シガーキスは泳がない
登場人物・瑠璃……女子大生。龍に片思い中。・龍………瑠璃と同じ学科。大学生。・魚住……生物が大好きなちょっと風変わりな女子大生。 【第一幕】ゴミ袋をふたつ抱えた瑠璃が、いくつか袋が積み重なったところにゴミ袋を捨てる。そこに龍が通りかかる。 龍――― あれ、瑠璃ちゃん?瑠璃 ――(振り返って数歩近寄り)ああ、龍くん! ごめん、暗くてよく見えなかった。龍――― 瑠璃ちゃん、ここに住んでんねや。下宿してるのんは聞いててんけど、大学まで十分もかからんやん。ええなぁ。瑠璃――家賃も高くないし、ここ結構いいよ。龍―――へえ、俺も一人暮らししたいんよね。瑠璃――龍くんは実家だっけ?龍―――そうそう。電車通学でさ、そんな遠くないんやけど。瑠璃――おうちに帰ったら温かいご飯がある生活、ちょっとうらやましいかも。龍――― いやあ、外で食べて帰ることも多いねん。瑠璃――そっか。瑠璃――でも龍くん、あんまり家事得意じゃなさそう。龍――― うわっ、ひっどいなー。確かに苦手ではあんねんけどさぁ。瑠璃――炊事、洗濯、掃除……一人暮らしするなら、いろいろやんなきゃ。龍―――俺、飯は作れへんわ。瑠璃――意外かも。パスタとかなら、ちゃちゃっと作りそう。龍―――麺の茹で加減、わからへんねん。瑠璃――……私、作ろっか?龍―――作るって、飯?瑠璃――うん。龍くんが一人暮らしはじめたら、作ってあげるよ。龍―――ほんまに?瑠璃――毎日でも作るよ。朝昼晩、三食、一汁三菜。和洋中なんでも作るから。龍――― いやいや、さすがにそれはちょっと。瑠璃――……なんか、ごめん。龍―――帰るわ。明日、一限やねん。じゃあ。(瑠璃の脇を通って去ろうとする)瑠璃――あれっ、ない!龍―――(振り返って)どしたん?瑠璃――小指がない! 左手の小指!龍―――えっ、大丈夫?瑠璃――どうしよう……小指が……。ちがうの、でも、さっきまであったの。ちゃんと。龍―――さっきゴミと一緒に捨てたんとちゃうん?瑠璃――そんなはずないの。だって、今の今まであったから。龍―――あれ、それは?(瑠璃の手元を指差す)瑠璃――違う、こっちは右手!龍―――そっか。瑠璃――どうしよう、小指が無かったら……。龍―――大丈夫やて。人間なんてみんな不完全なもんやし、小指の一本や二本無くても。瑠璃――ねえ、小指探すの手伝ってくれない? 近くにあるはずなの。龍―――小指なんて、指の中でも一番ちいさいやん。夜に探して見つかると思うん。瑠璃――でも……。龍―――それに瑠璃ちゃん、いまコンタクトしてへんやろ。瑠璃――そうだけど、なんで知ってるの?龍―――いや、さっきこの距離でやっと俺の顔、認識したやん。瑠璃――うん、だから、だからこそ……一緒に探してほしいの。私、視力悪いから。龍―――明かりもほとんど届かんし、階段の陰やし、明日探したほうが賢明やと、俺は思うな。瑠璃――でも、夜中に猫とかが持っていっちゃうかもしれないし……。龍―――そんなん、しゃあないやん。瑠璃ちゃんが落としたんやから。瑠璃――うん……そう、だよね。私が落としたんだもん……。龍―――帰るわ。瑠璃――うん、じゃあね。 龍が立ち去る。瑠璃はしばしゴミの山を見つめる。瑠璃、その場にしゃがみ込む。ゴミの山の中にプラスチックの容器を見つける。 瑠璃――あれ……? なんか、いる。 瑠璃、容器を持ち上げて中身を確認する。 瑠璃――魚……生きてる! 容器を持ったまま、急いで自室に帰っていく。暗転。
