白黴

 和音の連なりが重く震える。 カウンターの奥では、髪の長い女性がハープを爪弾いていた。彼女が着ている風を織ったかのように薄い布のドレスは、小さな衣擦れを曲中に潜ませる。無垢な少女たちの戯れのような、それでいて地下の世界を示唆するような音色。私はじっと耳を傾ける。 ちちち、と氷が鳴った。 現実に引き戻されて、同伴者の存在を思い出す。「きみの、それ」 シヴァンは錫のタンブラーを五本の指でぶら下げるように持っていて、私の身体のどこかを指すことはなかった。それでも私には彼の指示語の向く先が何なのか察しがつく。「知っているんですか」「そうだね。でも、たぶん僕しか見ていないよ」 私はそろそろと袖口や襟元を触って確認した。白黴の模様をリリア以外の人に見られるのは、どうにも恥ずかしかった。「よく見せてくれない?」 シヴァンは私の腕をぐいと掴んだ。暗く静かな店内では、光苔だけがぼわんぼわんと蛍火色に発光している。薄緑に照らされた彼の顔は、いつもと違うように見えた。心中に絶対に見せたくない気持ちと、一度見られているのだから今更だという気持ちが混在した。「嫌なら嫌と言えばいいんだよ」 私が何も言えずに黙っていると、シヴァンは袖に手をかけた。厚手の布は徐々に捲られていき模様の端が露になる。彼の顔からも自分の腕からも目を逸らして、ステンレスの平皿に放射状に並んだアスパラガスのピクルスを眺めていた。私と彼のせいで二本欠けてしまった線のことを考えた。そうでないと私の頭は簡単に、養育院でリリアと過ごした時間に戻ってしまう。「こんなに繊細な模様だから君に似合うんだね」 そのまま肩まで捲られてしまいそうだったから、腕を引いて袖を元に戻した。左腕に模様を刺したときのことを思い出す。むっと嘔吐物のような春のにおいがする夜だった。息を殺して、ちくちくと刺された。私は自分の身体にある模様のどれが、どんな夜に縫われたものか克明に記憶していた。「他にはどこにあるの?」「足とか胸の下とか、背中とかですかね……」 皮膚の薄いところに針を通したときの痛みを想起して、内腿を擦り合わせた。「もっとよく見せて」「いや……」「そのカーディガンを脱ぐだけでいいんだ」 私は自分のタンブラーに目を落とした。透き通った緑の液体は表面に円形を描いて揺れている。カーディガンの下は袖無しのワンピースだから、これを脱いでしまうと両腕の模様をすべて晒してしまうことになる。「ごめんなさい、見せたくないんです」できるだけ明瞭な声でシヴァンの頼みを拒否した。彼は不服そうな顔をしてアスパラガスを口の中に放り込む。私も同じように放射線のひとつを食した。酸味の滲み出る繊維質が奥歯の摩擦に取り残されていく。「無理にとは言わないよ」私の身体に刻まれた模様を観察したがる人たちは、決まって批判的な言葉を投げてくる。もう普通の生活はできないと嘲ったり、身体や命がどれだけ大事なものか説教をしたり。これは私とリリアにとっては意味のあるものだけれど、多くの人には不愉快なものらしく決まって怪訝そうな表情が向けられる。 シヴァンだって今はこうして興味を持っているだけだ。やがて白黴に覆われた皮膚なんて気味が悪いと言いはじめるのだろう。人のことを勝手に悪く思うことはいけないことだけれど、これは自衛のために必要な憶測だった。「その模様のことを詩にしたらいいと思うんだ」 シヴァンと話していると、あらゆる話題が詩の話に帰結していった。それは私と彼が詩を媒体にして繋がっているからではなく、彼自身が詩のことばかりを考えているからだった。 私がシヴァンと知り合ったのは詩学校の授業だった。 詩学校、そこは詩学を志す者たちの学び舎。詩学者や詩人を育てる場所だ。詩や言葉は好きだけれど書くことも話すことも苦手で、もう少し上手く言葉を使えるようになりたかったから、詩学校に入った。 一年生向けに開講されている詩作の授業のとき、シヴァンは隅で真鍮縁の眼鏡をかけて私たちをじっと眺めていた。威圧感を与えるのでもなく息を潜めるでもなく、空気のように居た。そして授業が終わると先生といくつか言葉を交わして、どこかに消えてしまう。 授業が五回目を迎えたとき、皆が提出した最初の課題を刷ったものが配布された。そこに学生の名前はひとつも書かれていない。受講生は二十数人もいたから、先生は三作品だけ取り上げて評を言った。もしかしたら自分の作品が選ばれるかもしれないけれど、期待し過ぎてはいけないと思いつつ、心臓は強く早く拍を打った。「十九番の詩は、そうね。梅雨時のにおいや気怠さを書いた詩ね。あまり突飛なことをしようとしていないし、背伸びもしていない」先生はそう評した。 私の詩には十九という番号が振ってあった。心の中で歓喜しながらも、表情を変えないように努めた。こういう時にあからさまに喜ぶと、咎められることがある。はじめに先生が「選ばれるから良い作品、選ばれないから悪い作品ということではありません」と言っていたことも思い出した。 授業終わりの鐘が鳴り、配られた紙の束や教科書を鞄に詰めていると、シヴァンは私の近くにやってきた。「君が十九番だね」と、ところどころ塗装の剥げた床で爪先を少し弾ませて、彼は隣の机に腰掛けた。詩には記名もないのに、どうして私が作者だと分かったのか不思議に思った。「ええ。十九番は私の詩です」と私が言えば、彼は人違いでなかったことを喜んだ。先生が十九番の評を言っているときにだけ、私はせわしなく姿勢を変えたり先生の顔と紙束とを交互に見比べたりしていたらしい。それで十九番の作者だと分かったのだという。挙動不審だったなら恥ずかしいと思った。情動に合わせてそわそわするのは、いかにも子どもじみている。「そんなに、目立ちましたか?」そう確認すると、気を遣ったのか「いいや。僕の目が良いだけだと思うよ」と言ってくれた。 シヴァンは私よりも二つ年上で、リリアと同い年だった。 それから彼とよく連むようになった。親しく話せる友達ができていなかったから、昼食をひとりで摂らなくてもよくなったのはありがたかった。〈青い蟲〉という学内の喫茶店に週に二度は通って、彼やその友人と一緒に硬いパンとスープのランチや、パスタのランチを食べた。彼が連れてくる友達はいつも一人か二人。四人掛けの席で一番熱心に詩の話をするのはシヴァンだった。 二人で〈青い蟲〉以外の店に来たのは今日が初めてで、夕食を共にするのも初めてのことだった。「君はもっと自分の核にあることを書いたほうがいい」 閉店の間際、シヴァンが言った。目をかけてやっているのだから、と後から聞こえた気がした。ハープの演奏も終わって、風を織ったようなドレスの奏者は店の奥に姿を隠した。「いつか書きます、模様のこと」 タンブラーの中身を飲み干して、私たちは店を出た。どうしようもなく靄がかった心地だった。  アパートメントの自室に帰ると、郵便受けに一通の封書が入っていた。 手紙なんてほとんど届いたことがないから、私は真っ白な封筒を持て余した。濃紺の封蝋にはLが押されている。まさかと思い送り主を見ると、そこには見慣れた名前があって懐かしさと共に針の痛みを覚えた。 中身を傷つけることがないように、ペーパーナイフを使う。紙の繊維が断ち切られ、封筒はぱっくりと口を開けた。