に見覚えがあった。
あれはいつだったか――虫食いが発生した魔法書の解読の助けを求めて、『大いなる日輪亭』へ出向いた時。
彼女は確かにそこに居た。
「あの……」
「ひゃい!?」
声をかけると、少女はびくりと背筋を正した。
「わ、わ、わっ! ど、どなたですか!」
「こっちよ、お嬢さん」
きょろきょろと辺りを見回す少女に呼びかけると、彼女は「ひゃっ!」と声を上げた。
「あ、あ、っと……ええっと」
「貴女、『大いなる日輪亭』の方?」
「そ、そうです!」
「私は『選定の剣亭』のナギよ」
「……はっ! あ、お、お久しぶりです?」
どうやら思い出してくれたようだ。
「貴女は、ええっと」
「ルナ、です」
「ルナちゃん。……何を唸ってたのかしら」
「はう! ……煩かったですか?」
「ええ」
「あわわわ、すみません……!」
「それはいいのだけれど」
ナギが「そちらのテーブルに行っても?」と声をかけると「あ、はい!」とルナは声を弾ませた。
食事を持ってテーブルを移る。
ルナはミルク粥を注文していたようだがすっかり冷めているようだ。
「あ」
ナギは目を見開いた。
彼女が持っていたのが、宿でナギが眺めていた宝石店の『ちらし』だったからだ。
「それ」
「あ、ナギさんもまさか!」
「ええ」
「……!」
彼女は興奮気味に前のめりになって「や、やっぱり恋人へのプレゼント、ですか……!?」と声を震わせている。
「ええ」
「わー! わー! ……はぁ」
しかしそのテンションも長く続かなかった。
「そうですよねー……恋人から贈るものですよねー……」
「どうしたの」
「ああ、いえ……。コヨーテが」彼女ははっと「あ、私のパーティのリーダーが」と言いなおす。
「誕生日なのです、今日」
「え、ええ? 奇遇ね。私の恋人も今日が誕生日なのよ」
「ええー! そんなことってあるんですね」
ルナはもじもじと指を動かしていた。
「……私、ここのイヤリングを、プレゼントにしたかったんですけど……ちらしには、恋人にぴったりってあるじゃないですか……その、えっと……そういうんじゃなくて……」
「ああー」
ナギは何となく、ルナの心情を理解した。
そういう時期はナギとカジの間にはなかったが、一般的に「もやもやする時期」があるのは知っている。
――二人の間には、命の危機しかなかった。
「別にいいじゃない。あげたい物を、プレゼントすれば」
「そうでしょうか? 迷惑じゃないでしょうか」
「迷惑に思う男ならこっちから願い下げよ」
「う、うう……貴女は強いですね」
「当然」
ナギは腕を組む。
「私は自分を信じている」
「そこまで強くなれません……」
おずおずとルナはナギを見つめる。
「……ナギさんの恋人って、どんな方なんですか?」
「聖職者」
「へぇ! 意外です」
「そう? まあ、癒しの奇跡よりも剣の方がずっと似合う人だけれど」
ナギはくるくると指を宙に踊らせる。
「私よりも少し身長が高くて、手が大きくて、声は心地よくて、温かい人よ」
「は、恥ずかしくないですか?」
「どうして?」
「……い、いや、なんでもない、です……!」
ルナは「ナギさん! お願いがあります!」机に手をついた。
「私と一緒に、か、買いに行ってください……!」
「いいけれど」
「ほ、ほんとですか! や、やったあ……」
少女はそっと表情を隠して「これで、便乗して買った、という言い訳が……」などと呟いているのを、ナギはあえて聞き逃した。
七月七日 朝七時半すぎ
『選定の剣亭』
「え、ナギ、出かけたんですか」
カジは目を白黒とさせた後、明らかに落ち込んだ。
「僕を置いて仕事ですか……」
いつも二人でいるわけではない。
一人で仕事をすることも多かったし、ナギはカジに暗い仕事をさせたがらない。
もしかして今回も、一人で危険なことをしているのではないか――
「……まあ、考えていたって、合流できるわけじゃないですからね」
依頼書をざっと見回す。
一人で出来そうな物を探してみるが、どれもこれも一人では難しそうなものばかりだった。
「うーん……」
生憎"半月の卓"はカジ以外不在で、動きようがない。
いっそ休日だと割り切ってしまえば楽なのだが、ナギが働いている以上、カジも何か働かなければという気分になってしまっていた。
「……僕も出かけますか」
――教会にでも行こう。何か手伝えるかもしれない。
「あ、しまった……」
剣がない。前回の仕事の後、ナギに預けたっきりであった。
「まあ、教会に帯刀する必要もないですかね……」
剣を求める時、自分が冒険者だと言う事を思い知らされる。
何時、何処でトラブルに巻き込まれてもいいように、と。
「少しは祈りを信じてみることにしましょうか」
七月七日 朝八時
『大いなる日輪亭』
長めの朝食を取り、コヨーテはぼんやりと白湯を飲んでいた。
今日の予定を決めかねていた。
"親父"と"娘"は去年と同じようにご馳走を用意し始めている。手伝うことは何もなさそうだ。
半日で終わるような仕事は生憎見つからず、宿のカウンターで時間を潰すのが精一杯だった。
「たまには市に買い物でも行って来ればいいんじゃないか? ここのところ、働きっぱなしだっただろう?」
チキンの腹に香料を詰めながら、"親父"はにやりと笑った。
「買い物って。特に欲しい物はないし」
「ここに居ても暇なだけじゃないか」
「そりゃあそうだけど」
「どれ、小遣いをやろう」
「いいって! そういうの! もう子供じゃないから!」
コヨーテは「いいよ、行ってくる」と目を細めて立ち上がる。
夕方までには帰ってくるように、という声を背中に受けながら宿から出た。
「といってもなぁ……」
夏の暑い日ざしを感じながら途方にくれる。
「暑い……」
本格的な夏はまだだが、結局暑いことには変わらない。
この身の半分が"吸血鬼"であればなおさらだ。
「……どこか、涼しいところへ行こうか」
日陰を選んで歩き出す。
ふと周囲に目をやれば、皆一様に影の中を進んでいる。
聖職者の服を纏った者を見る度、ルナが居ないか探してしまうが、姿を見つけることは出来なかった。
七月七日 朝九時前
『宝石店 ウインドミル』
「ふわあ」
入店した二人を出迎えたのは、壁一面に飾られたアクセサリー達だった。
ルビー、サファイア、エメラルドといったルナでも名前が直ぐに出てくる物もあれば、光を通さないほどの真っ黒やでこぼこな石も存在していた。
「どうぞ手にとってごらんくださいませ」
宝石店の店長はは柔らかいアッシュブロンドの老紳士であった。
二人が店の前で待っていると「どうぞ、お嬢様方」と開店前にもかかわらず入れてくれたのだ。
