第37回 伊藤忠商事出身 松丸 了 【人生は未完成交響曲】

Post date: 2011/08/25 11:16:00

人生は未完成交響曲 ~妻、そして娘たちへ~

生涯一商社マンの旅日記 ①

伊藤忠商事出身 松丸 了

1993年4月9日イスタンブルに着任。ホテル・マルマラに投宿。(イスタンブル沖の海をマルマラ海という)

4月12日、「中央アジア訪問経団連・トルコ共同経済代表団」の会議参加のためスイス・ホテルに移動した。

4月14日、「中央アジア訪問経団連・トルコ共同経済代表団」の一員としてカザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの中央アジア4カ国を訪問、4月19日イスタンブルに帰ってきた。(カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの4カ国をトルコ圏共和国という。パパの仕事はイスタンブルを拠点にして、この4カ国にアゼルバイジャンとウクライナを加えた6カ国の市場開拓である)

4月14日午前11時、チャーター機でイスタンブルを発ち、アゼルバイジャンのバクーで給油した後、第一の目的地であるカザフフスタンの首都・アルマータに夜中の10時(時差4時間ある)についた。パスポート・コントロールに時間がかかった。国賓待遇のはずなのに、どうした手違いか、チャーター機の出口のところで、一人一人パスポート・チェックを受けた。パパは一時間も飛行機の中に閉じ込められる羽目になった。ホテルに着いたときは、午前1時を大きく回っていた。ホテルは、「サナトリウム」という名前で、独立前までは共産党幹部の保養所として使われていた。ばかでかいが立派なホテルである。

15日は朝から会議。カザフスタン政府代表の経済政策を聞いた。夜、一行は天山山脈の一部であるメデ山の中腹にあるレストランに招待されたが、パパは一行を離れて、アルマータ駐在の伊藤忠商事の所長の家(ホテル・カザフスタンの一室)に招かれて、夕食をご馳走になった。炊事場もない小さな部屋の片隅で、所長の奥さんが苦労して作ってくれた料理はうまかった。所長の奥さんは、元JALのスチュワーデスで、ペラペラとよく喋る面白い女性である。(ママと同じくらいすらっとしていて美人)

アルマータは、今回が二度目の訪問である。1月の末、初めてアルマータを訪れたときは、あたり一面雪におおわれていたが、今は木々がちょうど芽をふきはじめたところで、日中は初夏を思わせる暖かさである。

アルマータの街は、天山山脈に取り囲まれている。山頂は雪で白い。カザフスタンの人はこの山を「青い山脈」と呼んでいる。カザフスタンには、ロシア人、ドイツ人、朝鮮人が住んでおり、カザフスタン人は全体の50%強である。カザフスタン人は日本人に非常に良く似ている。女性がとくに似ている。中には、日本人以上に日本人みたいな、若い女性もいる。

所長の奥さんとお喋りしているうちに時間を忘れ、夜中の12時近くになってしまった。外に出るとドシャ降りの雨。所長がタクシーをつかまえ、料金を交渉して5000ルーブリで話がまとまり、パパは所長から5000ルーブリを貰ってタクシーで帰った。ホテルまで40分はかかる。外は真っ暗。ジャージャーと雨が降っている。ホテルは市の中心からはるかに離れたところにある。人家のない寂しい、暗い道を車は黙々と走った。こんなところで放り出されたらどうしよう、と心細くなった。

ホテルに到着。料金を払って車を降りようとすると、タクシー運転手の長い手が、パパの背広の袖をつかんで放さない。もう5000ルーブルを払えとすごむ。パパはお金がない。

「5000ルーブルは片道の料金だ。もう5000ルーブルよこせ」

「お金はもってないよ」

「だったら時計をよこせ」この時計は、勤続25周年の記念にママの時計とおそろいで、貰った大事なダンヒルである。渡すわけにはゆかない。

「だめだよ」

「だったら5000ルーブル払え」

「5000ルーブルの約束だったではないか」

「あれは片道だよ」背広の袖が千切れそうになった。

そのとき運よく街に帰る客がホテルの中から現れ、パパはやっとの思いで難を逃れることができた。

4月16日早朝、アルマータを発ち、キルギスタンの首都・ビシケックに向かった。キルギスタンは、山の多い、小さな国で、中央アジアのスイスとも言われている。

<つづく>