水袋(戯曲)

登場人物A……砂糖恐怖症の女B……砂糖中毒(ただの甘党)の女黄……黄黄黄工務店の店長 黄色いヘルメットを被っている 【第一幕】四月。ビニールハウスの中。中央にストーブが置いてある。地面にはブルーシートと絨毯が敷かれ、毛布を被ったAとBが並んで眠っている。質の悪いノイズ混じりのラジオの音が小さく鳴っている。各地の被害情報、避難状況についてのニュースが流れている。夜には雨が降ったようで、天井のビニールに水が溜まっている。 Bが起き上がり、天井の水が溜まった部分をじっと眺める。やがてAも目覚める。 B (天井の水を指して)ねえ、あれ見て。A 水たまりだ。B ざあざあ降ってたから、雨。A いつ止んだんだろ。B 四時くらいかな。A そんな時間まで起きてたの?B ううん、たまたま起きただけ。A 余震?B 今夜は余震少なかったよ。A そうなんだ、夜中にびくってならなかったから、ずっと寝てた。 Bがストーブの上に薬缶を置く。二人ともそろそろと布団から出る。 A (天井の水を見て)ねえ、あれさ。B あれ?A (水を指して)あの、ビニールの。なんか蜜で膨らんだ蟻みたい。B 蟻、蜜蟻、なんかそんな感じの知ってる。A それそれ。ミツツボアリっていう蟻がいてさ、普通の蟻よりもたくさん蜜をお腹にためるんだって。B 写真で見たことがある、オレンジっぽいやつ。A そうオレンジっぽい。砂漠とか、えっと、どこだっけ。たしかオーストラリアにいるんだよ。食べるとレモンティーの味がするって。B 甘酸っぱい感じ?A 蟻の体液は酸っぱいんだって。だから甘酸っぱいらしい。ちょっと食べてみたい。B え。A 食べたくない?B いやあ、いらないかな。本物のレモンティーで十分。A まあ、高いらしいしね。一匹で何百円って。B でも、あれ(天井の水を指して)には手足がないけどね。触覚も。A 蟻の手と足ってどこ?B 前二本が手で後ろ四本が足?A 前四本が手で後ろ二本が足な気がする。B うーん、うん。A だって手が多い方が便利じゃん。B 足が多かったら早く走れるかもよ。A 生き急ぎたくないし走りたくないし、足は二本でいいや。 薬缶がピーと鳴る。Aがダンボール箱からマグカップを出してきて、オレンジ色のコンテナの上に置く。そこにAがスープの粉末を入れて、Bがお湯を注ぐ。さらにAはダンボールから六本入りのチョコチップスティックパンを出す。 A いただきます。B いただきます。 Bは詰め込むようにスティックパンを食べ、Aはゆっくりとスープを飲む。しばらくの間、朝食が続く。やがてBが口を開く。 B ねえ、パンなんだけどさあ。A チョコチップスティックパン?B いやあ、パン全般というか、ほとんど食糧って意味のパンなんだけど。A あ、パンが足りなくなってきたからケーキを食べたいと。B いやあ、ケーキ屋さんもやってないと思うんだけどね。A シャトレーゼも?B ばかばか、あそこのモール自体が被災してるって。A うそ。B ツイッターで見た。A それじゃあパンも無いってこと?B うーん、公民館に支援物資が余ってたら、ねえ。A 行きたくないじゃん、公民館。B わかる。わかるんだけど、背に腹はかえられない。A 今日、行く?B 行く、決死隊くらいの勢いで。A 食糧を奪取!B 公民館突撃だね。A 奪取だ!B ダッシュで。A 奪取!B ダッシュでA 奪取だってさ。 AとB、ひとしきり笑う。 A ねえ、B。B またまた食べ残しですか?A ちょっとでいいし。なんなら朝はスープだけでいい。B 残り全部いい?A どうぞ好きなだけ。 Bはまた詰め込むようにスティックパンを食べる。ラジオの音が聞こえ始める。だんだん大きくなっていく。 ラジオ (女性)……として、ダンボールで作る簡易ベッドが配布されました。中継です。(男性)はい。こちらの避難所では、現在四百人ほどが避難しています…… だんだんとノイズの音が増えていく。ざあざあという音の中、暗転。