「全て貴方が買い付けを?」
ナギは嫌になるほど冷静に店内を眺め、老紳士に質問を投げた。
「はい。昔は冒険者などをやっておりまして、その時のコネで」
「なるほど……」
「お嬢様方も、冒険者なのでしょう?」
「分かるの?」
「目が違いますから」
青い瞳が皺に埋もれてしまいそうなほど細められる。
「さあ、お嬢様。何かお気に召したものはございますか?」
「はぁ……」
ルナはうっとりとため息をつく。
「どれも素敵です……」
「ありがとうございます、お嬢様」
「あ、あっ、でも! えっと……その……」
顔を真っ赤にさせて、彼女はもじもじとしている。
隣からナギの小さな笑い声が聞こえ、「ちらしを見て来たの」と告げた。
「ああ、それはそれはありがとうございます」
「それで」
「ええ、こちらに」
店長はがさごそと戸棚を漁り、金の装飾が施された大きな宝石箱を取り出した。
「これは魔法のかかっている品でして。さあ、どうぞ」
開かれた箱の中を覗き込み、二人は同時に「わあ」と声を上げる。
中には四組のイヤリングが揃えられていた。
「……本当、魔力を感じるわ」
「ええ、こちらの宝石は遥か西方の砂漠の向こうからやってきたものです。そこに宝石を扱う魔術師が、『空間を超える魔法』をかけたのです」
「空間を……超える?」
「ええ。このイヤリングの片割れ同士は魔法で繋がっていて、声が届くんですよ」
「へぇ!」
やってみてくださいと、店長は一組の左右をそれぞれ二人に渡した。
シンプルとは言い難いそれは、金色の幾何学模様の刻まれた板に菱形の赤い石がはまったものであった。
「これは……ルビーですか」
「ええ。生命力、努力、感受性――そして愛の炎を表す石ですね」
「あ、愛!? あわわわ」
その手にした石と同じくらいに赤くなったルナに対して、ナギはイヤリングを揺らし何やら考えている。
「ど、どうしましたか、ナギさん」
「いえ……、この模様、魔方陣を簡略したものだわ。複雑なのにこんな小さく魔法を閉じ込めている……しかしこの方式は」
「……??」
ルナはナギがその先何か呟いたのを、「魔法を使う人は難しいことを言うなぁ」程度にしか理解できなかった。
きっとナギという人物は、何かに没頭すると周りが見えなくなるんだろう。
店長はそんな対照的な二人を見て笑った。
「さあ、お嬢様」彼はルナに微笑みかけた。「一度店の外へどうぞ。そして、こちらのお嬢様の顔を思い浮かべて石に話しかけてください」
「は、はい!」
早速店の外へと出て、試してみる。
――あの人びっくりするくらい美人だ。でも氷のように冷たく笑う。
そんなことを――失礼なのは承知だ――思いながら「ど、どうですか?」と声をかけてみた。
とたん、石が震えた。微かだが、確実に。
『……聞こえるわ』
「わあー! すごいです!」
思っていたよりもずっと明瞭に聞こえた。
『店の中まで貴女の声が聞こえるわ。戻ってらっしゃい』
くすくすと笑い声まではっきり聞こえる。
「あ、はい、すぐ戻ります!」
中へと戻ると「いかがでしたか?」と柔らかい店長の声が迎えてくれた。
「凄いです! これならいつでも話が出来ますね」
「ええ、ですから恋人への贈り物にどうだろう、と思いまして」
「効果範囲は?」
ナギは抜け目がない。
「ええ、隣国までは余裕だそうです。証明できるものは残念ながらありません」
「いいの、大丈夫。合っていると思うわ」
「分かるんですか?」
「ええ。何となく」
ナギはルビーのそれを店長に返し、代わりに隣の緑色の手に取った。
ルナが手にとっているものが炎のように可憐なものであるならば、ナギが手に取ったのは葉から落ちた朝露のような一粒の美しさがあった。
「私はこれにするわ」
「早い!?」
思わずその石を見る。
透明感のある緑は、光を吸い込んで明るい輝きを返している。
「エメラルドですか?」
「そうです。エメラルドには満足感、喜び、先見の明、希望、新たな始まり等の意味があります」
「あれ……愛、みたいな言葉はないんですね」
ちらりとナギを見ると、彼女は笑った。
とても柔らかく。
「これでいいの」
「かしこまりました、お嬢様」
店長はルナを見て「他のも手にとってごらんください、お嬢様」と笑いかけた。
だが――もう決まっている。
「あの、ナギさん」
「ん?」
「私が、ルビーを買ったら……おかしいと思いますか?」
「どうして?」
「だ、だ、だ、だって……あ、愛、とか……」
「愛は命を命たらしめるものよ。貴女がそれを、自分や他人に贈りたい……素敵なことだと思うわ」
彼女は大真面目に告げる。そこに真剣さ以外の何物も宿っては居ない。
「……では、私はこのルビーに!」
「ありがとうございます、お嬢様」
片方ずつお包みいたしますね、と店長は笑った。
七月七日 朝九時すぎ
『リューン 東聖堂』
カジは『選定の剣亭』で朝食を済ませた後、リューンの東地区にある聖堂へと向かった。
東聖堂は大聖堂と違い小さいものだが、いわゆる「スラム街」に近いこともあって人々の心のよりどころとして強い意味を持っている。
ただし、それゆえに問題も多い。
「おはようございます」
「ああっ、おはようございます」
神父が大きな荷物を抱えていたので「お手伝いしますよ」とそれを受け取った。
「ああ、すみません……!」
「いいえ。しかし……」
カジは辺りを見回す。
「随分荷物がありますね。何かありましたか?」
「明日、炊き出しをやろうと思っていまして。住民の方々にお伺いしたところ、こうして大規模になってしまって」
「なるほど、そうでしたか」
多くの聖職者達が重そうな荷物を持ったり、大きな鍋を洗っていたりする。
――ここのところ、リューンも治安が悪い。
人々は貧困にあえぐこともあるし、その結果冒険者家業がはかどるのは皮肉といえる。
「今日、僕は暇をしていまして……もし良かったらお手伝いさせてください」
「しかし、こちらから差し上げられる物は何も」
「何を仰いますか」
カジは目を細めて、少し笑う。
「僕は冒険者ですが疑いようもなく神の僕。故に、見返りなど求めません」
「……」
神父は「両手がふさがっているのが残念です」と目を閉じた。
――これで少しは誰かのために働ける。今日は神に従事しよう。
七月七日 朝十時
『リューン 蒲公英通り』
「ありがとうございました、ナギさん」
ルナは宝石店の包みを抱えて丁寧に礼をした。
「一緒に買い物しただけじゃない。お礼なんていいわ」
ナギもまた、包みを大事そうに抱えていた。
――その表情が柔らかい気がした。
「……あの、ナギさん」
「ん?」
