創価学会の間違いを糺す

①仏法は勝負なり! 勝つための仏法だ!

断じて勝つために、仏法はあるのだ!

仏教に「仏法は勝負なり」という教えはない。

仏法は勝負する為にあるのではない。

仏法は勝つ事を目的にした教えではない。

本来仏法とは、人生における苦しみを、

心のあり方を見直すことによって克服する教えなのである。

②闘争する事が仏法だ! 戦わざる者は去れ!

仏教に「闘争する事が仏法だ」という教えはない。

仏法は闘争する為にあるのではない。

心を波立てる事なく平穏にし、

静寂の境地に保つ事が仏法なのだ。

闘争する事を煽る創価学会は仏教ではなく阿修羅教である。

③間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏

仏とは勝ち負けという執着から離れた境地の事であり、

勝ち負けから解脱した境地の事である。

つまり心の境地を表わした表現なのである。

創価学会の言う広宣流布とは

創価学会の会員を増やし

創価学会の組織を拡大する事を言う。

それは事業拡大と同じで、

謂わば他宗教や他思想との縄張り争いであり、

そのような事で戦っていても仏の境地になる事はない。

④創価学会仏

仏とは個人の心の境地の事であり、

あらゆる執着から離れた解脱の境地の事である。

創価学会という組織体が仏の境地になる事などあり得ない。

⑤日蓮大聖人こそ末法の本仏である

日蓮本仏論は江戸時代の日蓮正宗法主・日寛が言い出した教義である。

「日蓮本仏論」の論拠として「産湯相承事」「百六箇抄」等を挙げているが、

これらの御書は全て偽書である事が判明している。

日蓮自身にも本仏という自覚はなく、

日蓮自身は上行菩薩の再誕という自覚があったことが窺える。

また日蓮正宗・創価学会で第2祖・第3祖と仰がれている日興・日目にも

師の日蓮を本仏とする考えは見られない。

これらは日蓮や日興、日目の手紙等を丹念に読めば判る事だ。

日蓮本仏論は勝手な解釈に過ぎず、

かなり無理のある曲解でしかない。