【第二幕】ビニールハウス。まだ天井に水がたまっている。AとBが両手にビニール袋を提げて帰ってくる。どの袋にも、水や菓子パンがいっぱいに詰まっている。 A 腐るほど余ってたね。B 物資の不足してる避難所があるって話、ほんとなのかね。こんな小さい町内の公民館に、あん量いらないんだよ。まったく。 二人、ビニール袋をオレンジ色のコンテナの脇に置く。Aが菓子パンをダンボール箱に入れていく。 A 偏ってるんだろうね、物資。無いところは無いんだよ、きっと。B もったいない。A でも、これはBのお腹に入るんだし、いいんじゃないかな。B Aだって食べるでしょ。A 私はそんなに。B 食べなよ。A いいって、人には好き嫌いってものがあってさ。B 菓子パン、嫌いだっけ。A ものによるかな。B チョコチップスティックパンは?A ぱさぱさしてるから、あんまり。B (ビニール袋から取り出して)薄皮あんぱんは?A あんこが多すぎて嫌。B (あんぱんをダンボールに入れ、またビニール袋から出して)メロンパンの皮は?A そんなの、ただのクッキーじゃない。B (メロンパンの皮をダンボールに入れて)甘いの嫌いになった?A 甘いのは好き。でも、砂糖は嫌い。B わっかんない。A 砂糖は毒だよ。薬物だよ。中毒にだってなるんだから。B ……なんか、変な宗教みたい。A だからね、Bが好きなだけ食べていいんだよ、菓子パン全部。B 全部、菓子パン全部、私の?A そう、Bのもの。B 嫌だよ、そしたら私だけぶくぶくに肥って、Aは細くなって骨になっちゃう。A 仕方ないよ、Bは中毒だから。B 中毒って砂糖中毒? 私が砂糖中毒だって言いたいの?A ううん、みんな中毒なんだよ。でもそれは仕方がないことなの。B わかんないや。A 難しいことだよ。B わかんないよ。だって私、馬鹿だもん。A Bが馬鹿なら私も馬鹿だよ。英語のテストは二人していつも赤点だったんだから。B でもAの方が国語ができた、漢文も古文も現代文も。A Bの方が数学はできたよ。私たち、全部中途半端にしかやってないけどね。B そうだった、思い出した、いつも遅刻して早退して。A 授業なんか出なくって。B 帰り道の用水路の横の白い柵にもたれかかって、ずっと喋っててさ。A あの、アブラナのにおいがする用水路ね。B あそこ、無事なのかな? 用水路のあった市営住宅、昔Aが住んでたとこ。A どうかな……考えたこともなかった。B 大丈夫だよね、だって鉄筋コンクリートだもん。うちは木造だからさ。A うん、瓦も落ちちゃった。B いつまでビニールハウス生活かな?A 業者さんが来れば分かるよ。B いつだっけ。A あれ、いつだっけ。B 電話したのは?A 四日前。B なんて言ってた?A 四日後の午後って。B あ。A もうすぐじゃん。B すぐじゃん。 自動車が近づいてくる。トラックがバックするときの警告音(デンソーのボイスアラーム)がする。黄黄黄工務店の店長の声だけが聞こえる。 黄 ごめんくださーい!B ほら、来ちゃった。A はーい! Aが黄黄黄工務店の店長を迎えに舞台袖へ。店長を引き連れて戻ってくる。 A ……大したお構いはできませんが、ええ、こちらでお話を。B あ、どうも、お世話になります。黄 いやあ、大変でしたね。うちも、もう出ずっぱりで。A そうでしょう。かき入れ時じゃないですか。黄 そういうわけでは。ねえ、こういった仕事が多いのは良い事ではないですからね。A ああ……そうですか、そうですね。B (ビニールハウス内に促して)どうぞ、手狭ですが。黄 いえいえ、お構いなく。B あ、そうですか。黄 夜も、ここで?A そうですね、母屋があんな感じですから。黄 女性二人じゃ怖いでしょう。A 屋根がもう駄目なので、どうしようもないんです。黄 瓦、ほとんど落ちてしまってますもんね。B 雨が漏るなんて次元の話じゃないんですよ。黄 家の中は?B もう、ぐちゃぐちゃですよ。何が何やら。黄 ちょっと、見て回りましょうか。 一同、舞台端へ。黄店長が建付けを確認するような動きをする。 黄 ああ、これは歪んじゃってますね。A そうですか……。B 大工事になりますか?黄 いえ、構造自体は大丈夫そうなので、屋根を修理して、建付けを直せば住めるかと。A よかった、よかった。建て直しになったら大変だと思っていたんです。B いつ頃、住めるようになりますか?黄 そうですね……順番に回っているので、二週間はかかるかと。B 二週間、ですか。A あと二週間……たった二週間だから。B たった、二週間。うん。黄 ところで、見積もりなんですが。 店長、後ポケットから電卓を取り出して、数字を示す。 黄 だいたい、このくらいになりますかね。A そんなに……いえ、お願いします。、黄 十日後から三日ほど作業させていただいてもよろしいですか?A ええ、もちろん、もちろん。黄 わかりました。では、十日後に若い衆連れて来ますんで。B ありがとうございます。黄 いちらこそ、どうも。では次がありますんで。 店長、舞台袖へ。トラックのエンジン音、そして発車音が聞こえる。AとB、ビニールハウスへ向かう。 B やってらんないよ、あと二週間なんて!A 仕方ないでしょう。だって、非常事態だもの。B でもさ、でもさ、ビニールハウスだよ。鍵もないしさ。A そうね、そうだけど、避難所の公民館よりマシじゃない。B ……マシだけれども。A だから、我慢しよう。B 嫌だ。A なんで?B 嫌なものは嫌なの! Bは毛布の中に隠れてしまう。 A もう寝るの? ご飯は?B いい、食べないから。A ……そう。B 今日貰ってきたパン、ぜーんぶAが食べちゃえばいいんだ。A いやだよ、砂糖は毒だもん。B うるさい! 全部食べたらいいんだ! 沈黙するA、ダンボール箱に入った菓子パンに手を伸ばす。暗転。