「どうして、エメラルドにしたんですか? あ、えっと……愛、とか……そういう言葉じゃなくていいんですか? 恋人に贈るものなんです、よね?」
ルナは気になっていたのだ。
悩むことなく、その石を選んだことを。
あんなに信愛する相手なら、ルビーを選ぶものだと思っていたから。
「愛は」
ナギは胸を押さえた。
「もう、ここにあるから」
「え……?」
「愛はもう、与えて、与えられた。私達はずいぶん一緒にいるわ。だから私は、明日を贈りたかった」
「……明日」
「貴女は愛を贈るといい。まだそれは、貴女が贈っていないものなのだから」
彼女青い瞳は、真っ直ぐにルナに向けられていた。
その言葉に揺らぎなど無く、自分の思う正しさがそこにある。
込められた感情の熱を、ルナは確かに感じ取っていた。
「はい、必ず贈ります」
「ん」
「今度恋人さんに会わせてください、良かったら!」
「ええ、必ず」
「はい!」
と元気に返答したまでは良かったのだが、うっかり注意力が反れていて、何者かと派手にぶつかってしまった。
「うあっ!?」
「はっ!? てめぇ、気をつけろ!」
あまりの相手の勢いの良さに正面に倒れ、持っていた物――財布や十字架、今しがた買ったもの――をばら撒いてしまった。
「ルナちゃん!」
ナギが駆け寄ってくる。
「っ……!」
ナギが自分の荷物を全て地に捨てるように置き、走り去っていく男に指を向けた時、ルナは思わず「だ、大丈夫です!」と叫んでしまった。
魔法使いが誰かに指を向ける――それがどんなに危険なことか分かっていた。
「大丈夫です、怪我も何も無いし、というか怪我しても治せます、大丈夫です!」
「……」
暫く人混みに紛れる男を見ていたナギだったが、「本当に怪我はない?」とルナの荷物を拾い始める。
「平気です! 私、冒険者ですからね」
「ふふ、そうだったわね」
二人は荷物を集め、再び立ち上がった時には笑顔があった。
「宿まで送ろうか」
「あ、いえ。私、東聖堂に寄っていこうと思ってまして」
「そう? 分かったわ。気をつけてね」
「まだ昼間ですし、大丈夫ですよ! それでは、また!」
今度こそ別れを告げ、ルナは身を翻した。
――夕方までには帰ると"親父さん"に告げていたので、それだけは守らなくては。
七月七日 朝十時半前
『リューン 東聖堂』
カジは力に自信がある。
積極的に力仕事を請け負ううちに、いつの間にか上着も脱ぎ捨ててしまっていた。
夏の日差しは容赦がない。
「あっつ……」
前髪を上げていた額当ても外し、手の甲で汗を拭う。
「半分くらいは運びましたかね……」
タオルを求めてうろうろしていると、「こんにちは!」とはりのある明るい声が耳朶を叩いた。
「ああ、ルナさん。お久しぶりです」
「お手伝いに来ました。明日、炊き出しの日ですよね?」
「それはそれは。本当にありがとうございます」
声の方向を見に行くと、修道女の服を纏った可愛らしい少女が顔を綻ばせていた。
彼女もまた聖職者なのだろう。
――自分よりも、『らしい』。
「これ、持ちましょうか!」
「あ、ああ! それは重いですから持ち上がらないですよ!」
だと言うのに、頑張り屋なのだろう彼女は「んっ!」と持ち上げようとしている。
地面から少しも浮かなかったが。
――負けず嫌いなところがあるのかもしれない。
「持ちますよ」
そう声をかけると、少女は「い、いえ、これくらいなら持て、ます!」と譲らない。
「なら、一緒に」
箱の反対側を持ち上げると、あっさりそれは持ち上がった。
「ありがとうございます。ここの方ですか?」
「あ、いえ。僕は『選定の剣亭』の冒険者ですよ。カジと申します」
「そうなんですね! ……ん?」
「?」
頭に疑問符を浮かべる彼女と一緒に、とりあえず荷物を運ぶ。
聖堂の中は外と違って少しだけ涼しい。
「カジさん、これ、使ってください」
神父は厚手のそれを何枚も貸してくれた。
きっと新しく買ったものに違いない。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いえ、そんなに汗だくで頑張ってくれているんです。これくらいしなければ私が神に怒られてしまいますよ」
カジはもう一度礼を言い、タオルで汗を拭った。
多分また直ぐずぶ濡れになってしまうだろうなと考えながら、ふとルナと呼ばれていた少女を見ると、こちらをじっと見て何かを考えていた。
「どうかしましたか?」
「『選定の剣亭』の冒険者さん、なんですよね?」
「ええ。間違いありません」
「……ナギさんとお知り合いですか?」
「ああ、ナギは僕の恋人です」
「っ!!」
少女は「あわわわ……なんと言う偶然、これが神の采配なのでしょうか……」と小動物のように震えた。
「な、何かあったんですか?」
「い、いえ! そ、その……先ほど偶然道でお会いして」
「ああ、依頼を受けにいったんですね。何か言っていましたか?」
「いいえ! 特に何も!!」
「そ、そうですか……?」
それには少々気落ちした。ナギが何処に行ったか分かるかもしれないと思ったからだ。
――変なことに巻き込まれていなければいいのだが。
「背が高くて、手が大きくて、声は心地よくて、温かい……なるほどー」
「……僕、何か変なことしました?」
「あ、いや、いや! なんでもないんですよー、えへへ」
もしかしたらナギに変なことを吹き込まれたのかもしれない。
そう思いながら、「さあ、話す前に手を動かすことにしましょうか」とカジは肩を竦めた。
「は、はい! お任せください!」
ルナは元気良く、また重い物を持とうと奮闘していた。
七月七日 朝十時半
『選定の剣亭』
「え、カジ、出かけたの?」
亭主に聞けば「仕事を探してくる」と言い残していったそうだ。
どうやらすれ違いになってしまったようで、ナギは少し残念だった。
「まだカイト達が帰ってくるには時間もあるし……ううん、少し寄り道をしてくればよかったか……」
ナギは宙に指で文字を書く。
「ケーキは四人に頼んだ……食事は夕方取りに行って……お酒、はあるものでいいし……早くもやることがなくなっちゃったわね」
本当ならば暇を持て余しているだろうカジとチェスでもしようと思っていたのだが、いないならば仕方がない。
「直ぐ渡せるようにしておくか……」
荷物袋からイヤリングを取り出した時、違和感を感じた。
――術式がおかしい、気がする。
「……?」
どうしても気になり、二つの包みを開ける。
「あっ!」
包みの片方にはルビーのイヤリングが入っていた。
店長が入れ忘れたとは考えにくい。つまり――
「あの男がぶつかってきた時か……」
ナギは唇に指を添える。
――ルナは何処に行くといっていたか?
