Post date: 2016/08/21 7:16:40
Tristan.k(元 岡谷鋼機)
鎮魂のときの中で
息子が亡くなって、大凡8ヶ月が過ぎました。
迎え火を焚き、あれこれと飾り付けた棚を整え、お坊さまには経を唱えていただき、その後、三泊した御霊に送り火をかざして、「新盆」を無事に終えることができました。
息子のガンとの闘いは、僅か6ヶ月で幕を閉じました。その間、彼は私たちに愚痴一つこぼさず、ただ自分がガンと診断されたその当日と、亡くなる約2週間前に、襲ってくる激痛の最中、担当医師に対して「先生、ボクもう・・・・ください」※と告げた直後に、「お母さん、ごめんね」と言っただけでした(※「・・」は、読む方のご想像に委ねます)。
一方、自分の仕事の成り行きに関しては、心底からこれに執着していたように思います。職場では企画部門に所属していて、病床にも、パソコンやスマート・フォンを持ち込み、都度、関係者と連絡を取り合い、意識の無くなる最後の10日ほどはともかく、その直前まで、出ることのできない会議に向けたメモ書きを作ったりもしておりました。本人としては、深刻な病状下にありながらも「在宅勤務扱い」を認めてくれていた会社への、せめてもの恩返しといった想いがあったのだろうと推測しています。
入院先の病院は、いつ行っても大勢の患者で混みあっていて、行き交う人々を目の当たりにする度に、夫々の悩みや苦しみが少しでも薄れ、やがては消えていって欲しいと願わずにはいられませんでした。取り分け若い方や子供たちの、如何にも患者らしい姿に接した際には、その思いを強くしたものです。看護師さんたちはさすがに良く訓練がされていて、ことの推移の中で患者だけでなく、私たち家族の心にまで届くケアをしてくれました。
「新盆」が間近に迫っていたある早朝、息子の夢を見ました。我が家の居間で、テーブルを囲んだ私たち3人(息子・家内・私)の嘗ての日常・団欒を思わせる場面。会話が途切れて私が立ち上がり、彼の傍らを通り過ぎようとした瞬間、其処に息子が居るはずのないことに気付いて、座っている背後から思い切り抱きしめようとしたその気配に、息子がびっくりした様子で振り向き、私の眼を見上げたところで目が覚めた、そんな夢でした。私にとっては切なくも嬉しい、息子との再会の朝とはなりました。
旅立つ順番を間違えてしまった息子ではありますが、今も尚、彼岸の彼方から私たちの日々の在り様を、注意深く見つめてくれているに違いありません。背中にその視線を感じながら、私たちも今の今を大切にこれからを過ごしていきたいと思っています。
このコラムの場で、こうした事柄を記すことに些かの躊躇いはありましたが、息子への鎮魂と併せ自分自身の今の心持を「記録」しておきたい、との思いもあって此処に書かせて頂きました。 合掌。