【第三幕】重機の動く音がする。ビニールハウスの中でAとBはオレンジ色のコンテナを挟んで対峙している。コンテナの上には菓子パンの山。二人はそれを眺めている。天井にはまだ水袋がある。そしてラジオが流れている。 B ねえ、A。どうしてそんなに物欲しそうなの。A Bこそ。Bは砂糖中毒で、つい何日か前まで菓子パンを貪り食ってたじゃない。B いいよ、Aに全部あげる。A いたないよ、こんな山盛りの毒。B 毒だ毒だってAが言うから、食べる気分じゃなくなったの。A 私のせい?B Aのせいだよ。A 私はBが美味しそうに食べてるのが好きよ。B へえ、Aは私が毒を貪り食ってるのが好きなんだ。A そんな言い方はしてない。B Aが食べたらいんだ。A 嫌。B Aが食べなさいよ、ここにある砂糖たっぷりの菓子パン全部。A 嫌だって。 B、チョコチップスティックパンの袋を破り、一本を取り出す。 B (パンをAに向けて)ほら。A 嫌だって言ってるでしょう。B (Aの口元にパンを押し付けるようにして)食べたら? こんなに美味しそう。A 砂糖は毒……砂糖は毒だから……。B (執拗に)食べなよ、なんでこんなに簡単な事もできないの!A やめてよ! Aがチョコチップスティックパンを払いのけ、パンは地面に落ちる。 A 食べられなくなっちゃった……。B もう、いい。ここにある菓子パン全部、食べられなくしてやる。(天井を指さして)あそこにある水、もう何日も経って腐った雨水をぶちまけて、菓子パン全部食べられなくしてやる!A そんなの無駄だよ。菓子パンは全部袋に入ってるもん。B (袋をひとつ掴んで)じゃあ全部開けちゃえばいい。A やめよう、そんなもったいない事。 しばらくして重機の音が止まり、黄黄黄工務店の店長が二人のもとにやってくる。 黄 どうも、終わりました! AとB、腰をあげる。 A ありがとうございます。B どう、ですか?黄 瓦は葺き替えましたし、建て付けの方も小規模な工事で済みました。A ……ああ、よかった。B ありがとうございます。黄 もし何か不具合があれば、ご連絡ください。では、こちら振込用紙になっております。A ええ、近日中に必ず。黄 それじゃあ、帰りますんで。B お世話になりました。黄 では。 店長が舞台袖へ。重機が走行し、遠ざかっていく音が聞こえる。B、地面に落ちたチョコチップスティックパンを拾い上げる。 B あーあ、もったいない。A Bが押し付けるから。B 私のせい?A Bのせいだよ。B このパンが地面に落ちて土だらけになって食べられなくなったのは私のせい?A そうだよ。Bのせいだよ。B じゃあ、食べるよ。A え? Bがチョコチップスティックパンを口に運び、Aがそれを阻止する。そのまま揉み合いになり、パンを食べようとするBをAが必死で止める。 A やめて、やめてB。きっと蟻たちが食べてくれるから。B 嫌だ、食べるって決めたの!A わかった、じゃあ私が食べるよ。食べるから。 Bがチョコチップスティックパンを食べようとする動きを止める。Bが持ったパンをAが掴み、口へと運ぶ。ゆっくり時間をかけてAは一口目を噛みちぎり、されに時間をかけて咀嚼し嚥下する。そして狂ったように、残りを胃の中に詰め込む。 B ほんとに、食べた……。 Aは気持ち悪そうに口元を抑え、しゃがみ込む。やがて四つ這いになって嘔吐する。B、Aの背中を摩る。 A いやだ、いやだ、砂糖は毒だ。B ごめんね、ごめんね。A、ごめんね。 ふとAが遠くに目をやる。 A 私が吐いた砂糖たち、どこに行くんだろう。下水から河へ、そして海へ? 不知火海を漂って魚の餌になって。B その魚を私が食べる。A Bが食べるの?B うん、私がAの吐いた食べ物で育った魚を食べる。例えば、シロ子。綺麗な銀色をしていてね。酒蒸しにしてさ。A じゃあ、私が地面に吐いたものは?B 里芋がじりじり吸収していって、それも私が食べるよ。きっと美味しいに決まってるんだ。Aの唾液と胃液が繊維をやわらかくしてるんだよ。A そうだね、いいね。気持ちが悪い。 暗転。ラジオの音が大きくなっていく。緊急地震速報が流れる。