「……東聖堂、か。まだいるかしら」
――もしかしたらあのカジのことだ、同じように手伝いに行っているかもしれない。
行ってみようと腰を上げ、夕方までには戻ると亭主に告げた。
七月七日 朝十時半すぎ
『リューン 大通り』
道行く人々は暑さに茹だりながら目的地に急いでいる。
今の時間でも十分に暑いと言うのに、占術師の話だと午後は更に気温が上がるらしい。
「あー……」
グラスに入った氷菓子をぼんやりと見ながらコヨーテは唸った。
「今すぐ秋になればいいのに……」
一口食べては溜息を吐くのを繰り返して、ぐったりと壁に寄りかかった。
――夏は暑い。当たり前のことなのに、今日はやたらと恨みたくなる。
きっとルナが何処にいるか分からないからだ。
何をしているのか、何を考えているのか、誰といるのか、無事なのか。
いろいろと考えてしまって、頭の中まで知恵熱で熱いから悪いのだ。
「……」
最後の一つを食べ終えて、「次は何処で時間を潰せばいいんだ」と空を睨んだ。
「こんなことなら下水道掃除でも請け負えば日が当たらなくて……あ、いや、この暑さで臭いが酷いか……」
そもそも何故自分の誕生日にそんな仕事を選ばなきゃいけないんだ――そう思っていた時であった。
「っ……?」
遠くで何かが爆発するような、壊れるような音がした。
――馬車でも建物に突っ込んだのだろうか?
「おい、なんだ」
「東の方」
「ありゃやべぇぞ、でけぇ魔法だ」
野次馬達が東へ、事件を避けたい人々が西へと移動を始める。
それを暫く見ていたコヨーテであったが、何か胸騒ぎを感じて東へと向かう流れの中に身を滑り込ませた。
七月七日 朝十時五十分
『リューン 大通り』
「……!」
ナギがそこに辿り着いた時、既に多くの一般人とリューン自警団とかが犇めき合っている状況が出来上がっていた。
「これは――」
人垣の向こうには東聖堂。
その屋根の上に、男が立っていた。
「うるせぇてめぇら! ぎゃーぎゃー騒いでんじゃねぇ!」
赤い宝石のついた長い杖を振りかざしながら、男は眼下の人間達に罵声を飛ばしている。
「こっちの要求をのみゃあいいんだよ! それ意外は口を閉じてろ、能無し共!」
ナギは内心で「あれはまずい」と思いながら杖を睨んだ。
どこから持ち出したものか、強い歪んだ力を感じる。
東聖堂と男を、うっすらと赤い光が包んでいるのは、恐らくあの杖の魔法が発動しているからに違いない。
いったいどんな魔法かはここからでは全く分からない。
しかも良く見れば、あの時ルナにぶつかった男ではないか。
「……ルナちゃん」
多分、まだそこにいる。
――そして恐らく、『彼』も。
少し魔力を探れば、嫌でも『彼』の気配に辿り着く。
周りをざっと見回すが、『使えそう』な人間は居なかった。
恐らく時間がない。あの魔法の対処は早い方がいい。
――しかし、一人では。
「何の騒ぎだ」
また野次馬が増えたのかと右に視線をやると、見た事のある顔が立っていた。
「あ……。貴方、ルナちゃんの」
「え? あっ」
少年は赤い目をナギへと向けた。
――『彼』よりも紅い、赤。
「ええっと、確かバリーの知り合いの」
「ナギよ」
手早く名乗り、表情を引き締める。
「東聖堂の中に、ルナちゃんがいるわ」
「なっ……!」
「多分、私の恋人もね」
ナギは深く溜息をついた。
「誕生日なのよねぇ」
いつものことと言ってしまえばそれまでか。
去年は落石だったか? その前は旅先での大怪我だったか?
『彼』の誕生日はいつだって、何かあるのだ。
良くないことが。
「誕生日なのよねぇ」
彼女はもう一度呟いた。
コヨーテが「そうだな」と小さく呟く。
――そうか、彼も同じ誕生日か。
「ルナ」
青年は東聖堂、そしてその上で騒ぐ男を睨みつけた。
心配と、焦りと、怒りと。全てを織り交ぜて。
「ふー……あの人ったら、何してるのかしら」
カジが無事であるのは、魔力で分かる。
でも、今動きを見せていないのはどういうことだろうか?
「……やってみる、か」
ナギは懐に手を入れた。
七月七日 ????
『?????』
「……ぐうっ……ったたたた……」
苦しそうな声が隣で聞こえ、ルナの意識は急速に浮上する。
「だ、大丈夫ですか!」
もはやそれは「誰かを助けたい」という反射に近かった。
彼女はいつの間にかうつ伏せになっていた体をさっと起こす。
最初に目に入ったのは座り込んで頭を抑えているカジであった。
「僕は平気です……貴女は?」
「わ、私は」
そこで初めてルナは自分を見る。
特に何も起きていなかった。
ただ、先ほどまで運んでいたはずの荷物がどこかへ消えている。
「大丈夫です」
「良かった」
カジは辺りを見回し、「……やっかいなことになりましたね」と勤めて冷静に呟いた。
ルナも釣られて周りをぐるりと見る。
「……何ですかこれ……!?」
二人は聖堂の中に居たはずだ。
だというのに、周りの景色は一変していた。
まだ明るい時間帯のはずなのに、窓から入る光はまるで雨の日のように弱弱しい。
それどころかずっと奥まで廊下が続き、壁には歪な形の紫色のツタが這っていた。
――変なところに迷い込んだようだ。
「どんっと音がなったのは覚えているんですが。まさか死後の世界でもあるまいし、恐らく何らかの魔法でしょうね」
「魔法」
ルナはその言葉を口の中で転がす。
「……驚かないんですね?」
「えっ?」
「不可思議な状況です。貴女のような可憐な少女であれば、取り乱してもそれが普通かと」
「あ、ああ……! 私、冒険者なんです、『大いなる日輪亭』の」
「あっ、そうでしたか。これは失礼いたしました」
カジはぺこりと頭を下げる。つられてルナも礼をした。
「ならやることは一つでしょう。何とかして脱出と――聖堂に居たはずの人を救いたい」
「はい!」
「……貴女は優しい人ですねぇ」
カジは苦笑いして頬を掻いた。
「ナギだったら『人を救うのは後回し、自分の命が先』って言いますからね」
「ああー」
何となく、分かる気がした。
あの女性は優先順位がしっかりしているのだ。冷徹なまでに。
だというのに、このまったく価値観の違う人の何処に惹かれるのだろう。
「……」
そう思うと、自然と頭に浮かぶのはコヨーテのことだった。