便箋は一枚しか入っておらず、そこには短い文章が書かれている。〈夜更け。おぞましく赤い、空。血と血を重ねることすらできない。私たちの歩みは――〉 青いインクの文字は几帳面に綴られていた。紛れもないリリアの字で、不可解な文面だった。どうして今になってこんな手紙を寄越したのだろう。 声に出して読み上げる。毒々しい暁に気圧されて、ペンを走らせる彼女の姿を思い描いた。彼女は脇に抱えた詩集を捲り、一節を引く。姉妹のことを書いた何百年も前の詩だ。幼い頃に読み聞かせてもらった記憶があるし、文字が読めるようになってからは詩集を貰って読んだこともある。 送り主の住所が書かれていなかったので、切手に捺された消印を見た。水生植物が描かれた切手の上には、二日前の日付とガロという聞いたこともない地名が捺してある。 机の上に置いている辞書で、その地名を探した。ガロは私たちが育った養育院のある町からも、私の住んでいる町からもずっと離れた国境沿いの地名だった。リリアは医学校を志望していたから進学先の地名かとも思ったけれど、この国に医学校は八校しかなくて、どの学校もそんな辺鄙なところには無いはずだった。 胸に砂泥を撫でつけられているような気分になる。封筒の口をぱっくりと開けて中に便箋を入れる。どこに手紙を仕舞っておくのも不正解な気がして、机の隅に置いておいた。 シャワーを浴びて電熱式の加湿器をつけ、全身に保湿剤を塗る。そして、夜具に潜り目を閉じた。古い記憶がよみがえってくる。 蒲の群生する湿地帯が広がる。私はぬかるんだ地面に足を浸けて、リリアはそんな私を遠くから見ていた。我儘を言って蒲の湿地に連れてきてもらうのが好きだった。 手足も髪も泥まみれにして遊ぶ。砂粒が泥水で皮膚に張り付いても、乾いた髪の毛ががびがびになっても気にしなかった。でもリリアは汚いものが嫌いだから、泥だらけの私に頬ずりしたり抱きしめたりしてくれなかった。一度だけリリアを湿地に踏み込ませたことがあった。二人だけの秘密基地を作ることが目的だった。「嫌だよ、足の裏が気持ち悪いよ」と彼女は言った。リリアの細い脹脛は白と茶色に分かれていて綺麗だった。私にとって泥は心地良いものだったから、リリアがどれだけ不快に思っているのか理解できなかった。私にとって良いものは、彼女にとっても良いものだと思い込んでいた。蒲たちの間から西日が射す時間になっても、薄暗い時間になっても私たちは湿地にいた。「帰ろうよユリア。先生たちが待ってる」。そうリリアは繰り返す。帰ろう帰ろうと言われれば言われるほどに、湿地の奥に歩みを進めた。「もう、置いて帰るから」とリリアは背を向けた。 私はすぐ近くにあった蒲を一株引き抜いて泥水に浸し、それで彼女の背中を叩いた。茶色い飛沫が、彼女の服を汚した。リリアは顔を真っ赤にして私の肩を押した。背中から泥の地面に落ちて、口の中が苦くなった。掌が沁みたので見てみると、浅い切り傷がいくつかできていた。蒲の葉で切ったようだった。そのままリリアは帰ってしまって、私は喉が嗄れるまで叫ぶことしかできなかった。ざわあざわあと、蒲の葉と茎と穂が互いに殴り合っていた。私の吠え声が泥の水面に立てた波紋は、まだ小さかった膝頭に何度もぶつかった。 あの頃の私は、湧き上がる怒りや不安を表現する方法を知らなかった。意味のわかる言葉も少なかったし、その使い方も知らなかった。ずいぶん大人に近くなった今だって、言葉たちは私の手に余る。リリアが私を突き放して抱き寄せるような手紙を送ってきたのは、言葉に翻弄されているからだろうか。 腐食したコンクリートブロックの上に、詩集が置かれている想像をした。どこかで見た光景なのかもしれないし、私が勝手に作り出したものかもしれない。褪せた玉虫色をした詩集は、眠りの奥に閉じ込めた。  翌日、アパートメント一階に設置されている共用電話で、養育院に電話をかけた。リリアが施設を出たあとの住所や電話番号は知らされていなかった。電話機のハンドルを回して受話器を耳に当てる。電話交換手に番号を伝えると、間もなくして応答があった。電話に出たのは院長先生だった。リリアの所在を訊くと、医学校をあきらめて看護学校に入ったとのことだった。彼女が自分の意志でそうしたことを祈った。リリアの通う医学校がガロという町にあるか訊ねると、ガロでなく養育院の隣町にあるとのことだった。 受話器を置いて電話を切った。 リリアは医学校に通っていなかったけれど、彼女がガロという町にいるのは変わらず不可解だった。失踪、家出、行方不明という言葉が浮かんだ。でも、他の人にも似たような手紙を送っているかもしれないから、私が何かする必要なんてないのだと自分を落ち着かせた。彼女には実の家族がいるのだから。 この日は午後から授業があり、午前中に洗濯を終えて朝食とも昼食ともつかない食事をして家を出た。映画をみるだけの授業――本当は映画をみているだけではいけないのであろう授業が待っている。 少し早めに教室に入る。前の方の席にシヴァンが座っていて、私に気づくと遠慮がちに手招きをする。「ごめんね、昨日は」「何がですか?」「模様を見せてくれって言ったこと」「いいですよ、酔っていらしたんでしょう」 授業が始まって、教室の前方から後方に向かって暗がりが伝播していった。正面の映写機は無声映画を上映している。解説もない。シヴァンは億劫そうに、ぬるっと閉じた瞼を持ち上げる。努力の甲斐なく瞼は再びぬるっと落ちていく。こっそりとノートを開いて、映画の明かりで書き物をしようと思った。言われたように模様のことを詩にしてみたかった。それが自分の核の部分なのかは分からないけれど、書いてみたらわかるかもしれないと思った。 ノートの新しい頁を開いて、一番上にまず一行書く。思いつく言葉を並べていく。〈白黴の模様 隠れて見えないところ リリア 針 痛いこと〉 これだけ書いて、何かとても表面的な詩しか作れないように思えて憂鬱になった。二重線で全部消したい気分になったけれど、それはやめておいた。一行空けて、また書き始める。そうだ、最初に模様を入れたのは上腕の内側だった。リリアは新しい模様を母親から教わる度に、私の皮膚に手を加えた。彼女の体も模様で覆われていたから、おそろいになるのが嬉しかった。〈糸は生きて私たちを食べて 蝕む 針持つ指 リリア どこに〉ふたつのリリアを二重線で消した。机の上に置いてきてしまった手紙のことが心配になっていた。内容のこと、消印のこと。彼女は今どこにいて何をしているだろう。授業が終わるチャイムが鳴って、前方から後方へ明かりが伝播していった。シヴァンがぴくぴくと瞼を動かして目を覚ました。膠着した瞼が開きづらそうで、さらに眩しさで渋い顔をしている。「終わっちゃった?」「終わっちゃいましたよ」 私はまるで自分がずっと映画に集中していたみたいに笑って答えた。胸の下にある模様がずっと疼いていた。「先輩、ガロという町に行ったことがありますか」「いいや無いよ、辺鄙な所だろう」「汽車で行けるのかなって」「行けるよ。夜行が出ているはず。旅行?」「そんな感じです」 次の授業はシヴァンとは別々だった。最後の講義が終わってすぐ、アパートメントに飛んで帰った。机の上にある手紙がそこにあることを確認して、一息吐いた。