【第二幕】瑠璃の部屋。低い座卓の上にプラスチックの容器が置いてある。座卓の下にはラグが敷いてあって、そこに瑠璃が悩まし気な顔で座ってプラスチックの容器の中を眺めている。チャイムが鳴る。 瑠璃――はーい! 瑠璃、扉を開ける。水槽を持った魚住が入ってくる。 瑠璃――魚住、待ってたよ。助かるわー。魚住――ご所望の品、持ってきましたよっと。瑠璃――こんなに大きいの、貰っちゃっていいの。魚住――いいのいいの。余ってるやつ、洗って持ってきただけだから。瑠璃――あ、ここ。置いてもらって。(プラスチックの容器を持ちあげる)魚住――(瑠璃の手元を指して)それでそれで、拾ったのってその魚?瑠璃――そうなの。調べてみたんだけど、わかんなくて。魚住――ふうん、ちょっと見せて……うーん、淡水魚だろうけど……。瑠璃――わかる?魚住――ちょっと、キスに似てる。瑠璃――キスって、あのキス?魚住――そうそう、スズキ目スズキ亜目キス科の。瑠璃――海の魚よね?魚住――淡水に侵入する種類もあるからさ、シロギスとか。ほら見て、口先が尖ってるでしょ。瑠璃――確かに。淡水だったらさ琵琶湖とかかな。魚住――いやいや、海と繋がってないといけないからさ。瑠璃――琵琶湖と海って繋がってないの?魚住――えっ、いやごめん、わかんない。琉璃――そっかあ。魚住――一応ね、種類がわかんないと餌もわかんないと思って持ってきたんですよ。瑠璃――何を? 魚住、背負ったリュックから分厚い本を三冊取り出す。 魚住――じゃーん、魚類図鑑!瑠璃――それで調べたらわかるんだ、すごいね魚住。魚住――意地でも同定するからさ。その前に、この子移しちゃおっか。瑠璃――そうだね、このままいいの?魚住――入れちゃって入れちゃって。 魚住と瑠璃、プラスチック容器の魚を水槽に移す。瑠璃がペットボトルに入った水を水槽に注ぐ。魚住は図鑑を広げて、首をかしげる。 瑠璃――魚住、わかった?魚住――わかんない! 無理! お手上げ!瑠璃――そっかぁ。魚住――これかと思った魚とは、ちょっと違うんだもん。瑠璃――そうなんだ、魚住でもわかんないか。魚住――これ、どこで採ってきたの?瑠璃――昨日、電話で言ったとおりゴミ捨て場だけど。魚住――あー、そうだった。ゴミ捨て場か。瑠璃――そう、ゴミ捨て場。魚住――じゃあ場所から推測するのも無理かあ。(大の字になる)瑠璃 ――いやでも、助かったよ魚住。私、水槽持ってなかったから。魚住――もー、生物学専攻の沽券に関わるよ。くそう。瑠璃――あの、ね……。魚住――なに?瑠璃――ゴミ捨て場で見つけたの。アパートの前で龍くんと話してて、その後で見つけたの。魚住――龍くんって、瑠璃がいつも話してる人?瑠璃――うん、基礎演習が一緒の人。魚住――瑠璃の好い人か、会話もままならないとか言ってたけど、ちょっと進歩したんだ。瑠璃――進歩というか、後ろに進歩というか。魚住――なにさ、悪いことでもあったわけ?瑠璃――……なんか、嫌われた気がする。魚住――ぜったい思い過ごしだって。瑠璃――そうかな……。魚住――瑠璃は好かれよう好かれようって頑張りすぎだし、相手の反応気にしすぎ。もっとさ、適当でいいんだよ。瑠璃――適当って難しいな。相手のことが好きで、もっと知りたいと思えば思うほど空回りしちゃって魚住――いっそのこと家に呼んじゃえばいいじゃん。 瑠璃――えっ、無理無理無理。そんなの、強引じゃん、なんか。上手い理由もないしさ。魚住――理由ならあるじゃん。瑠璃――もしかして、魚?魚住――いけるいける。魚飼い始めたから来てって、そう言えばいいじゃん。瑠璃――無理だって、そんなんで龍くん来てくれないよ。魚住――大丈夫だって。電話かけてみ。 