顔も、声も、はっきりと思い浮かべることが出来る。
「誕生日……絶対に、戻らないと」
プレゼントは懐にしっかりしまっていたはずだ。
思わず触れる。
――と、違和感を感じた。
「声……声!?」
思わず引き出して中身を包みから出すと、宝石店で実演したのと同じく、ルビーのイヤリングは発動していた。
「ど、どうして……? コ、コヨーテ?」
そう呼びかけると、『ルナか!?』と強い、聞きなれた声が響いた。
「コヨーテ! ど、どうして……」
『包みが入れ替わってるのよ』
ナギの声がすると、「ナギ!? 貴女、今何処にいるんですか?」とカジが声を上げる。
『東聖堂の外よ。貴方達こそ、何処にいるの』
「僕達は聖堂の中にいるはずなんですが――」
『分かった、情報を整理しましょう。……何にせよ、無事で良かった』
お互いに情報を交換する。
外には問題の杖を持った男。単独犯にしては少々派手。
聖堂の中は異世界のようになっている。ルナやカジの他にも人が居たはず。
『なるほどね……』
「ナギさん、なるべく犠牲者は出したくないんです。どうしたら……」
『……』
深い溜息が聞こえた。
『まず貴女達の命が一番でしょう?』
「そう言われるのは分かっています。でも――」
『……』
『オレからも頼む』
コヨーテの声がした。
『なるべく犠牲者を出さない方向で考えて欲しいんだ』
『……仕方ないわね』
カジ、と鋭くその名前が響いた。
『もう分かってるでしょう。やれる?』
「ええ」
『剣は"ここ"にあるのよ。それでも?』
「お任せください。僕は僕の正義に生きる。死んだりしません」
『貴方一人なら、ね。ルナちゃんに傷一つつけてみなさい、そしたら』
「この身に代えても」
『……分かった』
その後ナギの声はルナを呼び、「サポートしてあげて」と小さく告げた。
「は、はい!」
『こっちはオレが何とかする。無事で戻ってきてくれ、ルナ』
「コヨーテも気をつけて。無事でいてください」
『ああ』
そうして、双方の言葉は途切れた。
七月七日 朝十時五十分
『東聖堂前』
「と言ったものの」
コヨーテは額を指で押さえた。
「武器をどうにかしないと」
「……コヨーテ。貴方、剣は得意?」
「あ、ああ――いつもなら持ってるんだが」
「分かった」
彼女は「ちょっと下がってて」とコヨーテに言い、彼が従うと目を閉じた。
「岩に抱かれた光よ。清き乙女の加護よ。宙を裂く金、宇を割る青を我が身から解放せよ――」
そして、細い指を自分の胸に突き立てる。
「うわっ!」
驚きに声を上げるが、直ぐその異変に気づいた。
――何か、強大な物が出現する。
ナギの胸から突き出していたのは剣の柄だ。
青い――まるで凪の湖のような、その深い青。
そして徐々に彼女の身から抜けるのは金色の煌き。
「……」
しかし自分の手の長さいっぱいまで引き抜いても、その刀身は半ばだ。
「コヨーテ。引き出して」
「ええ!?」
「いいから」
仕方なく、おっかなびっくり、女に"突き刺さっている"剣の柄を握る。
「……っ」
――物凄い力だ。圧し負けてしまいそうなほどに。
「くっ……!」
しかし、それを抜いた。
煌く金の刀身、泉の青を孕んだ、強大な力の巨大な両手剣。
「これは……!?」
「カジの剣よ。『選定の剣』――」
「……!」
剣を捻ってみたり、強く握ったりする。
コヨーテの身長の半分以上を占めるその大剣は、しかし見た目よりも重くはなかった。
しかし、密度の高い純粋な"力"が身を圧迫する。
「コヨーテなら振るえるでしょう。使って」
「しかし、いいのか? これは恋人の」
「その剣だって主人の危機を待っているだけじゃ、持ち腐れよ」
ナギは溜息を吐く。
「貴方の手にかかってる。頼むわよ」
「……ああ」
コヨーテは聖堂の上で未だに喚く男を睨んだ。
「私達の役目は、カジが中で暴れてあいつの"視線"が集中した後、あの杖を奪うこと。術を解くまでは、殺さないで」
「分かった。――でも、殺さないよ。捕まえて、自警団に突き出す」
「了解。貴方に従う」
剣がコヨーテの心に呼応するように唸りを上げる。
七月七日 ????
『?????』
「僕達の役目は中で暴れて、外の魔法使いの"視線"を集めて、僕達以外に手を出させないことです。よろしいですか?」
「はい」
「では……参ります」
カジは目を瞑り、深く息を吸い、吐く。
もう一度、静かに、長く息を吸う。
――己の中に炎が宿っていることを意識する。
その技に詠唱(ことば)などという"不純物"はいらない。
この技が持つに相応しいものは、相手を"殺す"意思だけだ。
右足を踏み込み、全身の力を右手に集中させる。
「――――セイッ!」
熱風が吹き荒れる。
突き出したカジの掌から放たれた高密度に圧縮された炎弾が、異空間の聖堂の壁を破壊せしめた。
「……うわあ」
熱風から顔を庇っていたルナから、呆れにも似た声が漏れる。
「……」カジは大きく息を吸い、表情を元の柔らかなものに戻し、「これで嫌でもこちらを向くでしょう」と目を細めた。
「い、今の掌破、です、か?」
「ええ。炎殺掌破――我が身より生まれし、究極の炎にして掌破。強大であるが故に、この小さき身に余る力ではありますが、致し方ありません……掌破の真髄を、お見せいたします」
「は? は、はぁ……」
破壊させた壁の向こうは紫色の空間が広がっていて、とてもではないが脱出は出来なそうであった。
「……カジさん」
「はい」
その気配に視線を渡す。
ことこと。かたかた。
石の床を叩く、軽い音。
からから。からから。
刃物を引きずる音だ――気づいた時には、それは眼前に迫っていた。
上からの襲撃。
「ッ!!」
両腕に"力"を纏わせる。
「見えないとでも――」カジの素手はソレを掴んでいた。「お思いですかッ!」
そのまま叩き伏せると、乱雑な破壊音が静かな空間を満たした。
「これは」
カジが投げ飛ばしたのは何処にでもありそうな長剣であった。
しかし、それを手にしていたのは、人型でありながら人間ではなかった。
「人形……!?」
乾いた木の音。
粗末な服を着た案山子のような、木で出来た人形が二人の周りを囲んでいた。
その数、六体。
皆長剣を構え、二人を"視"ている。
「これで全部……ですか?」
