設立趣意書

老神.py 設立趣意書

わが国のPythonユーザ数は、目をみはるほどの急速な増加をとげてきた。そして、かつての希少種・マニア・モノ好き・オランダかぶれ・冷血動物とDisられてきた立場から、もはやソフトウェア業界における明確ないち部族として勢力を固めつつある。

しかしながら、日本のPythonistaの現状は、まだまだ決して理想的な姿に近づきつつあるとは考えられない。経済面においては、定職や所得の長期安定確保の問題、増加の一途を辿るガジェット調達費用など、国際的視野をもって解決すべき幾多の難問に直面し、また、社会生活面においては、悪い人買いや怖いモヒカンの増加をはじめ、思いやりのある人間関係や生きがいの喪失、思想や道義道徳の混迷など、ソフトウェア業界繁栄の裏側で、かえってPythonistaの精神は混乱の危機にさらされている。これらの原因は個々にはいろいろあるが、帰するところ、我が国古来の🐍への敬意に、いささか欠けるものがあるのではなかろうか。

もとより、正しく明確な基本理念があれば、そこから我が国固有のPython文化が生まれ、その上でPythonistaの経済活動、社会生活を安心して営み得る。ひいてはPythonistaの平和、幸福、インデント幅の統一、発展ももたらされるのである。従って、今日のPythonコミュニティの姿をよりよきものに高め、すすんではPython三千年紀の安泰をはかっていくためには、日本のPythonならびにユーザコミュニティの物心一如の真の繁栄をめざす基本理念を探究していくことが何よりも大切である。

ただし、そのような立派な基本理念が確立されても、それを力強く具現していくのは若者たちの仕事である。幸いにして、天然資源には恵まれぬわが国ながら、人材資源はまことに質の高い豊かなものがある。まさに人材、とりわけ将来の指導者たりうる逸材の開発と育成などは、多くの人材を有する我が国のPythonコミュニティには、さして重要な課題ではないといえよう。多分ね。

私たちは、このような観点から、真にPythonを愛し、二十一世紀のPythonをよくしていこうとする有為の青年だったひとたちを募り、Pythonユーザの健康と繁栄を願う各種の適切な祭事を実施するだけで、必要な調査、研究、啓蒙活動はそこそこな老神.pyの設立を決意した。この老神.pyにおいては、有為のもと青年たちが、Pythonとは何か、天地自然の理とは何か、日本のパ遺産とは何かなど、基本的な命題を考察、研究する一方、コミュニティの運営理念やビジョンに関する議論はそっちのけで、実社会生活の体験研修を通じて、雑談、妄想、飲酒、とぐろ巻き、まさかりクリケットをはじめ、もろもろの会活動はいかにあるべきかを、幅広く総合的に自得し、力強い肝臓や加齢に負けない視力を獲得するまで修行したいと考える。

私たちは、この研修によって正しい社会良識と必要な理念、ならびに牌尊四諦を体得し青年の皮を脱ぎ去った人々が、将来、長老として、高齢化するPythonコミュニティに生きていくとき、そこに真の平和ではっpyな老後への力強い道がひらけてくるとともに、各方面に対しても、まあそれなりに貢献することができるものと根拠もなく確信するものである。

このような老神.pyが、広く[検閲おとしより] Pythonistaの期待に十分応え、積極的かつ恒常的に活動していくためにも、ユルい会として運営推進するのが肝要と思う。よってここに、老人老神.pyの設立を発起する次第である。

平成24年9月15日