瑠璃、携帯電話を取り出す。 瑠璃――やっぱり……。魚住――いけ、琉璃! 往々にして逃した魚は大きいんだからさ。瑠璃――わかった。 瑠璃、龍に電話をかける。四コールして龍が出る。 瑠璃――あ、もしもし! そう私、琉璃。用件……用件はね、えっと、魚を飼い始めたの。えっ、種類? 種類は、(魚住に目配せするがにやにやしているだけで助けてくれない)淡水の、琵琶湖の、滋賀のキス。うん、そうそう、シガーキス。うん、うん。それでね、見に来てほしいんだ。家は知ってると思うから。時間、時間はね、明日の午前中とかどうかな? ……え、いいの! じゃあ来てください、ぜひ! また明日ね。じゃあね。 瑠璃、電話を切る。琉璃と魚住、目を合わせて両手でハイタッチして喜ぶ。 瑠璃――やったやった、明日来てくれるって!魚住――いやあ、よかった。シガーキスなんて言ったときにはどうしようかと思ったけど。瑠璃――シガーキス様様、魚住様様だよー。魚住――明日、楽しんでね。魚の餌はとりあえず金魚用ので対応して。ポンプもつけたから大丈夫だと思う。瑠璃――恩に着るよ魚住。魚住――そろそろお暇するね。種類がわかったら連絡するからさ。 魚住、立ち上がって玄関へ。 瑠璃――ありがとう、気をつけて帰って。(手を振る) 魚住――うん、じゃあね。おじゃましました。 魚住、扉を閉める動作をして舞台袖へ。瑠璃が手をおろしたところで暗転。
【第三幕】 瑠璃の部屋。琉璃は玄関の前で龍を待っている。チャイムが鳴り、琉璃が扉を開ける。座卓の上には水槽が乗っている。 瑠璃――いらっしゃい。龍―――ああ、うん。瑠璃――来てくれて、ありがとう。龍―――そりゃあ、女の子の下宿に誘われたら行くやろ。誰だって。瑠璃――あ、そっか。そうだよね。駄目元で誘ったから、嬉しくって。龍―――へえ。それで、シガーキス、見せてくれるん?瑠璃――そう、そうなの。シガーキス、見せたくて。龍―――部屋の中?瑠璃――あ、ごめん。上がって、こっち。 瑠璃、部屋の中に龍を案内する。 瑠璃――これがね、飼い始めたシガーキス。龍―――熱帯魚とかではないんやな。瑠璃――そうみたい、淡水魚なの。龍―――金魚とかメダカとかフナとか、その類?瑠璃――そう、その類。龍―――鱗がきらきらして綺麗やね。瑠璃――でしょう! 私もそう思ってたの!龍―――棲息地は?瑠璃――えっと、え、棲息地……。龍―――日本の魚? それとも外国の魚?瑠璃――いや、えっと……。龍―――わからへんねや。瑠璃――ごめん。なんかいろいろある、みたいで。龍―――餌は?瑠璃――今のところ、金魚の餌。龍―――今のところっていうのは、どういうことなん?瑠璃――えっと……それは……。
しばし沈黙。
瑠璃――お茶でも、飲んでかない?龍―――いやいいよ、それに水槽が邪魔で置き場がないやん。瑠璃――そう、だね。龍 ―――なあ、瑠璃ちゃん。瑠璃――なんでしょう……。龍―――なんでしょうもない嘘ばっか吐くん?瑠璃――え……。龍―――シガーキスなんて魚、調べてもおらへんかったで。瑠璃――調べたの?龍―――俺なりにね。瑠璃――ごめん、でもね、わからなかったの。龍―――なにが。瑠璃――魚の、名前が。龍―――せやったら、わからへんって最初から言えばええやん。瑠璃――そう、だよね。龍―――小指なくしたのも嘘やん。バレバレっていうか、小指落としてもうたら救急車呼ばなあかんくらいの大事件やろ。瑠璃――うん……ごめん。龍―――変なようわからん嘘ついてまで、何がしたいん?瑠璃――それはね、それは……。龍―――言うてみ。瑠璃――あの、仲良く、なりたい……みたいな。