懐に白い封筒を押し当てる。 扉に張り付けたカレンダーを見れば、明日と明後日の欄は空白だった。帆布の肩掛け鞄に、適当に着替えを詰めて部屋を出た。詩学校の敷地を横切って、賑わう通りを早足で歩いて駅を目指す。 詩学校に一番近い駅は、これから家路につく学生たちで溢れていた。定期券を見せてぞろぞろと改札を抜けていく人々を傍目に窓口に行くと、やけに大きな手をした駅員がいた。「ガロ行き、大人一人です」「往復?」「はい、次の学校の日には帰ってきます」 やけに大きな手が往復切符を差し出し、私はその分の料金を払った。少し触れた駅員の手は、白手袋の大きさが合っていないだけのように思えた。指先も余っていたし、手首のところもぶかぶかだった。 待合室で三十分ほど過ごしていると、ガロ行きの夜行列車がホームにやってきた。ビターチョコレートみたいな色をした列車に乗り込む。三等寝台の車両で、自分のベッドを探す。切符と同じ番号を見つける。私が一晩を過ごすのは二段ベッドの上段だった。「ガロ行き寝台特急、発車いたします」 ざらざらと掠れたアナウンスと共に、列車は走りはじめる。レールの継ぎ接ぎに車輪が乗る度に、車体はがたんがたんと揺れる。三半規管が弱いのか、いつも列車に乗ると気分が悪くなってしまう。 窓の外を移ろう景色も、夜だから電灯しか見えない。その僅かな灯すら、郊外に行けば疎らになっていく。木枠の車窓から目を離し、首に巻き付けていた大判のストールを外し、コートも脱いで寝台に置いた。車内は汗ばむくらいに暖房が効いていた。 窓の下に吊り下げられた車内図を見ると、食堂車が四両先の車両にあることがわかった。食べ物を何も持たずに乗り込んでしまったから、もし食堂車が無かったら夕食抜きになっていた。こういう迂闊さがどうにも直せない。 三等寝台を一両、二等寝台を一両通り過ぎて食堂車に至る。橙色の照明で彩られた落ち着いた空間。三組ほどの客が既に食事をしたり料理を待ったりしている。私は隅の方の二人掛けの席に座った。すぐに背の高いウエイターがやってきて、メニューを置いていった。 リングで綴じられたメニューには、軽食からきちんとしたディナーまでがずらりと並んでいた。一番安い黒パンのオープンサンドを注文する。「お待たせしました」真っ白なプレートが目の前に置かれる。サラダ菜の上にナッツのペーストとレンズ豆のトマト煮が載っていて、その下から黒パンがほんの少し耳を覗かせている。湯気を立てたセットの紅茶には、小さなピッチャーで添えられていたティースプーン二杯分程の蜂蜜を注いだ。もそもそと食べる。黒パンは乾燥気味で、一口ごとに紅茶で口の中を潤す必要があった。 夕食を終え、食堂車から自分の寝台に戻ると、下段と向かいの二段ベッドに乗客がいた。邪魔にならないよう、そっと寝台に上がる。三人の女性たちは気心の知れた仲のようで、中央にあるテーブルを囲んでお喋りが絶えない。三人とも元々同じ学校に通っていた同窓生のようで、話の大半が昔話だった。そして、かつての友人の近況なんかも話している。だれそれは恋人と別れたとか、だれそれには子どもがいるとか。しばらくすると、声が大きくなった。アルコールが入ったからだろうか。テーブルの上には缶のお酒が三本載っていた。少し耳障りにも思えたけれど、まだ夜は深まっていないから気に留めないことにした。 お手洗いに立って戻ってくると、女性客のひとりに声を掛けられた。「ごめんなさいね、騒がしくしちゃって」「いえ、まだ眠る時間ではありませんし」 寝台に上がろうとすると、また話しかけられる。「あなた、どこまで行くの?」「ガロです、終点の」 一番深い色をした唇の女が訝しげに眉根を寄せ、ごく平坦な声で「へえ」と言った。なんとなく、彼女たちに冷ややかに見られているような気がして、ひどく悲しくなった。  明朝、到着したガロはひどく寂れた街だった。駅員は一人、降りる人は私以外にいなかった。駅は針葉樹に囲まれており、駅舎以外の建物は見当たらない。「石炭の町ガロ」と書かれた古い木製看板がプラットホームの壁に立てかけてある。壁と看板の間の落ち葉だまりの上に蜘蛛の巣が張られていて、巣には小さな羽虫が一匹捕まっていた。駅舎を出るため、年老いた駅員に切符を渡す。その折にリリアのことを訊いてみた。「ここ数日で、若い女性を見ませんでしたか?」 駅員は、ぱちりと切符を切る。「見ましたよ、あなたと同じ年頃の女性」「一人でしたか?」「ええ。炭鉱観光に来たと仰っていましたね。一人旅とは珍しい、あなたも」 その人はリリアではない気がした。泥仕事が嫌いで養育院の菜園当番も逃れるようなリリアに炭鉱は似合わない。それとも、何か別の目的があって、あるいは目的が無くて、とっさに「炭鉱観光」という言葉を口にしたのだろうか。 リリアがこの町にいたのは、三日前もしくは四日前。駅員の言う女性がリリアだとは限らないし、リリアがまだ町にいる保証もない。「その女性、もうガロを発ったと思いますか?」「どうでしょう。駅で見かけたのは一度きりですがね」 まだ、ガロにリリアがいるかもしれない。私はそう思いなおして、町のホテルを回ることにした。自分が泊まる宿を取る必要もあった。 駅の窓口に置かれていた、「炭鉱跡の町ガロ」というパンフレットを手に取り、そこに載っているホテルを一軒ずつ近くから訪ねてみることにした。宿泊する場所は、リリアが見つかれば同じところに、見つからなければ一番安い資料館近くのホテルにすると決めた。 駅舎を出ると、針葉樹林は北側の斜面に広がっていただけのようで、南側にはやや広い道があり、そこを辿っていくと数店舗の商店があり、すぐに一番近いホテルが見つかった。町で一番大きな〈ホテル・クルトン〉。外観は古い庁舎のようだが、最近になって改装されたようで、ガラスを多用した流行りの内観になっている。 フロントに行き、ボウイに訊ねる。「ここに、友人が泊まっていると聞いたのですが」「その方のお名前は?」「リリアといいます」 ボウイは少し待つように言って、帳簿にある名前をペンで追いかけるように確認した。二枚ほど紙を捲って同じことを繰り返したあと、私に向き直った。「リリアという方は宿泊されていません」「四日くらい前にも、ですか?」「ええ」 違うホテルだったかもしれないと言って、〈ホテル・クルトン〉を後にした。それから、パンフレットの地図を頼りに向かった三軒のホテルで同じことを繰り返した。どこにもリリアはいなかった。 最後に残っているのは宿泊料の一番安いホテルだった。数十年前まで町に暮らした坑夫たちの集合住宅だった十二棟のうちの一棟が、〈労働者ホテル〉と名づけられて再利用されているらしい。別の一棟が資料館になっているようで、その一帯に向かうことにした。 市街地からやや離れたところに坑夫たちの集合住宅跡はあり、炭鉱自体はそこからさらに遠くにあった。集合住宅や炭鉱までの交通手段として、町内巡回バスが走っているという。 町役場前の停留所でベンチに座っていると、三十分弱でバスが来た。乗客が一人、降車した。車内には老夫婦と思しき二人組だけが乗っていて、がらんとしている。老夫婦が車内前方に座っていたので、私は後方の一人席に腰かけた。 古バスはオイルのにおいが強く、唸るような排気音を立てて発車した。 