冷や汗が背中に伝った。
「この程度で、僕を包囲したつもりなら――」
ルナに伸びた剣を腕で弾き飛ばす。
「とんだ見込み違いですよ」
くるりと身を反転させ、その勢いで相手の剣を受け止める。
突き出されていた人形の剣は、カジの力を突き破り、右の掌から甲へと易々と貫通する。
「カジさ――」
ルナの悲鳴。
しかしそれに応えることもなく、カジは左手で相手を殴り飛ばした。
「タイミングがずれましたね、力の展開が少し早かったです」
何事もなかったかのように突き刺さっている剣を手から抜き、横たわっている人形へと突き刺した。
「カジさん、手、手を! 今治しますから!」
ルナが縋る。
だが、次の瞬間には彼女は驚愕して固まってしまっていた。
『血はもう止まっている』。
「まだ平気です」
カジは残り五体に集中する。
「貴女は守り通しましょう。それが、ナギとの約束です。だから、怯えないで」
「ちが――そうじゃないんです!」
地を蹴り、手近な一体と組み合う。
――相手は人形だ。そこに魂も心もない。あるのは体だけ。誰かが動かす、空っぽの乾いた身体だけだ。
人の悪意がそこには存在しない。
だから、
「っつう……!」
背中を刺されようが、足を切られようが、冷静に対処する事が出来る。
「はぁっ!」
掴んだ敵を武器にして、残りの人形を薙ぎ払う。
「遅い!」
右から袈裟懸けに振られた剣は、今度こそ上手く受け止められた。
力と鋼のぶつかり合う甲高い音が心地よくすら思える。
「はぁあああああっ!」
右腕から再び『掌破』を放ち、人形を沈黙させた。
「倒しきってしまうのは逆に危険でしょうか……」
カジは身を翻して唖然と立ち尽くすルナを見た。
「さあ、少し走りますよ、ルナさん!」
「……は、は、い……!?」
駆け出したルナを見送り、自らも走り出した刹那、
「っ! しつこいですね!」
床に転がっていた一体が動き出した。
ルナの足を掴もうとするそれの動きが、おかしい。
まるで膨張しているような――
「! ルナさん!」
前を行く少女に体当たりをするつもりで、身を投げ出した。
「えっ」
倒れこんだ彼女の声が小さく聞こえてきた時には、鋭い痛みが全身を駆け抜けていた。
七月七日 朝十一時過ぎ
『東聖堂前』
「うおおおおおおおおおっ!」
金色の剣が陽を受けて煌く。
コヨーテは猛然と剣を振るっていた。
――リューンの自警団は至極あっさりと犯人の要求を突っぱねた。
市民の待遇の見直しだとか、スラム街への援助だとか、そういう単語しか聞こえてこなかったので、その要求の内容を図り知ることは出来なかった。
ナギは「受けないでしょうね」と言っていたので、そういうことなのだろう。
決定が下った瞬間、「お前らじゃ話にならねぇ、もっと上を呼んで来い!」と男は杖を振り上げた。
現われたのは木で出来た無数の人形達であった。
粗末な服と長剣を構えた奴らは幻覚ではない、確かにそこに存在していた。
あっという間に東聖堂の前は戦場となり、自警団と何処からとも無く現われた冒険者達が奮闘している。
その中でもコヨーテの動きは群を抜いていた。
「っ!」
巨大な剣を的確に振り落とし、人形達を叩き伏せていく。
煌く刃は光の尾を引いて流星のようだ。
「このはねっ返りめ……!」
コヨーテは奥歯を噛んだ。
――この剣は暴れている。本来の主人の手にないからだ。
ただただ闇雲に敵を粉砕していて、そこに何の秩序もない。
そして秩序を与えることがコヨーテには出来なかった。
出来ることは、宥めて、力の方向を定めてやることだけだ。
「右よ」
ナギの風の魔法がコヨーテの体を突き飛ばした。
とたん、木の人形が今まで彼がいた場所に刃を落とす。
「あ、ありがとう」
「私にはこれしか出来ない。続けて、コヨーテ」
「ああ」
『選定の剣』は唸りを上げて、人形を切り捨てた。
「しかし、この量だ。あいつに近づけやしない!」
「ええ……。でも」
コヨーテは次に彼女が言わんとすることに気づいていた。
あの犯人の男に魔法が効かないのだ。
今まで『魔法の矢』や『蜘蛛の糸』が男に向けて放たれたのだが、一向に当たらない。
どうもあの男自身が、ルナやカジと同じように『異空間にいる』のではないか――そう思っていた。
「やっかいな敵だな……!」
そんな呟きに反応するように、『選定の剣』は力を放出し始める。
――早く決着をつけたがっているのだと思えた。
「お前なら空間を突き破れる、とでも言いたいのか」
答えは「是」であった。
腕が剣によって引っ張られる。
「……ああ、分かったよ! ナギ、進むぞ!」
「分かった」
人ごみを掻き分けて進む。
「くっそ、人が多すぎる!」
『選定の剣』が大剣というのもあるが、戦いにくくてしょうがない。
人形も敵も入り乱れた戦況で、誰も指揮を務めないのは混乱でしかない事が身に染みた。
剣は急かすと言うのに、なかなか前に進めない。
「あああ、もう、あっちにもうるせぇ奴がいるってのにお前ら本当に俺の言うこと聞きやがらねぇ!」
コヨーテは顔を上げた。
犯人の男の声がやけに大きく響いた。
まるで、男がわざとこちらに聞こえるように声量を調節したような。
「奴もお前らもまとめてこうしてやれば、上の奴らも出てこざるをえないだろうよ!」
杖から放たれた赤い光が辺りを席捲する。
膨大な魔力の高まりに、我知らず身が震えた。
「な、何が」
起こるのか、とナギが言い終わらないうちに、ソレは来た。
赤い光は雷撃となり、赤く染まった空から自警団と冒険者達に降り注ぐ。
「ぐっ!」
『選定の剣』は独りでに動き、その雷撃をいとも容易く受け止めた。
――本来この剣は防御のために巨大なのか。
悟った刹那、ナギの姿が視界から消えていることに気づく。
「ナギ!?」
視線を走らせると、彼女は自警団らしき男に突き飛ばされて倒れていた。
周りの人間達も降り注ぐ雷から身を守ろうと慌て逃げ惑っている。
それが更に混乱を呼んでいるのだ。
「くっ……!」
魔力の高まりに、コヨーテは地面を蹴った。
ナギの頭上、収束する雷の赤い魔力。
彼女が逃げようとしているが、間に合わないことは一目瞭然であった。
「間に合えっ!」
コヨーテは敵に向かおうとする剣に逆らい、身を投げ出した。
七月七日 ????