龍―――歯切れ悪いな。瑠璃――仲良くなりたいのは、嘘じゃないです!龍―――それはええんやけどさ、俺めんどい子きらいやねん。遠まわしな言い方とか、いらん嘘とかめんどいねん。瑠璃――ごめん、迷惑だよね。龍―――あと、アホな子もきらいや。瑠璃――え?龍―――知らへんやろ、シガーキス。(ポケットから煙草を取り出す)瑠璃――煙草?龍―――煙草から煙草に火移すねん。二人とも煙草咥えたまんまで……やってみる? 琉璃との距離を詰めた龍が、煙草を渡そうとする。後退る琉璃。 龍―――咥えて。 瑠璃は躊躇しながらも煙草を咥える。龍は自分の煙草に火をつけ、瑠璃の煙草に火を移す。瑠璃が咳き込む。 龍―――あーあ、大丈夫? 龍、携帯灰皿で煙草の火を二本とも消す。 瑠璃――なんで……。龍―――え?瑠璃――龍くんは私の嘘に気づいてたんでしょ、それで私の気持ちも知ってるんでしょ。龍―――うん、まあ。瑠璃――だったらさ、なんで、揶揄うようなことするのかな。龍―――うわ、めんどくさ。瑠璃――……。龍―――俺、もう帰るわ。瑠璃――帰っちゃうの?龍―――帰るよ。別に魚に興味もないしな。

龍、玄関を出る。俯く琉璃。水槽が視界に入る。 瑠璃――あれ、浮かんでる……死んじゃった。 【第四幕】アパートの前。昼間。ゴミ捨て場には、いくつものゴミ袋が積んである。ゴミから少し離れたところに琉璃が屈み、小さなスコップで地面を掘っている。そこに龍がとおりかかる。 龍―――なんしとん。瑠璃――あれ、龍くん。龍―――また小指、探してんの。瑠璃―― ううん、穴掘ってるの。龍―――なんやねんそれ、すっごい陰気なオーラが漂ってくるんやけど。瑠璃――まあね、ちょっと、悲しいから。龍―――どしたん。瑠璃――死んじゃったから埋めようと思って、シガーキス。龍―――シガーキス、死んじゃったん?瑠璃――うん。龍くんが帰ってすぐ、気づいたらお腹を上にして浮かんでたんだ。龍―――なんで、死んじゃったん?瑠璃――わかんないなぁ。寿命かもしれないし、プラスチックの容器が狭かったのかもしれないし。龍―――……貸して。瑠璃――何を?龍―――スコップ。瑠璃――いいけど。龍―――そんなに浅かったら、猫が掘り返して持っていってまうやろ。瑠璃――うん……はい。 瑠璃がスコップを渡すと、龍は瑠璃の正面に屈んで穴を掘りはじめる。 瑠璃――ごめんね、手伝ってもらっちゃって。龍―――ええねん。琉璃ちゃん、一人でやってたら日が暮れるやろ。瑠璃――さすがにそれは馬鹿にし過ぎ。龍――-ごめんやん。瑠璃――龍くんは私で遊んでるんでしょ。龍―――こういうのは、遊んでるって言わへんねん。遊んでるっていうのは、もっと良くない感じのことや。瑠璃――良くない、感じ?龍―――わかってへんな。瑠璃――うん……。龍―――ほらもう、シガーキス埋めてええで。
瑠璃がプラスチック容器から魚を出して、穴に入れる。二人で土を被せる。 龍―――はじめての共同作業やな。瑠璃――冗談言う場面じゃないでしょ。死んじゃったんだから。龍―――埋葬でも、共同作業に違いはないで。瑠璃――揶揄わないでよ。 龍がじっと瑠璃を見ている。二人、目が合う。 瑠璃――なに?龍―――いや、よくよく考えたら奇特な人やなって思って。瑠璃――馬鹿にしてる。龍―――えらいと思うで。ちゃんと埋めてあげんの。瑠璃――当たり前でしょう。龍―――俺やったら生ごみで捨てるかもしれへん。瑠璃――そんなの可哀想。龍―――せやから、この魚は可哀想やないやん。瑠璃――うん……。龍―――シガーキスって名前までもらってな。瑠璃――うん……。