振動しながら進むバスの窓に、細かい雨が斜線状に降りはじめた。やけに体が軽かったので、雨が降ることはわかっていた。潤った空気や空から落ちてくる水は天からの恵みだった。老夫婦は住宅街のある通りで下車した。乗客が一人になってから二十分以上経ち、〈炭鉱博物館前〉でバスを降りた。 バス停は集合住宅跡地のロータリーにあって、すぐ目の前の建物が博物館だった。コンクリート造のアパートメントは、おそらく当時の外観そのままに博物館の看板を掲げている。他の建物との違いは、窓ガラスがはめ込まれているか否か。かつての抗夫たちの住処は、ほとんどが廃墟と化していた。 博物館を傍目に、〈労働者ホテル〉に向かった。丁寧にもバス停横に立った矢印型の黒い案内標識がホテルの方角と距離とを教えてくれた。住宅地跡の人影は疎らで、ホテルに至るまでには、数人の若いバックパッカーと中高年のツアー客を一団体見かけただけだった。 〈労働者ホテル〉と博物館は、見分けがつかないほど同じ外観をしていた。ただ、ホテルの方は背の高いイチョウの木が脇にあって、博物館にはそれが無かった。ホテル前は落ちた銀杏のにおいが立ち込めていた。避けて歩いたつもりが、何度が銀杏を踏みつぶしてしまった。靴の底でぐちゃりと、かたい中心部を残して銀杏が潰れる感覚は不快だった。靴底を洗わなければならない。寝る前の仕事が増えてしまった。 建物に入ってフロントで、今までのようにリリアのことを訊いた。もう諦めかけていたから、ここにも居ないと聞いても大して落胆しなかった。一番安い部屋には加湿器が無かったから、二番目に安い部屋を取った。 部屋のベッドに横になって、無駄足だったなあと途方に暮れた。十数分、そうして寝転がって、まだ午後三時過ぎだということに気づいた。どうせ遠くまで来たのだから、「炭鉱観光」でもしてみようかという心持になった。最低限の持ち物だけを持って、鍵をフロントに預けて博物館へ赴いた。 〈ガロ炭鉱博物館〉には、学芸員が一人だけ居た。彼女は他に仕事がないのか、展示物のひとつひとつに解説を添えてくれた。かつてアパートメントだった一室ごとに、別個のテーマが設けられて展示が作られていた。ある部屋には、背丈よりも大きいパネルに鉱山の生活を撮影したものや航空写真が印刷されていて、その裏には長々と説明文や年表なんかが書かれていた。学芸員は、その文章をなぞるように短くまとめながら話した。ある部屋は模擬坑道で、作業服を着た蝋人形たちが静止していた。ある部屋ではスクリーンにガスマスクを被った人や石炭の運搬を担った人々の映像が流れ、ある部屋では坑夫たちの手記がガラスケースの中に並べられていた。薄暗い館内の展示物たちは、十分にじめじめとして煤けていて逞しい彼らの生活を示していた。最後に資料室で書籍を紐解いているとき、炭鉱の詩を思いついてノートに書いた。それほどに、炭鉱は私を惹きつけた。講義中に書いた走り書きの二重線で消されたリリアを見るまで、彼女のことさえ忘れていた。 手に取っていた資料を書架に戻し、シャッターの閉ざされた窓辺の椅子に腰を下ろした。一気に疲労が押し寄せて、壁に凭れた。窓台に、綴り紐で鉛筆が結ばれたノートがあった。金の箔押しで博物館の外観と「ガロ炭鉱博物館」の文字が印刷されている。土産として販売されているものだろう。手に取ってはじめから読んだ。来館者の名前、年月日、ごく短い感想なんかが書かれていた。いくつかのページを飛ばし、いくつかのページを読んだ。そうして最後のページに行きついたとき、私は驚き、深く息をついた。 書いた覚えなどないのに、自分の名前が書かれていた。見覚えのある、あの流れるような筆致で。〈ひとり、列車とバスを乗り継いできました。 人を探してふらりと立ち寄った博物館でした。 居心地も良く、ガロ炭鉱の歴史を深く知りました。 気がついたら二時間が過ぎ去り、閉館間際に。 いつかまた来ます。十月二十四日 ユリア〉 さらに、一行空きがあって、その後ろにはごく小さな文字で一言添えられていた。〈わたしたちは、べつべつ?〉 博物館を飛び出して、ホテルに帰った。フロントで自分と同名の宿泊客がいないか訊いた。今朝方、私ではないユリアと名乗る客が出発していた。リリアは、この町にいたのだ。部屋に戻って、悔しさを自分のノートに書き散らした。そのページは翌朝、備えつけの小さなゴミ箱に破って捨てた。 博物館では坑道の見学を勧められていたけれど、とてもそんな気分にはなれなかった。一日を無為に過ごした。  ガロでの収穫は無く、私はまた夜行列車にのって詩学校のある街に帰ってきた。列車がひどく揺れたせいで一睡もできなかった。空気が乾燥していたこともあって、夜明けには帰宅したものの、覆い被さってくるような気怠さに抗えずベッドで何時間も昏々と眠り続け、結果的にこの日の講義は全て欠席することになってしまった。 夕方頃、ドアを叩く音で目覚めた。アパートメントの共用電話に私宛の電話がかかってきたことを管理人が知らせに来たのだった。手摺を伝うように一階まで下りて受話器を取り、「もしもし」と言えば相手は案の定シヴァンだった。「〈青い蟲〉、どうして来なかったの?」 そういえば、今日は集まる日だったような気がする。リリアのことがあって、すっかり忘れてしまっていた。「乾燥がひどかったので、すみません」「ああ、低湿度過敏症だったね」 嘘でも本当でもない言い訳をすると、シヴァンは納得したらしく体調を気遣ってくれた。それから、軽食でも持って行ってやろうと提案されたので、私は重い体を動かして散らかった洗濯物やら書類やらを片付けなければならなくなった。ざっと見える範囲の物を定位置に戻すだけで一苦労だった。 シヴァンは完全に陽が落ちてから、アーモンドミルクとオートミールの粥を持って訪れた。〈青い蟲〉の店主に頼んで作ってもらったそうで、紙の容器の外からでも温かいことが分かった。蓋を開けると蜜の甘いにおいがして、白い液体の中にオートミールと橙色の粒が浮かんでいた。キッチンからスプーンを持ってきて啜ってみる。橙色の粒はドライフルーツのような気がしたけれど、何の果物かはわからなかったから訊いてみると、アプリコットだと教えてくれた。 シヴァンは私が粥を食べているのをしばらく眺めてから、自分も夕食が入っているらしい容器を出した。粥の器より扁平なそれには、黒貝のパスタが入っていた。私はまたキッチンに行って、フォークを持ってきた。少しいるかと勧められたけれど、あまり貝が得意ではないので断った。「休日、事件があったんだ」 彼は唐突に切り出した。「図書館に用があってね、昨日も学校に行ったのだけれど、そしたら出たんだよ」「何が、ですか?」「白くて、宙に浮いたやつ。羽があって、音もなく飛び回る」 頭のなかにその姿を思い浮かべると、見覚えのある物だった。「遊走果?」「正解。なあんだ、怖がらせようと思ったのに」 遊走果は何度か見たことがあった。養育院には卵の部屋があって、そこには職員が保護した遊走果がふわふわと漂っていることがあった。数か月して孵化すると別の部屋に移され、歩けるようになると私たちと寝食を共にした。普通に暮らしていれば遊走果を目にすることは皆無に等しい。