『?????』
「くっ……!」
カジは自分の身を盾にして、ルナを正しく守りきった。
――まさか爆発するとは。
思わず苦笑いが漏れた。
"力"の発動のタイミングが掴めなかった事で、カジの身体には短剣のような木の破片がいくつも突き刺さった。
中には身体を貫通しているものさえある。
しかし、しっかりと急所は守った。
後は治るのを待つだけだ。
「……やれやれ、まさか全部爆発するとは驚きました、ね」
同意のつもりで振り返ると、そこにははらはらと涙を流す少女が居た。
「え……」
「どうして」
「どうして?」
「どうしてそんな風に戦うんですか!?」
ルナは流れる涙もそのままに、カジに詰め寄った。
「わた、私を、守るため……!? そんな、ぼろぼろで、血を流して、治るからって無理をして、遠くで、怪我して、私何も出来ないのに、守るって、無事で居てって、そんな、そんな戦い方、しないでください……!」
「……」
水色の瞳ははっきりと見開かれてカジを写している。
でも、その瞳が、その言葉が向けられている先は、きっと。
「……その言葉は、本人に向けて言ってあげてください」
「!」
「言わなければ伝わりません。僕達は、神ではありませんから」
「ご、ごめんなさい、私……!」
「いいえ。嬉しいですよ、僕に向けられた言葉じゃなくてもね」
カジは身体に突き刺さった破片を全て抜いて捨てた。
「わっ……!?」
ルナが驚きの声を上げる。
カジの傷は目に見えて治っていくからだ。
「ど、ど、ど? カジさん、に、人間、ですか……?」
「ええ。多分ですが。異能というやつです」
「……でも、こんな治り方じゃ傷痕が酷くなりますよ」
ルナの小さい手が、カジの傷口に翳される。
柔らかな光が二人の間を満たし、カジの傷は瞬く間に治癒した。
「ありがとうございます」
「……いつもこんな戦い方を?」
「まあ。傷は勝手に治りますし、自分でも治せますから」
「……ナギさんが悲しみます」
「そうでしょうね」
でも、とカジは続ける。
「僕は器用な男ではないですから……どうしても、こうなってしまう」
「お願いです。ナギさんを泣かせるの、どうか、止めてください」
「ナギ? ナギが、泣いていた?」
「違うんです。見た、とかじゃなくて……ナギさんは、カジさんとの明日を、願って、いたから……!」
言葉を詰まらせながら、ルナは必死に訴えかけていた。
暫くカジは無言のままに彼女を見ていたが、やがてさっと視線を逸らす。
「ずるいですね。ナギの名前を出されたら、僕は弱いんです」
「じゃあ」
「いえ、約束は出来ません。まず、剣がありませんから、暫くはこの戦法でやるしかありませんからね」
剣さえあれば、また違う戦い方が出来るのにと思わざるを得なかった。
だが――あの剣がナギを守ってくれる。それは間違いがない。
「でも……もう少し上手く立ち向かうことにしましょう」
「お願いします。私は、カジさんにだって傷ついて欲しくない。本当なんです」
「優しい人ですね。その優しさは、ちゃんと伝えてください。僕ではなく、ね」
「私言いましたよ、カジさんにだって、と」
「……はい」
カジは頬を掻いた。
さて留まるか動くか、と考えているうちに、ルナがはっと顔を上げた。
「コヨーテ……?」
まるで、『彼』の声が聞こえたかのように。
とたん聞き覚えのある爆発音が轟いた。
七月七日 朝十一時十分
『東聖堂前』
襲ってくると思われた雷は、音だけを残して痛みを伴わなかった。
「……コヨーテ!」
ナギが目を開けると苦悶の表情で自分に覆いかぶさる少年がいた。
「へ、平気、か……?」
「庇ってくれたの?」
「そりゃ、な……」
彼は少し笑い、「だって向こう……カジ? さん? に、ルナを守れって言ってくれたじゃないか」と身を起こした。
「だったらオレにだって、そっちを守る義理があるよ」
コヨーテの背中は焼ききれていた。
想像を絶する痛みなのだろうとナギは絶句する。
――癒しの術を行使することが出来ないこの身を、今幾度目かに恨んだ。
「大丈夫、直に治る」
「そんな、カジみたいなこと言わないで」
「……本当なんだ。大丈夫」
コヨーテは地面に転がった剣を拾い上げた。
「それよりも、あの魔法がやっかいだ――早く何とかしたいんだが、ルナから何か連絡は……」
「……いいえ」
連絡を寄越す暇もないのだろう。
中で何が起きているかは分からないが、外でこれだけの事が行われている以上、中も散々な目にあっているのではないか。
――いや、もしかしたら上手く外に"視線"を向けられたかもしれない。
こちらがあっさりと交渉決裂してしまったせいだが、結果的には早く済むかもしれない。
「……」
――彼女が無事であると分かれば、いくらでも無茶が出来るのだが。
ここで相手の気を損ねて"人質"が皆殺しにされたらたまったものではない。
「ルナ……」
奥歯を噛む。
「ほら、どうした!」犯人の声が響いた。「これにこりたらもっと上の奴呼んで来い!」
「……呼ばれると思うか?」
「まったく」
「あいつがキレるのも時間の問題だな……」
「時間をかけるのは得策じゃないけれど。二人が」
「ああ」
どれだけ敵がこちらに敵意を向けているにしても、外の自分達よりも、中の二人の方が危険なことに変わりはない。
「無事な事が分かるだけでも違うんだが」
――ルナは無事だろうか?
