第3回 ダイヤのお竜 【千の風になって】

Post date: 2011/06/24 5:28:05

「千の風になって」が大ヒット中だ。

そうだろう、私でさえ買ったのだから。

昨秋の「多喜二祭」でケイ・シュガーという人がこの歌をうたうのをきいたが、後できく「紅白歌合戦」での秋川さんの歌唱よりこの時の歌のほうがずっと心に沁みた。

まだ母の死が生々しいときだったからか、ケイさんの素朴な歌い方が良かったからか、弾き語りのせいか。大好きな多喜二にことよせていたからかもしれない。

恥ずかしかったが涙が止まらなかった。

風になった母はきっといつものように「お前の涙は安い涙だね」と私をわらっていたことだろう。

母と私は「なさぬ仲」である。父も血がつながっていない。

もうどうでもいいことと心に決めながら実の両親を知りたいと未だ思うことがある。

父から告白された20歳のときから今まで「調べるべきか、否か」ハムレットの心境が続いている。もう風になっているだろうか。

私は15歳まで戸籍上は存在しない人間だった。

つい先日戸籍がなかったことで義務教育も受けられなかった男性が事件をおこしてニュースになった。私も同じだったのだ、背景に貧困と無知があったことも含めて。

戸籍を詐称して成り上がっていく男を主人公にして松本清張は「砂の器」を書いている。

「戦後の混乱期」にはそんないいかげんなことも結構あったのだろう、結婚した私の両親は婚姻届はおろか、出生届もせずに生活をしていたのだ。

産みの親も育ての親も役所になんか行くより「食う」ための苦労で必死だったのだと思う。私にまつわる「小説のような本当の話」である。

それでも「通知が来ないがこの子は7歳だから」と母が申し出てくれたおかげで私は小学校に入学できた。件の男性のようにはならずにすんだ。

みんな貧しい暮らしだったが、その中でも並外れた極貧でいつも米びつが空っぽのような家だった。にも関わらず私という命を引き受けてくれた両親、とりわけ母にどれだけ感謝したらいいのだろう。最期まで実の親として生きとおしてくれた。私もそう振舞った。

陽気で強気なひとだった。

最後はやせてしまったが145センチぐらいで80キロ以上あったから、相当凄い風になってそのあたりを吹き飛ばしていることだろう。

生きている私たちが思い出す限り、その人は私たちの中に生き続けますよ、とある葬儀でお説教され感動した覚えがあるが、同じことをNHKの「千の風・・」を取り上げた番組でもいっていた。(2月26日・クローズアップ現代)

父も母も私とともに生きている。「戦争はこりごり」という口癖といっしょに。

「千の風になって」を聞くたびにそんなことを思う。

P.S.

母たちの世代の思いを伝えたくて鉄の造形作家・武田美通さんの「戦死者たちからのメッセージ」の連作(現在15作品)を多くのひとに見ていただく仕事をしています。

「日本アンデパンダン展・東京上野都美術館」の立体・彫刻部門で4作品を出展しました。2月28日から3月12日までの会期です。ご覧いただければ嬉しいです。