だからシヴァンは私も遊走果を見たことがないと思ったのだろう。「四階の窓から出てくるのを見て届け出たのだけれど、今どき遊走果なんて見ないから学生部の偉いさんに、お前のなんじゃないかって疑われてさ。学校医に確認してもらったら、まず性別が違うって話で、職員も恥ずかしそうにしていたよ」 四階といえば五、六年生の自習室が並んでいる。誰かが休日にもかかわらず学校に足を運んで、自らの尾糸体を切断したということだ。尾糸体は強い力を加えたり、異性との性行為をしたりすれば切れるようにできている。性行為中は麻酔薬に似た物質が分泌されるから痛みを感じないけれど、自ら切断するときは激痛に見舞われる。「自分で育てるつもりもないのに遊走果を作る意味がわからない。痛みを伴ってまでどうして、そんな事をするのか僕には理解できない」 シヴァンは苦虫を噛み潰したような顔をした。自分がリリアと同じものを求めて痛みを甘受したことを思い出す。考えてみれば苦痛は物事を退けるに十分な理由だ。この人はきっと、苦痛をこえるだけの抑えきれない衝動があることを知らない。「君も気をつけて」「え?」「遊走果から生まれた子どもは、低湿度過敏症の発症率が高いから」 私が遊走果から生まれた可能性を疑われていると思ったが、すぐに別の意図を持った発言だと気づいた。低湿度過敏症は遺伝性の疾患だ。親と同じ遺伝子を持つ遊走果の子が疾患を持っているなら、親も同じ疾患を持っている。私が無性生殖をする可能性を彼は示唆していた。「大丈夫ですよ、私は」 少し腹を立てて返事をした。やがて気まずくなったのか、彼は部屋を出て行った。 シヴァンが帰ってから、何十分もかけて全身にヘパリン類似物質の保湿剤を塗った。模様の縫いつけられた部分には特に念入りに。皮膚への刺繍に使う糸はPenicillium Fibraという白黴の一種で、その強くしなやかな菌糸を針で植えつけるようにして模様を作る。針は菌糸より少しだけ太く、菌糸を真皮まで押し込む。上手く刺繍されたPenicillium Fibraは脱落することなく定着し、毛細血管から養分や水分を吸収するようになる。刺繍は生きている。だから、刺繍部の皮膚は特に乾燥しやすい。 低湿度感敏症患者にとって、刺繍は症状を重篤化させる可能性のある禁忌で、私がそれを知ったのは既に体のあちこちに刺繍が施された後だった。 あれは、まだ冷気が漂っていた春になる前の頃。母親の元に一週間滞在して戻ってきたリリアが、「ユリアにだけ見せてあげる」と纏っていた服を全て脱ぎ捨てた。服に隠れていた彼女の皮膚は発疹が出たかのように赤くなり、その上には工芸品のレースのような白い模様があった。間近で見ると白い部分は皮膚よりも少し盛り上がっていた。「痒くないの?」「少し痒くて、痛い」。模様は母親につけてもらったのだと、リリアは言った。私には喜んでいるように見えた。リリアの母親は若くして彼女を作ったし父親もいなかったから、養育院に預けられていた。月に一度の面会でしか彼女は母親に会えなかったけれど、十五歳になって初めて滞在許可が下りた。滞在期間の一日目には右腕、二日目に左腕、三日目に右腿、四日目に左腿、五日目に背中、六日目に下腹部、七日目には胸部、というようにリリアの体は装飾されていった。この事は養育院内で問題になり、外泊中に起きた虐待として処理され、その後リリアと母親の面会は禁止された。 リリアの模様を見てから数週間経った頃、昼食に出たセロリ入りの粥が不味かった話をした後、彼女はある提案をした。「お揃いにしない?」というのは刺繍のことで、元々は菓子が入っていたのであろうミントグリーンの小さな缶を見せてきた。蓋を開ければ、消毒液の瓶、長さの違う針が数本入っていて、缶の中身のほとんどを大量の糸束が占めていた。「先生たちには内緒」とリリアは真剣な顔をした。私はリリアの提案を受け入れた。私たちの寝室は二人部屋だったから、夜の間に刺繍をしてもらった。図案はリリアにある刺繍の複写で、彼女は自分の模様を見ながら私の皮膚に針を刺した。背中の模様だけは私がリリアのものを紙に模写し、彼女はそれを見ながら刺繍した。見回りの職員の足音が聞こえる度に、灯りを消して布団に入る夜が十日程続き、私とリリアはお揃いになった。四月の健康診断で、私たちのお揃いは大人たちの知るところとなった。診察した医師は低湿度過敏症にとって刺繍がいかに危険なものかを説いた。乾燥した環境が長く続けば、Penicillium Fibraが水分や養分を求めて菌糸を伸ばし、症状が急激に悪化する。最悪の場合、仮死状態に陥る。リリアが叱られることは無かった。大人たちにとって彼女は被虐待児で、自分がされたことを私にしただけだったから。私たちは一ヶ月間だけ別部屋になっただけで、すぐに同じ部屋で過ごせるようになった。私たちの部屋には加湿器が四台も置かれていて、寝具はいつも湿気た状態だったし、壁紙もしっとりしていた。 今住んでいる部屋は、二人で寝起きした部屋よりも少し狭いから、加湿器は三台しかない。相変わらず寝具は湿気ているし、あちこちに黴が生えやすい。ヘパリン類似物質の保湿剤は生命線で、医師から多めに処方されている。養育院にいた頃、ローション状のそれが背中まで届かないからリリアに手伝ってもらっていたのに、いつから自分で塗れるようになったのだろう。皮膚感覚を思い出す。針の痛み、リリアの掌の温度。  リリアから二通目の手紙が届いたのは、一通目の手紙から二週間後のことだった。白い封筒、濃紺の封蝋にはL。今度も送り先の住所はなく、蛾が描かれた切手に捺された三日前の消印には、トーチという知らない地名があった。封筒の中身はまたも便箋一枚で、内容は前回の続きだと分かった。〈冷たい壁にもたれる、真夜中。 私が痛めつけ、あなたが痛んだ。 あなたが痛めつけ、私が痛んだ。 やさしい触れあいなんてあった?〉 リリアが怒っていることを、この手紙でやっと私は理解した。リリアが元にしている詩は〈姉妹〉という短い詩で、一緒にいることが難しくなってしまった二人のことが書かれている。ガロの博物館に置いてあったノートの走り書きも、思えば同じ詩の一節を元にしている。 リリアは私が嫌いになったのだろうか。どうして、こんな手紙を寄越すのだろうか。やさしい触れあいなら、たくさんあったじゃないか。詩の言葉を教えてくれたこと、眠れない夜にこっそり互いのベッドに潜り込んだこと、チョコレート屋に行ってルビーみたいなチョコを買ったこと、ぜんぶやさしい触れあいだった。 トーチのまちに一刻も早く行きたかったけれど、あと三日間の授業日を乗り越えなければ休日はないし、いくつかの授業では中間試験や作品提出が課されている。 初めてシヴァンと出会ったあの授業を受け持っていた先生に、今は基礎演習を担当してもらっていて、明日の授業で十篇の自由詩を提出することになっていた。明後日、必履修の詩史Ⅱは中間試験で、半分以下の点数を取ると多くの人が単位を落としてしまうという。詩史Ⅱについては先たちから過去問題を譲り受けているし、きちんとノートも取っているから大丈夫だろう。別の教授が担当していた詩史Ⅰは良い評価を貰えている。問題なのは基礎演習の方で、ガロから帰ってきて以来一篇も一文も書けていない。