日本は「美しい国」か?美しくない場所を何とかしたい! Apr. 23, 2017
日本は「美しい」と外国人に絶賛されている。
どこにもゴミが落ちていない、道には吸い殻もポリ袋もない、公衆トイレも汚れてない、地下鉄も清潔だ。確かに、海外旅行をすると、パリでも台北でもハノイでも、道はゴミが落ちている。日本の街は清潔だなと気づく。
最近の記事に「日本ではコンクリートミキサー車までピカピカだ」と中国人が驚いている、とあった。工事現場だろうとどこだろうと、日本では清掃が行き届いている。徹底してやるので「映画みたいで現実とは思えない」と感心される清潔さ、美しさが保たれている。
しかし、これは最近のことである。少なくとも、私が子どもの頃は街はゴミだらけであった。車窓から瓶や缶を投げ捨てるのは当たり前で、道路の植え込みは空き缶だらけだった。駅弁を食べるとシートの下に弁当ガラを置いて降りるのは常識に近かった。
40年前に比べると格段に日本は「美しくなった」のである。それは「努力」したのである。
鉄道模型にハマっていた私は「鉄道模型趣味」という雑誌を時々買ってオトナ達の素晴らしいジオラマ作品(レイアウトと呼ぶ)に見とれていた。現実の町をこれでもかとリアルに再現してある。雑草、家の汚れ、看板の字の薄れ加減までホンモノそっくり。
あるページに「列車の汚れ」を黒い粉末で再現する方法が書かれていた。「買ってきた機関車や客車はピカピカすぎてオモチャ感まるだしである。汚れてこそ現実感が出る」。そのとおりだ。
そして、こんな一文があった。「日本では信じられないかもしれないが、ヨーロッパではオモチャのように美しく塗装されたピカピカの電車が当たり前のように走っているのも事実だ」。
そう、40年前、日本の列車たちは汚れまくっていた。特に電化されていないディーゼルなどひどいもので、黒いススと茶色いサビ粉にまみれていた。40年前にヨーロッパに行った日本人が持った感想を、今は中国人が日本に対して感じているということである。
ところが、日本の国土のすべてが美しいわけでは決してない。今でもゴミだらけの残念な場所がある。
それは「海」である。
昨年9月にフランスの大西洋側を訪れる機会があったが、ビーチにゴミ一つ落ちていないことに衝撃を受けた。ペットボトルはおろか、木くずや大きな貝殻などもない。裸足で踏んでも全く安全で快適な状況だ。
日本の海岸はどうだろう。海水浴場にはもれなくゴミが見られる。プラスチックが無くても数cmの木くずなどは必ずある。ゴミや木くずが全くない砂浜にお目にかかることはまずない。
それは、海流の上流にゴミを捨てる国があるかないかの違いだろう、という意見もある。そこから漂着するのだ、と。
しかし、それだけではない。フランスのビーチには無数の「タイヤ痕」があった。しかもフレッシュな。つまり彼らは毎日、漂着するゴミを「ビーチクリーナー」という装置で丹念に清掃し、美しい海岸を維持しているのである。
これは日本の新しい「常識」にすべきである。一度、ゴミの全くない砂浜を歩いてみるとよい。その快適さに感動するはずである。40年後に「日本の海は映画のように美しい」と言われたいではないか。
実は、日本にも奇跡的に美しい海が存在する。清潔・安全・快適な天然海岸は確かに存在するのだ。地形や海象が特殊で、地元の方によれば一週間単位で、海岸の砂が溜まったり、無くなったり激しく変化するそうである。
頻繁に砂が入れ替わるのだからゴミが漂着するヒマもないのだろう。海水浴場に適さない生物も全く見られない。私が案内されたその場所は、ごく一部の愛好家以外は地元でも知られず、ほぼ放置されていた。「都会の近くにこんな海岸があったのか!」と驚いた。
裏を返せば、日本人が「ゴミのない美しい海」の素晴らしさに気づいていないから、まだここは放置されているのである。
当研究室では「清潔・安全・快適」なビーチを実現する研究を行っています。大分県豊後高田市をフィールドとして社会実験中です。ご注目ください!