第4回 岡谷鋼機出身Tristan・k【ボクの好きなシャンソン-①】

Post date: 2011/06/24 5:32:48

『万事上々、侯爵夫人』

もしもし、リュカなの、何ということ

邸が灰になったのですって

わけを話して、もう倒れそう

いったい、どうしてそうなったのか

申し上げます、侯爵夫人

破産通告聞かれた殿様

しばし呆然、われに帰ると

あわれ自殺を遂げられました。

ばったり倒れたその折しも

ろうそく全部ひっくり返され

お邸中が紅蓮の炎

きれいさっぱり、燃え果てた上

その火事をまた風があおって

うまやも類焼、あっという間に

奥方様の愛馬もあの世へ、でも奥方様、そのほかは

万事上々、万事上々。

(ルネ・ドゥ・ベルヴァル「パリ 1930年代」 岩波新書〈昭和56年刊〉)

これは1930年代パリで流行った、シャンソンの一節です。

南仏辺りの保養地に、しばらく滞在されていた奥方様に、既に電報でも届いていたのでしょうか。彼女は、少々動顚しながら電話器を手にとられたご様子。それに引き換え女中頭であるリュカの受け応えは、実に落ち着いていて、一件の顚末を簡潔に説明しています。

ボクはこれを、ユーモアがかったパリのエスプリと理解しています。リュカが口にした万事上々である「そのほか」というのは、殿様のことはともかく、お邸から貴金属、宝石、数々の由緒ある絵画、沢山の衣装や高価な家具類、それに有価証券など、おまけに一番可愛がっておられた愛馬にいたるまでの何もかもを失ってしまわれた奥方様に対して、彼女にとってはもはや全くどうでもいい女中頭を始めとした執事、料理人、庭師に小間使いといった使用人たちの全てが、誰一人かすり傷の一つも負わずに、しかも元気に、奥方様のお帰りを今や遅しとお待ち申し上げている、という光景そのもののことです。

昭和30年代の後半、雑誌「文学界」に、フランス文学者の河盛好蔵氏が「文学空談」という文学エッセイを連載していました。その中に「ユーモアについて」、「エスプリについて」という二つの「空談」があって、そしてこれらが土台となり、やがて(昭和44年)岩波新書での「エスプリとユーモア」という小冊子の誕生となりました。そこでは、そもそも人間にとって笑いとは何かといったことを含めて、エスプリやユーモアについてこれまで多くの哲学者、精神分析学者、或いは文学者達の語ってきたことがいろいろと紹介されています。その一つに、アンドレ・モロアの講演があって、それによると「あなたは、木偶の坊です」といえば、これはエスプリの範疇で、これに対して「あたしは木偶の坊です」とするのがユーモアだ、と解説されています。「当たらずとも遠からず」の定義だろう、と河盛氏もどこかで言っておりましたが、これを言い換えれば、他人を笑うのがエスプリなら、(逆境に立たされながらも)己を笑える方がユーモアに属すると言えるのでしょう。

こうした点を念頭にこのシャンソンに返ってみると、突然何もかもを失って、それこそ逆境に立たされている奥方様に対して、奥方様、それでもあたしたちがこうして元気にお待ち申し上げているじゃぁありませんか、どうかご心配なく急いでお帰りくださいませ、とリュカは言うのです。奥方様にしてみればこの連中、足手まといになるだけで何の役にも立たない者たちばかりなのですが、当の使用人たちにとっては、「きれいさっぱり燃え果てましてね」なんて言ってはみたものの、ここは奥方様に一日も早く「ご帰館」願って、次の手を打っていただく。自ら命を絶たれた殿様のことは、いずれ改めて始末するとして、取り敢えず奥方様には、むろんしばらくの間を置くにしても、(もっと素晴らしい)「新たな旦那様」のことなどお考え頂かなければなりません。「そのほかは、万事上々」というリフレインの中に、使用人たち自身の心の準備と共に、わが奥方様なら(亡くなられた殿様とは違うから)、きっとあの持ち前の「手腕」を発揮してくださるはず、という信頼感にも似た気持ちが隠されているようにボクには思えます。尤も、奥方様だって、「もう倒れそう」なのはこの瞬間だけのこと、電話が終わる頃には、わたしが帰るまでにあれとこれとをやっておきなさい、とリュカに対してしっかりと指図しているに違いありません。

いざという時に、たちまちうろたえてしまうのは男の方で、他方いささか動顚しながらも、いつでも次のステップのことをきちんと考えられるのは、やはりなんと言っても女性たちのものです。この古来からの「真実」を歌に示されて、聴く者同士がお互いに顔を見合わせて笑ってしまう、そこのところが「ユーモアがかったエスプリ」たる所以です。このシャンソンを、こんな風に読み取ってしまっていいのかどうかは、分かりません。分からないだけにその分、理解の幅は広がります。そう言えばある文学者が、「表現とは、隠すことでもある」と何かの「あとがき」で言っておりました。隠されてしまったのならば、次にそこから何を掘り当てるのか、一つの詩に何を感じるのかは、要するに人それぞれに委ねられているということなんですね。