夏から書き溜めていた詩が七篇はあるから、残り三篇。シヴァンが言うように模様のことを書こうにも、リリアの手紙が思い出されてしまう。便箋二枚に書かれた言葉があまりに重くて、他の言葉なんか生み出せない。 苦心の末に玉虫色の詩集を開く。〈姉妹〉を朗読したり模写したりして、必死に足掻く。閉ざされてしまった扉は、正面から無理にでもこじ開けねばならない。せめて言葉がすり抜けられるくらいの通気口を開ける。 私は〈姉妹〉を一度崩して組み立てるように――つまり、リリアが手紙を書いたのと同じ方法と題材で――三篇の詩を書き上げた。 翌朝一番にタイプ室に行き、新作の三篇を打ち込んだ。誤字脱字が無いか確認してから複写室で作業していると、ばらばらと入ってくる人の中にシヴァンがいた。ほとんど徹夜で書いて疲れていたので、あまり会いたくはなかった。「中間作品?」「なんとか、完成させました」「それはよかった。一部貰える?」 提出分と自分用の二部と、シヴァン用にもう一部、合計三部を複写した。複写も紐綴じも手伝ってもらえたので、作業は予定よりも早く終わった。 私が基礎演習の個人指導を受けている間、シヴァンは研究室前で待っていた。十篇の詩は、一篇ずつ丁寧に感想を言ってもらい、悪いところは指摘を受けた。昨日書いた三篇について〈姉妹〉を解体して再構築した詩だと白状すると「古典の引用ね」と言われ、最後には「同じことを繰り返し書くのは悪いことじゃないのよ」と添えてくれた。研究室を出て、二人で〈青い蟲〉に行った。昼食時を外れていたので店内は空いていて、一番日当たりの良い席に座った。そこは、天板の上に青く染まったダンゴムシ数匹の模型がずらりと並べられたキューブ型の書架が一番近い席でもあった。書架には詩学校で教鞭を執る詩人たちの著作が詰められている。前にシヴァンが持ってきてくれたオートミールの粥が美味しかったから、それを注文した。ドライフルーツの種類がいくつかあったので、白イチジクを選んだ。「ずっと筆が止まっていたらしいけれど、どうやって動かしたの?」「〈姉妹〉を読んで、それで」「君にとって特別な詩?」「ええ、特別です。とても」「お姉さんか妹がいるの?」 姉も妹もいないけれど、リリアは本当の姉妹よりずっと近い存在で、ほとんど自分自身のような存在だった。彼には養育院で育ったことも話していなかったから返答に困った。養育院のことやリリアのことは隠していたわけではないけれど、わざわざ話すことでもないと思って誰にも明かしていなかった。「私、姉妹はいないんです。昨年まで養育院にいました」 シヴァンは「そうなんだ」と返事をした。刺繍との関連を考えているのか〈姉妹〉との関連を考えているのか、食事の手を止めて黙ってしまった。少し時間をおいてパスタを一口食べてから、彼は皮膚の模様が虐待によるものか訊いてきた。 私は訊かれた以上のことを彼に語った。模様は大人からの虐待でつけられたものでなく、養育院での友人に縫ってもらったこと。彼女は私と全く同じ模様を母親につけられたこと。彼女が住んでいるはずのない土地から、手紙が送られてくること。ガロには彼女を探しに行ったこと。会えたかもしれないのに会えなかったこと。再び、別の土地から手紙が届いたこと。「人探し、手伝おうか」「いいんですか」「その代わり、できた詩はたくさん読ませて」 休日のトーチ行きに、シヴァンが同行することになった。前回の一人旅に疲弊していた私には、願ってもいない申し出だった。  トーチには、ガロより手前にある大きな駅で分岐する別路線で行くことができる。 その日は午前中に荷物をまとめて昼から学校へ行き、無声映画の授業を受けて、ごく短い中間レポートを提出した。さらに二つの授業を受けてシヴァンと合流し、駅へと急いだ。 トーチ行きの寝台列車はガロ行きよりも一時間早いから、切符は前日のうちに買っておいた。彼の希望で二等寝台を取った。三等寝台と違って、一区画に寝台が二つしかないので、ガロに行ったときよりも静かに過ごせるだろう。寝台の等級を上げた分、夕食は〈青い蟲〉でパンの器を使ったエビグラタンを焼いてもらって安く抑えた。 二等寝台でグラタンを食べながら、トーチでリリアを探す計画を練った。リリアが手紙を投函してから、もう一週間になる。既に町を去って別の土地に行ってしまっているかもしれないけれど、わずかな痕跡でいいから見つけてあげたいと思った。 シヴァンは図書室でトーチのガイドブックを借りていた。その本によれば、トーチはかつて養蚕で栄えた町で、今は二軒の養蚕農家が残っているだけだという。町の養蚕業の中核を担っていた製糸工場は十年程前に廃業になっている。「前回はかつて炭鉱業で栄えた町、今回はかつて養蚕業で栄えた町。何か意図があって、ゴーストタウンみたいな所を選んでいるのか」 シヴァンは首を捻る。私も内心で不思議がっていた。あちこちから手紙を寄越すのは、私の関心を惹くためだろうか。「わかりません。誰もいない場所に行きたいのかもしれません」「君がそう思うなら、そうかもしれないね」 養育院にいた頃、私とリリアはふとした言葉が被ることが多かった。先生への返事も、食事の感想も、不意に口ずさむ詩の一節も。互いが考えていることさえ、手に取るようにわかった。それなのに今は彼女のことが何も分からない。手紙を送ってきているのが本当はリリアではなくて、私とリリアにとって玉虫色の詩集が〈姉妹〉が特別だと知っている誰かなんじゃないかと考えた方が、どれだけ気が楽だろう。 帆布のバッグから詩集を出した。〈姉妹〉のページを開けて文字を追う。〈ごらん ふたりが同じ出来事を 別々に身につけ 別々に理解するのを〉 私たちは別々ではなかったはずだった。無性生殖で分裂した親子みたいに同じ遺伝子は持たずとも、同じ言葉を持っていて同じ模様を身につけている。角が擦れて褪色した表紙を額に押し当てた。「ほんとうに、特別な詩集なんだね」「初めて会ったとき、リリアが譲ってくれました。そのときの私には、ここに書いてある文字も読めなかったし彼女が言っていることも理解できなかったけれど、彼女が大事なものを私にくれたのはわかりました。だから、彼女が私より早く十八歳になって養育院を出るとき、同じ本を贈ったんです」 夜が深まり、詩集を抱いて寝具に入った。暗闇の中、シヴァンが二段になった寝台の上段で「きっと見つかるよ」と囁いたのを聞いた。  到着したのは昼前だった。 トーチ駅は木造の駅舎で、待合には蚕蛾や桑の葉の標本が飾ってあった。この町はガロと違って、観光化の試みは為されていないらしい。誰かがカバーを手編みしたのだろうクッション、住民同士の伝言が書かれた黒板、琺瑯のポットが据えられたストーブなんかが、トーチに住む人々の気配を漂わせていた。 ガロでは博物館にリリアは言葉を残していたから、一番に〈トーチ絹と蚕の資料館〉を訪ねると決めていた。この資料館は集会所に併設された民間施設で、まだ製糸工場があった頃に働いていた女工の一人が蒐集したという。集会所は住宅街の中にあった。茶色いタイル張りの外壁には、植物や甲虫のレリーフが配置されている。奥の方には用途のわからない塔屋が見えた。重い両開きのガラス扉を抜けると、建物の入口から奥までを貫く廊下、その左右の壁に茶話室や旧貴賓室へと繋がる扉と年老いた人々の肖像がある。