泣いたりしていないだろうか。
「……あ」
コヨーテは"ソレ"を見た。
微かな聖堂の結界の揺らぎ。
赤い光が、そこだけちらついている。
「ナギ、あれ」
「……? 何?」
「何って、あの光取り窓の上だよ。何か、変じゃないか」
「……」
ナギは無言のまま首を振った。
「私には見えない」
「え」
「でも、信じるわ」
ナギは腕を真っ直ぐに伸ばし、一瞬の後『魔法の矢』を放った。
「あっ!?」
犯人の間抜けな声が響く。
「な、何だその攻撃――弱すぎて話にならねぇぞ!」
「そう?」
ナギは笑ってみせる。
「思うのだけれど。私、貴方みたいな半端な魔法使いにその杖が扱いきれると思えないの」
「な、なにぃ……!? さっきの攻撃見てなかったのかてめぇ!?」
「見てたけど」
ナギは細い指を、くいと上へ向けた。
「杖の力は凄いと思う。大方賢者の塔からでも盗ってきたのでしょう? でも使い手がそれじゃあ、ね」
「い、言わせておけば」
杖が赤い光を放ち始める。
「そう言うならもう一回受けろ!」
赤い雷撃が走るが、ナギはそれをついと一歩動いただけで避ける。
「は!?」
「一度見た攻撃だし。周りに人がいなければどうということもないわ。やっぱり、六人と言う単位が一番ね」
「な、な、な、」
「貴方、犯人に向いてないのよ。実力も、頭も」
ナギは妖艶に、意地悪く、冷徹に嗤った。
「さあ、覚悟はいい?」
「あ――?」
「オレはとっくに」
コヨーテは犯人の男がナギに気を取られている間に、前へ前へと進んでいた。
金色の大剣を手にして。
「こいつを振るには、人がいない方がいいな……!」
地を蹴り、飛び上がる。
"翼"を――と考える前に、体が突風に煽られた。
「ナギの魔法か!」
風の階段を上るように、コヨーテは犯人の元に辿り着く。
「う、うわ」
「はぁああっ!」
『選定の剣』を振り落とした。
金色の力は赤い光を切り裂いたが、突き出された杖に阻まれる。
「な、に……!?」
「う、うお……!? な、な、な、何だこれ!?」
「って、何でお前が驚いてるんだ!?」
コヨーテは杖そのものを睨みつけた。
赤い宝石の嵌った長い杖。禍々しい力が、術者ではなく杖自身を守っている。
手元が震えた。
剣が、魔杖の魔力に抗っているのだ。
「ちっ……!」
近距離で打ち合ってみて分かる。
この杖は邪な意思を持っているのだ。
「面倒な物を……! そいつを放せ、そのうち魔力に喰われるぞ!」
「は、はなれねぇんだよ!」
「ああ、っもう……!」
――これだから魔法の品はやっかいなのだ。
『選定の剣』は男を切り伏せようと進みたがるが、杖の力が強すぎて力を空回りさせているだけだ。
「コヨーテ」
ナギの声がする。
「その杖は、結界の"向こう側"にあるわ」
「なる、ほど……ッ!」
手の出しようがない。
思考を回し、次の一手を必死に考える。
「……くっそ、ルナ、君が"そちら"にいるなら、何か……何か言ってくれ!」
静かな、しかし魂からの叫び。
焦燥、不安、そしてこの感情の名前は――
「コヨーテ!」
自分を呼ぶ、聞き慣れた声。
「ルナ……!?」
「はい、私です! コヨーテ、私を、呼んでください!」
「ルナ!」
結界の赤が激しく揺れる。
それに共鳴するように、杖の宝石が眩く光った。
まるで獣が傷ついた時の咆哮の様に。
刹那、何者かが犯人の男の背後に現われた。
「!」
ルナではない。
緑色の髪の男だ。
「すみませんね、ご期待に沿えず」
彼は夕日のような赤い眼を、見開いて「合わせて!」と叫んだ。
その意味を図りかねるような真似はしない。
「っ!」
一度剣を杖から離し、構えなおす。
同時に緑髪の男も体を緊張させ、構えた。
「うおおおおおおっ!」
煌きが振り落とされるのと同時に、膨大な熱量の何かが男の手から放たれた。
「うわああああああ!?」
犯人の男の間抜けな叫びと共に二つの攻撃は寸分違わず、同時に杖を破壊した。
七月七日 朝十一時四十分
『東聖堂前』
「コヨーテ!」
ルナは思わずコヨーテの身に抱きついた。
「ルナ、無事でよか」
「もう! あなたは! また、ぼろぼろになって……」
「ご、ごめん……」
困り顔をするコヨーテの後ろから、「私を庇ってくれたのよ」とナギがフォローに入る。
「貴女は無事でよかったわ、ルナちゃん」
「カジさんが庇ってくれました」
「そう」
ルナは少し高いところにあるコヨーテの顔を見る。
――とても困っているようだ。
「コヨーテの声が聞こえましたよ。あの、聖堂の中で」
「オレの?」
「確かに。だから、外への方向が分かって。後はカジさんが、えっと、出口を作ってくれました」
「そう、だったのか」
くすくすとナギが笑い出す。
「そんなに通じ合ってるなら、これはいらないかもしれないわね?」
そう言った彼女の手のルビーに、ルナは「あわわわ」と飛びつく。
「い、いります!」
「ふふ……そうね。その方が、きっといい」
二人はイヤリングが元のペアになるように交換した。
ルビーの輝きは何も変わっていなかった。
「お待たせしました。聖堂内にいた全員の無事を確認してきましたよ」
カジが小走りでやってくるのを見て、ナギは彼に近寄っていく。
――抱きしめるのだろうか?
そう思った矢先、ぱんっという破裂音に似た音が二人の間に響いた。
ナギがカジの頬を平手打ちしたのだと、数秒経ってから気づく。
「……」
カジは困ったように笑い、「すみません」と謝った。
「私は、ルナちゃんを守れとは言った」
「はい」
「……でも、貴方が傷ついてもいいとは、言ってない」
「はい」
カジの血に塗れた手を握り、ナギは辛そうに俯く。
「貴方って……いつもそうなんだから」
「でも、僕は死なないとも言いましたよ」
「分かってるわ」
そんなやり取りに、ルナははっと思い出す。
――愛はもう、与えて、与えられた。
二人の間には、何もないように見えて、しっかりとそれがあるのだ。
――では、私達は。
ちらりとコヨーテを見ると、「ひ、引っ叩かなくても……」と絶句している。
「コヨーテ」
「う、うん?」
「……いいえ、何でもありません。まだ、早いですからね?」
「え、えぇ?」
ルナは笑った。
「さ、犯人も捕まって、皆さんの手当ても終わって――帰りましょうか」
「そうだな」
ルナはカジを見た。
彼は彼女の視線に気づき、「ちゃんと伝えるんですよ」と笑った。
頷いて、「さあ、パーティの準備も進めませんとね」とコヨーテの手を取った。
「え、知ってたのか」
「知ってますよ。ふふ……楽しみにしててくださいね」
彼にルビーの宝石言葉を伝えられるか。
それはまだ分からないけれど、心は満ち足りていた。
七月七日 夕方四時
『選定の剣亭』
「へぇ、そんな事があったんだ?」
ハルは「災難だったね」と苦い顔をしている。
「そうなの。だからぼろぼろなのよ、この人」
「面目ない。ルナさんからも怒られてしまいましたよ」
首から「反省中」という札を下げられて、カジは居心地悪そうにしていた。
ただ、その左耳にはエメラルドのイヤリングが誇らしげに光っている。
「折角の誕生日なのになぁ?」
スロットは意地悪く笑い、「ちょっと、そんなこと言うの可愛そうだよ。事実っていうのは人を傷つけるんだから」とサザメから追撃された。
「皆さん酷い。あんまりの仕打ち」
「そう言うな」
カイトは苦笑いし「ケーキ、美味しそうだぞ」と慰める。
「そうそう、わざわざ遠くから来てくれたんだねって、一個サービスしてくれたんだよ。大きなケーキ!」
「食べきれなさそうだし、俺達から店主に渡してしまおうとも思ったんだが」
「……ああ、それなら」
ナギは片目を瞑った。
「もう一人の主役のところに持って行きましょう」
「主役?」
「ええ――『大いなる日輪亭』へ!」
7/7
Happy Birthday! Have a blast!!