ユスラウメの赤い実

Post date: 2018/06/19 2:48:12

牧 泉(伊藤忠商事出身)

ユスラウメの赤い実

福島の友人から自宅の庭木を撮った写真がたくさん送られてきました。反原発運動で忙しい方ですが、ほっと一息いれて、庭の手入れをされたのでしょう。今はインターネットで写真を何枚でも送くれるので便利ですね。そのなかの一枚に赤い実のたくさんついた「ユスラウメ」がありました。放射能汚染が気になるけれど、ユスラウメだけは幼い頃の思い出があり、口に入れたそうです。

その写真を眺めているうちに、母方の祖父とその息子(私の伯父)の俳句のやり取りを思い出しました。たしか母の半生記「孤蓬万里征」のなかで読んだはずと、久しぶりに本を取り出しページをめくり始めました。何度も読んでいるはずの半生記ですが、私の読む年代がたかくなることによって受け止めが違うのでしょう。ジーンとくる箇所が違っていたりして、あんがい面白く、しばし読み耽ってしまいました。

そして見つけ出しました。

甲種合格で徴兵され、そのままアジア太平洋戦争が勃発したため中国大陸に7年間も出征中の息子から父親あてに軍事郵便ハガキが届きました。そこには、俳句が書かれているのみ。

ゆすら梅 はるか故郷の 味のして

父親は7年も中国大陸から帰ってこない息子へ返信ハガキを認めました。

ゆすら梅 小さきものの 愛おしく

スポーツ好きで軍国青年だった息子(伯父)とクリスチャンで文学好きの父(祖父)は、出征前には、あまり心を通わせる会話はなかったようですが、日本海に隔てられて永らく会えず、安否さえも不確かな戦時下で、こんな心の交流ができたのは、ユスラウメのお蔭だったと思うのです。

写真をおくってくださった福島の友人にこの話を伝えましたら、

『戦時中、父子の間で取り交わされた軍事郵便の「ゆすらうめ」の俳句。「ちいさきものの」の7文字に息子の生還を祈る父親の心情が痛切に伝わってきます』との返信を戴きました。

おそらく検閲のきびしい軍事郵便ですから、伯父は赤いゆすら梅の実を口にして故郷と家族を想って、この俳句が出てきたのでしょう。およそ俳句の趣味など無かったはずでしたけれど。祖父の返句も今読みかえしますと心が痛くなります。いとおしいと初めて言葉にして伝えたのではなかったのでしょうか。

伯父は、旧制足利中学時代は蹴球(サッカー)の選手で、試合があると、両親と妹(私の母)は、たびたび応援にいったそうです。その頃、家族みんなで息子の試合を見に行くという家は少なかったそうです。水泳も得意で、ビリだったようですが、国体にも出たのです。そんなふうに伯父は文学とはおよそ縁遠い学生生活を過ごし、卒業と同時に徴兵されたのでしたが、中国大陸をあちこち転戦しているときに、どこかで「ゆすらうめ」を見たのでしょうね。

その当時の妹娘は、今97歳の老母ですが、野球もサッカーも大好きで、同時にテレビ中継がある時は、チャンネルをあちこち変えながら両方の試合を見ているのは、こんな経験があるからなのでしょう。

孫が伯父の出征した年齢に近づいてきました。このような軍事郵便の往復のない世の中を守るために、母も祖母も曾祖母も、微力を尽くしているのです。