第50回 岡谷鋼機出身 骨茶 【富岡製糸場とクレスピダッダ】

Post date: 2014/08/18 4:34:55

【富岡製糸場とクレスピダッダ】

岡谷鋼機出身 骨茶

富岡製糸場がユネスコ世界文化遺産に登録されるということで、注目も集め、観光ブームになっている。最初このニュースを聞いたときに、製糸場と言えば思い出すのは女工哀史であり、そんなところを世界遺産になんてと思ってしまったがとんだ誤解であったようだ。

明治維新の1871年、フランス人ポール・ブリューナに建設を依頼して翌年完工、創業した富岡製糸場は官営模範工場をうたっただけあって、労働者に画期的ともいえる配慮をしたものであったらしい。即ち、七曜制を初めて導入して日曜は休み、年末年始には10日づつの休暇が取れる、1日8時間程度の労働、食費・寮費・医療費は製糸場持ち、制服は支給などと言うすばらしいものである。おのれの不明を恥じるとともにこの点もクローズアップして宣伝してほしいと思ったものである。

ところが、これを上回るものがあることを知った。NHKBSプレミアムで世界遺産を訪ねるシリーズがあり、その番組で取り上げられたのであるが、イタリア北部、アッダ川のほとりにあるクレスピダッダCrespi d’ Addaという1995年に世界文化遺産に登録された施設である。時も同じく19世紀後半ヨーロッパで産業革命の時代、何よりも生産性を優先するということで、労働者は長時間労働、不衛生な環境に苦しんでいた。これに心を痛めたクレスピ家という資産家が建設した紡績工場である。労働環境を改善しながら工場収益性を落とさないという命題に取り組み、労働者の理想郷建設を目指した。住宅、3歳から通える学校、誰でも診察してもらえる病院、余暇のための劇場、これらはすべて無料である。空気を汚さず安定した電力を得るため水力発電所を建設する、働く人の健康のための料理指導なども行ったそうである。クレスピ親子二代50年にわたって維持されたクレスピダッタは世界恐慌、クレスピの存在を煙たがった独裁者ムッソリーニの圧力で譲渡をせざるを得ないことになるが、譲渡にあたってクレスピのつけた条件は労働条件を落とさないと言うことであったそうだ。

ひるがえって、今日の我が国の労働環境はどうであろうか。突然のごとく労働者不足状況に陥り時給の引き上げで小規模の企業では倒産も出ていると言う。信じがたいことだが、大企業から臨時雇いを少しづつ増やしたのが順に小規模企業に移行しての現象なのだろう。わずか5年ほど前ではなかったか、契約打ち切りで、収入も社宅もなくなった労働者のために年末炊き出し村が出現したのは。また、それほど昔のことではないと思うが、いわゆるバブルと後から名づけられた時代には、企業は新入社予定者のために高級感あふれる独身寮の建設、入社前からハワイ旅行に連れて行くなど囲い込みにおかしいまでに躍起となった時があった。

件の炊き出し村の折、臨時工の解雇についてトヨタの豊田社長の弁「我々は株主の利益を尊重しなければならない」を聞いてなんと寂しいことをと唖然としたことであった。自動車で考えれば、製造から販売まで、原料、材料、エネルギー、機械設備いろいろが合わさって成し遂げられるが、血の通った生きているものは労働者だけである。労働者をクッションにして利潤を得る、放り出した労働者は社会福祉制度に面倒をみさせるというのは日本一の企業としてはあまりにあさましいと言えるのではないか。日本経済界のリーダーがこれだから、末端はブラックになる。リーダーは働く者に適正に報い、適正な利潤も上乗せして、売値が上がってもそれでも顧客が欲しがるような製品づくりを目指す心意気を示してほしいものだ。

このところ、人手不足だといって、外国から働き手に来てもらう是非や制度作りが議論されている。しかし、雇う側のその場のご都合主義では絶対に無理だと断言する。まず、現在の働き手を尊重するところから始めなければならないだろう。

富岡製糸場は官営でいきなり採算という縛りもなかったろうし、外国人の運営で流言飛語の類もあって人集めに苦労したところもあったらしい。その点は割り引いたとしても、当時画期的と思える労働条件を整え、これが模範工場だとしたところに、資本家たるもの学ぶべき気概といったものを感じるがいかがなものだろうか。

(2014.8.16 骨茶)