入口に一番近い扉は開放されていて、丁寧にも〈トーチ絹と蚕の資料館〉と書かれたプレートが下がっていた。 資料館とされる室内に入る。雨漏りがあったのか、敷居を跨いですぐの床は踏んだ瞬間にぐにゃんと撓んだ気がした。こぢんまりとした室内には繰糸機や水分検査器、蚕卵紙、繭配車なんかが展示されている他、女工たちの集合写真、養蚕農家の作業風景が額縁に入れて飾られている。駅にあったものより多種類の標本は窓からの光を避けて置かれていて、蚕蛾は死体らしく黄ばんだ白だ。そして、誰かの丁寧な資料館づくりも虚しく、展示台は薄っすらと埃がかっている。 展示をぐるりと一周したあたりの片隅に椅子があった。そこに置かれた空き箱の中に蚕蛾の形に切り取られたトレーシングペーパが十数枚入っていて、桑の樹木らしき壁画には半分透けたような蚕蛾が六匹とまっている。それぞれの蚕蛾には来館者の名前と短いメッセージが書かれていた。ほとんどが子どもの字で、反転したアルファベットや綴りの間違いが目立つ。六匹の蚕蛾のうち、一匹だけ葉のない幹にとまったものがあった。流れるような書体で、リリアの筆跡ではないかと思った。しかし、それは四歳のイワンという少年の言葉を母親が代筆したものだった。 集会所を出ようとすると、白い房が垂れ下がった揃いの帽子を被った少女たちがやってきた。シニヨンを結った女性が体育室から出てきて、彼女たちを迎える。連れ立った少女たちの髪も同じように結われていて、彼女たちはひとつの綻びも無いような関係性であるかのように一列に並んで手を繋いでいた。小さな手の結び目を切るようにして少女たちの間を通ってやりたかった。「まだ行先はあるよ」 彼は私の手を引いた。 それから、町に数軒しかないペンションやホステルの宿泊者名簿も調べたけれど、リリアの名前も私の名前も残っていなかった。再び駅の伝言板も見てみたが、待ち合わせの連絡がひとつふたつ増えたり減ったりしていただけで、リリアの文字はどこにも無かった。 私は音を上げてしまって、トーチに長居せずにその日の列車で帰ろうという話になった。帰りの列車が来るまでは桑畑でも散歩して時間を潰すと決めた。 耕作放棄地になっていない桑畑は住宅街を抜けた先の山手にあって、その周囲に二軒だけ養蚕農家があった。私たちは桑畑を見下ろす、少し高くなった道を黙して歩いた。掌よりも大きな葉の集合がずっと遠くまで続いている。風が来て果てなく続く桑の樹たちが一斉に喚いた。すべての樹木が、すべての葉が、葉脈が、葉緑体がめいめいに言葉を発していた。私にはわからない言葉が世には無数にあった。だから、耳を傾けなければならない。 今でも覚えている。音の無い、薄暗い部屋だった。光の中で、ちらちらと埃が降りてくる。外から聞こえるのは風や雨の音ばかり。ずっと母の腕の中にいて、父が時折、排泄と食事の世話をしに来る。突然、そこに知らない人たちが現れて、皆が私に向かってざああああと音を発した。それは言葉だったけれど、何を言っているのか分からなかった。当時六歳の私はいくつかの命令文以外は聞き取れず、自ら言葉を発することはできなかった。母の温もりを知りながら、母との間に言葉は無かった。父は私や母に向かって語り掛けなかった。母と父を示す言葉もなく、名前も持たず、目や耳に入るものを表現する術も持たないまま生まれてから六歳までの時間を過ごした。行政の職員に保護されたとき、つまりあの薄暗い部屋の外部との出会いが同時に、言葉との邂逅だった。私と母は別々に保護された。私も母もひどい栄養失調だった。母は聾唖で私が生まれる前から、あの部屋に閉じ込められていたという。二才児程の大きさだった私の体と母の腕とは癒着しているかのようで、母との別れは肉体の一部を引き剥がされるような苦痛を伴った。こわくて、こわくて、ずっと泣いていた。栄養剤を繋がれたり、医師の診察を受けたりする日々を経て養育院に入った。 保護者代わりにエレナという若い女性職員がついて、他にも療法士や言語学の博士なんかが関わった。彼らはいろいろな遊びや、自分の意思を他者に伝える方法を教えてくれた。身振り手振り、簡単な言葉。私はすぐに二語文を話すようになり、やがて三語文を使えるようになったけれど、エレナには慣れ親しむことができなかった。彼女はその事を気に病んで養育院を辞めてしまった。リリアと初めて会ったのは、その職員が辞職してすぐ、私が七歳になった頃だった。 リリアは養育院で一番の読書家で、特に古い詩劇や近代の散文詩が好きだった。同じ年頃の子どもたちと違って児童書は好まず、大人でも知らないような言葉や修辞句を使うことがあった。殻に籠りがちで子どもらしくない彼女のことを職員たちは敬遠して、「子どもの姿をした辞書」なんて呼ぶこともあった。そんなリリアが唯一、心を開いていた職員がエレナだった。私の担当になった彼女は片時も私から離れられなかったために、リリアは彼女と交流することができなくなった。その上にエレナは辞職してしまったから、リリアにとって私は簒奪者とも言えるような存在だった。 リリアは、私の良き友人となる使命を与えられていた。これは、私の言語発達にとって「良き」存在という意味も暗に含んでいて、彼女はその事を誰に言われずとも理解していた。拙い言葉で話す簒奪者への憎しみを抑えながら、彼女は自分の使命を果たした。ひとつ年上の彼女は、私が欲しがれば大事な本を譲り、遊び相手になり、隣で食事をし、夜ごと詩を読み聞かせ、私の背に添うようにして眠った。 やがて、私は彼女にユリアという愛称を貰った。それまで、父親につけられた羽虫という意味の名前で呼ばれていたから、リリアと音の似ているユリアという響きの綺麗な名は嬉しい贈り物だった。 リリアとお揃いの名前を手に入れたことをきっかけに、私たちはぐっと親しくなった。二人で何度も読んだ玉虫色の詩集を引用して会話することが、どんな遊びよりも楽しいことを私たちは発見した。何度も聞いたフレーズを繰り返すことは、自分で一から考えて喋るよりも簡単だったし、リリアとの会話を聞いた他の子どもたちや職員たちがぽかんとした顔をしているのが面白かった。ボール遊びだってリリアが「まるいものよ」と球体を弾けば、私は「双手から温もりをうばって」とまた弾けばいい。 こうして私は日常会話の言葉と同時に、詩の言葉、そして二人だけの言葉を獲得していった。リリアとの間で交わされる言葉のうち半分くらいが、私たちにしか分からないものになった。職員たちは私たちの言葉をリア語と称して揶揄った。年月を経るごとにリア語は複雑化し、一節や一単語ごとに詩の内容以上の意味が付与されるようになった。二人だけの言葉に加えてお揃いの模様を手にした私たちは、ほとんど互いが互いの鏡像だった。リリアは私で、私はリリアだった。 だから、私はリリアの声に耳を傾けなければならない。リア語を解せるのは二人しかいないのだから、彼女の言葉を掬い上げることができるのは私しかいない。私しかいないはずなのに、リリアが何処にいて何を求めているのか分からない。あまりに苦しくて、不甲斐なかった。「また手紙が来たらどうするの?」 訊かれて、考えをめぐらせる。もう探したくはない気持ちはあるけれど、きっと手紙が来たら行ってしまう。「わかりません」 そう返事をした声が羽虫の飛ぶ音みたいに掠れて震えた。シヴァンの手が伸びてきて、そっと背に触れた。桑の樹たちが小さな声でさらさらと私の代わりに泣いてくれた。 帰りの列車で、私は早々に床に就いた。眠れなくても、目を閉じて耳を塞いでいたかった。そうすれば、リリアが線路も通っていないような地の果てに行ってしまうような、私の知っている彼女ではなくなってしまうような不安さえも遮断できる気がした。それでも、向かいの寝台にいるシヴァンがノートに何かを書いているペンの音は、耳を塞いでもはっきりと聞こえた。仄暗くてノートとペンの摩擦音だけが聞こえる世界に揺られているうちに、やがて眠ってしまっていたようで、すぐ近くに誰かの気配を感じてぼんやりと覚醒した。 細い糸のようなものが首筋を掠めて、鎖骨下の刺繍に触れたとき疼きが伝わってきた。尾糸体だとわかって肩が強張った。少し前から予感していたことだった。拒んでもいい、拒まなくてもいい、と自分に言い聞かせた。これは彼なりの慰めなのだろう。「眠ったふり?」 シヴァンが私の髪の毛を掻き上げて顔を覗いてくる。慌てて上下の睫毛を合わせた。「嫌?」 首を横に振る。リリアと互いに融け合うような関係性よりもっと、強く確かな繋がりを手にしたなら、彼女を見つけ出すことを諦められるかもしれない。「よかった」 彼は私に添うように横になった。ワンピースの下から入ってきた手は、太腿の刺繍を検分していく。そして、彼は私の腰のあたりに指先を伸ばして尾糸体の根元を熟した果実を手に取るような優しさで握った。果皮の和毛に触れるか触れないか分からないような曖昧な所作で、尾糸体の皮膚がくすぐったくなる。「ちょっと待ってね」 何やらがちゃがちゃと鞄を探り、シヴァンはジャム瓶のようなものを取り出した。それは薬局の片隅に売ってあるジェル状の塗布薬だった。ラベルには〈避果薬〉と表記されていた。彼は三本の指でジェルを掬い上げて私の尾糸体に塗っていった。「冷たい……」「ごめんね」 クチクラ層の上にジェルの薄い膜が張っていく。はじめは冷たかった避果薬もだんだんと馴染んでいき、体温と同じ温かさになっていった。「塗ってもらっていい?」  瓶からジェルを掬い、彼の尾糸体に塗った。不随意に脈動する尾糸体はシヴァンの動きと連携していなくて、手の中をするすると擦り抜けてしまうことがあった。私が上手く塗れなかった先端部分を彼は自分で塗った。 シヴァンは私のブラウスのボタンを上から順に外し、胸の下に刺繍された模様をまじまじと見た。リリアが紺碧の夜に縫った鎖状に連なったレンゲ草が、左から右へとなぞられた。「きれいだね」 それから、ベッドの上で私たちの尾糸体は絡まった。痺れた四肢をくすぐられた果てのような快感があって、心地よさの狭間に相手を伺えば薄い笑みを浮かべていた。列車と寝台の揺れに援けられながら無事に行為を終えた。  玉虫色の詩集を見えないところに仕舞った。シヴァンは刺繍のことを詩にするように言わなくなった。流浪の詩人が隣村に来たと聞いて訪ねて行ったり、夜通し言葉遊びに興じたり、二人で一冊の詩集を編んだりした。あたたかい微睡のような日々を過ごした。緻密に言葉を積み上げて、紛れもない他者との間にささやかな生活を結んだ。リリアから手紙が届いたのは、学年がひとつ上がる少し前のことだった。消印には見慣れた町の名があった。私たちが生まれ育った町、養育院のある町。手紙はまた便箋一枚だった。〈わたしたちは、おなじじゃなかったの?〉 リリアの文字は揺らいでいた。 そうだよ、私たちは同じじゃないよ。最初から同じじゃなかったんだよ。互いに分かったつもりになっていただけ。私たちは互いが互いにに無性生殖の母であり娘であるような錯覚に陥っていたけれど、違うんだよ。私たちの遺伝子は異なる配列をしていて、決して鏡像にはなれない。「行くんだね」「はい」 シヴァンは季節がひとつ戻ったような表情をしていた。身支度を整えた私は、ささやかな生活から滑り出た。ずっと前から準備はできていた。 駅に行く。やけに大きな手袋をした駅員に誘われて、言葉の無い世界への急行列車に乗った。車窓からは青々とした麦畑が地平まで続いているのが見える。日光を吸っては吐いた線状の葉たちがさばさばと過ぎていく。翡翠の残光が尾を引いている。 昨年の春に別れを告げた町へ至る。養育院のある通りへ。懐かしさに吹かれる。蒲の湿地へと駆けていく私たちを見た。記憶が見せた残像を目で追えば、見慣れた後ろ姿があった。少しだけ痩せて背が伸びていた。待って。行かないで。私たちは、もう私たちではないけれど、あなたの言葉に耳を傾けるから。追い縋るから、もう一度だけ話そう。 リリアは私の姿を確認すると、走りだしてしまった。行先は蒲の湿地帯だった。白い柵で囲われた用水路を過ぎ、雑木林を抜ける。傾いた陽によって燃えるような色を帯びた蒲の群れに、彼女は少しも躊躇することなく足を踏み入れる。遠くに、行ってしまう。「行かないで」 懇願するように言ったとき、彼女は駆けるのをやめた。泥に足を縺れさせながら、距離を縮めようと必死に歩みを進める。リリアが振り返った。彼女は上下の歯列を露にするような笑い方をした。濡れて癖の強くなった髪の毛が、頬に張り付いている。「帰ろう」 彼女は何も返事をせず、不気味な笑い顔のまま尾糸体に手を掛けた。彼女が去り際に残そうとしているものが分かった。痛みと傷を伴ってでも、彼女は自分の身代わりを作ろうとしていた。言葉によって誰かと繋がらなくてよい場所へ行くために。 彼女は唇を噛みしめて、小さな呻き声を上げた。引きちぎられつつある尾糸体からは、ごく細い繊維がほわほわと立ち上がっている。痛々しい姿。どうしようもないくらいに自分を痛めたくて、ばらばらになりたいリリアの気持ちそのものを知ることができなくとも、私なら寄り添える。だから、もう一度だけ話そう。私たちの言葉で。 止めないと、と思った。同時に、このまま行かせてあげたいとも思った。昔、私たちの祖先がもっと乾燥に弱く水辺に暮らしていた頃、水が干上がり生存が危ぶまれるとき、生き延びるべく無性生殖をした。息苦しければ自らの分身に生を託す方法は、生きづらさを抱えた私たちに祖先が残してくれたひとつの生き方だった。 小さな呻き声が上がる。引き抜かれた尾糸体は既に自我を持っているかのように動き、やがて無花果ほどの大きさをした薄黄色の球体となった。発芽するように二本の羽型鞭毛が伸びて、空気を捉まえる。 リリアは遊走果を宙に放った。彼女の分身は不器用に羽ばたいて、私たちの方に向かってくる。手を伸ばした。掌に収め、胸に抱く。ほのかにリリアの体温が残っている。尾糸体だった繊維は蠢いて、数日後には脈動が生まれることを暗示していた。 泥濘に沈むように、リリアは姿を消した。彼女は誰も語りかける者のいない世界へ行った。喜ぶべきことだった。外から降ってくる言葉から解き放たれた彼女は、真に自由だから。 遊走果が孵った日、湿地の蒲が一斉に穂綿を飛ばした。湿地帯が真っ白に染まる様を詩に変え、ゆるやかな旋律をつけて彼女の耳元で囁いた。言葉に制約された世界の入り口で、私は彼女を出迎えた。